だから今も働き続けている…101歳の現役販売員が病院のベッドの上で得た"一生モノの気づき"
人にモノを売る極意とは何か。101歳で現役の化粧品販売員である堀野智子さんは「やむなく足を踏み入れた生命保険のセールスの仕事をしていたころ、成績は良かったが、その経験が大事なことを教えてくれた」という――。
※本稿は、堀野智子『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。
■私が使い始めたことでハードルが低くなった
私が住んでいた市営住宅は、2軒連なった平屋づくりでした。
近所の子どもたちは、皆似たような年ごろで、旦那さんたちのほとんどは同じような勤め人です。年齢も家庭環境も近いので、お互いの家を気安く行き来し、仲よくお付き合いさせてもらいました。
女性が集まれば、自然にさまざまな生活情報が飛び交います。
中でも美容に関しては、まだ化粧品会社の数も情報も少なかったので、「あれがいいらしいよ」と聞けば、誰もが飛びつくような時代でした。
特にポーラは、他の化粧品会社のように店舗を構えて販売することがなかったので、希少価値が高く、高級品のイメージが強かったんです。
そんなこともあって、手を出すにはいささかハードルが高く、「私なんかが使えるような化粧品じゃない」という先入観を持った奥様たちが多かったようです。
ところが、私が使い始めたこと、しかも月賦で買わせてもらっていることで、そのハードルがぐっと低くなり、市営住宅の奥様たちの多くが、ポーラ化粧品のファンになっていったんです。自分と生活レベルが似通っていて、実際に商品を使っている人の口コミというのは、とても影響力が強いことを実感しました。
そして、私自身が口コミの発信源になっていることにも気づきました。
これで私はピンと来ました。
「私自身がポーラ化粧品のセールスをすれば、市営住宅の奥さんたちが買いやすくなるだけでなく、私に売り上げの一部も入ってくる」
■思い入れの強い商品を届けられる幸せ
電話局の仕事、仕立て物、箱づくりの内職や果樹園の手伝いなど、これまでどんな仕事も厭(いと)わずやってきました。
それに一度もイヤだと思ったことがなく、仕事の内容を問わず、どれも私に達成感と楽しさ、やりがいを感じさせてくれました。
そんな数々の仕事の経験を通してみても、化粧品のセールスの仕事は、格別な魅力があるように感じられました。
その理由の1つに、私ほどポーラ化粧品への思い入れが強い人間は、そういないと思えたというのがあります。
私は好奇心旺盛で、自分がいいと思ったものを伝えたいという気持ちが強く、何かにつけて「堀野さんからそう聞くと、自分も使ってみたくなる」とか「その方法、試してみたくなる」などとよく言われていました。
そんな私が、こと自分が使っている化粧品の話になると、一段と熱が入るのです。
使い始めてから私の肌がいかによくなったか、使い心地はどんななのか、これまで紹介した人たちがいかに満足しているか、シリーズの全部をそろえるとそれなりの金額になるけれども、月賦で買わせてもらえるので主婦にも手を出しやすいこと……。
さらには、近所の奥さんを私の家に招いて、実際に私が使っている化粧品を手にとってもらい、顔や手につけてあげて、お手入れの真似ごとまでする始末です。
自分で使うだけでなく、他の人に正しい商品知識を伝えて、この素晴らしい化粧品をもっと広く知ってもらい、より多くの女性がきれいになって、笑顔あふれる生活を送って欲しい……きれいごとのように聞こえるかもしれませんが、本当にそう思うようになったのです。
■あきらめることで知った人生のタイミング
とはいえ、当時の私は3人の子どもを抱える家庭の主婦で、末っ子はまだ9歳と手がかかる年ごろです。
そのころ、ポーラ化粧品の美容部員になるには、仙台まで行って講習を受けなければなりませんでした。心引かれながらも、自分の家庭環境を考えると、時期尚早とあきらめる他ありませんでした。
人生にはタイミングというものがありますよね。
どんなに望んでも、条件的にその望みを叶えられないこともあれば、思わぬ方向から予想もしなかった話が飛び込んでくることもあります。
