「ガチャ化する社会」でZ世代が持つべき考え方 上司、配属、ガチャの当たりはどこにある?

5/8 8:02 配信

東洋経済オンライン

「ガチャ」という言葉がますます存在感を増している。親ガチャに始まり、上司ガチャ、配属ガチャ、会社にまつわるあらゆるものはガチャ化され、不満や不安の種になっている。配属ガチャに失敗したことで、離職を検討する若手社員すらいるという。
企業組織を研究する東京大学の舟津昌平氏は、Z世代をはじめとする若手社員が直面し、社会を席巻する「ガチャ」について、ガチャ概念のそもそも論から考察する。
本記事では、舟津氏の著書『Z世代化する社会』より一部抜粋・再構成のうえ、「ガチャ」概念について分析し、その問題点を浮き彫りにする。

■ガチャ化していく社会

 「ガチャ」という概念が浸透して久しい。お金を入れたらカプセルが出てくる「ガチャガチャ」が語源で、ソーシャルゲーム(ソシャゲ)の普及でより一般的になった。「親ガチャ」が最も浸透した派生語だろうか。なぜか「当たった」より「外れた」話しか聞かないのだけど、とにかくそこかしこで頻繁に聞くようになった。

 他にも、上司ガチャ、配属ガチャ、などがよく聞かれる。大学では「ゼミガチャ」もあるらしく、筆者はキャンパス内でこう叫ぶ学生に会ったことがある。

 「ゼミ、ハズレやわ! 課題は楽だからまだいいけど、ゼミ生がハズレ!」

 ガチャという言葉はなんだかあまり品がなくて低俗な気がすると同時に、妙に語感がよくて使いたくなるジャンクフードみたいな魔力もあって、ますます浸透している。配属ガチャ、上司ガチャという言葉も、もはや違和感なくメディアで使われるようになってきた。

 そうやって広まると、必然的に「ガチャ解決ビジネス」も発達していく。配属ガチャを科学的に解明し、高度な学術理論を用いて解決しようという試みすら一部の大学では進むくらいだ。Z世代とよばれる若手社員は特にガチャに敏感で、ガチャに外れないか不安を抱えていて、ガチャのハズレは離職要因にすらなっている、という話も聞く。

 安っぽくてバカらしいと言わず、ガチャ概念について真面目に考察してみよう。ガチャが成立する要件はいくつかある。まず、確率が固定されていて、介入ができないという前提。努力しても確率が変わらないのである。まあたしかに生まれる両親は選べないのだから、親ガチャと言うのもわかる。

 次に、決定論的発想である。「ガチャ外れたけど楽しいよ」とか、「ガチャ当たったけど気を引き締めないと」というセリフは、あまり聞かない。ガチャに当たれば幸福で、ガチャに外れれば不幸が決定している、という前提が共有されているようだ。

 この点でも、どうやら努力の意味がないらしい。努力の有無にかかわらず、当たりハズレで幸福が決定するのだから。つまりガチャとは、反努力的思想に基づく概念なのだ。

 なお、「逆因果」が生じうることには注意が必要である。外れたから不幸になるのでなく、不幸な気持ちになったから外れたと感じる人がいるはずだ、ということだ。この「因果の取り違え」は学術界でもよく起きることなので、判断には慎重を要する。

■何回でも引けるガチャ

 さて、努力は無意味だし、ガチャで全て決められてしまう。こんなガチャを当てる方法ってあるのだろうか。単純明快かつ唯一の方法は、試行回数を稼ぐことである。確率が固定されていて介入できないにしても、何度も引けば当たるかもしれない。何回も引けるガチャなら、時間とお金が許す限り引き続ければ、いつか当たるだろう。

 ただ当然ながら、親も上司も配属も何度も引けるガチャではないので、そこは困った点である。しかし、半永久的に引けるガチャがあることも紹介しておこう。ずばり「婚活ガチャ」である。

 『婚活戦略』(高橋勅徳著、中央経済社)には、次のようなエピソードが出てくる。舞台はいわゆる婚活パーティー。10~20人くらいの男女で集まって、1人5分で自己紹介。意中の人を指名してマッチング、カップルが成立すれば個別で連絡先交換、みたいなシステムだ。

 実際に婚活をしていた著者の高橋先生は、悲しいことにまったくモテない。パーティーの後半はモテない同性で集まって話すという過酷な環境を強いられる。そのような苛烈な状況で、さすが研究者の高橋先生は、ある事実を発見する。女性側の指名がトップ男性に集中しているというのだ。

 つまり20人も婚活男性が集まると、年収・職業・見た目など、やはり突出した人が現れる。女性はことごとく、その男性に群がる。1位に集中するのだ。しかし、考えてみると、あえて5番目くらいを選べば独り勝ちできる可能性は高いし、決して悪い戦略ではなかろう。20人中の5番目なら十分上位だ。ではなぜ、そうならないのか。

