「ワァーッ!私はじいさんに殺される」ガタガタの体で"夫の世話"に明け暮れた90代女性の"地獄の夫婦生活"
高齢者が高齢者を介護する「老老介護」で、共倒れするケースが増えているという。社会学者の春日キスヨさんは「私が話を聞いた90代女性のケースでは、夫の介護と家事に追われ、夫婦生活は限界に達した。『妻が家事を担うのがあたりまえ』という役割意識が女性を追い詰めていった」という――。(第2回)
※本稿は、春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■両親を説得し続け、別々の施設に入所させる
それまでずっと「最期まで在宅」を目指し、「大丈夫」と言い続けていた親から、土壇場になって電話が入る。そんな事態に陥ったとき、子どもの側はどうすればいいか。
親の人生は親自身が決めること。放っておけばいい。自分で何とかするだろう。親が元気で力がある若いときなら、それで済む部分がある。しかし、老いが進む年齢になると、そうもいかない。
親が自力でやっていけると主張し、民間サービスや介護保険などの制度サービスを頑なに拒む場合、子どもは親の意向をどこまで受け入れ、親の願いにどこまで添い続ければいいのか。親の尊厳を守るとはどういうことなのか。
これは、ひとり暮らしの親が「自分の家で暮らし続けたい」「在宅で最期まで過ごしたい」と望む場合も難問だが、父親、母親の二人暮らしの場合、さらなる難問である。
そんなことを深く考えるきっかけとなった出会いがある。父親が97歳、母親が95歳になるまで自宅で暮らし続け、「長年、説得し続け」、最後は「父親を拝み倒して」、両親に「別々の施設に入所してもらった」。そう語る娘の立場の女性、PJさんとの出会いである。
PJさんは74歳。きょうだいはいない。3人の孫育て支援の他に、NPO団体の活動家として、多忙な日々の合間を縫い、両親が80代半ばを過ぎて以降の10年以上、両親宅に通い続け、その生活を支えてきた。
話を聞き始めてまもなく、PJさんが発した言葉は、私にとって驚きだった。
■「ワァーッ! 私はじいさんに殺される」
【PJさん】「父は2022年に97歳で亡くなりました。母は現在95歳です。『ふたりそろって百まで生きたい』というのが希望だったんです。けど、希望といっても、それは父の希望で。母は『早く死にたいよー』と言っていました」
【春日】「それはどうしてですか?」
【PJさん】「理由はね、『じいさんに殺される!』と言っていました。しょっちゅう、母は『じいさんに殺される!』と言っていました」
【春日】「エッ、どうして、『じいさんに殺される』なのですか? お母さんはなぜ、そんなことを言われていたのですか?」
重ねる私の質問に対して、PJさんはこう続けた。
【PJさん】「母が全部、何もかもしなければならないでしょ。父が何にもしないから。そうはいっても、父も70代の頃まではマメに動いて、庭仕事などもよくしていたんです。でも、年齢とともに筋力が落ちて、動くのがしんどくなるじゃないですか。だから、あまり動かなくなる。
それで『おい、これ取れ』『あれ取れ』『眼鏡持ってこい』『新聞持ってこい』から始まって、母がズーッと一日中、動かされるわけです。狭い家とはいえ、結局、母は自分の時間がなくなり、ウロウロ、ウロウロ。
そのなかでご飯もつくらなきゃいけない。そんなんで、トイレで父に聞こえんように『ワアーッ! 私はじいさんに殺される』と、叫んでいたんです」
■周囲からは「仲のいい夫婦」だと思われていたが…
PJさんの母親は、耳の聞こえも悪く、2度の圧迫骨折で、何かにすがらないと立ち続けることができないほど腰が曲がり、痛みもあった。そんななかでの夫の世話と家事は、「死にたい」ほどの重労働だっただろう。
一方、父親も、まだ元気だった70代までは「マメに動いて」いた。しかし、80代半ばでの病気をきっかけに、自分でできることも億劫がり、その分、母親への指示・命令が増え、その負担がだんだん重くなっていったのだという。
PJさんが語ってくれた両親の生活史を、簡単に述べておこう。
父親は定年後、資格を買われ再就職、70歳まで働く。一方で、母親の方は、60代の半ばから4年ほど、共働きで3人の子どもを育てる娘を支援するため、娘家族と同居。その間、父親は自宅でひとり自炊暮らし。
父親71歳、母親69歳のとき、母親が娘家族との同居生活をやめ、二人暮らしに戻る。その後、80代半ばまでは、「二人で野菜づくりをし、買い物も一緒にシルバーカーを押して近くのスーパーに通い、地域の人から「仲がいいですねえ」と声をかけられるような生活。
だが、80代半ばに父親が「軽い心筋梗塞」に罹(かか)り、その後、他の病気にも。それをきっかけに父親の体力が「ガタッと弱る」。そのなかで妻に指示・命令して用を足す「あまり動かない」生活になっていく。
■健康寿命が長くても、老いは必ずやってくる
一方、母親も85歳で病気をし、入院・手術。その後、圧迫骨折を繰り返すなどで腰痛がひどくなり、立位も歩行も不自由になる。にもかかわらず、夫の体力低下にともない、増え続ける「夫の世話」と家事に追われる暮らしになっていく。
また、外からの支援受け入れについては、父親90歳、母親89歳のとき、要介護・要支援認定を申請。認定結果は父親、要支援2、母親、要介護1。
しかし、認定は受けるものの、サービス利用には消極的。近くに住む孫息子夫婦の支えと、3時間かけてバスで長年通い続けるPJさんの支えで、父親97歳、母親95歳まで在宅生活を継続。
こうしたPJさんの両親の生活は、国がいう「健康寿命」を全うした後に待ち受ける老いが避けられない期間の暮らしの実情を示している。
PJさんの父親は、元気な間はひとりで自炊生活ができるほどの人だった。その後、80代半ばで病気になるまでは、夫婦で買い物にも出かけ、夫婦仲も「まあまあ」だった。
では、そんな夫婦が80代半ば過ぎになると、なぜ「じいさんに殺される!」と妻が叫ばねばならないほどの関係に変わっていったのか?
