「会社の飲み会」を避ける人は大損している…飲み会は無駄という若手が知らない"お値段以上のリターン"

4/23 6:02 配信

プレジデントオンライン

飲み会に参加するのは時間とお金の無駄なのか。文筆家の御田寺圭さんは「SNSでは若い世代を中心に飲み会の評判が悪い。それでも『飲み会には行っておけ』と言いたい。なぜなら極めて“コスパ”が良いからだ」という――。

■SNS時代の嫌われモノ「飲み会」

 令和の時代にそぐわない唾棄すべき催しとして、SNSでは論をまたずに忌み嫌われているものがある。

 飲み会である。

 飲み会について、SNSでは若い世代を中心にしてそれを嫌がる声がいくつも聞こえてくる。

 「なんでカネを払ってまで上司の説教を聞かないといけないのか」
「なんで仕事の延長のような奉仕をしないといけないのか」
「しかも自腹を切ってまで」

 ――など、とにかく飲み会の評判はめっぽう悪い。

 なるほど一理あるように見える。仕事以外では顔を合わせたくない人と、仕事の後まで付き合ってしかも説教まで聞かされた日には、味わう疲れは倍増である。お酒が飲めない人にとっては、お酒を強要される雰囲気もいたたまれない。「日本社会そのものが働く者にとって総じてブラックである」というきびしい批判が起こる原因の一端が飲み会にあるという指摘も、まったく的外れだとは思わない。

 ……けれども、自分はあえて言いたい。

 「飲み会には行っておけ」と。

 このような言明はSNSウケが最悪であり、この記事も方々で非難を受けてしまうかもしれないが、それでも言いたいのだ。アルコールへの風当たりが強くなっていると先月の記事で書いたばかりなのに、それでも私が「飲み会には行っておけ」と推奨する理由は明快だ。飲み会は、きわめてコスパがよいからだ。

■「5000円と3~4時間」で十分すぎるリターンが得られる

 なぜ飲み会のコスパがよいのか。

 飲み会あるいはそれに類する慰労会や社員旅行も含めた行事に参加するときに支払うコストにくらべて、参加することで手に入れられる社会人生活上のメリットが大きいからだ。

 いちどの飲み会で支払うコストは高くてもせいぜい5000円と3~4時間である。それが若手社員からすればけっして安いコストではないのはわかるが、しかし5000円と3~4時間をかけるには十分すぎるリターンがある。かりに飲み会以外の場で、飲み会に費やしたのと同じ経済的・時間的コストをかけたとしても、飲み会に参加することと同等以上の便益を得るのは容易ではない。私に言わせてもらえば無理である。

 飲み会は総じて費用対効果の期待値が大きく、お金と時間をかけるに値する魅力的な投資対象であるといえる。では具体的に、飲み会にお金と時間を投じることで、どのようなリターンが期待できるのか。

■偉い人の「声をかけてみるリスト」に入りやすくなる

 それは端的にいえば「おぼえ」のよさである。

 この「おぼえ」とは少し古風な言葉かもしれないが、わかりやすくいえば評判とか信任とか重用といった言葉の総称である。飲み会に参加すれば、目上・上役の人つまり会社の偉いオジサン連中から自分の顔とか名前とか為人(ひととなり)とかを、文字どおりの意味で「おぼえ」てもらうことができるのである。

 「なんだよ、おぼえてもらえるだけかよ」と侮るべきではない。なぜなら、自分のことを「おぼえ」てくれたその偉いオジサンが新しい企画やプロジェクトを立ち上げたとき、そのメンバー編成の際にオジサンの脳内に出力される「声をかけてみるリスト」のなかに、なんとなく「おぼえ」ていたその若手社員の顔や名前がボヤ~と浮かび上がってリストインされる確率が高くなるからである。

 偉いオジサンは、一緒の部署でつねに同行してその働きぶりを知っているような緊密な間柄でもないかぎり、社内のある若手や中堅がどういう人でどういう能力を持っていてどういう働きをしているのかを往々にしてよく知らない。それもあって、意外と「ノリ」で人選してしまうことがある。

 「いやいやいや、そんな適当な前時代的な方法で決めるんじゃないよ」――とツッコミたくなってしまうかもしれないが、しかし令和の時代だって「飲み会では好青年に見えたし、彼なら新規の客先に出してもなんとなくイケそう」くらいのふわっとした感じで決めてしまうことはそれなりにあったりするのだ。非科学的だとか非論理的だと言われてしまうかもしれないが、本当にそうなのだから仕方ない。

■仕事に自信がある人こそ飲み会のコスパは高い

 「普段の仕事より飲み会での態度がチャンスにつながるなんて馬鹿げている。公私混同だ」といった批判はたしかに一理あるとは思うが、しかし仕事ぶりに評価されるに足る自信がある人こそ、飲み会に参加して「おぼえ」を得ておくことのコスパは抜群なのである。たった5000円や3~4時間を惜しんだくらいで、その高い職務遂行能力を発揮できる舞台を逃してしまうのはあまりに勿体ない。

