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自己資金「1500万円」でパン屋を始めた、40代「元エリートサラリーマン」の末路…妻と子どもは消息不明、現在は廃業した

4/28 10:02 配信

マネー現代

(文 安藤 房子) 4月、多くの日本企業の新年度がスタートした。新入社員を迎え入れ、フレッシュな気持ちにもなりやすいこの時期だが、その一方で都内とのある退職代行サービスに寄せられた依頼がすでに約800人にのぼり、うち129人の新卒社員が退職手続きしたと日本テレビのニュース番組で報じられていた。

 これまでは日本の高度経済成長を支えてきた終身雇用制度も、自身のキャリア形成や能力に見合った給与水準、ライフステージに合わせたマイナーチェンジも視野にいれつつの働き方を考えると、会社の体制が働き手にとって居心地のよい環境に変わらない限り、新卒から定年まで同じ会社で働き続ける選択をする人が減っていく可能性は高い。

 生産可能人口が目減りする日本では、労働者から見て魅力的な職場環境を整えることは企業の務めでもあるが、一方、そうした労働者の願いをかなえつつ、人材が流動化すれば、前社で育ててくれた優秀な労働者を確保できる企業側メリットもある。

 しかしこれら流動する労働市場で歓迎されるのは、一部の優秀な労働者であることに変わりはない。冒頭に述べた退職もその理由が「前向き」か「後ろ向き」かによって、ライフプランが大きく崩れてしまう危険性を孕んでいる。

 某財閥系の重工業企業に勤めていた優斗さん(55歳・仮名)は、今から15年ほど前に早期退職し、手に入れた退職金の1000万円でパン屋を開業した男性だ。

 国立大学を卒業後にゼミの先輩がいる高収入を見込める会社に新卒で入社し、当時営業に配属。給与は800万円ほどだった。

 しかし、入社当時から抱いていた職人の仕事を諦めきれず、仕事に身も入らずに営業成績は悪化。退職する3年前に結婚し、子どもも生まれたばかりの状況のなか、起業し成功している知人の影響から「飲食店かなにかをはじめたい」という気持ちがフツフツと沸いたという。

妻も応援してくれると思い込んでいた

 でも、なんのお店を開くかも決められず、退職する勇気がでないまま37歳で結婚。39歳で娘さんが生まれた。そんな矢先、会社の上司から早期退職を促されたのだ。

 当時、おおっぴらに早期退職を募っていたわけではなく、マスコミではあまり話題にはならなかった。でも、年間100人くらいは退職しただろう。大企業だからこのくらいの人数じゃ目立たなかったのだろうと優斗さんは言う。

 「まだ40歳なのに肩たたきです。しかも結婚して子供が生まれたばかりなのにね。でも、もう会社に楽しみを見いだせなくなっていましたし、そんな時期なのかもと素直に受け止めました。

 1000万円の退職金があればなんとかなるだろうと、奥さんに相談もしないで決めたんです。“退職してきたよ。パン屋さんにでもなるよ”と伝えたら、めちゃくちゃ怒られましたけどね。

 どうして相談しなかったのかと。出産したばかりなのに、私も専業主婦になったのにこれからどうするのかと。言われてからハッとしました。そうか、と。馬鹿ですよね」

 でも、それくらい、もう自分のことしか考えられなくなっていたんです。もう会社は嫌だ、起業するぞと。

 ちょうど退職勧告される前くらいから、やはり職人的な仕事をしたいと、いろんな本や雑誌をパラパラめくりはじめていたんです。すると、パン屋さん開業のためのスクール情報を見つけた。

 「そんなわけで、実は退職する前に、パン講座には申し込み済みだったんです。私、バカなのかもしれないんですけどね、会社を辞めて起業すると話せば、妻はきっと喜んで応援してくれると勝手に思っていた。でもまったく違っていた……安定した収入、大企業の看板がなくなったらどうするのかと、責められました。

 でももう退職してしまいましたし、絶対うまくいくと信じていたので、パン屋開業に向けて走るしかありませんでした。

 貯金をくずして資金はぜんぶで1500万円ほど。1ヵ月ほどパン作りの研修を受けて、開業する賃貸物件の契約その他……正直、あっというまに資金はなくなり、従業員を雇う余裕などなく、ひとりでパン屋をスタートしましたよ。

 毎日深夜1時か2時には起床。パンを焼いてお店に並べて片づけたり、仕込んで……夜、眠りにつくのは9時か10時頃です。そしてまた1時か2時には起きる毎日。

 パンは美味しいと評判にはなりましたが、どんなにがんばっても売り上げから経費を引くと月収がようやく20~25万円……離婚、病気、廃業、それから今日までの道のりは、想像以上に大変でした」

「なんてのんきに起業なんてしてしまったのだろう」

 パン屋の単価は決して高くない。かつ、パン屋のライバルはパン屋だけではない。近くのコンビニには同価格帯のおにぎりやお菓子がたくさんあるから到底かなわない。スーパーができれば、激安お惣菜もライバルになる。

 パン屋をはじめて1年もたたないうちに、この選択は失敗だったと思った。

 「まず、従業員を雇う余裕がないので労働時間がものすごく長いんです。なのに固定コストが高いので収入は少ない、到底家族を養えない。家に帰っても、奥さんも娘もほとんど会話をしてくれなくなりました。