■支援サービスを紹介するも父親は拒否
母親の負担を軽くするために、娘のPJさんが何もしてこなかったわけではない。それどころか、ひとり娘として親に対する責任感も強く、さらに地域の高齢者支援のNPO活動に携わるPJさんは、普通の人以上に福祉・介護に関する知識・情報も持っていた。
だから、両親が在宅生活をやめるまでの十数年間、母親の家事負担を軽くする手段として、介護保険の家事支援サービスをはじめ、民間の支援サービスの利用を両親に提案し続けてきた。
だが、その多くが父親から拒否され、加齢とともに母親の負担が重くなっていったのだという。PJさんが両親に提案してきた在宅継続のための支援策を挙げてみよう。
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①両親のPJさん家族との同居
②配食弁当サービスの利用
③要介護・要支援の認定申請
④介護保険によるデイサービスの利用
⑤介護保険による訪問リハビリテーションの利用
⑥介護保険による入浴サービスの利用
⑦介護保険による家事援助サービスの利用
⑧医療保険による訪問診療
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①~⑧までのうち、提案がスムーズに受け入れられたのは、在宅生活の最後の2年ほど利用した⑧の訪問診療のみ。病院の長い待ち時間が耐えられなくなったからだという。
しかし、それ以外の提案は拒否、もしくは、受け入れの抵抗感が強く、PJさんが生活を常に見守り、親が勝手にサービス利用を止めないよう、説得し続けなければならなかった。
■母親は「ヘルパーに来てほしい」と言っていたが…
PJさんの話を聞いていくと、身体介護を必要としない場合でも、親の尊厳を重視し、その選択を受け入れながら、在宅生活を長期間支え続けることが、いかに大変なことであるかがわかる。
生活習慣として親が長年馴染んできた食の嗜好(しこう)、生活の快適さの基準、プライバシー感覚などなど、身体感覚レベルにまで関わる親の暮らしの希望のどこまでを受け入れ、どのように支えていくか。
それは親と同居し日常生活を共有する場合とも、また、ひとり暮らしの親を支える場合とも性格が異なる難しさがある。夫婦二人暮らしの場合、妻の方に生活力が何とか残っている間は、夫が「家事と自分の世話は妻がするのが“あたりまえ”」と考え、他からの支援を拒否し、馴染んできた生活を続けていこうとするからだ。
PJさんの両親の場合もそうだった。PJさんの母親の場合、「私がいるのに何でヘルパーを入れるのか」と家事支援を拒むタイプの女性ではなく、むしろ「ヘルパーに来てほしい」と、それを望む人だった。
にもかかわらず、サービス利用に消極的なままの生活が続いていった。それはなぜだろうか? 何が外部からのサービス、支援を排除し、夫婦関係に閉じこもらせ、社会から孤立する方向に向かわせたのだろうか。
■「家事は妻がすればいい」と語る頑固な父親
その理由を、PJさんが示した①~⑦の提案に対する両親の反応の中から見てみよう。
まず、①「娘家族宅に夫婦ともに同居」という提案に対しては、父親が自宅に住み続けることに固執し、同居を強く拒否。母親は娘の提案には「同意」しながら、拒否する夫に逆らうことができず、断念。
【PJさん】「父が私の家には絶対行かない、死ぬまで行かないと言う。母は行ってもいいと言ったんですが。すると『ひとりで行けばいい。わしはここにひとりでいる』と言うんです。それじゃあ、母は来れませんよねえ。どうしても」
次に、家事負担軽減策として介護保険の家事援助サービス、通所介護サービスなどにつながるための前段階である③要介護・要支援の認定申請という提案に対して。ここでも、当初父親が強く拒絶し、手続きに至るまでかなりの時間を要している。ここにも父親の「人の世話になりたくない」「家事は妻がすればいい」という意識が強く関わっている。
【PJさん】「二人とも90歳前後まで介護保険の認定も取っていなかったんです。だから、『しんどかったら、利用した方がいいのよ。介護保険をかけてきたんだし、それで助けてもらえばいいのよ』、そう言い続けたんです。
でも、人に助けてもらうのは嫌だし、母がいるからいいわと父は思う。母は父が嫌がるから受けられない。その辺を調整するのが大変でした。本当に大変!」
■どんなに便利でも、出かけるまでが大変