 高橋先生は実際にある女性に聞いてみた。なんで1位に行くんですか? と。見目麗しいその女性は、あっけらかんと言ったという。

 「一番若くてイケメンのところに行くよね。狙っているイケメン以外、話はするけど、申し訳ないけど眼中にない。今日マッチングしなくても、こういうパーティーは次があるし。だって、別に、次のパーティーで見つけたらいいじゃない」

 まさに、婚活ガチャだ。かくして「婚活パーティーのリピーター」という、一番あってはならない優良顧客が出来上がる。

■ガチャの当たりはどこにある? 

 婚活ガチャを当てる方法は、当たりが出るまで何度も引くことである。しかし、この必勝法を実践しているはずの人が、当たりを掴めずなぜかガチャを引き続けている。なんだこのガチャ、当たりが入ってないのか? 

 もうお気づきの方もいるだろう。ガチャ概念は、決定的な弱みを抱えている。

 『君は君の人生の主役になれ』(鳥羽和久著、ちくまプリマー新書)という本のなかで(熱いタイトルだ)、ガチャ概念の根本的な問題を指摘している箇所がある。鳥羽氏の指摘は通説と一風変わっており、かつ核心に迫っている。

 すなわち、「ガチャ概念の最たる誤りは、当たりがどこかにあると錯覚している点にある」というのだ。ガチャを引き、そしてハズレを引いたと思っている人は、おそらく当たりが何であるかわかっていないし、厳密な定義もしていない。

 1位男性を狙い続ける婚活ガチャで本当に考えるべきは、高望みしないで妥協しなさいっていうお節介よりも、本当に1位男性が当たりなのか、という問題だろう。仮にいつか1位男性とマッチングできたとして、その男性と結婚することが幸福を決定してくれる保証など、どこにもない。逆になんなら10位男性くらいでも十分幸せなのかもしれないけど、引く側が勝手にハズレ扱いしているだけの可能性もある。

 自分、配属ガチャ、外れたんですよ。上司ガチャもハズレ。やってられないですよね。こんな会社、辞めた方がマシだわ。

 そう言っている人に本当に忠告すべきは、あなたはあまりに他責すぎますよとか、同僚に失礼な物言いですねとか、そういうことではない(まともな忠告だけど)。じゃあ、あなたの思う当たりとは何であって、どこに存在するのかご存じなのでしょうか?  当たる見込みはありますか?  という問題なのである。

■ガチャの当たりを掴むために

 ある転職エージェントの方の話を聞いたことがある。その方は保育士や医療専門職に特化したサービスを展開している。資格さえあれば柔軟に職場を変えやすく、元々転職が多い業界ではあるため「リピーター」が多い。

 あるお得意さんは、短期間での転職希望が度重なる。すぐ辞めたがる。理由も決まっていて、「人間関係が嫌になった」。同僚ガチャに外れ続けているわけだ。

 そのエージェントは、あるときお得意様に率直に伝えたそうだ。

 「悪いですけど、○○さんが変わらない限り、次の職場でも同じことになると思います。われわれも何度も新しい職場を紹介したいわけではありませんし、○○さんにとってもよいことではないでしょう。今のところでもうちょっと続けてみませんか?」

 なおエージェントの真摯な忠告は聞き入れられず、その方は未だにリピーターでいてくれているらしい。

 このエージェントの方は善良だからよかったものの、ガチャ志向はいくらでも悪用できる。当たりが何なのかも認識できないままに、またハズレだと運と他人を恨みガチャを回し続ける人たちは、そういう人を顧客にしているビジネスにとってみれば、格好のカモでしかないのである。

■主観確率は今後いくらでも良化しうる

 じゃあなんだ、ガチャ外れても我慢しろってことか、結局根性論か、みたいな反論も聞こえてきそうだ。一つだけ、人間の主観世界は変わりうるものだ、ということはお伝えしておきたい。最初はイヤな人だ、合わないなあと思っていても、なんだか慣れてくるとよいとこも見えてくるし、次第に気にならなくなってくる。そういう楽観的な見通しをもってもよいのでないか。少なくとも、ガチャを回し続けるよりは賢明に思える。

 一見するとハズレのガチャは世にありふれている。ただ、当たりを決定づけるあなたの主観確率は今後時間を経ていくらでもよい方に転がっていくよ、とガチャが外れて嘆く方には強調しておきたい。特に、まだまだ時間が残されているZ世代ならば、片っ端からハズレ認定するよりは泥の中に蓮を見出す力を磨いた方がよほど当たりが待っているはずだ、とわれわれは伝えないといけない。

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最終更新:5/8(水) 8:02

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