マンション解体で立ち退き求めたオーナー敗訴、借地借家法の正当事由が鍵《楽待新聞》
賃貸物件の借家人を強力に保護する法律として知られる「借地借家法」。賃貸経営をするオーナー側からすると、「目の上のたんこぶ」のような存在とも言える。
この借地借家法をめぐり、とある裁判が昨年あった。オーナーチェンジで築古マンションを取得した不動産会社が立ち退きを求めたところ、入居者の1人が拒否。不動産会社が裁判を起こしたものの、1審、2審ともに不動産会社の敗訴となった。
楽待編集部では、訴えられた入居者に取材し、事件の真相を探った。不動産問題に詳しい弁護士や、立ち退き訴訟を起こしたことがある不動産投資家らにも取材し、賃貸物件で立ち退き交渉を行う際の注意点を聞いた。
■やっと見つけた新生活の舞台で…
東京・神楽坂駅から徒歩圏内の住宅地に建つ築36年の鉄骨マンション。このマンションに平出さん(50代)が引っ越してきたのは3年半前。およそ20年の結婚生活に終止符を打ち心機一転、新生活の拠点に選んだのがこの20平米のワンルームだった。
「ワンルーム物件には珍しく、ビルトインの2口コンロと魚焼きグリルが付いていて、重宝しています。お部屋は正方形に近い間取りで、家具を配置しやすい点も気に入っています」
この物件の家賃は7万2000円。非正規社員で平均収入が月16万~17万円の平出さんにとって、家賃として払えるギリギリの金額だ。一般的に家賃の目安は収入の3分の1といわれるが、平出さんの場合、およそ半分を占める。
「もっと家賃の安いアパートも探せばあるかもしれませんが、惨めな暮らしはしたくないし、住んでよかったと思えるところに住みたかったので、頑張って収入の半分を上限に物件を探すことにしました」
あちこちの物件を見てまわり、条件に合う物件を見つけるのに時間はかかったが、ようやく出合ったのが今の住まいだった。
勤務先や知人の家にも近く、歩いて数分のところに商店街があり、休日の朝には焼きたてのパンを買いに行くことも。精肉店や鮮魚店も近くにあり「年をとっても、暮らしやすいだろう」と、老後も住み続けるイメージを膨らませていた。
築年数は入居当時で30年を超えていたが、管理状態もよかった。「このままきちんと管理してくだされば、今後20~30年十分暮らせる魅力的なお部屋です」と平出さんは話す。
■突然のオーナーチェンジと立ち退き要求
転機が訪れたのは、入居からおよそ10カ月後の2022年春。マンションの所有者が代わり、新オーナーとなった不動産会社からオーナーチェンジを知らせる手紙が届いた。
そこには、「建物賃貸借契約における賃貸人の地位を新オーナーが承継する」という趣旨の内容が記載されていた。
「この時点ではオーナーが代わるだけだと思っていたので、新しい大家さんや管理人はどんな人だろうとのんきに構えていました」
しかし、そこから平出さんが想像もしなかった事態に発展していく。最初の通知から3日後、新しい不動産会社から用件不明の手紙が自宅のポストに投函されていた。
不審に思いながらも、手紙に記載されていた連絡先に電話をかけた平出さん。そこで不動産会社の担当者から耳を疑う内容を告げられる。当時の様子を平出さんは次のように振り返る。
「突然のことで驚かれると思いますけど、11月に取り壊すことが決定しましたので、次のお引越し先などについて相談させていただきたいので、面談はいつがいいですか?と、いきなり言われ、頭が真っ白になりました」
突然の出来事に動揺した平出さんは、法律問題などに詳しい知人に相談。後日、知人同席のもと不動産会社からあらためて事情を聴く場を設けた。しかし、不動産会社の説明は、納得のいくものではなかったという。
