フジテレビ本社を作った巨匠「世界のタンゲ」、その意匠を後世に残せるか《楽待新聞》

5/21 11:00 配信

不動産投資の楽待

アメリカのシカゴやイギリスのロンドン、オーストラリアのメルボルンといった都市では「オープンハウス」と呼ばれる、建築作品の公開イベントが定期的に開催されている。

庁舎や公民館、体育館といった公共建築ばかりではなく、オフィスやホテルなどの民間商業施設、さらには自宅のようなプライベートな建築が公開されることもある。本邦でも小規模ながら建築一斉公開イベントが開催されてきており、現在こうした潮流は全国的な広がりを見せている。

2014年に大阪市で開催された「生きた建築ミュージアム」(通称:イケフェス大阪)が起爆剤となり、2022年には京都市で「京都モダン建築祭」が、2023年には神戸市で「神戸モダン建築祭」が開催された。

東京では、2024年5月25日と26日の2日間にわたって「東京建築祭」が初開催される。今回は主に日本橋・銀座・築地といった江戸情緒を残した下町エリアが対象になっているが、それら以外にも東京には多くの名建築が残っている。

東京全域の名建築すべてを紹介することは難しい。今回は、東京に残る名建築から「世界のタンゲ」と称され、戦後の日本建築界を牽引した丹下健三氏の建築のいくつかを巡りつつ、建物との向き合い方を考えていこう。

■日本を代表する建築家・丹下健三

建築家・丹下健三氏(2005年没)は、新宿区西新宿にそびえる東京都庁舎を設計した人物として知られる。

東京都のシンボルとも言える都庁舎を設計したという実績だけでも、丹下氏の建築家としての才能が優れていることを窺わせるが、彼は1957年に千代田区丸ノ内に竣工した東京都庁舎の設計も担当した。つまり、丹下氏は東京都庁舎を2度も設計しているのだ。

日本を代表する建築家・丹下氏の設計した建築物は、国内のみならず世界各国に点在している。だが、歳月の経過とともに丹下建築も老朽化、中には取り壊されたものも少なくない。

それでも都内には現存する丹下建築が複数あり、それらから丹下氏の設計思想を読み取ることができる。丹下建築を見ることで、建物・不動産への意識も変わるかもしれない。

■目を引くデザインの丹下建築

トップバッターとして紹介したいのは、JR原宿駅の目の前にある国立代々木競技場だ。同競技場は1964年の東京五輪会場として建設され、その後は屋内水泳場として使用された。

もともと国立代々木競技場は政府が建設したものだが、建設後は政府から改修・補修費用の予算をつけてもらえず、建物は悲惨な状態に。解体の危機にも直面していた。

状況を打開すべく、国立代々木競技場は「自ら」費用を稼ぐことを目指し、人気歌手・アイドルのコンサート会場などとして使用されるようになった。この収入によって補修費用を賄えるようになり、現在も美しい姿を伝えることができている。

国立代々木競技場から徒歩約10分の距離にある国際連合大学も丹下建築で、こちらは都電の青山車庫の跡地に建てられている。国際連合大学は、1973年に国際連合大学憲章が採択されたのを機に開設された。

同大学の開設によって、日本が国際的に存在感を増したことは言うまでもない。しかし丹下氏は、これ以前にも世界を意識した建築を手がけている。それが、港区三田に所在する駐日クウェート大使館だ。

中東の産油国として知られるクウェートは、1961年にイギリスから独立を果たした直後、1962年に日本大使館を開設。このときの大使館はあくまでも仮の建物で、丹下氏が設計した大使館が1970年に完成し、正式な大使館として使用されるようになった。

その外観も相まって、地域のシンボル的な建築として愛される存在に。耐震性の問題で、2017年から建て替えられる方針となっていたが、諸般の事情から建て替えは延期されている。

2020年には隣地の再開発により、クウェート大使館前の建物が一時的に消失していた。そのため、大通りから大使館を遠望できた。現在は隣地にビルが竣工し、ヒキで見ることはできなくなっている。

■メディア関連企業の社屋も設計

このように、丹下氏は公的な建築物を多く手がけているが、公共建築を専門にしていたわけではない。民間の建築も多く手がけている。

そのうちの1つが、1967年に建てられた中央区・築地の旧電通本社ビルだ。電通社長の故・吉田秀雄氏が丹下氏に、「建築そのものが電通のシンボルとなるような、モニュメンタルなもの」と直々に依頼している。

