怖かった街「立川」を変貌させた“大家”企業の正体 商業施設が続々開業、住みたい街にランクイン

3/27 8:32 配信

東洋経済オンライン

 春は新生活スタートの季節でもある。進学や就職でそれまで暮らした土地を離れて新たな場所に移り住む人もいるだろう。各種の「住んでみたい街」ランキングでは、首都圏の場合、横浜や吉祥寺のように昔から人気の街もあれば、近年人気が高まった例もある。

 そのひとつが「立川」だ(東京都立川市。同市の人口は約18万5000人/2024年3月1日現在)。調査によって順位は変わるが、例えば「住みたい街(駅)ランキング2023」(首都圏総合・都県別。2023年9月、長谷工アーベスト調べ)では6位だった。

 玄関口である立川駅は乗降客数も多いターミナル駅で、同駅周辺は、東京・多摩地区で有数の繁華街だ。一方で「昔は怖い街」「長年、通過される存在だった」という声も聞く。東京都下では町田や八王子と比較されることも多い立川は、現在、どんな状況なのか。

 「街の活性化」「にぎわい」を掲げて地域の再開発に取り組む地元企業、立飛ホールディングス(立飛HD)の村山正道社長に聞いた。

■市の面積の4%を持つ“立川の大家”

 2月7~8日、将棋の王将戦(第4局)対局場となったのが立川市の「オーベルジュ ときと」だ。藤井聡太八冠が4連勝で七番勝負を制して王将戦3連覇を果たしたが、「ときと」は昨年開業したばかりの施設。もともと当地で長年営業していた料亭「無門庵(むもんあん)」跡を、立飛HDが取得。立飛グループは2020年開業の「ソラノホテル」も所有・運営しており、2021~2023年の王将戦第4局は同ホテルが対局場となった。

 将棋の王将戦が象徴するように、以前に比べて立川が注目される機会も増えた。

 「当社の前身は立川飛行機です。今から100年前の1924年に航空機メーカーとして誕生し、戦前は陸軍向けに主に練習機を設計・製造・販売していました。現在は不動産賃貸・開発が主力業務で、立飛グループが所有する土地は約98万平方メートルあります。これは立川市の全面積の約4%(25分の1)に相当します」

 村山社長は自社グループの横顔をこう説明する。これほど土地を所有するのは理由があり、航空機の設計や飛行には広大な敷地が必要だった。現在の主力業務は、敗戦で米軍に接収されていた自社所有地が戦後に返還されていき、その後に業態転換したためだ。

■街の活性化に乗り出す

 かつて立飛は「よく看板を見かけるけど何をやっているかわからない会社」といわれた。

 「今でも敷地内に約160の建物を所有しています。長年の所有で減価償却も終えて利益率の高い企業でしたが、閉鎖的な一面もありました。敷地はコンクリートの塀で覆われ、地域との交流にも熱心ではない。地元の花火大会に少額の寄付をする程度でした」(村山社長)

 そんな会社が“企業の塀”を取っ払い、地域活性化に乗り出すと商業施設も相次いで開業した。2015年、所有地に「ららぽーと立川立飛」(運営は三井不動産商業マネジメント)がオープンするとにぎわいも増し、有名ブランドが出店する流れができた。

 筆者は2014年、開業直後のイケア立川を視察して記事にした。取材当時はそこまで未来予想図をイメージできなかったが、この10年で「点」が「線」や「面」として広がった。

 村山社長は「一企業が出過ぎた感があるが」と話しつつ、「都市格」という言葉を用いる。

 「地元で商売をしてきた私たちにとって、立川の都市格が上がる開発のお手伝いをしたい。『浮利(ふり=目先の利益や社会的に意味のない利益)は追わない』もモットーです」

 こう話すが、街の魅力度が高まれば子育て世代の人気も出て、所有する土地の資産価値も上がるだろう。かつての立川とはすっかり様変わりした。

■昭和時代は「米軍基地の街」だった

 街としての負の歴史にも触れておきたい。

 当時を知る人は、「立川は何となく怖い街だった」と話す。主な理由は米軍基地の存在だろう。立川飛行場の敷地が米軍に接収されて、「立川のシネマ通りには夜になると米兵が繰り出し、横須賀市の“どぶ板通り”のような雰囲気でした」(地元関係者)という声も聞いた。

