ムンク「叫び」の空が赤いのはなぜ?“歴史的な大災害”との関係とは【気象予報士が解説】

4/20 19:02 配信

ダイヤモンド・オンライン

 古今東西の名画を天気という視点で見直すと、意外な発見に満ちている。ゴッホ《星月夜》の「悪魔の風」の正体は局地風、ムンク《叫び》には大噴火が関係している──。現役気象予報士が読み解く画家たちの驚くべき観察眼とは。本稿は、長谷部 愛『天気でよみとく名画』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。

● 「悪魔」の正体は局地風 ゴッホの《星月夜》

 私が学生の頃に、《星月夜》を何気なく見ていた時は、きれいな夜空にただただ魅了されていたのですが、気象予報士になってから改めて見ると、「こんな空あるわけないな……いや待てよ」と思うようになりました。渦巻きも星の大きさもどう見ても実際の空にはないのですが、この激しい色使いと曲線は、気象学的にも何かを強烈に表現しているように思えてならなかったからです。

 精神疾患が悪化したゴッホは、サン=レミの療養所に入ります。フランスのサン=レミは、アルルから近く、気象条件も似た場所です。《星月夜》はその療養所で描かれました。宗教的な面やゴッホの精神世界の反映、実際の風景とのリンクなど、今なお、様々な読み取り方がなされている謎だらけの作品です。

 手紙などの資料から《星月夜》は、6月1日から6月18日までのどこかで描かれたということがわかっています。療養所の2階から、東側のアルピーユ山脈の上空を夜明け前に眺めた星と月のイメージです。実際には、この場所から教会と村の風景は見えません。ゴッホの故郷であるオランダ風の教会が描かれていることから、実像と虚像が入り混じっていると考えられています。

 そして、この夜空には様々な説があります。まず、天文学史に造詣が深いハーバード大学名誉教授のホイットニー氏が提唱した「はくちょう座が描かれている」という説。1889年6月15日から18日の夜9時頃のはくちょう座付近としています。しかし星の位置が一致せず、この時季のフランスの日の入りが夜8時30分頃であることから、9時にはまだ明るさが残り、星はあまり見えていなかったと思われるのです。

 そしてもう一つは、美術史研究者のボイム氏が指摘した「おひつじ座」説。これもゴッホが描いた日時と星の位置が一致しません。

 最後に、大阪市立科学館の石坂氏が提唱した「しし座」説。これは、背景の星空がそれぞれ別々の時刻や方角で描かれているというもの。療養所の寝室の東向きではなく、アトリエがあった西向きの位置から見た空に対応させたという説です。

 いずれの説も、残された手記や描かれた当時の星空のシミュレーションとは、月齢や星の位置が完全には一致しません。

 一方で、確からしいこともあります。夜明け前の東の空には、実際に月と金星が輝いていたということです。ゴッホが弟テオにあてた手紙に「今朝、日の出のだいぶ前に、窓から田園風景を見た。明けの明星(金星)だけがとても大きく見えた」とあり、画面の中央よりやや左下の糸杉の隣に描かれた、白く強い光をまとった最も存在感のある星が、その金星であると言われています。

 次にこの強烈な輝きや禍々しさを、気象学的な視点で見てみたいと思います。

 一つとして、南仏の6月はひときわ夜空が美しい季節で、それを表現しているのではないかということです。日本の6月は梅雨なので、星空のイメージはありませんが、梅雨のないフランスでは星が見えやすい時季。気温が上がってきて過ごしやすくなってきます。星空を楽しむにも最適ですね。

 さらに、ホイットニー氏の説にあるのですが、画面全体に流れている曲線が「ミストラル」だというものです。

 「ミストラル」は、ひどい強風です。

 平均風速は14m/s。台風の強風域に近い風です。時には、風速28m/sを超える風が吹くこともあるといいます。台風の中心近くに入った時の暴風と同じで、屋根が飛んでしまうこともあるほどの風です。

 ゴッホも、ミストラルのせいでイーゼルが揺れて絵が描けない、と嘆いています。また、ミストラルの強烈な寒さに苦しめられたため、ゴッホは「悪魔のようなミストラル」と弟テオ宛の手紙に残しました。