さらに、両親を説き伏せ、やっと要介護認定が出たとしても、サービス利用がスムーズに進むわけではない。④デイサービスセンターに通い、そこで入浴サービスを利用し、食事サービスも利用する、という提案に対しても、父親が強く拒否。またこの提案に対しては、母親の方も、夫の世話がさらに増えることを恐れ、強く拒否。
【PJさん】「デイに行けばご飯も食べられて、お風呂にも入れるからいいよと、何度も勧めたんです。でも、父は『絶対行かない』、とにかく『嫌』。母も、二人で通うとなると、自分がその支度をしなければならない。
父に服を着せて、自分もデイに行こうと思うと、準備がしんどい、それより、家にいてボーっとしている方がまだ楽なんです。父の『嫌』、プラス、支度が大変なんです。だから、『おじいさんが“嫌”と言うから、行けんわぁ!』と、どんなに勧めてもダメ」
生活の利便性よりも、人づき合いが苦手な父親にとっては自宅が「いちばん落ち着き」快適。だから、拒否。母親にとっても、夫婦で通うことになれば、夫の「通所準備」の世話が生じ、新たな負担となる。自分だけが利用した場合、その間の夫の世話はどうなるのか、それが気にかかる。
こうして、ひとり暮らしの場合なら、本人の選択しだいとなるが、夫婦二人暮らしの場合、それができない。「おじいさんが“嫌”と言うから、行けんわぁ!」と、夫しだいの流れになる。
■「ばあさんがつくったものがうまい」という殺し文句
しかし、こうしたデイサービス利用以上に強い拒否感、抵抗感が示されたのが、⑦のヘルパーによる家事援助サービスである。
【PJさん】「家事がだんだんできなくなる母のために『ヘルパーさんを入れさせて』と何度父に頼んでも、嫌なんです。人が来るのが嫌なんです。『煩(わずら)わしい』『うるさい』『落ち着かない』って。
それに『ヘルパーがつくったものはまずい』『ばあさんがつくったものがうまい』って。母にとっては殺し文句ですよね、それは。だから、母がしんどいからヘルパーさんには来てもらってつくってもらう。でも、父が食べないんですよ。だから、ヘルパーさんがつくったものは母が食べて、父にはちょろっと自分がつくってやって……」
ここでの「ヘルパーがつくったものはまずい」という食の嗜好は、②配食弁当サービス利用を提案した際にも、「配食弁当は『絶対嫌』だと言うんです。『口に合わない』『食うものが何もない』『自分の好みがない』って」と、拒否されている。
さらに、こうした食の嗜好以外に、自宅内にヘルパーを招き入れることで、馴染んできた生活が乱される感覚から、「煩わしい」「うるさい」「落ち着かない」と、強く拒否される。
その結果、ヘルパーの家事援助サービスを利用したとしても、外部サービス利用に対する父親の強い抵抗感、「妻が家事を担うのがあたりまえ」の役割意識、「夫の決定に妻は従うべき」とする夫優位の夫婦関係に支えられ、どんなに母親がしんどくとも、夫の食事だけは妻としてつくり続けるしかない生活が続いていく。
そんななかでの「じいさんに殺される!」という叫び声だったのだろう。PJさんは母親のこの声を聞いたとき、「在宅生活を続けるのはもう限界だろう」と両親の施設入所を本気で考え始めたのだという。
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春日 キスヨ(かすが・きすよ)
社会学者
1943年熊本県生まれ。九州大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。京都精華大学教授、安田女子大学教授などを経て、2012年まで松山大学人文学部社会学科教授。専門は社会学(家族社会学、福祉社会学)。父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた。著書に『百まで生きる覚悟 超長寿時代の「身じまい」の作法』(光文社新書)、『介護とジェンダー 男が看とる 女が看とる』(家族社、1998年度山川菊栄賞受賞)、『介護問題の社会学』『家族の条件 豊かさのなかの孤独』(以上、岩波書店)、『父子家庭を生きる 男と親の間』(勁草書房)、『介護にんげん模様 少子高齢社会の「家族」を生きる』(朝日新聞社)、『変わる家族と介護』(講談社現代新書)、『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)など多数。
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プレジデントオンライン
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最終更新:11/21(木) 18:17