 時代の変化や運営側の努力で健全化されたが、立川競輪場の存在もあった。

 「その昔は街のイメージを損ねるような雰囲気でした。裏通りには赤ペンを耳にはさんだオジサンたちが集まり、勝っても負けても赤ちょうちんで気勢を上げていたのです」(同)

 かつての米軍「立川基地」跡地に建設され、1983年に開園した「国営昭和記念公園」は立川市と昭島市にまたがる大規模公園だ。これからの季節はソメイヨシノ(桜)やナノハナ(菜の花)やチューリップが訪れる人の目を楽しませる。昭和末期から立川のイメージも徐々に変わっていき、平成時代の1998年には多摩都市モノレールが開業した。

 その昭和記念公園の横に2020年に誕生したのが、大型複合施設「グリーンスプリングス」だ。立川駅から徒歩8分程度、上空をモノレールが走るのを見ながら歩ける距離。店舗や飲食店のほか、オフィスや保育園、大規模ホールを備え、日常でも非日常でも利用できる。

 「計画時にあった柵をほぼなくした開放的な空間です。『目的がなくても来てもらえる場所』を目指し、若い夫婦から高齢者まで幅広い年代の方が来られます」(村山社長)

 前述の「ソラノホテル」もここにある。昨年、ホテルの運営会社に取材したが、「『上質なホテルを創る』が、『地元のホテルと競争しない』『婚礼と宴会ビジネスはやらない』という条件でした。ソラノホテルが“動”なら、ときとは“静”の存在です」と語っていた。

■独創的な作りのホテル

 同ホテルは、立川には珍しい独創的な施設だ。全客室が昭和記念公園に向き合い、10階と最上階の11階にはインフィニティ(水面と空が一体化したような)プールがあり、食材にこだわった「ダイチノレストラン」もある。

 もうひとつの「オーベルジュ ときと」があるのは、立川の隣の西国立駅前。「オーベルジュ」とは、地方や郊外にある「こだわりの食を堪能して宿泊できる施設」の意味だ。

 宿房・食房・茶房から構成される「ときと」には、国内外で実績を上げたホテルマンやシェフ、パティシエが各地から集まった。昨年取材した際の「開業記念特別プラン」は当時34万2250円(2名分、1泊2食、税・サービス料込み)もした。現在は「ときとで食事+ソラノホテルで宿泊プラン」もあるが、それでも高価格だ。

 「時に『道楽で経営している』とも言われますが、魅力的な街づくりを目指すのは、広大な不動産という社会資本財を持つ会社としての責任だと思います」と話す村山社長。

 再開発によりイメージもよくなった立川だが、課題は残されている。

■残された課題は交通渋滞

 「それは道路問題につきます。立川駅前のロータリーをはじめ、交通渋滞を引き起こす場所があちこちにあり、広域防災の視点からも見過ごせません。立川駅周辺で車が南北(南口と北口)に抜けられる道路もほとんどなく、他の地域から来られる方の評判も悪いです。立川市や東京都、国にも陳情していますが、なかなか解決されません」

 こう語る村山社長だが、この十数年の街づくりには手応えを感じているようだ。

 「今年11月に開業予定の『MAO RINK』は、フィギュアスケート選手の浅田真央さんの名前を冠したリンクです。浅田さんの“長年の夢”を当社が汲み取り、多摩都市モノレール立飛駅近くの所有地に1000人分の観客席を備えた国際規格のリンクやサブリンクを建設。レストラン、過去に着用した衣装や獲得メダルなどを展示するギャラリーも設ける予定です」

 工事中の外囲いには、浅田選手の演技シーンのシルエットがプリントされており、この前で写真を撮る人も多いという。

 かつての無機質なコンクリート塀時代から、シルエットの囲いにも進化していた。

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最終更新:4/1(月) 19:24

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