飼っている動物が病気になったら、動物病院に連れて行きますよね。動物病院には外科、内科、眼科など、さまざまな専門領域の獣医師がいますが、獣医病理医という獣医師がいることを知っていますか?
獣医病理医は直接患者さんと接する機会はあまりありませんが、手術で摘出された患部を顕微鏡で観察して病気の診断をしたり、亡くなった動物を病理解剖して死因を明らかにしたりしている、獣医療や獣医学になくてはならない存在です(ただし動物病院に獣医病理医がいることはまれです)。
この記事では、獣医病理医の中村進一氏がこれまでさまざまな動物の病気や死と向き合ってきた経験を通して、印象的だったエピソードをご紹介します。今回は、ネコの死を巡るお話を、2回に渡ってお届けします(こちらは後編です)。
■ネコによかれと思って…
ネコによかれと思って行われる外飼い。
しかし、ネコに家の中と外を自由に出歩かせることが、ネコを思わぬ危険にさらすことがあります。交通事故、異物の誤飲や毒物による中毒、そして感染症……。獣医病理医をしているぼくのところには、痛ましい事故で亡くなったネコの遺体がしばしば持ち込まれます。
あるとき持ち込まれた茶トラの雄ネコは、農薬か除草剤、または何らかの有毒植物による中毒死が疑われました。
外飼いされているネコは、感染症の危険にもさらされています。猫免疫不全ウイルス感染症や猫白血病ウイルス感染症など。そして、ネコが感染するいくつかの病原体は、ネコだけでなく人間にも感染します。
ネコの外飼いには、外に出たネコが人間の住む家に病気や病原体を持ち帰ってくる危険があるということです。
■ネコからも狂犬病がうつる
例えば、狂犬病。
その名前から誤解があるかもしれませんが、狂犬病ウイルスはイヌだけでなくネコ、キツネ、アライグマ、コウモリなどすべての哺乳類に感染し、諸外国ではネコでの発生も多く報告されています。人間にも感染し、発症した場合は致命率がほぼ100パーセントとなる恐ろしい感染症です。
アメリカ疾病対策センター(CDC)によると、全世界で毎年およそ5万9000人が狂犬病で死亡しており、大半の狂犬病はアジアで発生しています。
日本では、行政機関などが野良イヌを積極的に捕獲してきたことから、1957年を最後に国内で狂犬病の報告はありません(国内で最後に狂犬病が見つかったのが、ネコでした)。しかし、グローバル化した社会では、人、物、そして動物の行き来が盛んですから、いま発生していないからといって、今後もずっと発生しないとはかぎりません。
たまたま現在の日本が清浄国というだけで、世界ではいまだメジャーな病気ですから、今後も要注意の感染症です。
2020年には、外国籍の男性がフィリピンからの入国後に日本国内で狂犬病を発症し、その後、入院先の医療機関で亡くなるということがありました。フィリピンで狂犬病のウイルスを保持したイヌにかまれ、狂犬病に感染したと推定されています。海外では安易に動物に触れないということも大切です。
トキソプラズマという寄生虫も、ネコから人間に感染する可能性があります。
トキソプラズマに初めて感染したネコは、一定期間、ふん便といっしょにオーシストという状態の寄生虫を排泄(はいせつ)し、このオーシストが口に入れば、ぼくたち人間もトキソプラズマに感染する可能性があります。土がオーシストに汚染されていれば、庭仕事などで感染することがあるわけですね。ネコのふん便を後始末するときにも注意が必要です。
妊娠した女性がトキソプラズマに初めて寄生されると、この寄生虫が胎児にうつり、死産や早産、脳や眼に障害のある先天性トキソプラズマ症の赤ちゃんが生まれることがあります。これも決してあなどってはいけない感染症です。
さらに、近年、国内で大きな問題となっているのが、マダニが媒介する重症熱性血小板減少症候群(SFTS)という病気です。最近しばしばニュースになっていますから、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。