「手渡された書類には『維持管理を継続していく考えでしたが、徐々に難しくなってきた』とありますが、購入から1カ月も経たないのに『徐々に』ってどういうことかなと思いました」(平出さん)
さらに解体理由として、各戸に洗濯機を置くスペースがなく、あまり人気がないからという趣旨の説明もあったが、「そんなことは購入前から分かっていたことでは?」と平出さんは不動産会社のちぐはぐな説明に不信感を募らせていった。
当初は自身の置かれた状況を理解できていなかった平出さんだが、知人らの助言で、賃借人は借地借家法という法律で保護されており、賃貸人が立ち退きを求めるにあたっては「正当事由」が必要だということを知る。
今回のケースでは、不動産会社が立ち退きを求める正当な理由がないと感じた平出さんは、この物件に住み続けるための「話し合い」を求めたが、不動産会社側の代理人から送られてきたのは、立ち退きを前提として引っ越しに伴う費用の支払いなどの条件をまとめた「合意書」だった。
■予想外だった訴訟提起
立ち退きをめぐる両者の主張は平行線をたどったまま数カ月が過ぎたある日、平出さんのもとに突然、訴状が届いた。原告は不動産会社で、「賃貸借契約の更新拒絶と建物明け渡し」を求める内容だった。
裁判で訴えられたことは、平出さんにとって想定外だった。この頃、平出さんも弁護士に相談していたが、「不動産会社に正当事由がない限り、訴えられることはない」と言われていたからだ。
「訴えられたことに対する驚きと同時に、立ち退きを拒否するとこういう目に遭うぞと脅されている感じがしました。この先どうなるんだろうと、不安が押し寄せてきました」と平出さんは当時の心境を語る。
約1年半におよぶ裁判の末、東京地裁で出された判決は、平出さんの「勝訴」。更新拒絶と立ち退きを求めた不動産会社の訴えは棄却された。これを不服とした不動産会社は控訴したが、一審の判決が覆ることはなく、2024年11月に不動産会社の「敗訴」が確定した。
■借地借家法で借主は保護されている
今回の裁判では、不動産会社が入居者に立ち退きを求めるにあたって、借地借家法上の「正当事由」があったかどうかが争点となった。不動産会社が敗訴した理由について、不動産問題に詳しい関口郷思弁護士が解説する。
「借地借家法という法律によって入居者は強力に保護されており、立ち退きを求めるための『正当事由』の立証は賃貸人にとって非常にハードルが高いのが実情です。
例えば、建て替えを理由とする立ち退きであれば、建物が老朽化して、いますぐに解体しないと危険な状態であるならば正当事由が認められますが、今回の裁判では建て替えの必要性や具体的な計画の立証が不十分と判断されたと考えられます」
関口弁護士によると、立ち退きには大きく2つのケースがあるという。
1つは家賃滞納など借主側の債務不履行による契約解除。もう1つはオーナー都合による中途解約や更新拒否で、今回のケースは後者に該当する。
オーナー都合の場合、訴訟で勝つためには「正当事由」が必要となるが、「基本的には訴訟に至る前に、任意の交渉によって入居者に承諾してもらうのが最善の策」と関口弁護士はアドバイスする。
その上で、立ち退き料の提示や交渉のための時間と費用がかかることを覚悟のうえで立ち退き交渉に臨むことが必要だと強調する。
「今回のように解体を前提としたプロジェクトは非常に時間とお金がかかります。安易に進めようとして、途中で資金が足りなくなってしまった結果、計画を中止して途中で売却をせざるを得なくなってしまうケースもあります。そのような事態にならないよう、オーナー側は綿密な計画を練る必要があります」
■オーナーに求められる「誠意」
今回のケースを賃貸人側の立場である不動産投資家はどうみているのか?
