なぜ「厚底シューズ」を見ると、言いたいことを言えないまま気分が悪くなってしまうのか

4/6 6:32 配信

東洋経済オンライン

 朝、まだ桜が咲いていない公園に、ジョギングの人々が湧き出てくるより前、日の出前の時間に散歩に出かけた。

 花見客によって汚染された公園も嫌だが、毎朝のジョギングの人々を見るのも苦痛だ。なぜなら、最近は彼らのほとんどが厚底シューズを履いているからだ。あれを見ていると、散歩で得られ始めた穏やかな心が失われる。

■厚底シューズをめぐる2つの「問題」

 なぜなら、あれは価格は高いのに耐久性は極端に低く、さらにほとんどの人にとって身体に悪く、レースの記録も悪くなるからだ。ああ、すぐさま「そのシューズを脱ぎなさい」と言ってあげたい。その衝動を抑えるのに七転八倒して、気分と体調を悪くして、私は家路につくことになる。それで、人気(ひとけ)のない夜明け前の散歩をしているのだ。

 問題その1。この手のシューズはプロ専用である。

 そもそも、ランニングシューズにカーボンを入れて、その衝撃を緩和するために分厚く超軽量のクッション材を追加した“アツゾコ”(厚底)シューズを開発したナイキの意図は何か。それは、ケニアの英雄であるエリウド・キプチョゲ選手が人類初の「マラソン2時間切り」を実現するためだった。

 要は、キプチョゲ専用シューズだったのである。その後、アフリカ以外のアスリートにも提供し、日本では大迫傑選手が早くからユーザーとして開発にアドバイスをしていた。例えば、初期にフィット感を高めるためのアッパーの素材が雨中のレースだと重くなるので、改善するよう指摘したことは有名である。メーカーは彼らの協力を得て、超ハイレベルアスリート専用シューズを生み出したのである。

 車でいえば、F1用のレーシングカーを公道で素人が運転することは危険すぎるように、カーボンプレート厚底シューズはアマチュアランナーにとってはリスク以外の何物でもない。記録上のメリットも、1キロ3分ペース前後で走るのであれば大きいが、遅くなるにつれてデメリットがメリットを上回るようになるから、要は、ほとんどの人にとってはよいことがないシューズなのだ。

 問題その2。であれば、なぜみんな買うのか? 

 自分に向かないシューズを買う。なぜなら、消費者とは「ほとんど何も理解していない人々のこと」だからだ。現代の商品のほとんどは、消費者にはほぼブラックボックスだ。どうやって作られているかも知らないし、本当のコストも知らない。

■行動経済学的「非合理性」とは? 

 しかし、それ以上に問題なのは、自分に最適な商品がわからないことであり、自分に本当に必要なものがどれかもわからないし、さらに自分が本当は何を欲しているかすら知らないのだ。だから、はやっているシューズを買う。ブランドで買う。イメージで買う。印象で買う。

 「いやそんなことはない。試着するじゃないか」と反論する人もいるだろう。しかし、第1に、試着して買う人は少数派だ。ひどい人は(そういう人が過半数なのだが)自分の最適なサイズを知らない。だから適当に買う。

 例えばアマゾンのセールで買う。あるいはナイキの直販サイトで買う。両者とも返品可を売りにしているが、これまた返品する人は圧倒的に少数派だ。

 第2に、試着しても、自分に適しているシューズなのか、まったくわからない。わかろうともしない。第3に、わかったふりをして、口コミを書いたり、さらに自分のブログなどでレポートを書いている人もいたりする。

 しかし彼らは、自分の選択、買ったものが失敗と認めたくないから、ほとんどの人が絶賛する。あるいは、問題点を書きながら、結論は満足だという。これは日本でとくにひどい。批判精神がないのは文化的なものかどうかは興味深いが、今回のコラムでは脇に置いておく。

 これらは、典型的な行動経済学的「非合理性」だ。

 第1は、選択肢があるのにきちんと選択肢について考えない、というバイアスだ。ハーバード・サイモン流の限定合理性とも言えるが、要は消費者はぐうたらなのである。

 第2は、選択肢について、その内容を理解しようとしない。できない。これも合理性の限界だ。

 また、わかろうともしないというのは、ある意味、合理的であるかもしれない。なぜなら、自分の効用関数がわかっていないから、どの選択肢が自分に最適か調べても意味がないから、選択肢の内容は調べず、明らかにわかるもの、ブランド、評判、見た目だけで判断する。見た目は裏切らないからである。

