「小学校を3カ月で辞めた」エジソンの驚く勉強法 牧野富太郎や森毅ら偉人たちの学習法を紹介

4/30 11:02 配信

東洋経済オンライン

歴史に名を刻む偉人たちは、型破りな個性を持つがゆえに、学校生活になじめないということが珍しくない。その代表的な例が、アメリカの発明王トーマス・エジソンだろう。わずか3カ月で小学校を中退。母ナンシーが教師役となり、家庭学習によってその才能を開花させる。だが、具体的にエジソンがどんなふうに勉強をしたのかは、それほど知られていない。
学校での勉強が苦手だった偉人たちは、どのように勉強したのか――。マネしたらヤバい勉強法から実際に使える独学術まで、偉人100人の勉強法をまとめた、著述家の真山知幸氏が上梓した『ヤバすぎる! 偉人の勉強やり方図鑑』を一部抜粋・再構成し、その勉強法を紹介する。

■初歩的なテキストをすべて自分で試したエジソン

 「なぜ、うちの息子はもっと普通に育ってくれなかったのだろう?」

 トーマス・エジソンのお父さんは、きっとそうため息をついたことでしょう。

 落ち着きがないエジソンは、運河でおぼれかけたり、穀物倉庫のなかに落ちて窒息しかけたりと、トラブルを起こしてばかり。6歳のときには「ただどうなるか見たくて……」という理由で、自宅の納屋に火をつけたというから、もうメチャクチャ!  

 実は、エジソンのとっぴな行動は好奇心のあらわれでしたが、周囲の大人たちには、それが理解できませんでした。

 小学校の先生も、「なぜ空は青いの?」「1プラス1はなぜ2になるの?」と、そぼくな質問を繰り返すエジソンにはお手上げ状態。ダメ生徒として扱いました。

 そんなエジソンを見放さなかったのが、お母さんのナンシーです。元教師だったナンシーは、エジソンが学校の教師からバカされていることを知り、激怒。小学校を辞めさせています。 

 家で勉強することになったエジソンは、一冊の本に夢中になりました。それは『自然・実験哲学概論』という初歩的な科学のテキストです。この本には、誰でもできそうな実験がたくさん紹介されていました。

 なんと、エジソンはこの本に載っている実験を全部試してみたのです。そのために、おこづかいも全部、薬品につぎこんでしまいました。

 文字だけではなく、自分の体験を通じて、科学的な知識を身につけたエジソン。やがて、こんな具体的な目標を立てて、発明に挑むようになります。

 「小さな発明なら10日に1つ。大きな発明なら半年に1つ。世界中の大人も子どももほしがる、役に立つ日用品を、誰でも買える値段で提供すること」

 落ちこぼれだった少年エジソンは、地道な実験を重ねることで、1300以上のアイデアを形にする「発明王」として大きく飛躍していきました。

 しかしながら、せっかくのよい発明も、知ってもらわなければ、意味がありませんよね。

 エジソンは宣伝もとても得意でした。電球を実用的なものに改良すると、「ニューヨーク全体を電球で明るくしてみせます!」と新聞記者に話して、大盛り上がりに。実際のところ、実験はそこまで進んでいませんでしたが、新聞はこぞって話題にしたとか。

 エジソンは、かつて駅で新聞を売る仕事をしていたこともあって、毎日新聞5紙を読むのを習慣していました。だから記事の取り上げられ方がよくわかっていたんですね。

エジソンの学びの言葉
「他の発明家の弱点は、ほんの1つか2つの実験でやめてしまうことだ」

■新しい学問の扉を開いた牧野富太郎

 勉強が大事と言われても、どこから手をつけたらいいかわからない……。そんな人におすすめなのが、「自分の好きなことを掘り下げる」。ゲームでもアイドルでもスポーツでも、なんだっていいんです。あなたが夢中になったことは、すべて学問の芽になります。

 植物学者の牧野富太郎もそうでした。なんと牧野は小学校を2年生で中退しています。何も勉強が嫌いだったわけではありません。小学校に入る前にいくつも寺子屋を変えながら、習字・算術・四書五経の読み方などを、すでに習ってしまっていました。

 先に勉強しすぎて、ちょっと退屈してしまったのかもしれませんね。しかし、それでも牧野は、年を重ねてから理学博士の学位も得てしまうという快挙を成し遂げています。一体、どんな学問で認められたのでしょうか。

 牧野は、高知県の豊かな自然のなかで生まれたこともあり、幼少期からとにかく植物が大好き。家の裏手にある山に登っては、植物を採って観察する日々を過ごします。牧野はそんな体験を積みながら、『本草綱目啓蒙』という植物の本に夢中になりました。

