一代で10兆円企業をつくりあげた経営者から私たちが学ぶべきことは何だろう。イノベーション研究の権威で一橋大学名誉教授の米倉誠一郎氏は、「時代」「努力」「報徳」の3つを挙げた。評伝『志高く 孫正義正伝 決定版』(実業之日本社文庫)の著者井上篤夫氏が孫氏を深く知る人物と対談する連載「ビジネス教養としての孫正義」。第5回では、イーロン・マスクと比較する形で、「孫正義はイノベーターなのか?」を米倉氏に問うた。イノベーション研究の権威は何と回答したのか? その前に本稿は、孫正義氏への度重なる“バッシング”について振り返るところから始まる。(取材・構成/ダイヤモンド・ライフ編集部 大根田康介)
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● メディアによる 孫正義バッシング
井上 孫さんは、若い頃は神童と称賛される一方で、行動する度にバッシングされていました。その様子を、米倉さんはどう見ていましたか?
米倉 新聞や週刊誌の記事には、孫さんに対する悪意が溢れていましたね(笑)。言っていることがあまりに大きいので“ホラ吹き”と揶揄されていました。インターネットの時代が来ると予測し、ヤフーなどに誰よりも早く出資しました。その先見性が認められ、時代の寵児として一躍メディアに持ち上げられると、マスコミの中に「あいつは怪しい」と批判する人がどうしても出てきます。
今でも、その風潮は少なからずあると思います。例えば、楽天モバイルに関しても同じで、実はかなり努力をしていますが、ダイヤモンド社をはじめとするメディアは「もう危ない」「これで命運尽きた」という記事を書きがちです。しかし、内情をよくよく聞いてみると、ちょっと借金額は大きいとはいえ想定内のようです。
ただ、そういうバッシングがあるからこそ、起業家が反骨精神で成功する側面もあるでしょう。その中でも、孫さんはベンチャー企業の代表的存在としてバッシングに立ち向かってきました。その姿に触発されて僕も同じように体を張って「ベンチャーという新しい潮流が大事だ!」と訴え続けようと決意したのです。
井上 あとは、未来を見通してきた孫さんに対して、マスコミや他の企業の人も含めて「この人は一体何なんだ?」という、一種の“恐れ”を抱いていたのではないかと思います。
米倉 孫さんは起業家ですから、その時々で大きな決断をしています。額も大きかったし、はたからみれば無謀に見えたでしょう。ボーダフォン日本法人やスプリント(2020年にTモバイルと合併)、さらにはアーム社の買収もそうですが、お金を突っ込み過ぎじゃないかと。
既存の概念とは違う起業家的行動が、平凡な人間にしてみれば異常な行動に映りますし、リスクがとても高く見える。それで、つい「危ない!」と口を挟みたくなってしまうのでしょうね。
井上 最近は、バッシングの中身も変わってきたと思います。ただ叩くだけではなく、孫さんの言っていることは意外と当たっているぞということで、潮目が少しずつ変わってきた感じはします。
米倉 そうですね。ただ、やはり見たことのないものに対する恐怖心は、まだ世間に残っていると思います。
僕は『クール・ランニング』(1993年)という映画が好きです。ジャマイカの短距離選手たちが、夏季オリンピックの代表選考会で落選して出場機会を失い、ひょんなことからボブスレー選手となり、冬季オリンピックを席巻するというストーリーです。その映画でも、主人公たちが「夏のスポーツのやつらが何にも分かっていないのに」といったバッシングを受ける訳です。
そのとき、主人公チームの1人がバッシングに対して「人間は自分と違う人間を怖がっているからだ」といったセリフを言っていました。要するに、バッシングは違うものに対する恐怖心もあるし、それ以上に自分を守るための術なのかなと思っています。
● 孫正義から学ぶべき3つのキーワード 「時代」「努力」「報徳」
井上 たしかに、孫さんは他人とは違う人間であることを誇りに思っている部分もありますから。1兆円、2兆円を動かす真似をするのは難しいとしても、経営学という観点で孫さんから何か学ぶべきことはありますか?
