3度の"獄中生活"を味わった…「小指の先がない元ヤクザ牧師」が刑務所を出た人たちに"必ず伝えること"
薬物やギャンブルなどの依存症を抱えた人々を支援している牧師がいる。埼玉県川口市で「罪人の友 主イエス・キリスト教会」の牧師を務める進藤龍也さんは、元ヤクザだった自身の経験を活かし、教会のなかで依存症の当事者や元受刑者への自立支援を行っている。教会ではどのような支援が行われているのか。ライターの佐藤隼秀さんが聞いた――。(後編/全2回)
■自立支援の第一歩は「スマホの没収」
(前編から続く)
私が運営する教会「罪人の友(通称つみとも)」には、さまざまな事情を抱えた人々が訪れます。元受刑者や引きこもり、ヤクザから逃げてきた人、薬物などの依存症を抱えた人、家庭内暴力に苦しむ人など、挙げればキリがありません。逼迫(ひっぱく)した状況にある人は、なんとかしていまの現状から抜け出して、生活を立て直したいと考えています。
そうした方々のために、私の教会では自立支援を行っています。大体3カ月から半年、教会に住み込んでもらい、一緒に聖書を読みながら、その間に就労支援をして就職先を見つけてもらいます。住み込みの期間は、寮費や食費も取らず、その間に貯金をさせて独り立ちの準備をします。
同時に、薬物やギャンブルなど依存症から抜け出したり、精神的に安定してもらうよう、更生するためのルールをいくつか設けています。
まず、自立支援を受ける方については、真っ先にスマホを没収しています。
私自身がヤクザだった頃、違法薬物の使用や売買で懲役して出所したのち、ヤクザや売人仲間から「薬物を買わないか、取引しないか」と連絡がたくさん来ました。そして実際に、執行猶予中に一度だけ、覚せい剤にスリップしてしまった経験があります。だからこそ、誘惑を近づけないためにも、強制的に連絡手段を遮断させています。
なかには携帯電話を渡すことを拒む人もいますが、この手順を踏まなければ自立支援は絶対に上手くいきません。なので、携帯電話を預けられない人は住み込みでの自立支援を受けられないことにしています。それほど、いままでの悪い人間関係を断ち切ることは、更生するために重要なことなのです。
■1万円を渡して、使い道を記録してもらう
それから、お金の管理の仕方についても教えています。
毎週1万円の生活費を渡して、何にお金を使ったのかを事細かに家計簿に記録させるのです。私がヤクザの頃は、いつ捕まるか分からなかったがゆえ、違法薬物や夜遊びに持ち金を使い果たしていたので、貯蓄がまったくできていませんでした。同様に、元受刑者や依存症の方も、散財癖がついている人が多い。一人暮らしの初期投資を貯めるためにも、節制する癖をつけてもらいます。
ほかにも、病気や精神疾患など就労が難しい人以外には、生活保護に頼らずできるだけ自分でお金を稼ぐように指導しています。
ほかの自立支援施設では、生活保護を受給させるところもありますが、個人的には社会復帰を先延ばしにしてしまうことを懸念しています。それに住み込みが終わった後も、働かずに暇な時間が増えると、どうしても薬物やギャンブルなど、あらゆる誘惑がちらついてしまうので、せっかく再起しても元通りに戻ってしまうと考えています。
こうして、規律のある環境で過ごしてもらい、職や住処を見つけたら晴れて卒業してもらいます。
■それでも社会復帰できるのは2割程度
ただ、残念ながら、ここまでしても社会復帰にいたるのは約2割です。教会に来たばかりはみんな、改心したい意思が強いのですが、どうしても1~2カ月経つと、支援してもらうことに慣れて気が緩んでしまう。
最初は感謝の気持ちがあったとしても、支援されていることが「当たり前」になってしまうのです。あるいは、自分で一人暮らしを始めると、周りの監視の目がなくなるので、誘惑に負けて道を踏み外してしまいがちです。
自立支援を受けた人からしても、せっかく教会で面倒をみてもらったのに、再び堕落した姿を見せるのは抵抗があるのでしょう。自分がしてきたことを後ろめたく感じる引け目からも、支援を求める人はSOSを発信しづらいのです。