 第3は、自分の選択の誤りを認めたくない。後悔を回避するために、自分の選好を選択した商品に合わせて変えてしまう。結婚ではそれが必要かもしれないが(実は、これは私の学部の卒業論文のテーマである)、効用関数を事後的に変えてしまうという非合理性の極みだ。認知的不協和といってもよい。

■選択における根底の原理が根本から崩れているワケ

 つまり、意思決定科学としての経済学において”Choice(選択)”は最重要の問題であるが、そのいちばん根底の原理が、現実においては根本から崩れているのだ。

 具体例を見よう。第1に、厚底シューズを初めて買う場合、どのくらいフィットすればいいのかよくわからない。普段履いている靴も実はフィットしていないものを履いている人が大半だから、まったく新しいタイプのシューズでのフィットはどのくらい、どうなっていればいいのか、わからない。

 第2に、初めてでなくとも、あるいはフィット感がわかってきても、最適なものを皆選ばない。私の友人は、ナイキの厚底にしてケガが増えて悩んでいて、私に勧められてアシックスに乗り換えた。

 アシックスで入念に測定してもらい、試走もして、プロのアドバイザーから、体格からも走法からも「メタスピードエッジ」(歩幅が小さく回転数が高い、ピッチ走法型のランナー向け)を勧められた。だが、結局彼女はメタスピードスカイ(歩幅が広い、ストライド型のランナー向け)を買った。

 なぜだ?  これは彼女に限ったことではない。人々が厚底シューズを買うときの理由。理由その1。オリンピックでも箱根駅伝でもランナーが履いている。かっこいい。速そうだ。

 理由その2。見た目にクッションが分厚くてふわふわだ。足に良さそう。飛び跳ねて、速そう。気持ちよさそう。

 理由その3。履いてみて、あーなんてやわらかいクッション。今までにない履き心地。跳ねる跳ねる。気持ちいい。歩いてみて、足が前へ前へ出る!  これに決まり! 

 ブラントや知名度が第1。第2に、商品の見た目。視覚に訴える。第3に、触り心地だ。

 だんだん、商品の経験を積んでいって、第3までくれば、商品のことを理解して買っているように見えるが、実はまったく違う。そして、これが最も危険だ。

 なぜなら、足を入れたときの瞬間に気持ち良いシューズと、数カ月毎日ランニングするのに身体が喜ぶシューズとはまったく別物だからだ。したがって、試着というのは、商品の実際の自分にとっての価値を試すこととはまったく違い、非合理的な快楽に基づく商品選択をさらにあおるものにすぎないのだ。

 これは、多くの消費行動に当てはまる。買うときの意思決定と使うとき体験する効用とのタイミングがずれている消費財はすべて、このわなに陥る。結婚はその典型だし、職業選択も同じだ。

 そして何より、投資において当てはまる。株を買うときと、その後、保有したとき、売るとき、まったく別の自分がそこにいることを、投資経験が豊富な人ほど実感しているだろう。それに気づいていない人は幸せだが、騙されている。この場合、昔の自分に今の自分がだまされているということだが、あるいは、今の自分は将来の自分をだますことに気づいていない、といってもいいかもしれない。

■本能に基づく消費行動でも矛盾に気づくのは難しい

 本能に基づく消費行動は、大丈夫だと思うかもしれない。だが、ランチの選択でも同じことが起こる。

 例えば「牛丼1杯400円ちょっと」というイメージで、安く済ませたいと思って、職場のそばの牛丼チェーン店に入るとしよう。だが、新メニューや期間限定のマレーシア風のメニューなどにひかれ、ちょっと高いけど、こっちと選択を変更し、結局830円払うことになる。

 それでも「今日のランチはおいしかった、満足だ」ということになり、矛盾にまったく気づかない。自分はランチを安く済ませているという感触が残ったまま、おいしかったと満足し、来週も似たようなことを中華そば屋で実行することになる(だから企業は牛丼や中華そばの値上げは最小限で、定食や具沢山麺の値上げは大きめという戦略を取る)。

 厚底シューズは、ビジネスで大成功した。どのメーカーもいまや厚底一辺倒だし、軽いジョギングやウォーキングしかしない人々ですら、厚底、しかもふわふわのシューズを履いている。

 しかし、本当はふわふわだと歩きにくい。ある程度固さのあるシューズのほうが、歩きやすく疲れにくい。クッションが効きすぎていると沈みすぎて、ねんざのリスクもある。

 しかし、皆、履き心地の良さそうな見た目と足入れした瞬間のクッションの気持ちよさで「あ、これは足にいい!」と思い込みが確定し、歩きやすい靴を履いている気でい続けることになる。そして、本当に歩きやすい靴よりも、試着したときに気持ちいいシューズが売れまくるのであり、だからメーカーもそちらに流れるのである。

