「ナメてんの?」詐欺広告問題でメタ社に批判殺到!日本社会が「巨悪に弱い」残念な理由

4/20 6:01 配信

ダイヤモンド・オンライン

 前澤友作氏や堀江貴文氏が根絶を訴えたSNSでの詐欺広告に対してメタ社が発表した公式声明が議論を呼んでいます。「なめてんの?」という批判も集まるその内容を見るうちに、メタ社の“なめた対応”が日本で通用する「日本社会の不都合な事実」が見えてきました。(百年コンサルティング代表 鈴木貴博)

● SNS詐欺広告でメタ社が声明発表 「なめてんの?」という批判も

 前澤友作氏や堀江貴文氏が根絶を訴えたSNSでの詐欺広告に関して、メタ社が公式声明で発表した内容が議論を呼んでいます。

 「著名人になりすました詐欺広告に対する取り組みについて」と題するメタ社の声明では、オンライン詐欺は社会全体の脅威ですという文言に始まり、メタ社はプラットフォーム上における安全を守るために長年にわたり大規模な投資を行っているとしています。

 この投資額は2016年以降の累計で200億ドル(約3兆円)以上ということで、確かに巨額の投資を行ってきたのでしょう。詐欺広告を審査するチームには日本語や日本の文化的背景、ニュアンスを理解する人員を備えていますとも強調しています。

 詐欺広告との戦いはメタ社単独では難しいという論拠を並べたうえで「社会全体でのアプローチが重要だと考えます」とまとめています。

 簡単に言えば取り組みはこれまでもしっかり行っていて、しかし前澤氏らが要望する詐欺広告の根絶は難易度が高いことを主張し、今後も取り組みを続けてまいりますという言葉で締めくくっているのです。

 この声明に前澤氏はさっそくXでブチ切れた様子で、

 “おいおい。まずは謝罪の一言は?社会全体のせい?「審査チームには日本語や日本の文化的背景を理解する人を備えている」なら、俺や堀江さんや著名人が利用された詐欺広告なんてすぐに判別できるでしょ?なめてんの?”

 とポストしています。

 私も前澤氏はなめられていると思いました。

● メタ社の「なめた対応」が 日本社会で通用してしまう3つの理由

 メタの対応はひどいと思う一方で、だからといって私も「FacebookやInstagramはもう使わない」とまでは思いません。大半の読者の皆さんもそう思うのではないでしょうか?

 だとすれば、このまま終わればメタ社の完全勝利です。

 ではなぜ、明らかに相手の方が悪いにもかかわらず勝ってしまうのでしょうか?

 私は前澤氏はなめられていると感じる一方で、メタ社の言い分にも一理あると思っています。

 というのも、実はメタ社だけが悪いのではなく日本社会全体に同じような悪さがまん延していることにも問題があるのです。

 これまで日本社会では他の事例でもこういった「なめた対応」を放置してきた、それをメタ社が真似ているだけの話だという捉え方です。

 そこでこの記事ではメタ社のような対応が日本社会で通用する理由を以下の3つの切り口で説明したいと思います。

 それは、
 
(1)日本社会は形式合理性を重視する
(2)日本社会はIntegrityを大切にしない
(3)日本社会は巨悪を簡単にあきらめる

 の3つです。それぞれを説明したいと思います。

● (1)日本社会は形式合理性を重視する

 専門家の立場で見て、今回の声明は日本的コンプライアンスの優等生とも言える声明です。

 問題の本質は日本的コンプライアンス自体が間違っていることなのですが、その間違って設計されたルールの上では正しく声明を発表しているのです。

 なぜか日本では“形式的にとても正しいこと”が非常に重要だとされます。

 具体的に説明すると、詐欺が発生していることは悪いことです。それに対して形式的に一番正しいことは「その問題を認識していて、きちんと対応している」と説明することです。メタ社はこれをちゃんと行っています。

 一方で、形式合理性の反対語に実質合理性という言葉があります。

 実質合理性で今回の問題を記述すれば、メタ社のSNSに表示される詐欺広告で「日本人に多くの詐欺被害者が出ていて、その犯罪を通じて反社会的な集団が巨額の利益を得ており、かつその犯罪集団からメタ社に広告費の形でその資金が還流している」という問題です。

 実質合理性の観点で見れば大問題なのですが、残念ながら形式合理性の観点で見た場合は問題はありません。

 なぜならメタ社から見れば「反社から広告費が支払われているかどうか」を認識すること自体が困難だからです。結果的にそれが起きていれば大問題ですが、そうかどうか多大な努力と3兆円の投資をしていても結果として把握できていないというのがメタ社の立場です。

 確かに反社が何を指すのかは、桜を見る会の問題の当時、「反社の定義は明確ではない」と閣議決定されているぐらいですから、メタ社の立場では難しいのでしょう。日本社会の問題を理解したうえで、メタ社は「理解してほしい」と言っているのでしょうか。

 前澤氏の、

“「審査チームには日本語や日本の文化的背景を理解する人を備えている」なら、俺や堀江さんや著名人が利用された詐欺広告なんてすぐに判別できるでしょ?”