この病気は、ウイルスを持ったマダニにかまれたり感染した動物の体液に接触したりすることで、ほかの動物にも感染します。
マダニは野山や草むら、ヤブ、野生動物の体表などにいますから、ネコを外に出せば、ウイルスを抱えたマダニにかまれてSFTSに感染したり、マダニを体にくっつけて家に持って帰ってきたりするかもしれません。
SFTSは致命率が高く、発症するとネコでは約70パーセント、イヌでは約29パーセントが死亡するという報告があります。SFTSを発症した動物の体液を介して、その飼い主や獣医療関係者に感染したケースも報告されています。
直接マダニにかまれて発症したケースと合わせると、日本で2014年から2016年までに178名の感染者が出て、実にそのうち35名もの方が亡くなっています。医療技術の発達した現代において、人間で約20パーセントの致命率というのは相当なものです。
■ネコの外飼いの弊害はほかにも
ネコの外飼いの弊害は、これらの感染症だけではありません。
外をうろつくネコは、深夜の鳴き声による騒音問題、まき散らすふん尿や残飯による人間の住空間の汚染などを引き起こします。
また、ネコは食物連鎖の上位動物ですから、外を出歩けば小動物や野鳥などに傷を負わせたり捕食したりすることがあります。野良ネコが、ヤンバルクイナやアマミノクロウサギなどの希少動物を捕食し、それらの種の存続を脅かしているという報告があります。生物多様性保全の観点からも、やはりネコの外飼いはおすすめできません。
いかがでしょうか。
ネコの外飼いが当のネコだけでなく、人間や自然環境にも悪い影響を与えることがおわかりいただけたと思います。
これらの問題を予防する一番の方法は、ネコは室内飼いを原則とし、それを徹底することです。
「家に閉じ込めておくなんてかわいそう」と思われる飼い主さんもいらっしゃるでしょう。だからといって外に出せば、ロードキルや感染症などで、ネコが寿命をまっとうできずに死ぬ可能性を高めます。そちらのほうがかわいそうではありませんか?
そもそも、ネコという動物の生態として、彼らは生きるのに広大な空間を必要としていません。
人家の中にかぎられていても、快適な縄張りがあればネコは十分に満足できるのです。強いて挙げるなら、キャットタワーのような上下運動ができる器具を用意してあげられるといいでしょうね。
それまで元気にしていた外飼いのネコが急死しても、一般的な動物病院などでは外見上の判断のみで「老衰です」「心不全です」といったように、簡単に片付けてしまわれがちです。
金属や石などの誤飲はレントゲンで診断できることもありますが、中毒や感染症となると遺体の病理解剖まで行わなければ、まず原因は特定できませんし、病理解剖までして原因が特定できないことも往々にしてあります。
■今後は外飼いをやめます
茶トラのネコの遺体を持ち込まれた飼い主さんは、ネコをもう1匹飼っておられました。病理解剖の後、飼い主さんに「この子はおそらく、外で毒物を摂取して亡くなったのでしょう」という診断結果を伝え、外飼いの弊害をお教えしました。
ぼくの説明を聞いた飼い主さんは後悔している様子で、「今後は外飼いをやめます。もう1匹の子は、完全に家の中で飼います」とおっしゃってくれました。ネコの飼い方としては、それがベターです。
家族同然にしていた愛猫を失った飼い主さんたちは、多くの方が取り乱しながら「とにかくこの子が急に死んでしまった理由を知りたい」とぼくに依頼されてきます。取り返しのつかないことが起きてしまった後、みな一様に深く後悔されています。
動物の遺体を解剖する獣医病理医のぼくにできるのは、可能なかぎり亡くなった子の死因を特定すること、そして、その子に何が起きたかを飼い主さんに説明し、死から学ぶ機会をご提供することだけです。
前編(飼い主が切望「泡を吹いて死んだ」愛猫の死の真相)は、こちらからお読みいただけます。
東洋経済オンライン
最終更新:5/20(月) 9:44
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