私はあまり1つの考えに執着しないほうなので、「今やれないなら仕方ないな」と考えを変えました。
今の時代、あきらめることは、よくないことみたいな風潮がありますが、ときにはあきらめを受け入れることも必要なんじゃないかと思います。
少なくとも、あきらめることに罪悪感を抱く必要は、ないんじゃないでしょうか。
今、やれることをやって、いつか巡ってくるかもしれない「そのとき」を楽しみに待つ。それでいいと思うんです。
■友人に請われて生命保険のセールスになる
やむなくポーラ化粧品のセールスレディになるのを断念した私ですが、まったく別の方向からやってきた話を断り切れず、セールスの仕事をしたことがあります。
友人が神妙な顔つきで私の家にやってきて、「どうしても堀野さんにお願いしたいことがあるの」と言ってきたんです。
どうしたのかと思って話を聞いてみると、「私、生命保険のセールスの仕事をしているんだけど、この間、会社に『やめます』って言ったの。そうしたら『あなたの代わりに誰か1人、この会社に入れてください』と言われてしまって……」と言うのです。
今、考えてみると、その人は個人事業主だったはずですから、そうした契約をしていたのかもしれませんが、そうでなければやめるもやめないも自由のはず。だから、おかしな話なのかもしれませんが、そのときは「そういうものか」と思ってしまいました。
彼女いわく「こんなことを頼めるのは、堀野さんしかいないの」と。
困り切っているように見えたので、とりあえず顔だけ出して友達としての義理を果たそうというつもりで行ったら、先方は迎え入れる気満々だったんです。
■入社早々、営業成績上位にランクイン
営業所に着くなり、事務手続きをさせられ、翌日から早速、保険勧誘の研修が始まりました。訪問先の玄関前に立ち、声をかける練習からさせられました。
まだ玄関にブザーもベルもなかった時代のことなので、玄関の引き戸の前で「ごめんください」と声をかけるところから始まります。
奥様が出てきてくれたら、「奥様でいらっしゃいますか」と丁寧な言葉で話しかけ、玄関先にお花が咲いていたら「きれいなお花ですね」などと、世間話から始めて警戒心を解き、家に上げてもらうというシミュレーションです。
毎日毎日、そんな練習をして、1カ月が過ぎたくらいから、実際に訪問営業をすることになりました。
私としては望んで始めた仕事ではないので、そう乗り気ではなかったのですが、やる以上は契約を取らなければならないと思っていたので、一生懸命やりました。
やってみてわかったのは、「自分は入りたいけど、主人の意見を聞いてみないとわからない」という奥様が多かったことです。
そのため、夜、旦那さんたちが帰宅し、夕食も終わって落ち着いた時間にしばしば伺うようにしました。
そのおかげで成績も上がって、入社早々上位にランキングされるようになり、営業所長に「これからも期待しているよ」なんて声をかけられたりしました。
■夢中になれないものを売り続けることはできない
ところが、生命保険のセールスを始めて何カ月か過ぎたある日、突然の腹痛に見舞われたんです。あわてて主人が運転する車で救急病院に連れて行ってもらったところ、俗に盲腸と呼ばれる「虫垂炎(ちゅうすいえん)」を発症していることがわかり、即手術となりました。
もちろん、しばらくセールスの仕事はできません。
病院のベッドで、つくづくと思いました。「やっぱり生命保険の仕事は、ほどほどにしておけということかな」と。
営業成績はよく、それなりに多くの収入を得られたのですが、自分自身が夢中になれないものを売り続けることはできないとも感じました。
そこで、友人への義理も果たしたことだし、いい区切りになるからとやめさせてもらったんです。
■念願のポーラ化粧品のセールスレディになる
盲腸の手術をきっかけに生命保険のセールスの仕事をやめた後、私はついに念願かなってポーラ化粧品のセールスレディの仕事を始めることになりました。
そのきっかけが、偶然の出来事だったことは、本書で詳述した通りです。