スリップ(薬物の再使用)した人のケースは非常にわかりやすく、私からの電話を取らなくなります。そして、自立支援から卒業した後に音信不通となり、気づけばまた逮捕されているケースも散見されます。
また、救いを求めてきたうえで一度教会を去った人を、教会の外まで追いかけることは基本的にしていません。たとえば、違法薬物の使用や所持などで逮捕された元受刑者の家に行った際に、相手が部屋の中で薬物を使用していたとします。そうした状況に出くわした場合、覚醒剤取締法違反で逮捕されたことがある私は、警察から共犯者だと見なされるおそれがあります。
前科者として薬物依存症の方を支援するということは、このようなリスクを負うことになるため、私も細心の注意を払って支援活動に取り組んでいます。
では、更生できる人とできない人には、どのような違いがあるのか。完全に立ち直るためには、どのようなことが必要なのでしょうか。
私が考えるに、まず「心をオープンにできるか」どうかが、更生の大きな分岐点となります。
先ほど、教会を訪れる人にとって、自分が堕落した姿を見せるのは抵抗感があるという話をしました。同様に、犯罪歴があること、虐待されてきたこと、薬物やギャンブルに依存していたことなど、暗い過去は誰しも打ち明けたくないものです。
■「暗い過去」を打ち明けられる人ほど更生できる
ただ、膿を出し切らないと、余計に周りの目を気にしたり、自分の理解者はいないと思い詰めてしまい、かえって精神的な負担がかかってしまう。とりわけ生育環境で、親からの愛情を受けれなかったような子供は、自尊心が低く、自分を追い込んでしまいがちです。だからこそ、ひた隠しにしたい過去を、適切な相手にさらけ出すことが重要なのです。
そこで私は、聖書を読むなかで、「罪を告白すれば赦(ゆる)される」と呼びかけています。あるいは私自身が、これまで違法薬物に溺れたり、逮捕歴があったりしたことを赤裸々に語り、苦しんでいる人が「自分の過去を打ち明けてもいい」と思えるよう後押ししています。
そして、各々が暗い過去を告白してくれたら、「つらい状況でよく教会まで足を運んでくれた」と声をかけるようにしています。
そうすれば、当事者の自己肯定感が高まり、些細な不安に苛まれたり、自分を責めることも減っていく。自分が信頼できる人や、つらい時に頼る存在がいれば、社会復帰に挫折する確率も低くなると考えています。反対に、どこにもつながれず孤立してしまう人は、再び逮捕されたり、依存症に陥ってしまうパターンが多いのです。
■「頼れる存在」の有無が分岐点になる
聖書には、「愛の反対は恐れ」という一節があります。端的に説明すると、ここでいう「愛」とは、「自分を受け入れてもらえた状態」です。対して「恐れ」とは、いわば罪を告白せず、神(あるいは理解者)とつながっていないことで生じる感情と捉えてください。
人は後ろめたいことを一人で抱え込むことで、世間からの体裁を気にして、自然と懐疑心が生まれてくる。そして他人を信用できなくなり、どんどん内向きになってしまうのです。
日常生活で訪れる不安の多くは、杞憂(きゆう)であることが多いものです。それにもかかわらず、身体に染みついた過去の失敗や挫折は強烈で、なかなか払拭するのが難しい。しかも人は、同じ過ちを犯すことに敏感です。そうした性質からも、人は誰かに承認されていないとこもりがちになってしまうのです。
これが罪を告白して赦されることで、自分は見放されていない、神とつながっているという安心感を得られる。そうすると、ネガティブな感情に支配されることが減り、道を切り開いていける。「自分を受け入れてもらえた」と実感することで、がんじがらめな状態から解放されるのです。
本来であれば、自己肯定感を育んでくれるのは親のはずです。私もこれまで、教会の住み込みを通して、さまざまな人の自立支援に携わってきましたが、更生できるかどうかの分岐点は「頼れる存在がいるかどうか」が大きい。それは揺るがない事実です。
■父親から無理やり覚醒剤を買わされた人も…
