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自販機で400円の「ヒラメの刺し身」を販売!人口数十人の集落で「魚の自販機」を運営する家族の熱い物語とは? 臨機応変に時代の変化に対応する、家族企業の奮闘がそこにあった。

5/16 12:06 配信

東洋経済オンライン

前回の記事では鹿児島県垂水市にある24時間営業の「海ぶどうと魚の自販機」について、果たして儲かるのか、売れ筋商品は何なのか、など気になることを運営者である森水産の森正秋さんに伺った。

 その中で見えてきたのは、コロナ禍で活魚が売れなくなったときに、いちはやく直販の道を探る臨機応変な経営姿勢だった。先を見据えていち早く動く姿勢は、正秋さんの父である1代目の森正彦さんの頃から変わらないという。

 そこで、今回の記事では森水産のこれまでの歩みを聞きながら、水産業を取り巻く状況が変化していく中で、いかにして時流に応じて生き残ってきたかを探る。

■「社長になりたい」「憧れの車に乗りたい」思いからヒラメ養殖へ

 1代目である森正彦さんがヒラメの陸上養殖を始めたのは昭和54(1979)年。当時、鹿児島ではブリ養殖の勢いがあり、参入した人は “ブリ御殿”が建つと言われるほど儲かるものとされていた。

【画像】人口数十人の小さな集落で月に50万円も売る「魚の自販機」…「400円のヒラメの刺し身」などの様子を見る(13枚)

 「周りからは『ブリをすればいいのになんでヒラメ?』と言われました。でも人がせんことが好き。あと、将来を見据えたらヒラメみたいな高級魚志向になるかもしれないと考えて選びました」

 その頃、いけす料理屋が鹿児島のあちこちに増えていたという。店内に大きな水槽を設置して、さばく直前までそこで泳いでいた魚を刺し身にして客に提供するスタイルだ。新鮮さと、目で楽しめる雰囲気を売りにしていた。

 「あるいけす料理屋でヒラメの造りが確か1万円やったかな。ブリと比べて1キロ当たりの相場がずっと高い。こんなにするんだったら儲かるねって」

 ブリはキロ1000~1200円、ヒラメは天然物ならキロ1万円、養殖物でも5000~6000円くらいの相場だった。もちろん捌きやすさや歩留まり、育てやすさ、飼料転換効率などの条件が違うため単純比較はできないが、それでも圧倒的にヒラメが高かった。

 ヒラメは昭和40(1965)年に近畿大学で種苗に成功、昭和44(1969)年には人工親魚から採卵して人工ふ化させる完全養殖に成功していた。その後ヒラメ養殖は全国に普及していくが、森さんが取り組んだのはかなり初期の頃であった。

 当時の森さんの職業は車の整備士。まったくの異業種からの参入である。

 「整備士免許を持っていて兄さんの整備工場を手伝っていたけど、高校の時から小さくてもいいから社長になりたい願望が強かった。クラウンとかセドリックとか、3ナンバーの高級車に憧れて。社長になってああいうのに乗りたいなと、それが始まりやったのかな」

■軽トラックで自ら市場へ行き、売りながら学ぶ

 本格的に養殖に乗り出す前に、鹿児島県垂水市の水産試験場に頼んで半年間勉強させてもらうことに。

 「ヒラメから卵を絞り出して、掛け合わせて、ふ化をするところまで勉強しました。養殖業者で採卵やふ化もやったことあるのは珍しいかもね。漁業未経験だったからそこまでせんとね」

 その後、他にもヒラメの養殖を検討していた人たちとグループを組み、共同出資で始めた。経費を抑えるために、水槽はコンクリートではなくコンパネに防水シートを張って対応する。それでも初期費用がかさみ、一時期は銀行だけでなく親戚からもお金を借りることになるが、ヒラメが成長して売れるようになるとすぐに軌道に乗った。

 「ヒラメを1キロ仕上げるのにかかる原価が確か500~600円くらいかな。それが5000~6000円で売れるから」

 育てたヒラメは、自ら軽トラックを運転して市場へ売りに。ほかの養殖業者は、輸送専門の業者に頼んで出荷する人も多かったが、森さんは「自ら売りに行く」ことにこだわった。