不動産投資歴30年のMOLTAさんは、「不動産会社側が適正なプロセスを踏めば、こんなに問題がこじれずに済んだのではないか」と話す。
MOLTAさんは、借地借家法が賃借人寄りの法律であることを問題視しながらも「その不均衡は承知の上で僕らは賃貸業をやっているので、その土俵の中で適切な戦い方をしなければならない」と指摘。その上で、立ち退き交渉において重要な2点を挙げる。
「1つは、入居者が納得できる理由を示すこと。建前でもよいので、きちんとした理由が必要です。もう1つは、立ち退きに伴う痛みに対する適切な対価の支払いです。この2つが揃っていれば、問題にならなかったのではと思います」
賃貸ビジネスとして考えた場合、時には建物の建て替えや入居者の入れ替えが必要となるケースもある。MOLTAさんは、こうした賃貸人側の事情にも理解を示しつつ、立ち退かされる入居者の立場に立って誠意を尽くすことが大切だと説く。
「きちんと家賃を払い、何の問題もなく暮らしている人の生活の場を奪うことは一大事です。その苦痛に見合う対価を提示するとともに、きちんと理由を説明して礼を尽くす。そういうことができない人は立ち退きが必要な物件に手を出すべきではないと思います」
■立ち退き訴訟を経験した大家は
賃貸業を行う上で、どうしても立ち退きが必要な局面が訪れるかもしれない。そのような場合、交渉を円滑に進めるために、どのようなプロセスをとればよいのだろうか。
「建て替えを計画するなら、まずは普通借家契約から定期借家契約に切り替える必要があります。普通借家のままでは、建物が傾いていてすぐに建て替えの必要があるなど、よほどの理由がないと入居者に立ち退いてもらうのは無理でしょう」
こう語るのは、老朽化に伴う建て替えを行った経験がある投資家の小松さん(仮称)だ。
所有物件の1棟である築40年の5階建てRCマンションを建て替えることを決め、昨年9月末に入居者全員の退去が完了した。
「私の場合、建て替えを決断したのは2016年でしたが、当時はすべての入居者が普通借家契約だったため、まずは定期借家に切り替える必要がありました」
入居者によっては家賃を多少減額するなどして、定期借家への切り替えは順調に進んだが、1階に入居していたテナントだけは一筋縄でいかなかった。相場とかけ離れた家賃の減額に加え、定期借家への巻き直し費用として5000万円を要求された。
「度重なる値下げ要求に応じて家賃もかなり安くなっていた上に、何度話し合ってもらちが明かず、さすがに堪忍袋の緒が切れました」
テナントとの交渉が難航した結果、小松さんはついに裁判を起こした。最終的には和解が成立し、テナントを退去させることに成功した。
賃貸人側の立場で裁判を経験した小松さんだが、平出さんを訴えた不動産会社の対応については「あまりに杜撰で、素人のようなやり方」と首をかしげる。
特に、不動産会社が購入の数日後に解体計画を持ち出した点や、立ち退きを拒否されて数カ月で裁判を起こしている点を問題視。「本来であれば、入居者が納得する条件を提示するなど時間をかけて交渉していくべきなのに、強引なやり方をしたために入居者の態度を硬化させてしまった」と分析した。
■解体中止したマンションの今後
不動産会社が起こした裁判に勝ったことで、平出さんは司法のお墨付きを得てマンションに住み続けることになった。しかし、平出さん以外の住人はすでに立ち退いてしまっている。一時は解体する予定だったこのマンションは今後、きちんと運営されていくのだろうか?
楽待編集部の取材に対し、不動産会社は「本件マンションについては賃貸物件として管理運営をしていくのが基本方針です」と書面で回答した。
2年余りにわたる裁判を乗り越え、平出さんは「平穏な日常生活が戻り、心が軽くなりました。気持ちをリセットして、ここで暮らしていきたいです」と胸をなでおろした。
しかし一方で、今回のトラブルで生まれた不動産会社とのわだかまりをひきずっている部分もある。
「訴訟という手段を使って入居者を経済的・精神的に追い込み、追い出そうとするやり方は本当にひどいと思いました」
今回の裁判にあたって、かかった弁護士費用は「家賃の1年分」に相当したという平出さん。貯金を切り崩すなどしてなんとか捻出できたが、不動産会社が一審で敗訴した後に控訴された時には「ここまでして闘う必要があるのか」と気持ちが折れそうになった。
そんな平出さんの気持ちを見透かすように、不動産会社からは裁判の途中で「和解」が提案された。弁護士費用などと引き換えに、立ち退きを求めるというものだ。
「すごく足元を見られているというか、馬鹿にされている感じがしました。お金がないから立ち退かざるを得ないという状況に追い込まれて、悔しい気持ちでいっぱいでした」
借地借家法は賃借人を守る法律と言われるが、今回平出さんが実感したのは「法律があるからといって、賃借人は何もしなくても守られるわけではない」ということだ。
「今回のようにオーナーに正当事由がなかったとしても、訴えられたら裁判に出廷しなければ、入居者が負けてしまいます。裁判で闘うためには、弁護士を雇わなければなりません。だから裁判を起こされれば、ほとんどの人は怖くなって、自ら立ち退かざると得ないと思います」
◇
今回の事例は、入居者とオーナー双方に大きな痛みをもたらした。築年数の古い賃貸物件が増える中、同様のトラブルが発生するリスクは今後も存在する。泥沼化を防ぐためにも、双方が納得できる形での解決策を模索することが重要だろう。
不動産投資の楽待
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最終更新:1/25(土) 11:00