「仕事デキない東大生」学歴のために犠牲にした事 社会人として身に付けたい「大事な3つの要素」

3/29 11:02 配信

東洋経済オンライン

「東大生は社会で役に立たない」。こんな言葉を聞いたことがある人も、いるのではないでしょうか。社会に出て役に立つ人とは、どんな人材なのか。『高学歴のトリセツ 褒め方・伸ばし方・正しい使い方』を上梓した東大カルペ・ディエムの西岡壱誠さんがお話しします。

 みなさんは、「東大生は、社会では役に立たない」という言葉を聞いたことはありますか?  東大生に限らず、偏差値が高い大学に通っている高学歴のエリート人材に対して、「頭はいいけれど、会社ではあまり役に立たない」といった評価をしている人もいます。

 それが高学歴に対する嫉妬からなのか、それとも仕事をするうえで、本当に使いモノにならず、役に立たない人材なのか、いろんな見方があるでしょう。

 なぜそんなふうに言われてしまうのか。今回は、「東大生は、社会で役に立たない」と言われてしまう背景について考えたいと思います。

■社会に出て役に立つ人材の3つの能力

 そもそも、「社会に出て、役に立つ人材」というのは、どんな能力が必要なのでしょうか?  これについて私は、3つの能力が必要だと考えています。

 ① 専門家としての能力、② 労働者としての能力、③同僚としての能力です。

 この3つの能力のうち、どれか1つでも著しく欠けていると、残念ながら、その人はなかなか会社でうまくいきません。

 高学歴の人というのは、①専門家としてのスキルが高い人が多いです。英語が話せる・専門的な知識がある・文章を書くスキルが高い、などの、履歴書や面接で測れるような能力を兼ね備えている人が多いです。

 では、②と③はどうでしょうか? 

 ②の労働者としての能力は、「社会人スキル」と言われるようなものです。上司が指示をしたときに、すぐにそれに従ってくれるかどうか、レスポンスが速いかどうか、などですね。

 ③の同僚としての能力は、「対人スキル」とでも言うべき能力ですね。

 要するに、仲間としてやっていくときに、気持ちがいい人かどうか、です。協調性がなくて、周りに合わせてくれなかったり、過度に攻撃的な人は、どんなに能力が高くても一緒に働きたくはないですよね。

 一緒に仕事をやっていく同僚として、周りと合わせる能力は必須です。専門家としてどんなに優れていても、社会人スキルや対人スキルが欠けていると、仕事をするうえで「いい人材」にはならないのです。

■AとBの伝え方、どちらが正しいか

 例えば、こちらをご覧ください。

Aパターン「こちらの案件、進捗はどうですか。」
Bパターン「こちらからリマインドの連絡ができておらず、申し訳ありません。こちらの案件、進捗いかがでしょうか?  お忙しいと思うのですが、ご連絡お待ちしております。」

 どちらも、「上司から連絡が来ていないときのリマインド」の連絡です。おそらく、上司のほうで確認ができておらず、滞ってしまっていた案件なのでしょう。

 Aパターンは、仕事としては間違っているわけではなさそうです。この連絡が来たらみなさんも、「もうちょっといい言い方があるのでは?」と感じるとは思いますが、間違っているわけではありません。英語の試験問題で「上司への連絡を英語で書きなさい」という問題があったときには、Aパターンは正解になります。専門家としては、間違っているわけではなさそうです。

 とはいえ、おわかりだと思いますが、Bパターンのほうが、コミュニケーションが円滑になりますし、一緒に働くうえでは気持ちがいいですよね。

 このように、「専門家としての能力」が高くても、「労働者としての能力」「同僚としての能力」が低いと、Aパターンの連絡をしてしまう場合が多いわけです。

 いったいなぜそうなってしまうのでしょうか。誤解を恐れずに言うと、「高学歴の人」というのは、「労働者や同僚としてのスキルを捨てて、専門性を身に付けた人」が一定数いると思います。

 例えば、「天才」や「秀才」という言葉を聞いたときにイメージするのは、学問に本気で向き合って、恋愛や生活環境、娯楽、遊び、といったものを犠牲にして勉強していた人だと思います。

 そのイメージは概ね間違ってはおらず、高学歴の人の中には、部活にも入らず、友達とも遊ばず、ひたすら勉強をしていた人もいますし、食事や風呂の時間ですらも勉強をしていた人もいます。

■コミュニケーションの機会が少ない

 最近では、勉強だけをひたすらやっていたという高学歴の人は少なくなっている印象がありますが、とはいえ「自分は青春を捨てて、勉強に時間を捧げてきた」と語る高学歴の人はやはり多いものです。

 実際、小学3年生のときから中学受験のために週5で塾に通い、中高6年間も学校からの膨大な宿題を終わらせるために1日3時間・休日は9時間勉強。

 高校2年生の3学期からは「今からは高校3年生の0学期だ! 受験生として、ひたすら勉強しろ!」と言われ、睡眠時間を削り、移動の時間やトイレや風呂・食事の時間、スマホでも勉強に励み、もしそれでうまくいかなかったらもう1年間ひたすら勉強する浪人生活を送る。このように、さまざまな青春や、社会経験をせずに、その結果として高学歴を得ている人もいるのです。

 「専門家としての能力」を得るために、部活をしたり友達と遊んだりして得られるはずの、ちょっとした対人スキルやコミュニケーション能力を得る機会があまりなかった、つまり②の労働者としての能力と③の同僚としての能力を、対価として捨ててしまった人たちもいるように思います。

 ギャンブル漫画の『賭博破戒録カイジ』では、「人は金を得るために命を削っている」という有名なセリフがありますが、それと同じ理屈で、「高学歴は、学歴を得るために命を削っている」わけです。

 先ほどの上司の連絡に、話を戻しましょう。Aの文面は、学生時代に部活をやっていた人だったら送らないと思いますが、そういう機会がなくすごしてきたら、仕方がない面もあります。

 「勉強ではうまくいっていたのに、社会に出てから全然うまくいかない」と高学歴の人自身も考えることが多いですが、それは単純に、勉強の場と会社では求められているスキルが違っているからです。

 高学歴で「労働者としての能力」「同僚としての能力」があまり高くない人は、本人の問題というより、機会がなかったから学べなかったのでしょう。

■労働者・同僚としての能力を身に付ける

 重要なのは、これから、②労働者としての能力、③同僚としての能力を身に付けてもらうような指導をすることです。

 初めから「労働者としての能力」「同僚としての能力」が完璧な人はなかなかいません。

 高学歴の彼ら・彼女たちが「専門家としての能力」のスキルを努力で身に付けたとおり、努力で「労働者としての能力」「同僚としての能力」も身に付けてもらう必要があります。

 もし職場で高学歴なのに、なかなか仕事ができない部下を抱えている場合でも、きっと大丈夫です。彼ら・彼女たちは、これまでその能力を得る機会を別のところに当ててしまっていただけで、これから伸びる人たちです。

 むしろ高学歴の人は、学ぶ能力自体は高いので、スキルとして身に付けていけば、仕事をするうえでも、高い能力を得ることができるようになります。最初こそ「東大生なのに……」と思うかもしれませんが、きちんと指導すれば、きっと学んでいけるはずです。

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最終更新:3/29(金) 11:02

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