世界最古の木造建築である法隆寺。しかし世界には、西暦607年に法隆寺が建てられるはるか前から存在するピラミッドや大聖堂などがあり、それらはすべて石造建築です。本稿では新著『教養としての西洋建築』を上梓した国際的な建築家である国広ジョージ氏が、建築を通して見える「木の文化」と「石の文化」の違いについて解説します。
■建築とは人が使う「空間」をつくること
人類が自らの手で「シェルター」を建築するようになったのがいつなのか、僕は考古学者ではないのでわかりません。おそらく石器時代の狩猟採集民は、天然の洞窟で身を守りながら暮らしていたのでしょう。
当然、これはまだ「建築」とは呼べません。洞窟そのものは、単なる自然の一部です。でも、それを人間がシェルターとして使い始めた時点で、そこにはのちの「建築」にとって欠かせない要素も含まれていたでしょう。
というのも、住居としての洞窟には何らかの「中心」があったはずです。「円の中心」のような幾何学的な話をしているわけではありません。そこで暮らす人間にとって意味のある中心、とでもいえばいいでしょうか。
たとえば火を燃やして食べ物を調理する囲炉裏のようなものがあれば、そこが「中心」です。それを家族みんなで囲み、寝起きを共にする。あるいは、洞窟の奥には一族の長老が座る場所が用意されていたかもしれません。
これも、ある意味で「中心」でしょう。このように何らかの「中心」が生じることで、洞窟は家族の一体感やヒエラルキーといった秩序を表現する空間になったわけです。
また、洞窟はセキュリティの面でも有効な空間でした。外敵が侵入する開口部は一方向にしかないので、同時に四方八方を見ることのできない人間にとっては、たいへん安全性の高い構造です。誰かが開口部のほうだけ警戒していれば、ほかの家族は安心して眠ることができたでしょう。
■エジプトのピラミッドは「建築」とは呼べない?
建築にとって、「空間」はとても重要な要素です。人間が使うための空間をどのように構成し、そこにどのような意味を持たせるか──建築家は、それを考えます。建物をつくるとは、空間をつくることにほかなりません。
ですから、たとえ人工物ではない天然の洞窟であっても、人間にとって意味のある空間が生まれれば、それはある意味で建築に近いものと考えることができるのです。
逆に言うと、人間の手で建造したものであっても、人間が過ごす空間のないモニュメントのようなものは、少なくとも僕は「建築」とは呼びません。具体例としては、エジプトのピラミッドがそうです。
もちろん一般的な意味ではそれも「建築」に属するでしょうし、実際、建築史の1ページ目でピラミッドを取り上げる本も少なくありません。構造家などエンジニア系の専門家たちには、興味深い構造物ですが、でも僕だけでなく、ピラミッドに建築としての面白さを感じない建築家は多いと思います。
エジプトのピラミッドはみっしりと石で埋め尽くされているわけではなく、内部空間が存在するそうですが、それは棺を納める場所であって、生きた人間が使う空間ではありません。
それよりも、人間たちが暮らす空間としての意味を持っていた洞窟のほうが、建築家として興味を惹かれたりするわけです。とはいえ、たくさんの石を積み上げてつくられたエジプトのピラミッドは、素材の点では西洋建築の特徴をよく表しています。
日本や東南アジアなど、建築において「木の文化」が主流だった地域はいくつもありますが、西洋建築はそれが始まったときから「石の文化」が長く続きました。
■自然との共生を目指し発展した「木の文化」
では、木の文化と石の文化の違いは何でしょう。木も石も自然の産物ではありますが、建築の素材として見た場合、石のほうが耐久性が高いのは明らかです。木の建築は長くもたないので、古い時代につくられていたとしても遺跡としては残りません。
たとえば日本の法隆寺は現存する世界最古の木造建築とされていますが、それでも建立は7世紀のことです。一方、エジプト最古のピラミッドが建てられたのは紀元前27世紀のこと。それからおよそ3300年後の法隆寺建立は、ピラミッドに比べたら「ごく最近の出来事」です。
日本でも中国でも東南アジアでも、ピラミッドと同じ時期に何らかの木の建築は行われていたはずですが、それは残っていません。なくなった建築に使われていた木はどうなるかというと、長い時間をかけて土に還ります。
人間はその土が育んだ木を使って、また建築をする。そのまま何千年も建築物として残る石と違い、木は自然と建築(人工物)のあいだを行ったり来たりします。つまり「木の文化」とは、自然との「共生」を指向する文化なのです。
日本の伝統的な住居は、まさにそういうものでしょう。縁側があることで「内」と「外」が一体化しているので、外部が内部に入り込み、内部が外部に出ていくような構造になっています。そういう「空間」のあり方によって、自然との共生という価値観が表現されているわけです。
20年おきに社殿をつくり替える伊勢神宮の「式年遷宮」も、自然との共生を図る「木の文化」ならではの習慣です。材料は新調されているので、昔のまま遺跡として残っているわけではありませんが、消え去ってもいません。
昔から同じ技術を使って同じ姿形を保つことで、1300年前から変わらずに存在しています。このやり方が続くかぎり、その建築としての命は石造建築より長いかもしれません。
■「木」と「石」二つの文化から見える西洋と東洋の違い
こうした「木の文化」に対して、西洋の「石の文化」は自然を人間に対する脅威と見なしています。自然という「外敵」から自分たちを守るためには、ちょっとやそっとでは壊れない頑丈な素材を使わなければなりません。
そういう自然観の背景には、気候風土の厳しさもあるのでしょう。とくにヨーロッパ北部は冬の寒さが過酷なので、日本の縁側みたいな開放的な構造にはできません。
城などを見ると、開口部が小さくなっています。そういったことも含めて、西洋では厳しい自然を抑え込むような構造が建築に求められました。
西洋では、キリスト教の影響で「人間中心主義」が広がったとも指摘されます。世界の中心にいるのは人間だから、自然はその人間によって支配されなければいけない。
そこが、人間を自然の一部と見なす東洋とは根本的に違うというわけです。そういうキリスト教的な考え方も、建築における「石の文化」から始まっていたのかもしれません。
東洋経済オンライン
最終更新:5/23(木) 14:32
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