1982年から2014年まで約32年間にわたり放送された国民的人気テレビ番組『笑っていいとも!』。グランドフィナーレから3月31日で10年を迎える今、同番組について社会学者で文筆家の太田省一さんが振り返ります(本稿は、太田さんの新著『「笑っていいとも!」とその時代』から一部を抜粋、再編集したものです)。
■「友だちの輪」誕生のきっかけに坂本龍一
「笑っていいとも!」の代名詞「テレフォンショッキング」から生まれた流行が、「友だちの輪」だった。
「いいともー!」があらかじめ番組によって用意されていたフレーズだったのに対し、こちらは思わぬかたちで生まれたものだった。
誕生のきっかけとなったのは、1982年11月17日、ミュージシャンの坂本龍一が出演したときのことである。
この日、JALのマークの話題になった。そのマークは、鶴の広げた翼が両端で接し、丸をつくるようなデザイン。坂本龍一は、その意味が「世界に広げよう、友だちの輪」なのだと言い、自ら両手で輪をつくってみせた。
「へえー」と感心したタモリも、その真似をする。すると、客席から「輪!」と声がかかった。それにすかさず反応したタモリは、観客も巻き込んで「世界に広げよう、友だちの輪」「輪!」と復唱した。
その後、タモリ(ゲストの場合もある)が、「テレフォンショッキング」のリレー方式に引っかけて「友だちの友だちはみな友だちだ。世界に広げよう友だちの~」と言い、最後にタモリと観客が「輪!」とポーズつきで唱和するのが毎度のお約束になった。
このエピソードからは、とっさに坂本の真似をし、さらに観客との「コール&レスポンス」に持っていったタモリの反射神経と嗅覚の鋭さが光る。
その場のノリを敏感に感じ取り、ひとつの遊びのかたちに持っていく。でたらめ外国語やイグアナの物真似など怪しげな芸を連発し「密室芸人」と呼ばれた時代、あるいはそれ以前からタモリが培ってきた資質である。
ただこの場合、観客の当意即妙さも見逃せない。坂本龍一とタモリが輪のポーズをしたときに、即座に観客が「輪!」とかぶせなければ、「友だちの輪」は生まれなかったに違いない。
隙あらば参加してやろうという観客の前のめりの姿勢、積極さが、このフレーズを生んだのである。その意味で、「友だちの輪」は、タモリと観客の一種の共同作業によって生まれたものだった。
このようなことが起こり得たのは、『いいとも!』という番組そのものが、ハプニングの起こりやすい雰囲気を持っていたからだろう。
『いいとも!』では、リハーサルはほとんどなく、ぶっつけ本番だった。番組前のタモリは、段取りの確認なども他人に任せ、ずっとスタッフと雑談をしていたという。一見お気楽にも思われるが、それは、あらゆる面において安易な予定調和を嫌うタモリとスタッフのポリシーの表れでもあったはずだ。
■ハプニングの宝庫
「テレフォンショッキング」は、『いいとも!』という番組を貫くそんな〝反-予定調和〟の精神を象徴するコーナーだった。
もちろんそこには、芸能人や著名人の意外な交友関係がわかるという楽しみもあった。出演を祝って電報が届いたり、大きな花輪が贈られたりする。
その飾られた花をタモリが「○○さんから届いてます」というように目についた贈り主にふれることもある。そうでなくとも、画面に映る花を見て誰から届いているのかを見るのも、視聴者の楽しみのひとつだった。
また、電話をかけた先が仕事の現場であったりすると、そこに居合わせた共演者が電話口に出て仲の良さが垣間見えたりするのも、ちょっと得した気分になった。
だがトークの場面では、和気あいあいとした雰囲気ばかりでなく、時には緊張が走ることもあった。
たとえば、1984年2月13日にレギュラー出演する以前の明石家さんまが出たときに紹介したのが、ミュージシャンの小田和正だった。
当時のタモリは、フォークやニューミュージックを「暗い」「軟弱」と言って盛んに批判していた。さんまはそれを承知のうえで、小田を紹介したのである。翌日のトークは、やはりどこか手探りの状態のまま、お互いぎこちない感じで進んだ。
また、官能小説で有名な人気作家・川上宗薫が1983年9月26日に出演した際には、小説での「尻の穴」の描写が話題になった。
説明しようとした川上が生放送での表現の難しさに耐え切れなくなり、「こうなったらヤケクソで、放送禁止用語なんか言っちゃっていいですか?」と言い出した。
「いいとも!」とはもちろんいかず、タモリが慌てて「怖いことをおっしゃる」と制止する一幕があった。
ほかにも、2012年10月3日に登場したタレントで俳優、作家でもあるリリー・フランキーが、お気に入りのラブドールを伴って出演し、自分の〝彼女〟として紹介したこともあった。
この場合は、タモリは慌てたというよりはむしろ興味津々でノリノリだったが、スタジオ全体はどう反応してよいかわからず不思議な空気が流れた。