 いずれにしても、偉いオジサンの「とりあえず声をかけてみるかリスト」に(たとえぼんやりでも)顔も名前も入らないのでは、チャンスが巡ってくる確率はかぎりなくゼロであることは事実だ。この事実を踏まえたうえで、どう行動するかは人それぞれの自由だ。飲み会に参加しないのも自由だし、参加するのも自由だ。選んだ自由によって結果もまたそれぞれ異なる。ただそれだけのことだ。

 あるいは偉いオジサンの「おぼえ」を得られなかったとしても、同僚や仲間との「つながり」を得ることができる。それによって、自分がミスしてしまったときや困っているときに、周囲からのフォローを得られやすくもなる。さらに幹事を勤めれば「つながり」の恩恵はなおのこと強くなる。飲み会の幹事はだれだって他人に任せたいと思うし、そういう“しんがり”的な役割を引き受けてくれた人には、意識的か無意識的かは別として、人は「借り」を感じるからだ。

■「おやじの気分」で物事が決まってしまうという身も蓋もない事実

 「オジサンの気分で右往左往してしまうなんて、そんなものくだらない」
「偉そうなオジサンがなんでも適当に決めてしまう仕組み自体がおかしい」

 こうした批判的意見もある。これまた一理あるだろう。

 しかし残念ながら、世の中の多くの場所ではいまだ「おやじの気分」でだいたいのことが決まってしまう傾向があるのもまた身も蓋もない事実なのである。それこそ会社組織だけでなく、政治でも行政でも自治会でも教育機関でも同じようなものだ。この世の中のありとあらゆる領域では多かれ少なかれそこにいる偉いオジサンの「気分」によって大事な決定がしばしばくだされてしまうし、その決定によって末端の現場は右往左往するのである。

 偉いオジサンの気分ひとつで生じた混乱に振り回されたりしわ寄せを食らったりするばかりではなく、その気分によって美味しい思いができるチャンスを増やすためにこそ、飲み会に参加することはきわめて有用なのだ。偉いオジサンの気分次第で損をするか得をするかは人それぞれだ。得をする確率を高めたいのであれば、飲み会に行くのが最善手であるということである。

■“偉いオジサンの気分”とは無縁ではいられない

 人間社会には往々にして、オジサンの気分によって大きく動いてしまう構造がある以上、それと完全にかかわらないで生きることは(そういう生き方を実現できればそれはそれで理想かもしれないが)きわめて難しい。オジサンの気分を跳ね返せる圧倒的な才能やスキルを持っている人ならともかく、我々は凡人だ。大なり小なり、私たちは偉いオジサンの気分とは無縁ではいられないのである。

 どうせなら自分の「おぼえ」をよくしてあわよくば懐に入り込み、オジサンの何らかの気分が発生したとき、そのコンテクストをうまく操作できるようなポジションに将来的に就いてしまう強かさがあったほうが、きっと社会人生活も楽しくなる。いまの若い人に必要なのは、オジサンの存在を辟易して遠ざけるより、あえて懐に入って自分の道を切りひらこうとする、そうした強かなふるまいである。

■「飲み会への参加」はお値段以上の買い物

 大事なことなのでなんどでも強調するが、「偉いオジサンの気分やノリで、わりと大事なことが決まってしまう」という身も蓋もない因習がこの社会にはある。それが良いか悪いかは別として、事実としてあるものはあるのである。

 この構造自体の是非を問う議論は別個に存在するだろうが、たった5000円・3~4時間のコストを支払うだけでも、この因習によって自分が受ける影響が必ずしも悪いものばかりでなくなる(確率が上がる)と考えたならばどうだろうか。「飲み会への参加」というのはお値段以上の買い物であるといえるのではないか。

 もちろん飲み会で偉いオジサン連中に媚びているだけで青天井に評価を高められたり分不相応な重役に抜擢されたりするほど会社組織は甘くない。結局最後は「働き」で評価されるものだ。そこは留意しておきたい。とはいえ、「働き」それ自体が優秀なのに、イマドキのSNSの論調に感化され「飲み会への参加」に対して著しい忌避感や抵抗感を持っている人は、それだけでせっかくの「働き」の評価を「おぼえ」によってさらにブーストさせられる貴重な機会を見逃していることも少なくない。これはもったいないことだ。

■「働き」で得られる効用をブーストさせるのが「おぼえ」

 言い換えれば、「働き」は「おぼえ」があることによってそのシナジーを爆発させるということでもある。

 この「おぼえ」という資源は普段の生活ではなかなか手に入れられない。大型の案件を顧客から手に入れてきたり、あるいはコツコツ働いていてたまたま偉いオジサンの目に留まったりして、絵にかいたサクセスストーリーを歩みながら「おぼえ」を得る人もいるが、それは相当にレアケースだ。一般的には得がたい資源である「おぼえ」が時々、それも5000円や3~4時間というコストだけで簡単に手に入れられるイベントが、会社組織では定期的に開催されるのである。あえて行かない理由があるだろうか?

 自分の「働き」で得られる効用や便益や評判をさらにブーストさせる貴重な資産である「おぼえ」を、それほどの対価を支払わずして手軽に得られるチャンスであると考えればどうだろうか。SNSでは満場一致で忌み嫌われている時代遅れの陋習(ろうしゅう)「飲み会」も、意外と見るべきところがあり、それこそお値打ちな買い物に見えてきたはずだ。



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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。
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最終更新:4/23(火) 6:02

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