「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係

5/17 7:32 配信

東洋経済オンライン

ビジネスエリートにとってリベラルアーツは必須の知識と言われている。そもそもリベラルアーツとは何か。なぜリベラルアーツが必要なのか。
3万5000部超のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏と、リベラルアーツに関する著作が多数あり、講演や企業の研修においてリベラルアーツの重要性を訴えている山口周氏が、リベラルアーツや教養をテーマに縦横に語り合う。

 堀内:現在、東洋経済で「教養」をテーマにした本の執筆を進めていまして、それで、「リベラルアーツ」をテーマとした講演や著作が多数ある山口さんに、一度、話をお聞きしたいと思っていました。

山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか。

■リベラルアーツとは何か

 山口:わかりました。教養とリベラルアーツを一対一対応させてよいのかというところはありますが、リベラルアーツということでは、その狭義の定義は「自由市民のためのアート」ということだと思います。古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています。

 上記の本のなかで、京都大学名誉教授の中西輝政先生との対談があって、中西先生いわくリベラルアーツの対義語は何かというと「ディシプリナリー」であると。ディシプリンには「境界」という意味があって、学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。

 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだと。中西先生はそのようにおっしゃっています。

 それに対して、教養というと、また少し違うニュアンスがそこに入ってきて、たとえばトーマス・マンの『魔の山』が典型ですが、いわゆる教養小説と言われるものがあります。ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。

 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです。

 堀内:まさに日本の旧制高校の流れですね。戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。

 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています。

■ハーバード大学に専門系の学部は存在しない

 山口:そうですね。トーマス・マンもヨーロッパの人で、一般にリベラルアーツというとヨーロッパで重んじられていて、アメリカはその反対で実学志向というイメージがあるかと思いますが、私の感覚ではそうではありません。

 アメリカの大学ランキングを見ると、ほとんどの年でトップになるのはハーバード大学ですが、そのハーバード大学に法学部や経営学部など専門系の学部はありません。学部ではリベラルアーツ学部しかなく文理融合的な知識を学ばせています。

 元々アイビーリーグに属する大学の起源の多くは牧師さんを育てるための学校で、18世紀頃の牧師さんは、社会のありとあらゆることを行っていました。医師でもあり学校の先生でもあり、また政治家のような仕事もしていましたので、社会のあらゆることを知っていなければならなかったのです。

 最近、日本の一部の識者が「実学志向のアメリカに倣って、文学部のような人文科学系の学部は廃止してもよい」と言っているようですが、無知とは本当に恐ろしいことで、こうした事実をよく知らないんですね。彼らに日本でよく知られているハーバードのビジネススクールやケネディスクール、メディカルスクールなどはみな大学院ですよと言うと、絶句してしまうわけです。

 アメリカでは社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。

 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです。

 ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね。

 堀内:アメリカには、ハーバード大学のような総合大学とは別に、いわゆるリベラルアーツカレッジがありますね。私が懇意にしているグレン・フクシマさんがカリフォルニアのDeep Springs College、先日対談させていただいた斎藤幸平さんがコネチカットのWesleyan Universityといったリベラルアーツカレッジに進学していますが、アメリカには名門と言われるリベラルアーツカレッジがいくつもありますね。

 また、アイビーリーグでは、新入生はとにかく寮に入らないといけない所が多い。寮があって、そこに寮監(りょうかん)がいて、チューターがいて、彼ら以外にもさまざまな人が寮にやって来て、毎晩議論をするといった活発な交流がおこなわれています。

 山口:そうですね。まさにトーマス・マンの『魔の山』の世界ですよね。

 堀内:その伝統はオックスフォード大学やケンブリッジ大学といったイギリスの大学から来ているのだと思いますが、オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります。

■日本とは異なる欧米エリートのキャリア形成

 また、私がゴールドマン・サックスにいたときの経験をお話しすると、インベストメントバンカーには学歴の高い人が多いわけですが、実はアメリカの大学での専攻が歴史や哲学など、経済や経営はまったく勉強していませんという人が多くて驚いた記憶があります。

 とにかく最初はリベラルアーツ的なものを学ぶ。そして、次のステージとして、金融で成功したいと思ったら、学部卒で数年働いてある程度の資金を貯めてから、ビジネススクールなどで学ぶ。そうして、20代の後半くらいで専門的・実務的な知識を身に付けたビジネスマンとして、その分野で階段を駆け上がっていく。キャリア形成はそんな感じになっていますね。

 山口:まさに、ピーター・ティールなどが典型ですね。彼は大学の学部は哲学科で、その後、大学院はロースクールで学んでいます。スラック(Slack)の創業者のスチュワート・バターフィールドも哲学科の出身です。シリコンバレーのハイテク業界というと、「STEM」という印象がありますけれども、実はそうでもないんですね。

