「優等生でリーダー気質だったのに…」地域トップ校で不登校になった息子を見た母親の後悔と気づき
小中高生の不登校の子どもの数は40万人を超えるといわれています。自身もわが子の5年(中学1年の3学期から高校まで)に及ぶ不登校に向き合ったランさんは、その後、不登校コンサルタントに転身。子どもの不登校に悩む親と接すると、相談の入り口は子どもや学校に関することであっても、その背景には、さまざまな悩みや人間模様がありました。
本連載では、ランさんが、子どもの不登校を経験した親に話を聞き、問題の本質、そして相談者自身が見つめ直すことになった人生に迫ります。
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■幼少期からなんでもできる子どもだった
真奈さん(仮名/48歳)には高校生の息子さんがいます。
「小さい頃からなんでもできる子だったんです。文字を覚えるのも早いし、本を読み始めるのも早い。算数も得意でした。勉強だけでなく、楽器のレッスンにも通っていましたし、水泳の上達も早かったです。スポーツチームでは主将を務めることもありました」
聞けば聞くほど万能な息子さんは、真奈さん自慢の子どもです。その息子さんは地域のトップ校と言われる公立高校に進学しました。「大学には行かなくていいから、その高校だけは卒業して!」と思うほど知名度のある進学校だそうです。
しかし、息子さんは1年生の夏休み明けから休みがちになっていきました。
「頭が痛い、お腹が痛い」という理由で数日休んでは登校する日が続きましたが、そのうちどんどん無気力になり、次第に朝起きることもできなくなってしまったそうです。
「最初は学校に原因があると思ったんです。いじめられているんじゃないか、クラスの子たちに受け入れられていないんじゃないか、先生との関係がよくないんじゃないかって。でも、息子に聞いても『なにもないよ。学校は楽しいし授業もついていける。でも(学校に)行けないんだ』って」
それならなにか大きな病気に違いないと、真奈さんは近所のクリニックから大学病院まであちこちの病院に息子さんを連れていきますが、医師からは異状はないと言われます。
原因がわからず、不安が大きく膨らみ始めました。
■生気のない顔をした息子に心ない言葉を浴びせる
「もう不安で不安で。授業は遅れるし、テストを受けなければ成績もつかない。斜線の通知表って見たことあります? こんな通知表が世の中にはあるんだって思いました」
友達との交流もなくなり、教室から離れれば離れるほど戻りにくくなるだろうと心配した真奈さんは、とにかく学校に行かせようと必死になります。
「今思えばひどいことも言いましたね。体調が悪い息子に露骨に嫌な顔をしたり、中間テストを受けられなかったときは『期末テストは這ってでも行け!』と、親の権力で息子を従わせようとしたり」
そんな真奈さんの言葉を、息子さんは生気のない顔をして聞いていたそうです。
結局、息子さんの1年目は出席日数が足りず留年となります。そして、再スタートをきった2年目も6月ごろから完全不登校に。
その後、転学を決意して通信制高校に通うことになりました。
小さな頃から勉強ができ、小中学校でリーダーシップをとっていた自慢の子どもがトップ校を辞め、ほとんど引きこもりのような生活に。その激変ぶりに真奈さんの心は追いつきません。その頃のことを「先ばかりを考えて常に不安でした。焦って出口のないトンネルを彷徨っているようでした」と話します。
私は真奈さんに、息子さんが小さいころはどのように接していたのかを聞いてみました。
■勉強を強制したことが人格形成に影響したのか
「息子には勉強の習慣がつくように、計算ドリルや漢字ドリルをやらせていました。『あなたは頭がいいんだから、今やっておけばもっと伸びるよ』って。でも、私の目の届かないところで答えを見て写し書きするんです。当然私は怒りますよね。
息子にしてみれば、とりあえずやっておけば解放してもらえると思ったんでしょう。あるいは、息子は私のことが大好きなので、やりたくないけどやったら褒めてもらえると期待していたのかもしれません」
息子さんの真意はわかりませんが、真奈さんは、「理由がどうであれそのやり方は息子のためにならない」と、写し書きを見つけるたびに怒っていたそうです。
しかし、その後、真奈さんは心理学の本を読むようになり、当時の息子さんへの言動を強く後悔し始めます。
「トラウマという言葉がありますよね。それがすごく怖くて。私の言葉や態度が息子のトラウマになっていたらどうしよう、あのときあんなふうに言わなければ不登校にならなかったのかもしれないととても悩みました」
同時に真奈さんは自分自身の考え方のクセにも気がつきます。
「私は人に迷惑をかけることを過剰に気にするみたいです。たとえばスポーツチームのなかで息子がミスすると、『うちの子が申し訳ないことをしてしまった』と強く自分を責めてしまうんです。子どもはお互い周囲に迷惑をかけながら成長するものなのに、それを受け入れられないんですね」
■父が残してくれた愛情と親子関係の気づき
