トランプ政権再登場で気をもむフィリピンの本音
フィリピンのマルコス政権が、2025年1月に発足するアメリカの第2次トランプ政権の出方に気をもんでいる。
他国も懸念する関税の引き上げに加え、送り出している出稼ぎ労働者のうち相当数を占める不法滞在者の取り締まりが強化されれば、送金頼みの経済への打撃となりかねない。
何より中国と激しく対立する南シナ海の領有権争いで、相互防衛条約を結ぶアメリカからこれまで通りの支援が得られるかどうか。
政権交代後も米比関係は不変とする公式見解やバイデン政権以上の対中強硬姿勢に期待する一方で、トランプ氏の予測不能で場当たりな対応により梯子を外されるおそれがぬぐえない。
同盟や地域に対するトランプ氏の無関心が疑心暗鬼を募らせている。
■「イメルダは元気か?」
2024年11月19日、マルコス大統領はトランプ氏と電話会談した。当選への祝意を伝えるマルコス氏に対して、トランプ氏のあいさつは「イメルダは元気か?」だった。
95歳となるマルコス氏の母だ。父(シニア)とともに「夫婦独裁」と呼ばれる強権政治で20年以上にわたりフィリピンを支配してきた。トランプ氏とは友人関係にあるという。
マルコス氏はアメリカ在住のフィリピン出身者の圧倒的多数がトランプ氏に投票したと話し、両国の同盟関係を強化したいと伝えた。会談後、マルコス氏は友好的で実りの多い対話だったと笑顔で振り返った。
マルコス氏をはじめフィリピン政府高官からはトランプ氏の当選を祝し、次期政権でも米比関係に大きな変化はないとの見方が相次いで示されている。しかしながら、それらの発言は一抹の不安を打ち消す期待の声のようにも聞こえる。
次期政権の外交・安全保障政策次第で米比関係が大きな転機を迎える可能性があるからだ。
トランプ・マルコス電話会談と同じ11月19日、アメリカのオースティン国防長官はフィリピンのテオドロ国防相、ブラウナー国軍参謀総長らと連れ立って南シナ海への出撃地である西部パラワン島を訪れた。
比米防衛協力強化協定(EDCA)に基づきアメリカ軍が使用できるアントニオバウティスタ空軍基地や国軍西部指令本部に加え、アメリカ・インド太平洋軍によって建設された統合情報センターを視察した。
■アメリカ高官の相次ぐ南シナ海訪問
オースティン氏は、同センター内に「USタスクフォース・アユンギン」を設置し、アメリカ兵を配置していることをSNSで初めて明らかにした。南シナ海におけるフィリピン軍の活動をアメリカ軍が支援する組織だ。
アユンギンとは、フィリピン国軍が元アメリカ軍艦だった老朽船を意図的に座礁させて実効支配の拠点としている岩礁だ。駐留するフィリピン海兵隊員に食糧などを補給する活動を中国艦船がたびたび妨害しており、まさに紛争の最前線である。
パラワン島を初めて訪れたアメリカ政府高官は、大統領選でトランプ氏に敗れたハリス副大統領だった。
2022年11月22日、日本が政府開発援助(ODA)で供与したフィリピン沿岸警備隊(PCG)の艦船に乗船し「アメリカは南シナ海における示威や威嚇に対し、航行の自由や国家主権を守るため同盟国としてフィリピンと共に立ち上がる」と宣言していた。
オースティン氏の訪比は就任以来4度目だった。アメリカ国防長官が東南アジアの国をこれだけの頻度で訪れるのは異例だ。
パラワン訪問に先立つ11月18日には、マニラ首都圏の国防省本部でテオドロ国防相と「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」に署名した。両国間で機密軍事情報を共有化する枠組みだ。
オースティン氏は会見でトランプ次期政権での比米同盟への見通しについて聞かれ、「民主、共和両党ともにフィリピンを強く支持している。同盟の強さは政権を超えて続くだろう」と話した。
両国政府には第2次トランプ政権が発足する前に、安全保障面を中心に現行の枠組みを固め、既成事実化しておきたい思惑がある。