 当初、アシックスは、ナイキの厚底シューズに市場を席巻され、厚底にシフトしようとしたという。だが、現場では「エリートランナー以外には向かない」「本当にいい靴を消費者に届けたいから反対だ」という声が多かったという。

 しかし、現実には、アシックスが誠実な靴を作り続けても、消費者は厚底に飛びつき、ほぼ全員そちらに移ってしまう。「それならうちで、足に良い、一般の人が履いても大丈夫な厚底を作ることが消費者のためになる」という考え方で、厚底シフトに完全に踏み切り、同社は現在、シェアを急速に巻き返している。その結果、業績も株価も絶好調となっている。

 これが、「厚底」“イノベーション”によるビジネスモデルの成功だ。ナイキのイノベーションとは、カーボンプレートや厚底というテクノロジーでもコンセプトでもなく(実際、アシックスは、歩くための厚い底のシューズを先に出していた。それはまったく別の考え方で歩行者のために作られたもので、現在の厚底とは別物だ)、キプチョゲ、ナイキ、見映え、売り方、それらの勝利なのである。

 これこそイノベーションだ、と多くのビジネススクールでは教えるだろう。それはそれで構わないが、本質的なポイントは、消費者との情報の非対称性を最大限利用したビジネスモデルであることなのだ。しかし、わかりやすく「何もわかっていない消費者からぼったくる」のがポイント、と言ってしまってはおしまいなので、誰も表立っては言わないだけだ。

■アップルのジョブズも「優れたビジネスマン部分99%」

 しかし、イノベーションと世間に思われているほとんどのビジネスモデルは、この構造だ。

 アップルのiPhoneはブラックベリーを一般消費者に(ブラックベリーはプロ向けだ)売り込むことに成功しただけであり、パソコンでもIBMに比べ、技術的にもコンセプト的にも、画期的に新しいものではない。消費者にウケるように、見映えよく改善させたものだ。スティーブ・ジョブズは、イノベイターというより、優れたビジネスマンの部分が99%だったのである。

 マイクロソフトが儲かったのも、ウインドウズという概念よりも、その後の「OS」と「Office」による囲い込みおよび独占禁止法との戦いをうまくやったからであることは、誰でも知っている。またテスラも、電気自動車そのものは独自技術ではないし、ただイーロン・マスクというブランドで急上昇してきただけで、失速し始めている。

 こう考えると、儲けのほとんどは、テクノロジーでも、イノベーションでもなく、ただ、うまいビジネスモデルにより生み出されているにすぎない。

 「そんなことはないはずだ」と思う読者は、新しいテクノロジーそのものである、新薬を考えてみてほしい。新薬開発に製薬各社はしのぎを削っている。近年AI(人工知能)が最も効果的に使われている分野でもある。しかし、新薬を発見しても、新薬自体ではまったく儲からない。

 儲かるのは、「特許」という制度で新薬が守られているからだ。「特許」がこの世に存在しなければ、儲けはどこにもない。後発薬で儲ける会社はあるが、あれこそビジネスモデルで儲けているのであって、テクノロジーではない。つまり、新薬という偉大な発明自体は、価値はあっても儲けにはならない。「特許」が必要なのだ。

 そんなことは誰でも知っているというだろうが、しかし、製薬に限らず、世の中ほとんどすべてのビジネスによる儲けは、新薬などの「発明」「発見」「画期的なテクノロジー」そのものだけではだめで、それをマネタイズ(収益化)する仕組みが必要なのだ。これも多くの人が知っているだろう。

■実際は「発明1%、仕組み99%」

 しかし、ほとんどの人は、発明80%、仕組み20%ぐらいに思っているだろうが、実際には、発明1%、仕組み99%なのである。1%のひらめきと99%の汗(最近は「努力」と言うらしいが)によって生まれた発明は1%で仕組みが99%の利益をもたらすのである。

 「特許」は法制度で定められたものであり、「特許」自体も発明であるから、すべての利益をもたらす発明であるから、これは偉大な発明である。だが、「特許」制度を発明した人が、その利益を得ているわけではないから、1%どころか、0%なのである。

 ビジネスの世界は、この「特許」に相当するものであふれており、コネもブランドも作られた流行も立地も、新薬と特許の関係と同じで、コンテンツ、商品の中身とそれを儲けに換える仕組みという関係なのだ。