 「市場に行くことによって他社のヒラメも見れますよ。自分のヒラメがいいのか、よそのとどう違うのか、見て自分で勉強せないかんちゅうことで。九州各地や四国から魚が集まってくるから、自分の魚がみすぼらしかったら恥ずかしいがね」

 そうしてヒラメ養殖は軌道に乗り、平成4(1992)年には法人化。憧れの車も購入できた。しかしその後、韓国からの輸入ヒラメが入ってくるようになる。国産と比べて安価で品質も良い韓国ヒラメの勢いに押され、売り上げの落ちる国内の養殖業者が数多くいたという。そこで森さんは、韓国物と競うというよりは、関わる道を選ぶ。

■「そんなに売れるなら自分で仕入れよう」と輸入に挑戦

 「今から考えるとびっくりするけど、そんなに売れるなら自分で仕入れようと思ったんです。平成9(1997)年から。自分のヒラメ養殖場は続けながら、輸入に挑戦することにしました」

 すぐに書店へ行き韓国語の本を購入。一からすべてを勉強するのは大変なので、「安い」「高い」「いくらですか」など、ビジネスで使いそうな言葉をリストアップした。準備ができたら、韓国にいる日本語通訳を紹介してもらい、済州島へ。済州島は韓国で一番ヒラメ養殖の盛んな土地である。

 しかし、通訳と共に組合を訪れたところ「仲介を通さないとヒラメは売れない」と門前払い。

 「やはり素性がよくわからない人よりも、ずっと取引のある仲介がいるほうが安心ですよね。でも諦められなかったので、通って交渉を続けました。取引してくれたら責任をもって私がたくさん売ると。すると一人の理事が味方になってくれて、他の理事を説得してくれて取引できることになりました。それが始まりです」

 ヒラメは活魚で輸入するため、国際免許を申請したり、活魚車に発電機を乗せたりと体制を整え、さらに取引で使うL/C(エルシー)※の用意もした。

 ※Letter of Creditの略。輸入者が輸出者に代金を支払うための貿易決済の手段のひとつとして用いられる。

 自社の活魚車で下関からフェリーに乗り、済州島の養殖場でヒラメを積んで再び下関へ戻る。下関では取引先の活魚車が待機しているため、ヒラメを卸したら再び夕方のフェリーで韓国へ行き、翌朝ヒラメを積み込む。

 こうして運転手がピストン輸送を繰り返す間、森さんは済州島の養殖場を回ってひたすらヒラメの手配をする。養殖業者側が売ろうとするヒラメをなんでも買うのではなく、品質を見極め選別をする。自分で養殖ヒラメを手掛けているからこそ、いいヒラメがわかるのだ。養殖経験が大きく役に立っていた。

 「韓国の養殖業者さんからは『厳しい、他の人は何でも買ってくれるのに』と言われましたが、その分たくさん買うようにしたら次第に協力的になってくれました」

 品質に気を配ったため、日本国内でも「韓国ヒラメは森さんに任せればいいものが手に入る」という評判を得られるように。

 こうして、平成9(1997)年から平成13(2001)年まで約4年韓国ヒラメの輸入を手掛けたが、その頃になると日本から参入する会社が増えていた。

 「よその人がやりだしたわけよ。利益率も悪くなったからやめました」

 単身韓国を訪れ、苦労して切り開いた活路をすっぱりやめてしまう決断力に驚く。輸入を辞める1年前に自社の養殖場隣に加工場を設立していたため、その後は日本国内でのヒラメの買い付けもしつつ、加工に力を入れる。自社のヒラメは活魚で卸すスタイルから、加工場でフィーレにして卸すスタイルへと切り替えた。

 「その頃になると、料理屋さんが活魚の採算が合わんから、店にある水槽を使わんようになって。これからは活魚じゃないなっちゅうことで」

 加工場ではヒラメから骨と皮を取り除いたフィーレの状態にして真空パックした後に、急速冷凍して卸す。つまり、あとは店側で刺し身にするだけの状態である。スーパーでは、刺し身盛りにして売ることが多いという。