マルコス氏の前任のドゥテルテ前大統領は歴代政権の伝統的な親米路線を転換し、その前任のアキノ政権が提訴した南シナ海の領有権をめぐる仲裁裁判で2016年7月、中国の主張を退ける裁定が出たにもかかわらず、これを棚上げして中国に接近した。
■政権交代前に固めたい安保の枠組み
ドゥテルテ前政権の継承を唱って2022年の大統領選で圧勝したマルコス氏は、外交・安全保障政策でも前政権の親中路線を引き継ぐとみられていたが、バイデン氏の積極的な働きかけもあって就任後、親米路線に大きく舵を切った。
南シナ海の領有権争いで中国に一歩も引かない姿勢を示す一方で、EDCAに基づきアメリカ軍が使用できる国内の拠点を5カ所から9カ所に増やした。
バイデン氏らアメリカの政権高官も「米比同盟は鉄壁だ」と繰り返してきた。アメリカ軍は2024年4月の合同演習の際、フィリピン北部に中距離ミサイル発射システムを持ち込み、そのまま撤去させずに中国ににらみを利かせている。
同年7月30日にマニラ首都圏で催された両国の外務・防衛閣僚会合(2プラス2)でアメリカ側は比国軍と比沿岸警備隊の近代化支援に「前例のない規模」(オースティン氏)の追加支援をすると発表した。
経済面でも、アメリカは日本政府とともに「ルソン経済回廊構想」を打ち出し、多面的な援助、支援を約束してきた。
アメリカを中心とするアジアの安全保障はこれまで、アメリカと日韓豪フィリピンなどの同盟国が2国間で直接につながるハブ・アンド・スポーク型だったが、バイデン政権は、アメリカと複数の同盟国が連携する「格子状」の関係をめざすようになった。
日米豪印の「QUAD」や米英豪の「AUKUS」のほか、米日韓や米日比といった枠組みがそれにあたる。いずれも対中国を見据えての連携だが、トランプ次期政権が「格子状」を維持するかといえば疑わしい。
2国間のディールを好むトランプ氏は経済や貿易面に限らず、安全保障面でも2国間交渉を優先させる可能性がある。
第1次トランプ政権は関税引き上げなどで中国への強硬姿勢を示し、バイデン政権もそれを引き継いでいる。
トランプ氏は次期国務長官にはマルコ・ルビオ上院議員、国家安全保障問題担当の大統領補佐官にマイク・ウォルツ下院議員を指名すると報じられている。いずれも対中強硬派として知られる議員だ。
このため南シナ海で中国と厳しく対立するフィリピンには今以上に肩入れするのではないかとの希望的観測がフィリピン側にはあり、与党や外交関係者らのトランプ歓迎発言につながっている。
■同盟にも南シナ海にも無関心なトランプ
しかし第1期トランプ政権で南シナ海における中国の権益を公式に否定したのは、ポンペオ国務長官(当時)が2020年7月、南シナ海の大半を領有するという中国の主張を「完全な違法」と断じ、オランダ・ハーグの仲裁裁判所の裁定を支持したのが初めてだった。
すでに政権も末期を迎えていた。トランプ氏自身は南シナ海問題についてほとんど語っていない。ドゥテルテ前政権の親中路線を批判することもなかった。
ドゥテルテ前大統領は2020年3月、訪問アメリカ軍地位協定(VFA)の破棄をアメリカに通告した。同年1月、ドゥテルテ氏肝いりの「麻薬撲滅戦争」の陣頭指揮を執ってきた元国家警察長官のデラロサ上院議員へのビザ発給をアメリカ政府が拒否したことに怒った挙句だった。
トランプ氏はこの時、VFAが破棄されたとしても「正直に言えば、そんなに気にしていない」と記者団に答えている。
1998年に結ばれたVFAは、1951年の比米相互防衛条約(MDT)、2014年に締結したEDCAと並んで両国同盟関係の支柱だ。VFAが失効すれば、アメリカの艦船の寄港や軍人の滞在が難しくなり、同盟維持に欠かせない合同軍事演習が事実上不可能になる。
その破棄を「気にしていない」トランプ氏が、米比同盟や南シナ海の紛争に関心があるはずもない。