 カラッとした冬の強い北風は、辛いものがあります。日本海側から引っ越してきた人が、関東の冬は耐え難い寒さ、苦手な寒さだというのをよく聞きます。日本海側の冬は、雪により湿度があるので、乾燥した寒さとは異なったものに感じられるのです。冬でも湿度があるオランダやパリから移ってきたからこそ、カラッカラの寒さに見舞われた辛さが身に染みて、ゴッホは「ミストラル」を「悪魔」と呼んだのかもしれません。

 もしこの曲線が「ミストラル」を表現しているのだとしたら「風」そのものを形にした《星月夜》は非常に稀有な作品であると言えます。

● 赤い背景は大噴火の影響 ムンクの《叫び》

 ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクは、空の色に大きな影響を及ぼす大規模な火山噴火があった時代に作品を手掛けており、同時代の画家たちとともにその影響を受けました。

 火山噴火は、空の見え方に大きく影響します。大噴火が起きて、空気中に火山性粒子が増えると、太陽光がより散乱されます。そのため、夕焼けや朝焼けの見える範囲が広がり、持続時間が長くなるとともに、色彩が鮮やかになると言われています。

 ムンクの《叫び》は、噴火の影響を受けた作品の一つであると言われています。《叫び》のインパクトというと、人物の様子もさることながら、ドクドクと血のように流れる背景の赤。ムンクは「日が沈んだ。空が突然血のようになった。大きな叫びが自然を通り抜けた」と書き残していて、赤の正体は、夕焼けであることがわかります。テキサス大学の天体物理学者ドナルド・オルソン教授は、この夕焼けが火山噴火時を描写したものである可能性を指摘しています。

 ムンクが《叫び》を完成させる10年ほど前、1883年8月27日、インドネシアのクラカタウ火山が歴史的な大噴火を起こしました。火山灰は、地球全体に広がり、ムンクの故郷であるノルウェーではもちろん、アメリカでも観察されました。噴火の影響による津波は遠く離れた鹿児島にも到達したと言われています。

 歴史に残るような大噴火の場合は、大量の火山灰が上空に達し、大きな風の流れに乗って、世界中に拡散されます。そして、日差しは長期間遮られ、世界的な低温が続く。その結果、大規模な飢饉や感染症の蔓延が起こるのです。日本で言えば、天明の大飢饉なども、国内外の大規模噴火が一因なのではないかと言われています。このクラカタウの大噴火でも、ヨーロッパで、長期的な天候不良が起こり、大凶作となって、大きな影響が出ました。

 ムンクは、人の内面を表現し続けたため、見たままを描いたとは考えにくいものの、この噴火の記憶を自然の脅威として自らの作品に刻んだとしても不思議ではありません。

 噴火の影響は、ムンク以外の画家の作品にも見てとれます。ギリシャのアテネ・アカデミーの物理学研究者クリストス・ゼレフォス氏は、絵画の色彩を分析することによって、噴火がそれらに与えた影響について検証を行っています。作中の緑と赤の割合を比べて、赤の割合が多ければ、空気中の微粒子(火山性粒子)が多いと言えるというものです。

 例えば、エドガー・ドガの作品を、クラカタウ山の噴火があった1883年以降の数年間とその他の期間とで比較してみると、《競走馬》をはじめとしたいくつかの作品で、赤の比率が高くなっていることがわかりました。

 さらに時代を遡ると、ターナーの作品にも同じ傾向が表れています。1815年にはインドネシアのタンボラ火山が大噴火を起こし、北米やヨーロッパでは、翌年「夏のない年」と言われる記録的な冷夏となりました。イングランド中部では、観測史上、最も寒い7月で、「毎朝、太陽は煙の中を昇るようだった。赤く、輝きがなく、わずかな光や熱しか放たない」などといった記述も残っています。ターナーが1815年以降に描いた作品《赤い空と三日月》(1818年頃)などには、他の時期よりも多量の赤が使われていることがわかっています。

 現在では、当時の天気や気温の状況を知る研究が、氷河や植物など様々なものを手掛かりに進められていますが、絵画の中にも確かに、気象の歴史が刻まれているのです。

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最終更新:4/20(土) 19:02

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