開発進むJR駅に負けない、「阪神芦屋駅」の底力 駅周辺は散策に最適、谷崎潤一郎「細雪」の舞台

4/16 4:32 配信

東洋経済オンライン

 阪神電気鉄道の芦屋駅は兵庫県芦屋市の玄関口の1つであると同時に、阪神本線の主要駅でもある。芦屋駅までは大阪梅田駅から19分、神戸三宮駅から11分だ。同駅の北側にはJR神戸線(東海道本線)の芦屋駅、阪急神戸線の芦屋川駅がある。また、同じ芦屋市内に阪神の打出駅があるが、こちらは平日朝ラッシュ時を除き優等列車は停車しない。

■直通特急・特急が停車

 芦屋駅には直通特急・特急、区間特急、区間急行が停車し、平日の朝ラッシュ時に限り神戸三宮―近鉄奈良間を直通する快速急行が停車する。

 参考までに、阪神芦屋駅の1日あたりの乗降人員は約2万6000人だ。対して、JR芦屋駅の乗車人員は約2万4000人、阪急芦屋川駅の乗降人員は約1万3000人である。JR芦屋駅は乗車人員のため、乗降人員に置き換えるとだいたい5万人弱となる。

 駅の利用者数という点では阪神芦屋駅はJR芦屋駅に2倍近くの差をつけられている。しかし、郊外住宅地としての芦屋の発展は阪神芦屋駅からはじまったのだ。

 国内初の都市間電車として阪神本線が開業したのは1905年のことであり、同時に芦屋駅も開業した。官営鉄道大阪―神戸間は1874年に開業していたが、芦屋駅が設置されたのは1913年のことである。つまり、最初に芦屋市に駅を開設したのは阪神なのだ。

 阪神本線の開業により、大阪・神戸へのアクセスが飛躍的に高まり、阪神芦屋駅周辺の精道村は郊外住宅地として注目された。商店街も形成され、芦屋駅の北東に本通商店街、それに連なる甲陽市場も開設。商店街に隣接する赤レンガ造りのモダンな劇場もオープンした。

 1923年には駅南側に鉄筋コンクリート3階建ての精道村役場が竣工。当時は建物の立派さから「日本一の役場」と言われた。1927年には駅北側に芦屋警察署が設置された。現在も阪神芦屋駅周辺には芦屋市役所、芦屋税務署、芦屋警察署があり、同駅は芦屋市官庁街の最寄り駅なのだ。

 阪神芦屋駅の重要性を象徴する施設もあった。それが貨物駅である。阪神は1915年に全線で貨物輸送を行い、芦屋駅にも貨物駅が設置された。1920年代の阪神芦屋駅の絵葉書を見ると、ホーム北側に貨物駅への引き込み線が見られる。その後、1931年に阪神の貨物輸送は廃止された。

■駅周辺の商店街が衰退

 1913年に官営鉄道の芦屋駅、1920年に阪急芦屋川駅が開業。宅地開発も北側(山側)へ広がった。高級住宅地で名高い阪急芦屋川駅北側にある六麓荘町で宅地開発が開始されたのは1928年のことである。

 戦後になっても、芦屋の郊外住宅地としての人気は衰えず、宅地開発が進んだ。一方、先述した赤レンガ造りの劇場は火災で焼失。昭和30年代後半になるとスーパーマーケットの台頭により、阪神芦屋駅周辺の商店街も衰退していった。

 1970年代に入ると兵庫県住宅供給公社が阪神芦屋駅南側にある芦屋浜の開発に着手。国も開発事業に加わった。1970年代末に芦屋浜団地への入居が始まり、阪神芦屋駅の乗降客数も増加に転じた。1975年頃には阪神芦屋駅の乗降人員は3万人を超え、国鉄芦屋駅の4万人まで迫る勢いだった。1981年には芦屋駅始発の区間特急が新設されている。

 1987年の国鉄民営化後、JR芦屋駅の乗降客数が増加に転じた。きっかけのひとつとなったのがJR芦屋駅北側の再開発である。芦屋市は1975年に「国鉄芦屋駅周辺環境再開発基本計画」を策定。1980年代から1990年代前半にかけて、駅北側に商業施設「ラポルテ」、集合住宅等が次々と建設され、駅前広場も整備された。東京読売巨人軍の定宿である「竹園旅館」が「ホテル竹園」に生まれ変わったのもこの頃である。JR芦屋駅前は阪神間を代表するショッピングセンターになったのだ。この余波を受け、阪神芦屋駅の乗降客数は減少に転じた。

 芦屋市はJRに続き阪神芦屋駅北側の再開発を検討していたが、1995年に発生した阪神淡路大震災により計画は吹き飛んでしまった。現在、市はJR芦屋駅南側の再開発計画に注力している。芦屋市の担当者によると「現時点で阪神芦屋駅周辺において、JR芦屋駅南側のような再開発計画はない」と述べつつも、「阪神芦屋駅周辺は多様な要素が集まる市の重要拠点」という認識を示した。

■戦前文化の面影残る駅周辺

 JR芦屋駅は市のショッピングセンターとしての役割を果たす一方、阪神芦屋駅は昔ながらの店舗もあり、庶民的な山手の街という雰囲気を残す。散歩にぴったりな駅ともいえ、単なる阪神間の中間主要駅として片づけるにはもったいないくらいだ。

 まず、駅ホームの下には六甲山から大阪湾まで市内を横断する芦屋川が流れる。芦屋川沿いには松並木が並び、ところどころにシックな洋風建築物が建つ。阪神間らしい文化的景観を形成し、2012年には芦屋川自体が芦屋市の指定文化財に指定された。一時期はパリのセーヌ川になぞらえ、「芦屋川を世界遺産に」という声もあったくらいだ。

 また、芦屋川は谷崎潤一郎の『細雪』の舞台でもあり、川沿いには「細雪の碑」がある。谷崎潤一郎の足跡を学べる谷崎潤一郎記念館や谷崎が一時的に住んでいた富田砕花旧居も阪神芦屋駅から近い。ちなみに、1936年から1943年まで谷崎潤一郎が居住していた倚松庵は3駅西隣の魚崎駅が近い。

 駅の北側に出ると、すぐに芦屋警察署が現れる。芦屋警察署は1927年に建てられたロマネスク様式の建築物であり、長年にわたり芦屋市のランドマークとして市民に親しまれてきた。正面玄関には夜間警察を象徴するミミズクの彫刻がある。阪神淡路大震災を経て、立て替えの話も持ち上がったが、最終的に旧庁舎の一部と増築部を組み合わせる形で生き残った。

 駅東側には旧芦屋郵便局電話事務室がある。こちらは1929年に竣工し、外装はネオルネサンス様式となっている。2005年からは結婚式場・レストラン「芦屋モノリス」に生まれ変わり、2017年に国の登録有形文化財に指定されている。

 最後に阪神芦屋駅自体は阪神本線では残り少なくなった地下に改札を持った地上駅だ。阪神本線はすでに立体化率が95%にもなり、阪神芦屋駅自体も昭和の阪神電車を伝える貴重な存在となっていくだろう。昭和の阪神間を色濃く残す駅、それが阪神芦屋駅なのである。

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最終更新:4/16(火) 4:32

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