広告代理店最大手の電通に対し、丹下氏も「電通といえば、それ自身がコミュニケーションの牙城」と捉えて、社屋を設計した。

電通は2002年に本社を築地から汐留へと移転。旧社屋はそのまま残されていたが、2021年に解体された(ちなみに、新社屋は丹下氏の手による建築ではない)。

汐留の新本社ビルは、コロナ禍でリモートワークが普及したことに伴って不要になり、このほど売却が決まった。奇しくも新本社ビルの売却と旧本社ビルの解体は同じ年に行われている。

また、丹下氏は新聞社や放送局のようなメディア関連の社屋建築で、特に存在感を発揮した。その1つが銀座に現存する静岡新聞・静岡放送東京支社ビルで、旧電通本社ビルと同じ1967年に建てられている。

銀座のような一等地は時代を如実に反映する。その移り変わりは激しく、新陳代謝も著しい。ゆえに銀座のような場所で、名建築が脈々と生き残ることは容易ではない。

静岡新聞・静岡放送東京支社ビルが、2022年に改修工事を完了していることを考えると、当面は残存することが推測される。そういった意味で、テレビ・新聞が不動の人気を誇っていた高度経済成長期の雰囲気を令和の現在にまで伝える貴重な建築とも言える。

そして、丹下氏とメディアの関係性を語る上で欠かすことはできないのが、港区台場にあるフジテレビ本社ビルだろう。

フジテレビは、1996年に新宿区河田町から現在地へと移転してきた。当時の台場周辺は未開の大地といった雰囲気で、そこへ近未来感を漂わせるフジテレビ本社が突如として出現し、注目のスポットとなった。

特に、斬新な設計思想を取り入れた球体展望台はテレビ局の社屋という枠を超えて話題を呼んだ。荒涼とした風景が広がる台場は、フジテレビによって多くの若者を引き寄せる流行発信地の素地を築き上げていく。

東京の果てでもあった台場が流行発信地になった要因はいくつか考えられるが、丹下氏が設計したフジテレビ本社ビルが熱狂を生み出すことに一役買ったことは間違いない。

■移りゆく時代、丹下建築の去就は

丹下建築は人目を引くようなものが多いが、文京区関口にある「東京カテドラル聖マリア大聖堂」(1964年落成)は周辺環境も手伝って静謐(せいひつ)な雰囲気を保っている。

カテドラルの内部も精神的な小宇宙を意識したデザイン・構造で、フジテレビ本社ビルとは対極的な雰囲気を放っている。

じっくり観察してみると、丹下建築には丹下氏の思想が刷り込まれていることを実感できる。

東京カテドラル聖マリア大聖堂がある文京区には、同じ丹下建築として東京ドームホテル(2000年開業)が存在する。

東京ドームホテルも東京カテドラル聖マリア大聖堂と同様に巨大建築物だが、その意匠は大きく異なる。同じ文京区、同じ丹下建築でも用途が違うだけで外観から放たれる雰囲気も異なることを強く意識させる。

このほど、三井不動産が築地市場跡地の再開発事業者に決定し、東京ドームの移転も囁かれている。現時点で確定はしていないものの、仮に東京ドームが移転することになれば、併設された東京ドームホテルも同時期に解体される可能性は高い。

ここまで、東京に残る丹下建築をいくつか紹介した。稀代の建築家・丹下氏が設計したとはいえ、建物は必ず老朽化する。それは避けられない事態だ。そして、老朽化した建物はいずれ解体される。

高度経済成長期やバブル期と比べ、昨今は建築・建設・不動産業界を取り巻く環境が大きく変化している。特に近年は経済効率性を重視する風潮が強くなり、建築家が個性を発揮できる場は減った。

そうしたトレンドではあるものの、いつの時代においても建物への愛着は地域や人とのつながりも生んでいく。

建築・建設・不動産に関係する人たちは、物件の有名・無名を問わず、常日頃から建物に敬意を持ち、丁寧に扱う意識を絶やさないでほしい。冒頭で触れた世界各地で開催される建築公開は、それを再認識させてくれるイベントでもある。

小川裕夫/楽待新聞編集部

不動産投資の楽待

関連ニュース

最終更新:5/21(火) 11:00

不動産投資の楽待

最近見た銘柄

ヘッドラインニュース

マーケット指標

株式ランキング