中国を牽制する狙いでフィリピンに肩入れしてきたバイデン政権にとって、南シナ海以上に重視するのは台湾有事への備えだ。
マルコス政権が新たに認めたアメリカ軍使用拠点4カ所のうち3カ所は、ルソン島北部に集中している。台湾までの距離が350キロメートルほどしか離れていない地域だ。
アメリカはこれまで、台湾有事の際にどのような軍事的・外交的支援をするのかをあいまいにする政策をとってきた。その台湾に対してトランプ氏はかつて防衛費の増額を求め、「国内総生産(GDP)の10%まで引き上げるべきだ」などと発言している。
■台湾が抱く不安はフィリピンでも
第2次トランプ政権下で台湾有事が起きた場合、果たしてアメリカ軍は助けてくれるのか、台湾の人々の不安は増している。
フィリピンも同様だ。バイデン政権はこれまであいまいだった南シナ海紛争への関与について、MDTの対象に含まれるとはっきりさせた。アメリカの政権交代が両国関係に変化を生まないとの公式見解を示すマルコス政権も内心ではトランプ氏の予見可能性の低さを案じている。
第1次政権でトランプ氏は、東南アジア諸国連合(ASEAN)が主宰する首脳会議に4年連続欠席した。フィリピンに限らず、東南アジアはトランプ氏の関心の外にある。
他方、ASEANの多くの国は対米貿易黒字を抱えていることもあり、第2次トランプ政権の通商政策の行方を、固唾を飲んで見守っている。中国からの迂回輸出を疑われる恐れもあり、関税大幅引き上げへの警戒感が強い。
加えてフィリピンは不法移民の取り締まりを注視している。在外同胞からの送金はフィリピンのGDPの1割以上を占めている。うち約4割はアメリカからの送金だ。
アメリカの世論調査機関・ピューリサーチセンターの2019年の調査によると、アメリカに住むフィリピン系住民は420万人。うち16万人とされる不法滞在者が強制送還されるとフィリピン経済にも影響がでることが危惧されている。
第2次トランプ政権のフィリピン対応は日本の安全保障環境にも影響するだろう。日本政府はマルコス政権発足以来、安全保障面でもアメリカに劣らずフィリピンに肩入れしてきたからだ。
日本とフィリピンは2024年7月、自衛隊とフィリピン国軍が共同訓練する際の入国手続きなどを簡略化する「円滑化協定」(RAA)を締結し、両国関係を「準同盟」に格上げした。
■日本も深く関与している
さらに日本が「同志国」に軍事装備品などを無償提供する「政府安全保障能力強化支援(OSA)」の枠組みでフィリピンに2年連続で沿岸監視レーダーを贈与することを決定した。
2年連続の供与はフィリピンだけであり、それ以降も継続する方針を示している。同志国のなかでも完全な特別扱いである。
南シナ海では、フィリピンの沿岸警備隊(PCG)の船舶が中国海警局などの艦船から放水されたり、体当たりされたりといった嫌がらせを受ける事態が常態化しているが、被害艦船のほとんどは日本のODAで供与されたものだ。
日本政府はこの10年間で44メートル級の警備艇10隻と97メートル級の警備船2隻を供与し、さらに97メートル級5隻の建造を急いでいる。PCGの稼働船のほとんどは日本からのもので、訓練やメンテナンスも日本に依存している。つまり日本丸抱えの状態で中国と対峙しているのだ。
こうした状況のなかで訪れる「またトラ」。台湾有事の際の第2次トランプ政権の出方を探る意味でも、中国は南シナ海での挑発を続けるだろう。
バイデン政権下で謳われた日米比の「3国(準)同盟」は維持されるのか。南シナ海の競り合いで死者が出るなど状況が緊迫した時にトランプ政権はどう対応するのか。
トランプ氏がフィリピンとの同盟を軽んじた場合、日本はどのようにコミットを続けるのか。先行きは限りなく不透明だ。
東洋経済オンライン
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最終更新:12/14(土) 7:02