そうしたある日、真奈さんのお父さんが亡くなります。
「父は寛容な人でした。活発でやんちゃな私をいつもやさしく見守ってくれて。私が子どもの頃、アトピーがひどかった私の背中を、私が眠るまでずっとさすってくれるような父だったんです」
お父さんが亡くなってから、その愛情を深く感じ始めた真奈さん。
「そのときに思ったんです。人はどうせ死ぬのになぜ生きるんだろうと。父は私たちに愛情というあたたかな思いを残してくれました。それが父が生きた証しだったんです。そう思えたとき、私も自分が亡くなるときには子どもたちに学歴とか地位ではなく、なにか思いを渡して人生を終えたいなと思ったんです」
お父さんの死は真奈さんに大きな気づきを与えたようです。
そしてもうひとつ、真奈さんはお母さんとの関係の中にも気づきを得ます。
「母と私は似ています。母も不安症で過干渉で『他人に迷惑をかけるな』という人です。私はそんな母の影響を強く受けたんでしょうね。私が息子にしてきた言動は母と同じでした。そして、父は私が母に怒られたときもただやさしく見守ってくれていたんですよね。そのときに、そうか、私は父がしてくれていたようにただ息子を見守ればいいんだと思ったんです」
お父さんの死に「おじいちゃん子だった」という息子さんも何かを感じ取ったようです。
「父が亡くなったあとにちょうど学校の三者面談があったんですが、そのときに息子が『大学進学をめざす』と言ったんです。私はその場で初めて聞きました」
行きたい大学と学部があるという息子さんは、今、受験勉強中。「予備校や塾には行かなくていい」という息子さんの希望で、以前の高校で使っていた教科書を買って独学で勉強し、いつまでにこの単元を終わらせようと自分で勉強の計画もたてているそうです。
「私はこれまで子どもの教育に口を出し過ぎていたので、今はなにも言わないようにしています。聞きかじったことを言うと間違ったアドバイスになりますし」
そう言ってほほ笑む真奈さんは、心から息子さんのことを見守る穏やかなお母さんの表情をしています。
■これまでの価値観を少しずつ変えていった日々
このように真奈さんにとってお父さんの死は大きな転機でした。その傍ら、真奈さんはある時期から自分のことを内観する日々を過ごしていたようです。
「アドラー心理学で『課題の分離』を知りました。私と息子はいっしょに生活をしているけれど、歩んでいく道は別。私には私の人生の課題があり、息子には息子の課題がある。それに口をはさむのは、彼が自分で乗り越えようとしている課題を私が潰していることになるとわかりました。
もうひとつは『あるのは今だけ』という言葉。大事なのは今なんですよね。息子が不登校になってから、私は過去への後悔と未来への不安をずっと抱えていました。でも、今の彼を見ればいいんですよね」
そんなふうに学んでいった真奈さんの日常はどのように変わったのでしょうか。
「自分を許して寛容になったかな。私は掃除や料理が苦手だけれどそれでいいやって(笑)」
お母さんが完璧だったこともあり、以前は「母親としてちゃんとしなければ子どもの情緒が育たない」とできない自分を責めていた真奈さん。でも、「苦手なら苦手でいい。できなくてイライラするよりは笑って過ごしたほうがいいな」と考えが変わったそうです。
「子どもはできない私を認めてくれていたのに、私が私を許せていなかったんですね」
「誰よりもまず自分ことを認めてあげよう」。そう思った真奈さんは今、「ちょっと自分を甘やかしている」と言います。これまで我慢していたけれど、自分が食べたいものを食べたり、少し高くてもおいしいと感じるものを買ったり。パーソナルトレーニングも始めて「いつか富士山を見に行く」という楽しみもあると話してくれました。
「私はこれまでずっと子どものことを心配するばかりで、自分の人生を見つめていませんでした。でも考え方が変わって行動が変わると新しいできごとがやって来るんですね」
■変化する勇気で子どもが変わる
ランの視点
「子どもをきちんと育てなければ」と親が責任を負うがあまり、子どもの可能性をつんでいることがあります。
私の場合、うすうす気づいていても、それを認めるのが怖くて見て見ないふりをしていました。
しかし、真奈さんは、自分に必要な気づきを素直に受け入れる勇気のある方でした。真奈さんの変化が早かったからこそ、息子さんは希望の大学に向けて独学で受験勉強を始められたのだと思います。
真奈さんとのお話の中で印象的だった言葉があります。
「アドラーが『子どもには自分の人生を生き抜く力がある』と言っていますが、すべての経験はその子の糧になり、豊かな価値観や人として深みのある大人になっていくと思います。これからの息子が楽しみです」
そうほほ笑んで話す真奈さんを見ていると、お父さんにしてもらったことを今度は真奈さんが息子さんにしているんだなと、引き継がれていく親子の愛をしみじみ感じました。
東洋経済オンライン
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最終更新:5/25(日) 8:32