 開業して3ヵ月ほどたったある日、仕事が終わって帰宅したら妻と娘はいませんでした。実家に戻るという書き置きだけがあって……呆然としましたね」

 それからほどなくして、奥さんと保証人の欄のみ記入された離婚届け用紙が届いた。

 「保証人は妻の両親ですよ。別れないわけにはいかなかった……自分はなんてのんきに起業なんてしてしまったのだろうと後悔しました。

 その一方で、到底家族を養えないので、妻と娘に実家というよりどころがあることにホッとしました。苦しくて悲しいのにホッとする……あんな感情は生まれて初めてでしたね」

 そこからはもう「自分ひとり」の人生。恋や友情を求める場合ではない。仕事をやるだけ。となると、不思議と肩の力が抜けてしまい、パン屋への意欲もそがれていき、売り上げも落ちていき、離婚から1年ほどで赤字に。

 わずかな貯金を切り崩して営業していたが、まったく足りずに地元の信用金庫から借金。儲かっていないのになぜか500万円ほど貸してくれたが、それもすぐに泡と消え……とうとう5年前には、かつて家族用に購入してローンを支払っていたマンションを購入時の半額ほどで売却してちいさなアパートに引っ越した。

 なんとか借金はすべて返済し、パン屋を廃業。ちいさなワンルーム賃貸住まいになった。

 それにしても、赤字の月が多かったのに、だったのに、10年も営業していたのはなぜか。もう少し早く廃業していたら、金銭的にもう少し楽だったのではないか。

 「なんなんでしょうね……パン屋がなくなったら、もう、自分の未来がまったく閉ざされるという気持ちだったのは確かです。ヘンな意地と、ほかになにをしたらいいのかわからないという気持ちと……。

 開店当初ほどのやる気はなくなっていましたが、それでも、パン屋だけはなんとか続けたい、続けたかった。でも、うまくいかなかった。売れなくなっても、毎日、ロールパンやアンパンなど200個から300個は焼いていたんです。

 ご近所さんがそこそこ買ってはくれましたよ。でもね、余るんです。半分くらい。自分で何個か食べるけどあとは廃棄する毎日でね。

 心身ともに疲れて、何もやる気が起きなくて、パン屋を臨時休業することが増えていって……心療内科を受診したんです。鬱でした。病院の先生と話すうちに、もうパン屋を休んで次の人生を考えようと言う気持ちになりました。

 10年間続けたのだからもういいだろうと、一区切りだと。それからは、また企業に就職しようとハローワークに行ったりネットで検索もしましたが、自分程度のものには再就職もままならない。大企業にいただけで、なにもできないし、もう10年も離れていましたからね、浦島太郎ですよ。

 まあ、がんばればあるのでしょうが、その気力もない。なのでもうずっとアルバイト生活です。日雇いの警備の仕事とか、倉庫で荷物を運ぶ仕事が多いです」

「もう二度とやりたくない」

 パン屋をしているあいだ、元の奥さんと娘さんに何度か電話をしている。ふたりの誕生日などにだ。でも電話に出ないし、折り返しの連絡は、一度もない。だから、ふたりが今どうしているのかはまったくわからないのだそうだ。

 「でも、知ったところで、もうなにもできないですしね。元気でいてくれたらそれでいいです。自分がばかだったから仕方ないです。離婚後に養育費などは一切請求してこなかった。感謝していますよ。それに……実は今の暮らしが、そう悪くはないんです。

 だって、パン屋のときほど働かなくても、20万円くらいは入る。“パンが売れなくて赤字”みたいなストレスは一切ない、確実に20万円入るんです。これが、どれほどしあわせかわかりますか? 爽快です。鬱もよくなってきました。

 いえ……もちろん、会社をやめて起業したことは後悔していますよ。もし若い子に相談されたら、絶対に起業はすすめません。特に、固定費のかかる起業は……でもそれは、私が失敗したからかもしれませんけどね。

 毎月いくら入るか、いくら出ていくか。それを毎日考え続けなければいけないのが自営業でしょう? もう二度とやりたくないですね」

 優斗さんは、ずっと、淡々と話し続けていた。その声は、まるで、自分に起きたことを他人事として受け取っているような冷静さがあった。そして私は、彼の「絶対に起業はすすめない」という言葉に強く共感もした。

 今まで、何度も「独立したい」「文章を書いて生きていきたい」と相談されたことがある。でも私は、相談されたら止めることにしている。なぜなら、人に相談するくらいの弱い気持ちでは、生活費を稼ぎ続けることなどできないと思うからだ。

 「起業してからこっちの15年、恋愛なんて一切したことなかったし、友達ともほとんど会っていないんです。まあ、たまに連絡をとりあうくらいの相手はまだ残っているんでね。そろそろそういう知り合いと会ってみようかなと思うんです。一杯飲屋に行くくらいのお金はあるんでね(笑)。

 え、恋愛ですか? うーん……共稼ぎでやってくれる同年代の女性ならと思いますけれどね、縁があればでいいですよ、無理には。恋愛ってお金と時間がかかるでしょう? そうすると、今のお金のまわり方とまた変わってくると思うんです。

 そうならない恋愛ならいいですけどね。とにかく、今の穏やかな暮らしを失いたくないです。今はひとまず、鬱も落ち着いてしあわせですから」

 ひとつの山をのりこえた達成感があるのだろうか。優斗さんの口調は、どこまでも穏やかで、芯の通った話し方だった。静かだけどゆるぎない、諦らめから生まれた信念ようなものを感じた。

マネー現代

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最終更新:5/8(水) 12:32

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