一番おいしいクマの部位は脳みそだった…都会では絶対に味わうことができない「限界集落のグルメ」

4/20 8:17 配信

プレジデントオンライン

現代美術家の大滝ジュンコさんは、新潟県北部にある山熊田という人口37人の集落で、マタギの夫と共に暮らしている。今年2月、その日々を描いた『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』(山と渓谷社)を出版した。埼玉県出身で東京を拠点に活動していた大滝さんは、なぜ縁もゆかりもない山里に移住したのか。そこでどんな生活を送っているのか。(前編/全2回)

■老人とマタギと熊しかいない村の生活

 ――そもそも山熊田で暮らしはじめた経緯を教えてください。

 きっかけは10年前の秋です。山熊田の取材を続ける知り合いのフリーライターから「マタギと飲み会しようぜ」と誘われたんです。

 試しに山熊田をGoogle earthで調べてみたら、完全に山で人が生活している気配がまったくなかった。面白そうと集落が主催する山登りイベントと飲み会に参加してみたんです。

 実際に行ったら、最寄りのJR府屋駅から山道を30分走った終点にある山奥の村でした。当時の人口は50人弱。お店も学校も何にもない本当に小さな集落でした。

 山登りを終えて村に戻ると打ち上げと称した飲み会がはじまりました。もちろん村には居酒屋や飲み屋はありません。宴会場となった家の茶の間には、村人が持ち寄ったごちそうがならんでいました。山菜の天ぷらやゴマ和え、熊の脂身の味噌漬け、見たこともないショッキングピンク色をしたカブの漬物……。

 やがて廊下にはビールの空き缶がどんどん並んでいき、飲んでも飲んでも一升瓶が出てくる。「じょんこ」とお酌をされるんだけど、方言と訛りがきつすぎて話がほとんど理解できない。みんな絵本に登場する山賊みたいに「ガハガハ」と笑って、酒を飲んでいる。知り合う人、知り合う人みんながおおらか――悪く言えば、大雑把で楽しかったんです。

 散々酔っ払った翌朝、起きて村を散歩すると、住民のほとんどが高齢者だと気づきました。そして思ったんです。「もしかしたら、この村には、30年後の未来がないんじゃないか」と。

 そして山熊田に通ううち、2015年に移住。マタギの頭領をしている夫と結婚して、伝統工芸品のシナという木の樹皮からつくる「羽越(うえつ)しな布(ふ)」の制作を手がけるようになったんです。

■他の田舎との決定的な違い

 ――大滝さんは、現代美術家やキュレーターとして、山形市や長崎県波佐見町や富山県氷見市でも暮らしたそうですが、ほかの地方とは違った特色があったんですか?

 ぜんぜん違いましたね。一言で言えば、田舎の度合いが突き抜けている。山熊田に暮らすようになり、その理由を言葉にできるようになりました。

 私が暮らしたほかの町との決定的な違いが、自然との距離の近さ。山熊田の人たちは、口にこそしませんが、自分たちも自然の一部に過ぎないという意識がある。自然のなかに間借りさせてもらって、生きている感覚を持っていると言えばいいか。

 言い換えれば、自然環境の厳しさを身をもって知っている。それは、自分たちが弱い存在という前提に立つことでもあるんです。それは都市生活では絶対に分からない感覚です。

 みんな山菜取りや田畑をつくっているから、気候次第で収穫が左右されると肌で知っている。山仕事で命を落としたり、腕や指を落とす大ケガをしたりすることもある。冬には3メートルを越す雪が積もる。

 山熊田と自然との近さを端的にあらわれるのが、食事です。自然が厳しい。それは、自然の豊かさの裏返しでもある。季節ごとにとれる食材は本当にバリエーションに富んでいます。

 まず春は、熊と山菜。山の雪が溶ける4月上旬、村のマタギたちは、巻狩りという伝統狩猟で冬眠明けの熊を獲ります。熊が獲れたときだけ執り行われる儀式が、熊祭り。熊祭ではナヤ汁という特別な料理が振る舞われます。

■マタギだけが知っている「本当の熊汁」

 ――どんな料理なのでしょう。

 私の夫は「本当の熊汁」と呼んでいます。ふだん食べる熊肉でつくる汁とは違って、ナヤ汁は毛皮と熊の胆以外すべてが食材になります。

 まず解体した熊の骨を大鍋で煮たあとに、肉のほか肺や肝臓などの内臓を入れて、自家製味噌で煮込む。熊肉は硬いから柔らかくなるまで半日くらいかかります。煮込んだら、仕上げにフキンドアザミ(サワアザミ)という山菜を加える。

 ナヤ汁は、しょっぱいとか甘いという次元をこえた味です。内臓独特のえぐ味が強すぎて、どうしても食べられないという人も少なくありません。

 でも、村の年寄りたちはみんな大好きです。ナヤ汁を食べると長い冬が終わり、春が来たと感じられるからかも知れません。

 春にはワラビ、ゼンマイ、コシアブラ、フキ、タラノメ……20種類以上の山菜が採れます。夏の食卓に上るのが、村の真ん中を流れる山熊田川で獲ったアユ、イワナ、カジカなどの川魚。

 夏の一大イベントが、焼き畑。焼き畑は南米や東南アジアの文化だと思っていたから、驚きました。実際に山を盛大に燃やすんです。焼け跡には赤カブの種をまいて、雪が降る前に収穫します。この赤カブの漬物も本当においしい。

 秋になると稲刈りをして、山でキノコ、栗、栃の実を採ります。そして、秋から冬にかけては、ヤマドリ猟。ヤマドリ汁は、正月のお雑煮にもなる。これがまた絶品なんです。私はこってりラーメンが好きなんですけど、どんなラーメンのスープもヤマドリ汁にはかなわないと感じるほどです。

■熊の脳みその味わい

 ――とくに印象的な食べ物はなんですか?