「友だちの輪」の誕生もそうだが、こうした生放送ならではのハプニングこそが、「テレフォンショッキング」の醍醐味だった。予想外のことがしばしば起こり、まさにハプニングの宝庫となった。
■黒柳徹子の「番組ジャック」
そのなかで、いまでも語り草になっているのが、1984年3月14日放送回の黒柳徹子による〝番組ジャック〟である。この日登場した黒柳は、文字通りノンストップでしゃべり続けた。
ユニセフ親善大使の話から始まったかと思うと、タモリのリクエストでハンドバッグの中身をひとつひとつ見せることに。手紙や筆記用具などの他に、電車の切符、さらになぜか箸置きが入っていたりする。
そして『徹子の部屋』(テレビ朝日系、1976年放送開始)の印象的だったゲストのエピソードから、自分の「検便」を「フン」と言ってしまった話、富士山の近くの宿で「これ、なんていう山ですか?」と聞いてしまった話、わんこそばに挑戦したがすぐ次のそばを入れられるのでやめるにやめられず悪戦苦闘した話などが延々ととめどなく続き、最後は、翌日ゲストの泉ピン子へのメッセージを書き留めるふりをしてタモリがメモ用紙に描いている女性器のマークを目ざとく見つけた黒柳が、昔覚えたというその絵描き歌を歌い出すおまけまでついた。
この間、約46分。
通常、「テレフォンショッキング」の長さは20分程度である。当然、予定していたほかのコーナーはできず仕舞いに。後年似たケースは作家の有吉佐和子やとんねるずでもあったが、その先駆けがこのときの黒柳徹子だった。
また、ゲストが大幅に遅刻してしまったこともある。
1997年10月2日放送回のゲストは、俳優の片桐はいり。しかし片桐は、時間になっても現れない。電話をすると、まだ品川駅にいた。寝坊したとのことで、しかも電話中にむざむざ1本乗り過ごす羽目に。
ようやく新宿アルタに到着するが、放送している階に向かうエレベーターの場所がわからず右往左往。しかも、前日ゲストの渡辺えり子(現・渡辺えり)が残したメッセージが、「明日は遅刻しないでくださいね」だったという見事なオチもついた。
■電話のかけ間違いで一般人が出演
そして、電話のかけ間違いで、なんと一般人が出演したこともあった。ある意味、黒柳徹子の〝番組ジャック〟以上のハプニングである。なにしろ、芸能人・著名人という大枠をはみ出してしまったのだから。
事の経緯はこうである。
1984年4月23日のゲストは歌手の泰葉だった。
歌手のしばたはつみを友だちとして紹介しようとした泰葉が電話をかけ、「もしもし、しばたさんのお宅ですか?」と言ったところ、「いえ、違います」という返事。相手は、広告会社の編集部に勤める女性だった。
タモリが引き取って『笑っていいとも!』であることを説明すると、「ちょっと待ってくれます?」とテレビを見て確認した女性は、「間違いでなくていいんですけど」と満更でもない様子。
そのノリの良さを感じ取ったタモリの「明日来てくれるかな?」に「いいともー!」と答え、その女性はなんと翌日「テレフォンショッキング」に出演を果たしたのである。
その日から「一般人コース」が並行して始まった。その女性は通常と同じセットでタモリとトークを繰り広げ、「やだぁ、恥ずかしい」と言いながら友だちを紹介。
そして3人目までつながったが、4人目のひとの都合がつかず、タモリの「明日来れないかな?」という呼びかけに対し、電話の相手が「来れません」と答え、「一般人コース」は結局3日で終了することになった。
これは、『いいとも!』という番組が究極の視聴者参加番組であったことの証である。
観客が演者の一挙手一投足に反応し、放送中に声を上げることも許されていることの延長線上に、このようなハプニングが起こったと言えるだろう。
■いきなり観客の男性が……
ただ、そうであるがゆえに唖然とするようなハプニングが起こることもあった。
「『いいとも!』終了」というマスコミ報道があった際、「テレフォンショッキング」の本番中にいきなり観客の男性がそのことをタモリに質(ただ)すということもあった。
タモリはそんな話は聞いていないので「違うんじゃないですか?」と答えた。
その日のゲストである山崎邦正(現・月亭方正)があまりのハプニングに慌てふためいていると、タモリが「お前が連れてきたんだろ!?」と邦正にツッコみ、笑いに変えた。
さらに「CM明けたらあそこにクマのぬいぐるみが座ってるぞ」と言ったタモリの言葉通り、CM明けにはクマのぬいぐるみがその男性の席に置かれていた(2005年9月21日放送。男性の退席は、本人と話し合い納得してもらったうえでのことだった)。
このような普通なら対処に困るような場面でさえも、男性の質問をはぐらかさず、しかもそこから笑いにまで持っていったタモリ、そしてスタッフの対応は印象的だ。ある意味、『いいとも!』という番組の真骨頂がうかがえた場面と言えるだろう。
東洋経済オンライン
最終更新:3/28(木) 12:02
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