 クリスチャン・マスビアウが『センスメイキング』という本で、若い時期の求職においては、STEMの学位は有利に働くかもしれないが、経営者の経歴を見てみると、STEMではなく人文科学系の学位を取っている人のほうが多いというデータがあると書いています。この話をするとSTEM系の人は猛烈にかみついてくるので怖いんですけれども(笑)。

 堀内:金融の世界では、「イングランド銀行を潰した男」の異名を取るクオンタム・ファンドで大成功したジョージ・ソロスは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で哲学の学士と修士を取っています。ジョージ・ソロスと一緒にクオンタム・ファンドを設立したジム・ロジャーズもイエール大学で歴史、オックスフォード大学で哲学の学士を取っています。山口さんがおっしゃるように、日本では早い時期に専門を決めてしまう弊害があるのかもしれません。学生も何を勉強するのかをよく意識しないで大学を決めているので、大学で学ぶことの意義自体がかなり曖昧になってしまっているのだと思います。

 堀内:キャリア形成の話をすると、山口さんは慶応を卒業されて電通に入社されましたが、その前の学歴が日本的ではないと言いますか、とてもユニークですよね。その辺りのお話をお聞かせいただけませんか。

 山口:その辺りの話は実はあまり戦略的ではなくて、高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。

 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました。

 就職という段になって、どの道に進むかとなったとき、父が興銀に務めていて、当時の興銀は割と身内に甘い会社で「興銀に来るか」と言われたのですが、金融の世界には興味が持てませんでした。それを父に伝えると、「大学時代は音楽を作ってばかりで協調性もないし、おまえみたいな変わり者は電通のような会社が向いているんじゃないか」と言われ、それがきっかけで電通を受けることにしました。

 そのなかで、電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです。

 また、自分自身、大学時代は表現に関わる研究をやってきて、心理学にも興味がありましたので、自分の興味のある領域と、社会の中で接面として接合できる面積が一番大きいのは広告の世界だと期待を膨らませて電通に入社を決めました。

■営業局で実績を上げ外資系コンサルに転職

 ところが、入社すると、君は新入社員研修の中で人当たりもいいし、しゃべらせると流暢に人と話ができるから、営業向きだと言われ営業局に配属されたのです。一方で、コミュニケーション下手の同期がクリエイティブ局に配属されて、つくづく人生ってわからないものだなと思いましたね(笑)。

 ただ、自分には営業という仕事が合っていたのでしょう。結果も出て、営業の仕事が面白くなってのめり込んでいくようになりました。それで、さらに純度を高めたいという思いからボストンコンサルティンググループ(BCG)に転職したのです。ですので、自分のキャリアは、枝づたいに進んでいくうちに、かなり毛色の違うところに来てしまったという感じですね。

 堀内:山口さんが営業向きと言われて、営業をやってみたら面白くなったというのは意外ですね。優秀なコンサルのイメージが強いので、電通でもクリエイティブ出身かと思っていました。

 山口:意外かと思われるかもしれませんが、コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです。

 例えば、私が入社したときのBCGの日本代表は御立尚資さんで、彼も京都大学文学部でカート・ヴォネガットの研究をしていましたから、まさにど真ん中の人文系で、その後、ハーバードに行っています。まさにピーター・ティールなんかと同じですよね。

 堀内:少し話が変わりますが、大学の先生など日本の識者の多くは、リベラルアーツや教養が大切で、日本のエリートには深みがないと批評するのをよく耳にします。それは事実だと思いますが、では、どうすればいいのかというと、ほとんど具体的な方法論を持っていません。おそらく、大学の先生自身が実社会での経験がないために、大切だというべき論と実感が結びついていないのではないかと思います。

 一方、山口さんはご自身の経験も踏まえたうえでそこに切り込んでいて、リベラルアーツや教養的な考え方を、どのようにビジネスの世界に組み入れて現場の仕事で使えるものにしていくかを実践されているように感じます。それは、ご自身で強く意識されている部分なのでしょうか。

 山口:直接的な答えになるかわかりませんが、私はビジネススクールへは行かずにコンサルの世界に入ったので、経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました。

■マネジメント層に不可欠な「教養教育」

 堀内:まさにリベラルアーツに関する知識をビジネスに生かしてきたわけですね。

 山口:そうだと思います。私は20年間外資系のコンサルティング会社に勤め、最後はパートナーまで務めました。ですので、日本のトップクラスの経営者たちと渡り合って、それなりのインパクトも出してきたという自負はあります。そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。

 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。

 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません。(後編につづく)

 (構成・文:中島はるな)

東洋経済オンライン

関連ニュース

最終更新:5/17(金) 7:32

東洋経済オンライン

最近見た銘柄

ヘッドラインニュース

マーケット指標

株式ランキング