ただ、残酷なことに、私のもとを訪れる訳ありの人々は、親に愛されていないケースが目立ちます。なかには、父親に覚醒剤を仕入れてくるよう命令されたり、親族から性的暴行を受けたりと、信じがたいような経験をされてきた当事者もいる。だからこそ私のもとを頼ってくるのです。
私自身もまた、歪な家庭で育ちました。父は大酒飲みで放蕩し、家計を補うため母が夜遅くまで水商売に従事していた。夜遅くまで両親が家にいない日が続き、寂しさから非行に走り、ヤクザとなって薬物にはまり、犯罪歴を重ねていきます。
そんななか、私が再起できたのは、獄中で聖書のレクチャーをしてくれた月岡世光先生に出会えたからでした。月岡先生は、山形県米沢市で「月岡でんき」という電気店を経営しながら伝道活動や社会福祉活動をされている方で、赤の他人である私に、文通を通して聖書を教えてくれました。月岡先生が「神は見放すことはない」と鼓舞してくれたおかげで、私は「この神様に間違いないなし! 賭けて負けなしだ!」と強く感じました。
伝道者との出会いに救われ、気にかけてくれた人を裏切りたくない思いも重なり、再起する原動力につながったのです。月岡先生は亡くなりましたが、現在は娘さんご夫妻が月岡でんきの経営を引き継いでおり、いまでもときどき山形まで会いに行っています。私は月岡先生のようになりたいと思って生きてきました。いまの活動は、私が月岡先生にしてもらったことをほかの人にしているのです。
■「自分を受け入れてくれた」という経験が重要
こうした成功体験があったからこそ、私も不遇な方に手を差し伸べたいと思うようになりました。必ずしも、親からの愛情を十分に受けれなかったとしても、キリスト教や教会を通じて手を差し伸べたいと使命感に駆られたのです。
それに、住み込みで他人と共同生活したり、毎週の礼拝に通うことで、自然とコミュニティにも属することができる。周りとつながって孤独感も薄れることで、誤った道に進む可能性が減り、一人で路頭に迷うことも防げるはずと考えています。親からの愛情を十分に受けられなかったとしても、少しずつ人とのつながりを結んでいくことで「自分を受け入れてもらえた」という経験を積み重ねていくことができるのです。
社会復帰できるかどうかの分かれ目は、「自分を受け入れてくれ、頼れる存在がいるかどうか」にかかっています。当然のような結論ですが、私はキリスト教によって救われ、教会が拠り所になっています。
とにかく手放しで喜んでくれる誰かの存在が重要なのです。親兄弟、友達に見放されて「ここ」にやってくる。私たちが彼らの更生を手放しで喜べる「家族」になってやりたいと思っています。そんな教会なんです。
とはいえ、なかなか現実は厳しいものです。さきほどもお伝えしたとおり、教会に住み込んだ人が社会復帰にいたるのは約2割、その後も教会に通ってくれる人は1割ほどです。ただそれでも、救いを求める人のため、今後も活動を続けていきます。
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進藤 龍也(しんどう・たつや)
牧師
1970年生まれ。埼玉県川口市出身。高校を喧嘩で中退後、18歳でやくざにスカウトされ、広域暴力団S会系の組員となる。28歳のとき、暴力団の組長代行になるが、覚せい剤が原因で降格。3回目の服役の際、差し入れられた聖書を読み、回心する。出所後、シロアムキリスト教会にて、洗礼を受ける。2005年、JTJ宣教神学校卒業と同時に、開拓伝道を開始。現在は、川口市にある「罪人の友」主イエス・キリスト教会の牧師として、日本各地の受刑者との文通や面会を通し、福音を伝えている。著書に『人はかならず、やり直せる』(中経出版)、『極道牧師の辻説法』、『未来はだれでも変えられる 極道牧師と“元ワル”たちの人生やり直し』(ともに学研プラス)、『立ち上がる力』、『あなたにもある逆転人生!』(ともにいのちのことば社)、などがある。
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プレジデントオンライン
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最終更新:11/30(土) 8:17