 という怒りについても、実質合理性的にはその通りですが、形式合理的には「会社は審査チームを設置している。そのチームが能力的に劣っているのは課題ではあるが、社会問題ではない」ということになります。

 「何をバカな?」と思うかもしれませんが、先般の裏金問題の政治倫理審査会の中継で国民が目撃したとおり、歴代の安倍派事務総長は管理責任面で無能で「知らなかった」ため、国会内ではセーフ、自民党的には2人を除いて微罪で済まされています。

 つまり形式合理的であれば仕方ないで済ますのは、メタ社が主張するとおり日本社会の根源的な問題なのです。

● (2)日本社会はIntegrityを大切にしない

 ここまでお話しした「形式合理性を基盤に設計されていること」に加えて、もうひとつ日本のコンプライアンスの仕組みの最大の問題点があります。

 社会人の皆さんはコンプライアンスがうるさく言われるようになって以来、取引先とのやりとりで形式的にやらなければならないことが増えたことに気づいているでしょう。

 一方でコンプライアンスという仕組みができたもともとの理由は、アメリカで巨大な経済事件が発生した反省からです。本来はコンプライアンスは巨大な間違いを犯さないために導入された仕組みなのです。

 あえて、賛否両論が起きそうな例を挙げさせていただきます。

 社会問題になったダイハツの偽装問題があります。自動車業界では三菱ふそうのトラックの欠陥隠蔽も社会問題になりました。このふたつの隠蔽事件ですが、日本社会では形式合理性の観点から同じような社会問題として扱われています。

 しかし実質合理性の観点で言えば、後者の三菱ふそうは死亡事故が起きたにもかかわらずその欠陥を隠蔽したことから、重大性においてはダイハツの偽装よりも問題ははるかに大きいのです。

 ところが、日本人はこのふたつの問題の違いを重視しない。

 その理由は日本人に「Integrity(誠実さ)」という概念が希薄なためです。これがもうひとつの大問題です。

 以前、私が外資系企業で働いていた当時、人事評価項目の中に「Integrity」という項目がありました。私が「面白い」と思ったのが、当時のコンサル会社の人事考課の責任者が「日本語ではIntegrityっていい訳語がない項目なんだよね」と説明していたことです。

 辞書で読めば「誠実さ」とすぐに訳せるのですが、英語で言うと実は重みがかなり違います。

 「胸に手をあててみて、最後の審判の日に神様の前で自分が誠実だったと言えるのか?」ぐらいの重みの話で、そこまでの誠実さについては日本語にはいい訳語がないのです。

 詐欺広告の事件についても「把握されている詐欺事件が何件」というように数字だけで把握すれば胸は痛みません。

 一方で今回の事件の一連の報道で、メディアが接触した被害者がどのような被害を受けているのか、その詳細の話を聞くと本当に胸が痛む被害がおきています。

 Integrityが基準であれば詐欺広告事件は放置できない経営問題なのですが、日本のコンプライアンスではIntegrityを問わないのでメタ社の主張が通用します。

 これは経営者でも政治家でも官僚でも同じですが、日本では重たい責任を持つポジションの人間がこういった胸の痛む事案を取り扱う際に、おそらく人体の自己防衛反応だと思われるのですが、ストンと痛みを遮断する機構が働くようです。

 本当は被害者が出ていて、その痛みが大きく広がっているとしたら?
 犯罪組織が吸い上げた資金で、さらに別の被害が出ているとしたら?

 そのように容易に想像がつく事柄に対してリーダーたちがIntegrityで向き合える社会なのかどうかで、社会の安全や民度というものは大きく変わります。

 ここ十数年の詐欺被害の増加のグラフだけを見ても、日本社会は安全ではなくなっていることは一目瞭然なのですが、日本社会はそういった脅威に対して誠実に向き合う社会ではないようです。

● (3)日本社会は巨悪を簡単にあきらめる

 そして3番目の視点が私は隠れた問題だと思っています。

 日本社会は小さな悪はどこまでも追及しますが、巨悪に関しては比較的簡単にあきらめるのです。

 これはコンプライアンスという制度の本質から見れば真逆のことです。

 犯罪集団がSNSを通じて巨額の犯罪利益を得ているとしたら(これは私たちが詐欺広告を目にする頻度から逆算すれば明らかな事実なのですが、ここでは形式合理性の観点から「したら」という言葉を使っておきます)、この事件こそ社会として一番力を入れて根絶しなければならない事件のはずです。

 普通なら警察に通報してすぐに何とかしてもらうと市民感覚では思うのですが、本件はなぜかずっとなしのつぶてだったところから、ようやく「政治家が勉強会を開く」という入り口で始まっています。

 日本には「○○タブー」という世界がいくつかあって、そういった世界では行政はすぐには動かない傾向があります。

 GAFAMタブーもそのひとつで、アメリカないしは欧州の反トラスト法組織でないと対抗できないという実態から、行政はすぐには動きません。LINEに行政指導が何度も行われているのと比べることでタブーがよく理解できると思います。

 今回の事件の興味深い点は、巨額の資金が反社から流れる組織が捕まらないという点にあります。

 日本企業だったら一発でアウトの話であるにもかかわらず、行政は動いていないし、国民も仕方ないなと思っている。

 日本の常識のひとつに「国会議員の犯罪容疑については検察は慎重に動く」というものがあります。それと同じでGAFAMに対しても行政は慎重に動きます。

 常識なので私たちは当然のことのように思っていますが、冷静に考えれば詐欺被害の拡大を放置しているという点では少しおかしな話です。

 さらにはそのようなことの積み重ねで、大きな力を持つ悪については、結果的に国民も「結局は捕まらないだろうな」とあきらめることにも慣らされてきました。

 こうして状況を日本社会の問題として分析していると、皮肉なことにメタ社の声明が批判しているのは日本社会自体だという不都合な事実が見えてきました。

 詐欺広告の被害について他人事だと思って生活している私たちの中に、本当の敵は潜んでいるのかもしれませんね。反省しました。

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最終更新:4/20(土) 6:01

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