町中で古くからの友人にばったり出くわし、その人の口から「うちの主人が最近、ポーラ化粧品の営業所を始めたのよ」という言葉が出たときの驚きは、今でも忘れられません。
「運命」という言葉を軽々しく使いたくはないのですが、このときばかりは「こういう運命だったんだ!」と強く思いました。
だって、私ほどポーラの化粧品を愛用している人は、そうそういないだろうと思うくらいでしたから。
日ごろから愛用している私は、近所の奥さんたちと世間話をしていて美容の話題になると、ついついその化粧品のよさについて熱弁をふるっていたんです。
するとみんな興味を持って、「私も買いたい」と言い始めるのは、すでにお話しした通りです。これはもう、ポーラ化粧品を売ることが、私の天職だと示していたようなものかもしれません。
■生保の営業で知った3つの長所
先ほど、生命保険の仕事は、あまり好きではなかったと言いましたが、それでもやってよかったと思うことはいくつもあります。
1つは、契約数に応じて収入が増えたこと。お金に苦労してきたので、まずは夫に頼ることなく収入を得られることに感謝したのです。
2つ目は、セールスをするのなら、「本当に自分が好きなもの」「その商品について知りたい」「人にそのよさを伝えたい」という思い入れがある商材にしたほうがいいと気づけたことです。どうせ同じ時間と労力を費やすのなら、ワクワクしながら、喜びをもって売れるもののほうがいいということです。
そして3つ目が「私にはセールスという仕事が向いている」と思えたことです。
自分ではあまり好きとは思えなかった保険商品でも売ることができましたし、しかも営業成績もよかったことは大きな自信になりました。
もしも自分が好きなものをセールスする立場になれば、きっと保険以上に売り上げを立てられるのではないかと思ったのです。
■後からわかる「人生には無駄がない」こと
好き好んで始めたわけではなく、むしろ友達に頼み込まれて断り切れずにやむなく足を踏み入れた生命保険のセールスでしたが、結果として私にとっては大きな気づきをもたらしてくれたわけです。
そのときはわからないけれども、後になってみたら「自分にとって得難(えがた)い経験だった」と思えるようなことは、案外たくさんあるのではないでしょうか。
食わず嫌いで通り過ぎてしまえばそれまでですが、実際にやってみたら思いがけない自分に出会うことができるかもしれませんね。保険営業の仕事は長く続けられるものではなかったけれど、これも天職=ポーラ化粧品のセールスの準備期間だったとも言えます。
人生には無駄がないんだなぁと思います。
----------
堀野 智子(ほりの・ともこ)
ビューティーアドバイザー
1923年4月9日、5人きょうだいの長女として福島県に生まれる。女学校を卒業後、1941年逓信省(電話局)に入局。1946年23歳で結婚して、その後子ども3人、孫5人に恵まれる。1962年39歳のときに「子育てしながら自由に自分らしく働ける」ことに魅力を感じてポーラの化粧品販売員として働き始める。「生きている限り、大好きな仕事を続けていきたい」と日々セールス。個人の売り上げは2024年4月時点で累計約1億2670万円。2023年8月から2024年4月の月間売り上げの平均は前年同期に比べて25%増加。月10万円以上という売り上げ目標の達成を20年間続けている。2023年8月「最高齢の女性ビューティーアドバイザー」としてギネス世界記録に認定。
----------
プレジデントオンライン
関連ニュース
- 男性が必死になる昇進試験に高卒女性が準備1週間で挑んだ結果…「89歳・現役プログラマー」のメガバンク時代
- 「休むのは年末年始くらい」もうすぐ90歳の世界最高齢プログラマーが現役世代より忙しく働く深い理由
- 若返りホルモンが分泌され、前頭葉がメキメキ元気に…和田秀樹が「逃げずに取り組むべき」と説く"健康習慣"
- なぜドイツには「孤独だと嘆く老人」がいないのか…死の瞬間まで「幸せでいられる高齢者」3つの共通点
- 和田秀樹「実は一人暮らしの認知症患者ほど症状が進みにくい」…認知症の人にこれだけは絶対してはダメなこと
最終更新:12/26(木) 9:17