 「私は、いつもこの本をひっくり返して見ては、いろいろな植物の名をおぼえた。当時は実際の知識はあるが、名を知らなかったので、この本で多くの植物の名を知ることができた」

 牧野は19歳のときに、顕微鏡や書籍を購入するため上京。同行者とともに、汽船や徒歩によって、神戸や京都、四日市などを経由しました。道中で珍しい植物があれば、茶筒に入れて故郷に送り、植えてもらっていたとか。

 21歳で2度目の上京を果たすと、東京大学理学部植物学教室に出入りして植物学に没頭。生涯をかけて収集した植物標本は、なんと約40万点!  描いた植物図は約1700点にも。好きに夢中になることで、牧野は「植物分類学」という学問の扉を開いたのです。

 ちなみに、牧野は18歳頃に植物研究に対する心構えとして、次のように記しています。

 「忍耐が必要」

 「精密さも必要」

 「植物を大量に観察する」

 「できる限り多くの本を読む」

 「英語の本を読む」

 「植物を描くための画力をつける」

 「師匠を持つ」

 「研究費を惜しまない」

 「植物を学ぶ仲間と交流する」

 などなど……。地道に一人で学びながらも、時には同志や師と交流して気づきを得る、ということでしょう。心構えは自分の行動規範となり、また学んでいくうえでの指針にもなりそうです。

牧野富太郎の学びの言葉
「私は植物の精である」

■学校をサボるルールがあった数学者の森毅

 独学で大きく羽ばたいた偉人のなかには「学校という環境が合わなかった」という人が少なくありません。

 数学者の森毅は、中学生になってから、学校をたびたびサボるようになりました。どうも軍事訓練に嫌気がさしていたこともあるようです。

 そんな息子を見ても、お父さんは「学校に行け」とは言わなかったそうです。サボってもいい代わりに、2つの条件が出されました。

 1つは「落第はしないように自分でコントロールして休め」。無理に学校へ行く必要はないけれども、卒業するために最低限の出席はしておくように、と伝えたそうです。面白いのは2つ目の条件です。それは次のようなものでした。

 「学校を休んだ日は、学校に行くより充実した1日を送れ」

 冒頭で紹介したように、エジソンも学校に行かなかったことで、家庭学習で実験三昧の日々を過ごしています。

 森毅は、条件の「学校に行くより充実した1日」を実践すべく、学校を休んだ日には、昼間は気楽に山へ行って昆虫採集などをしながら、夜はいつもより一生懸命勉強に打ち込んだそうです。本人もこう振り返っています。

 「学校ぎらいだが、勉強は好きだったのでよく勉強したことにはなる」

 「自由には責任が伴う」と父は伝えたかったのでは、ということも森は書いています。

 数学が得意だった森毅は、東京帝国大学理学部数学科へ進学。京都大学の教授となり、数学や教育について多くの著作を出しています。自由に学ぶ姿勢が才能を育んだといえるでしょう。

 学校が好きな人でさえも「今日は行きたくないなあ」と思う日があるはず。そんなときは、自由な心持ちで気晴らしをすることで、勉強に改めて向き合うことができるかもしれません。

 ところで、数学が大好きな森毅でしたが、学校に通っていた頃も、試験の成績はよくありませんでした。その理由は、明日に試験があるとしても「得意な数学だ」と思うと、余裕をかまして探偵小説なんかを夜遅くまで読みふけってしまい、翌日は眠いまま試験にのぞむことに。

 当日もさっさと問題を解いて、見直しもしないので、半分近く計算が間違っていて……。どうも「準備せず当日に解けるのがカッコいい」と思っていたそうです。それでも入試には強かったというから、さすがですね。

 また、森は「文系一筋」「理系一筋」には否定的で「いろいろ変わったほうが絶対おもしろい」とも。

森毅の学びの言葉
「普段アホやと思っている奴が、意外といいことを言うことがある」

■自分に合った勉強法を見つけた偉人たち

 本稿では、学校になじめなかった3人に登場してもらいましたが、このように偉人たちは、自分に合ったやり方を見つけ、工夫しながら、自分の知りたいこと、興味あることを思いっきり学びました。

 本を読むなどして「独学」を極めた人や、自分で師匠を見つけて教えてもらった人もいます。

 『ヤバすぎる! 偉人の勉強やり方図鑑』では、好奇心旺盛すぎる偉人たちの勉強のやり方を100人分集めました。

 自分が知りたいこと、やってみたいことを身につけるため、自分の目標を達成したり、夢を叶えたりするために、この本を役立ててもらえればと思います。

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最終更新:4/30(火) 11:02

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