父を亡くし母に捨てられた…朝ドラ「あんぱん」のモデル"やなせたかし"が書き残した孤独な少年時代の心の傷
新しい朝ドラ「あんぱん」(NHK)の序盤は戦前の高知が舞台。ヒロイン・のぶ(今田美桜)と嵩(北村匠海)のモデルとなった“やなせたかし”夫妻について調べた田幸和歌子さんは「実際に2人が知り合ったのは大人になってから。子ども時代に出会うドラマとはちょっと違うが、嵩の孤独な生い立ちはドラマでもよく表現されていた」という――。
■新しい朝ドラは「アンパンマン」の作者とその妻がモデル
国民的アニメ『アンパンマン』の原作者である漫画家・やなせたかし(1919〜2013年)と妻・小松暢(のぶ)をモデルとし、中園ミホが脚本を手がける第112作目のNHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)「あんぱん」が3月31日よりスタートした。
第1話冒頭では、主人公・のぶ(今田美桜)と嵩(たかし)(北村匠海)の晩年の姿が描かれ、そこから時代はさかのぼり、2人の出会いへ――。舞台は、高知県長岡郡御免与(ごめんよ)町。「ハチキン(土佐言葉で、男勝りの女性を指す)おのぶ」こと、8歳の朝田のぶが駅に一目散に走っていくと、改札から出てきた少年・柳井嵩にぶつかり、少年は尻もちをついてしまう。
自分からぶつかっておきながら「気をつけや! ぼけ!」と暴言を吐くのぶ。しかし、翌日、嵩がのぶのクラスに転校生として現れ、都会育ちのために浮いてしまい、クラスメイトの男の子たちから弁当を奪われる羽目に。見ていられなかったのぶは、男の子たちをやっつけるが、嵩に「本当はいい人なんですね」と言われると、へなちょこと言い、「しゃんしゃん(さっさと)東京にいね!」と言い捨てる。
ところが、嵩が父を亡くしていること、さらに実母にも置き去りにされたことを知ると、申し訳ない思いでいっぱいになり、「嵩はうちが守っちゃる!」と宣言。そこから2人の距離が縮まっていく展開が描かれた。
■やなせたかしと妻が出会ったのは、小学生の時ではない
このようにドラマでは小学生の時に2人が出会い、「幼なじみ」となるが、これは史実とは異なる。実際のやなせたかしと暢の出会いは終戦後。高知1946年(昭和21年)、やなせが高知新聞に入社、社会部で「月刊高知」の編集スタッフとして同僚になったのがきっかけだった。しかも、『やなせたかしの素顔 のぶと歩んだ生涯』(潮出版社)によると、暢は実は1度結婚しており、やなせとは再婚だったようだ。
暢は大阪で国内有数の商社「鈴木商店」で働く父と、母の間に生まれ、父が亡くなった後も大阪で過ごし、女学校を卒業した後に東京に出た。1939年には日本郵船に勤める6歳上の小松総一郎という男性と結婚するが、結婚した年に第二次世界大戦が勃発。総一郎は一等機関士として召集されてしまい、1945年の終戦で無事に戦地から戻ってきたものの、病気で命を落としてしまう。
■暢の最初の夫は召集されて病死、生活に困って新聞記者に
亡夫との間に子どもはなく、暢は貯金も食べるモノも尽きて困窮する中、総一郎の宝物だったカメラだけは手放すことができず、そんなときに目に留まったのが高知新聞の広告欄だった。そこには「女性記者求む。給与等条件は応相談」とあり、カメラを持っていることもあり、応募し、入社するに至ったのだ。
ちなみに、『やなせたかしの素顔 のぶと歩んだ生涯』によると、やなせとの初対面は、実は戦後間もない頃。暢が仕事道具の入ったカバンを幼い兄弟に盗まれ、追いかけて取り戻した先で、飢えた幼い兄弟に自分のパンを与えていたのが、やなせだったとある。しかし、涙を流すやなせに名前も聞けないまま、高知新聞で再会を果たすことになる。
一方、やなせの自伝『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫 文芸233)によると、やなせは1919年(大正8年)2月8日、高知県香美郡香北町在所村に生まれる。父・柳瀬清は在所村の村長の次男で、上海の東亜同文書院に留学、日本郵船、講談社と転職し、東京朝日新聞の記者となった。また、母は大地主の次女として生まれ、華やかに暮らしてきたが、父親の散財で没落。清と結婚し、上海でやなせを妊娠した後、高知で出産する。
■やなせの父は33歳の時に中国で客死、美しい母は泣き崩れる
しかし、清は朝日新聞の記者として赴いた中国の広東で、33歳で客死。このとき、やなせはまだ4歳で、弟は2歳だったため、父の死のことがよくわからず、梅の木の下で遊んでいたというが、母がひどく泣いていたことと、葬列をつくって田んぼ道を山の墓地まで歩いたことは鮮明に覚えていると自伝で記されている。また、母は任地に同行せず、子どもと故郷の実家に残ったことを生涯悔いたそうだ。
ところで、ドラマでは父を亡くした後、弟・千尋が養子として引き取られた医師の伯父・寛(竹野内豊)のもとに母・登美子(松嶋菜々子)と共に身を寄せるが、史実ではいったん母と祖母と3人で、高知市で借家暮らしをしている。
この3人暮らしは「せまいながらも楽しいわが家」だったとやなせは振り返っているが、当時、留守がちだった母に代わって面倒を見てくれていたのは祖母だった。自伝によると、祖母は気の強いことで有名だったが、やなせのことは溺愛し、大きくなっても添い寝し、「この世の中で信用できるのはお前と神様だけだ」と言ったという。そのため、やなせは過保護に育てられ、「貧しいくせに世間知らずのお坊ちゃん」になってしまったのだった。
■母がヒステリーを起こすと、祖母がやなせを連れて家を出た