 この10数年流行している、プラットフォームビジネスというのもまさにそうで、アップルストアやアマゾン・ドットコム、そしてメタ・プラットフォームズ、アルファベット(グーグル)などの広告ビジネスなどだ。

 だが、これらは19世紀から同じであり、百貨店もコンビニエンスストアもみなプラットフォームにすぎないし、アパレルのブランドもプラットフォーム、ユニクロのコラボもプラットフォーム、芸能事務所もプラットフォーム、みなプラットフォームなのだ。

 なぜ、こんな当たり前のことを長々と書いてきたかというと、経営学者やビジネスメディア、政策アドバイザーなどがみんな間違った主張、提言、アドバイスをしているからだ。

 彼らはこぞって、日本はリスクテイクしてテクノロジーを生み出せなくなった、日本企業は効率化ばかりになってチャレンジがなくなった、探索がなくなった、などと主張している。実際、政府は半導体の生産設備に何千億円も補助するらしい。

■日本企業が弱かったのは「ビジネスモデル」だ

 だが、日本企業が弱かったのは、コンテンツではないし、発明が足りなかったわけでも、テクノロジーがだめなわけでもない。要はビジネスモデルだ、ということを認めずに、エネルギーとカネの9割、および社運を技術革新にかけてきたからだ。

 シャープも東芝も、破綻したエルピーダも、そしてソニーグループもだ。日立の復活や成功は、「製作所」から「ルマーダ」(ITやプロダクトのように別々のビジネスをしていた部隊が、協働して1つの顧客とともに課題を解決することができるビジネスモデル)に乗り換えたからだ。つまり、工場で生み出されるテクノロジーと製品がすべて、という考え方から、顧客との関係において、テクノロジーを用いるという考え方に変わったからだ。

 もちろん、今や、多くの企業が気づいている。私は、いまだに気づいていない、学者、メディア、有識者、政府に、この警告をしたい、というのが、このつまらない、厚底話のただ1つの目的である。

 (本編はここで終了です。このあとは競馬好きの筆者が週末の競馬レースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)

 競馬である。

4月7日は桜花賞(阪神競馬場で行われる3歳牝馬限定のクラシックレース。距離は1600メートル)。大好きなレースでもあるし、比較的得意なレースでもある。

 しかし、今年は外れると思う。なぜなら、あろうことか、先週、先々週と、G1レースの予想が連続で当たっているからだ。こういうときは、もうだめだ。

 (ダメなパターン1)このところ調子いいな。予想が冴えている。今週もいただきだ。→最初あたり始めたときは、あまり自信がないから、買う馬券は少しずつ。しかし、調子がよいのを自認して「よーし」と大きく賭けてはずすパターン。

 (ダメなパターン2)せっかく調子がいいんだし、きっとこれはツキもきている。それなら、少しだけ穴を狙ってみようか。ついているときは大きく儲けないと。→意識しすぎて、自らの行動パターンを変えてしまう。勝ちパターンをみすみす失う。

 (ダメなパターン3)こんなに当たり続けたら、もう当たらないだろう。次は、きっとだめだ。だめだ、だめだ、だめだ。儲けた分を損したくないから、今週はやめておこう。
→せっかくの波を逃す。予想が当たっているのに買っていないというパターンで、後悔の嵐。もう後悔はごめんだと思い、リズムが狂って、もう冴えていないのに翌週はドカーンと賭けて、今度は買わなきゃよかった……というパターン。

 こりゃだめだ。

■賭けなければいいのだが……桜花賞は「あの馬」の単勝

 こういうときはどうすればいいのか?  本当のことをあなただけに教えよう。それは競馬をやめることだ。いや、賭けるのをやめることだ。ただ純粋に予想をする。強い馬を見抜くということに集中して、カネのことは考えない。

 要は、岡目八目。これは投資でも同じだ。ポジションを持つと、目が狂う。自分のポジションを正当化する情報だけに目がいくようになる。確証バイアスだ。だから、ポジションを持たないのがいちばんである。

 となると、競馬も投資もやめないといけない。困った。真実はつねに不都合だ。

 とりあえず予想を。アスコリピチェーノ(5枠9番)とクイーンズウォーク(1枠2番)のどちらかが勝つと思うが、私は後者にする。「(牝馬クラシック3冠2戦目で2400メートル戦の)オークス向き」と言われる馬は、より成長力があるという。

 ということは、人々が過去のレースに基づき考えているよりも実際には強いということで、オッズとギャップがある可能性があるからだ。単勝。

※ 次回の筆者はかんべえ(吉崎達彦)さんで、掲載は4月13日(土)の予定です(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

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最終更新:4/6(土) 16:51

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