 町では絶対に食べられないという意味では、熊の脳みそですね。ナヤ汁をつくるときに頭骨も大鍋に入れて味噌で煮るんですよ。煮上がった頭骨を取り出したあとに下顎の骨を外して、割り箸でほじくって食べる。味は、フォアグラと白子、あん肝を足して3で割った感じで、クリーミーな食感がクセになります。

 面白いのは、これだけ豊かな食材が裏の山からとれるのに……いえ、とれるからなのでしょうが、村の男たちのなかではカップラーメンの地位が高いんです。それは、お金を払って買わなければ手に入らないからです。

 山熊田で暮らしていると本当にお金を使う機会がない。1台だけある自販機は冬には雪に埋もれるから使えない。隣の集落の商店の移動販売車は週に1回。大きなお店がある新潟県の村上市、山形県の鶴岡市に出るのも1時間以上かかりますから。

■いまだに物々交換が行われている

 ――お金がなくても食生活が成り立つわけですね。

 本当にそうなんです。

 だって、いまだに物々交換していますからね。たとえば、山菜や熊肉、「ヤマドリ」を20キロほど離れた沿岸部の集落に持っていくと岩牡蠣やワカメ、アオサノリ、鮭などをお礼にとくれる。

 山熊田で暮らしはじめてもうすぐ10年になりますが、ようやく物々交換のバランスが分かるようになりました。その年の豊漁不漁にもよりますが、塩引鮭1本に対して、熊肉500グラムくらい。

 一度、山熊田に日本海で釣れたクロマグロが1本まるごときたことがありました。とても悩んだんですよ。30キロのクロマグロに対して、何キロの熊肉なら等価交換になるんだろう、って。

 物々交換以外にも食にまつわる独特の文化があります。それが、平等な分配です。

 この村では、昔から熊を食べてきました。でも、食べ方のバリエーションは1つだけ。熊汁だけなんです。

 山熊田では、昔から狩りの手柄に関係なく、狩りに参加した人に平等に肉を分配します。調査で参加した学生も、熊を仕留めたマタギも同じ量の肉を分けられる。分配後、お汁(つゆ)たっぷりの大鍋にして、女、子ども、おじいさん、おばあさんと村の隅々まで熊汁を配る。それができるのは汁だからなんですよ。仮に焼き肉にしたら、村全体に行き渡らなくなりますから。

 山の恵を独り占めしては集落が存続できません。分配は小さな集落を守る知恵であり、伝統なんです。

■文化はこうして消えていくのか

 ――高齢化が進んで、人口が減っていくと分配も難しくなってしまいますね。

 そこが大きな問題なんです。分配文化、もっと言えば、熊狩りの存続が危うくなるという文脈で興味深い出来事がありました。

 このあたりには、まだ「口寄せ」の風習が残っています。死者の魂を呼び寄せた巫女に、故人が成仏できているか、どんな思いでいるのか、遺族が尋ねるんです。

 息子さんを亡くしたおばあちゃんが巫女に「口寄せ」をしてもらったところ、亡くなったのは「マタギが熊狩りをしたからだ」という話になった。熊の祟りだから、マタギを集めて供養しなければならないと。

 でも、山熊田の熊狩りは、山の神から春の恵を授かる神事なんですよ。神から授かった熊が祟るのか、と違和感を覚えました。しかも、その息子さんは熊狩りに参加した経験がほとんどなかった。

 実は、その巫女は、離れた地域に住んでいて山熊田のことをよく知らなかったようなんです。彼女も山熊田はマタギの集落で、熊狩りしていることは知っていた。断片的な情報で「熊の祟り」という話になったのかなという気がしました。

 昔は山熊田の近くにも「口寄せ」がいたらしいのですが、過疎高齢化でいなくなってしまった。もしも山熊田の熊狩りが神事だと知る巫女だったなら、熊の祟りなんて言っただろうか、と感じました。

 それでもマタギたちは、おばあちゃんの気が済むのなら、と熊の供養に参加した。それ以来、おばあちゃんは熊汁の分配を断るようになってしまったんです。こうして、平等を尊んできた村の文化が徐々に廃れていくのかと思いました。

■プライバシーよりも村の掟の方が大事

 ――平等に分配するのは、熊肉だけなんですか?

 山菜やキノコなど村人みんなでとるものは基本的に平等に分け合います。また道普請という道の整備作業や、各家々のため池の整備も村人全員で行います。田植えや稲刈り、薪割り、雪下ろしも互いに助け合う。自然を前にしたときの人間の無力さを知っているからこそ、村人全員が協力し合うようになったのだと思うんです。

 埼玉県出身の私にとって、そんな村のあり方が新鮮でした。だって、私たちは個やプライバシーが大事と教わってきたでしょう。

 でも、山熊田では、個よりも、村を優先する。そうしなければ自然の一部として生きていけない。私には、長い歳月をかけて醸成された山熊田ならではの価値観がとても尊いものに思えるのです。(後編に続く)



----------
大滝 ジュンコ(おおたき・じゅんこ)
現代美術家
1977年埼玉県坂戸市生まれ。東北芸術工科大学金属工芸コース卒、同大学院実験芸術コース修了。立体造形、インスタレーション、パフォーマンス、文章など、その場その時に適した表現手法を用い、全国各地、各国で活動を行う。村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年移住。現在は山熊田に伝わる国指定・伝統的工芸品「羽越しな布」を継承し、個人工房設立。羽越しな布の制作や育成、振興に取り組む。
----------

プレジデントオンライン

関連ニュース

最終更新:4/20(土) 8:17

プレジデントオンライン

最近見た銘柄

ヘッドラインニュース

マーケット指標

株式ランキング