その一方、母は「今から考えると、未亡人になった母は全力をあげて自活の道を探していたのだ」とやなせが振り返っているが、ミシンを踏んで洋服を縫い、茶の湯、生花、盆景、謡曲、琴、三味線と、習いごとでほとんど家にはおらず、時々ヒステリーをおこして荒れた。そんなとき、祖母は「またはじまった。納まるまで待つよりしかたがない」と、やなせを連れて家の外に出たという。
そんな「香水の匂いが強く、派手好み」の母に対するやなせの感情は複雑だった。映画や芝居が好きで、スクリーンの男優をみて「いいわねえ」と感に堪えたように歎声を漏らした母に「女性」を感じたこと。周りにはいつも何人かの男性がいたこと。母の濃い化粧についていろんな人から悪口を聞かされるのがいやでたまらなかったこと。それでいて、「ぼくは母を信じていたし、よその子供の母よりきれいだと思ってうれしかったのだ」と自伝に記している。
■母は伯父の家にやなせを預けたが、母を恨むことはなかった
また、『やなせたかしの生涯』(梯久美子/文藝春秋)によると、高知市で母と祖母と3人暮らしをしていた当時、周囲の子供はみんな着物に下駄ばきだったが、東京から引っ越してきたやなせは、モダン好きだった父の影響もあって、半ズボンに靴、房の付いたニット帽というスタイルで、家が貧乏だとは夢にも思わなかったという。加えて、成績もよく、副学級長も務めていた。
しかし、そんな3人暮らしがある日突然終わりを告げる。やなせが小2の途中、母に連れられて高知駅から汽車に乗り、行きついたのは後面町にある伯父・寛の家だった。ドラマでは登美子と嵩がいったん寛の家に身を寄せ、しばらくして登美子が再婚するため、書き置きをして嵩を置いて去るという展開が描かれたが、史実では伯父宅に連れて行かれて、そのまま一人置いていかれたのだった。
『やなせたかしの生涯』によると、母は「おまえは体が弱いから、伯父さんに丈夫にしてもらうのよ。水虫も直してもらいなさい。お兄ちゃんなんだから、千尋にやさしくしてね」と言い残した。しかし、そのうち迎えに来てくれると思っていたので悲しくはなく、涙も出なかったし、母を恨んでもいなかったようだ。
ちなみに、やなせは千尋と一緒に暮らすことになるが、千尋が奥座敷で義父母と川の字で寝る一方、やなせは書生部屋で一番若い叔父と一緒に寝ていた。寛は一家全部の兄弟姉妹の面倒を見ていたわけだ。
■ドラマで二宮和也が演じる実父に抱いた強い愛着
ところで、ドラマでは二宮和也扮する父はまだ一瞬しか登場していないが、やなせにとって父親は非常に大きな存在だった。
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「父親は非常に優しく、毎日おみやげを買ってくるような人だった。気の強い母よりも、ぼくは父になついていて、これが後年までファーザー・コンプレックスとなって、ぼくの人生に長く尾を引いていく」(自伝より)
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その一方、弟とは何かと比較された。
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「色白で眼が大きく、性質は明るく活発で、誰にでも愛された。『お兄さんはお父さん似でおとなしいが、器量が悪い。弟さんはお母さん似でハンサムで快活だ』子供の頃、ぼくはこれに似た言葉を何度となく聞いた」
「あんまりくりかえして不器量だといわれたので、ぼくは暗くてシャイな性格になった。ぬきがたいコンプレックスが強く、これはずーっと大人になるまで続いた」
(いずれも自伝より)
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『やなせたかしの生涯』によると、甘えたいときに甘えられず、早くから分別を身に付けてしまったやなせは、それまでの素直で子どもっぽい性格から一転。一歩下がって周りを冷静に見るようになったという。それに対して千尋は甘えん坊でわがままだったが、それがかえって愛されることをやなせはうらやんでもいたようだ。
ちなみに、奥座敷にいた弟は素直に成長し、幼年の頃は多病で小学校も休みがちだったが、中学に入ってからは健康になり、柔道二段になり、やなせが不合格になった高知高校に合格、やがては京大に進学する。
■イケメンで京都大学にも合格した実の弟と比較され…
弟と比較される運命は、やなせの後の人格形成や人生に大きな影響を与えた。しかし、それは悪いことばかりではない。自伝では次のように自己分析している。
「ぼくは血液AB型で、器質的に地味と派手が混在していて、時にどうしようもなく派手になってしまったりする。もしも人並以上のハンサムに生まれついたら、この性質では羽目をはずしてしまって人生の軌道を大きく外れたことはまちがいない。神は抑制するために、ぼくの容貌風刺を制限されたと感謝しなくてはいけない。だから、アンパンマン、君はさしてハンサムではないが、優しい性質はぼくからひきついでいるのだ」
弟に対するコンプレックスが、やなせたかしの優しく豊かな人間性、さらには創作活動につながったと言っても過言ではないだろう。
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田幸 和歌子(たこう・わかこ)
ライター
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など
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プレジデントオンライン
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最終更新:4/7(月) 7:47