米倉 それは3つあります。1つ目は、時代の大きな動きを理解することです。例えば、私が学生によく話すのは、川を下るように進むのと、川を上るように進むのでは、同じ努力をしても結果が全然違うということです。
川を上る場合、他の人の3倍の努力しても、目的地まで半分の地点にもたどり着けない。一方、川を下るようにすれば、他の人の半分の努力で目的地に到達できる可能性があります。つまり、時代の流れを理解して、それに合わせて行動することが大切なのです。
2つ目は、その流れの中で短期的な目標を決めると、それに向けて徹底的な努力をするところです。孫さんを完璧に真似するのは難しいかもしれませんが、例えば「3年後に公認会計士になる!」などとしっかり目標を立てて行動すれば、実現する可能性は十分あります。目標達成に向けて自らの資源を管理して集中させることで、着実にステップアップしていくところは真似してほしいです。
3つ目は、やはり人の集め方・使い方、そして人の力を引き出すのが上手いのではないでしょうか。また、相当な人たらしでもあるのではないでしょうか(笑)。孫さんの周りには、井上さんのような人はもちろん、様々な人が彼を応援しようと集まっています。しかも、そうした恩人に深く感謝し報いようとしていると聞きます。
ただし、孫さんをあまり知らない人には、近寄りがたい印象があるかもしれません。彼の行動は突飛だし、他人のことを全く気にしないところがありますから。まあ変人、今の言葉で言えば相当なニューロダイバージェントな人ですよ。
● 孫正義は イノベーターなのか?
米倉 僕は以前、孫さんとゴルフをしたことがあります。ゴルフは一応紳士のスポーツだから、マナーには厳しいわけです。しかし、孫さんは自分のパターに集中すると、グリーン上で他人のラインを踏むわ、勝手に歩き回るわでマナー違反が目立つ。
「集中してしまうとそのことしか考えられない人なんだな」と思いました。要するに、すごい集中力の持ち主ということですが、万人とくにすべての普通の人に好かれるわけではないということです。
それを「型破り」だと捉えて「この人は面白い!」と感じる人もいるのでしょう。彼は、自分と志が同じで共感してくれる人を徹底的に信じ、そういう人たちが自分を助けてくれる関係をうまく築いているように思います。このような同志だけを集めてしまう強烈な「自己の確立」というアプローチは、事を成し遂げたいビジネスパーソンの参考になるでしょう。
井上 テスラのイーロン・マスク氏のように、何かモノを作って世界を変革する人を「イノベーター」だと定義した場合、孫さんはイノベーターと言えるのでしょうか?
米倉 もちろん、孫さんはイノベーターだと思います。僕は1997年、仲間と共に一橋大学に「イノベーション研究センター」を立ち上げ、99年からセンター長を務めましたが、その前身は「産業経営研究所」という名前でした。
当時はイノベーションという言葉があまり知られておらず、センター設立趣意書を出しに文部省を訪れたときも、当時の担当者から「カタカナは避けてください。技術革新研究所にしましょう」と言われました。当時もイノベーションとは技術革新と訳されていて、技術者やモノを作る人の代名詞みたいに思われていたのです。
イノベーションは単に技術革新に限りません。異なる要素を新しく組み合わせることでもあり、流通の仕組みを変えることもイノベーションです。毀誉褒貶はありますが、総合スーパーのダイエーを創業した中内㓛さんも、宅急便を日本に持ち込んだ小倉昌男さんもその意味では明らかにイノベーターと言えます。
孫さんはモノを作っておらず、ソフトウエアのプログラミングもしていないですが、ソフトバンク・グループというイノベーティブな企業集団を創り上げました。日本人の価値観や研究視点から考えると、典型的なイノベーターとしては描きにくいかもしれません。
しかし、日本にPC文化やインターネットを根付かせ、世界でもM&Aを通じて新たな価値を創造してきたという点で、確かにイノベーションを起こした人物だと思います。
ダイヤモンド・オンライン
最終更新:5/2(木) 8:32
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