 当時でも、「ヒラメは活魚でないと売れない」という意見もあったが、10年先、20年先の変化を見通して踏み切った。実際に、活魚の需要はどんどん落ちていると2代目の正秋さんも言う。

 「今はもう、スーパーで魚まるごと1匹をさばける人がかなり減っていますね。まして、ヒラメは捌くのにかなり技術のいる魚ですから。今はフィーレで卸していますが、これから数年しないうちに、さらにスライスして刺し身の状態にまでしたものを真空パックで納品するのが主流になってくるんじゃないかなと思います」(正秋さん)

■企業理念は「臨機応変に対応する」

 ヒラメを活魚からフィーレ、そして刺し身と、時代の流れに応じて加工度を上げて対応。いち早く先を見据えた取り組みは、1代目と2代目で共有している価値観だ。森水産の公式サイトを見ると、企業理念に「臨機応変に対応する」と書かれている。シンプルだが森水産のあり方を示す本質的な言葉だ。

 「頭に浮かんだことをすぐ実行に移さんとね。動かずに考えているだけなのは嫌いなんだよな。息子もそう。自分の仕事のやり方を子どもの頃から見ているからか知らんけど、いい冷凍設備を入れたり、自販機を置いたり、息子も先を見据えていろんなことをやっていますね」

 さらに、ヒラメだけでは先細りするとの考えに加え、沖縄で食べた海ぶどうの味に感動したことから、平成15(2003)年に海ぶどう養殖に着手。「沖縄よりも海水温が低い鹿児島では無理」とも言われたが、日照時間や栽培時期の工夫をすることで、鹿児島初の海ぶどう養殖に成功した。現在海ぶどうはヒラメと並んで森水産の主力商品である。

 森水産が大切にしているのは「売り手も買い手も廃棄せずに済む商品製造」だという。

 「ヒラメは冷蔵だと消費期限は大体5日間ぐらいですが、冷凍だと1年持ちます。さらに、買い手側も冷凍だと必要なときに出して、手軽に使えるメリットがあります」(正秋さん)

 そこで、アルコール凍結を導入。マイナス約30度の液体に真空パックした魚を沈めて急速冷凍する方法だ。

 「冷凍技術も上がってきて、普通の冷凍庫でゆっくり冷凍するのに比べると格段においしくなりました。でももっと味や食感を追求したかったので、今度はアルコール凍結をする前に、ある特殊な処理をして魚の水分というか臭みを抜くようにしたら、食感も味も、かなり納得のできる刺し身が作れるようになりました」(正秋さん)

冷凍で消費期限の長い商品を作ることに加えて、前回の記事で紹介したように直販できる自販機を置いたことでヒラメを無駄なく加工できるようになり、廃棄率の大幅な削減に成功した。

■企業養殖が増えていく中で、家族経営

 近年は大手企業が資本力を生かして陸上養殖に参入する例が増えている。そんな中で、家族経営の養殖場だからこその生存戦略は何かあるのだろうか。

 「うちの家内も、大手が養殖を始めたけどうちは小さいから潰れるんじゃないのって心配していました。でも私は反対だと思うんですよね。大手になれば設備投資も従業員もそれなりに入れるわけでしょ。自分なんか設備もそんなにせんでもいいし、人件費もそんなにかからない。何かあった時はすぐ動けるから、小規模なのが強み」

 実際に韓国に買い付けに行ったり、加工場を設けたり、冷凍設備強化や自販機設置を行ったり、海ぶどうの養殖を始めたりと、常にフットワーク軽く対応してきたことで今がある。

 「ひらめ養殖一本だけでやっていて廃業したところをたくさん知っています。同じことはずっと続かんから、常に次は何をすべきかを考えている。今は海ぶどうが好調だから、これを鹿児島で広めるにはどうするかって考えています」

 2代目の正秋さんも、海ぶどうの販売に意気込む。

 「鹿児島市内のお客さんから、海ぶどうを買いたいと問い合わせの電話をたくさん頂いているので、自販機を鹿児島市内にも置けないか検討中です。海ぶどうもですけど、ヒラメを食べたことのない人は、体感としては鹿児島でもかなり多いですね。もっと身近に感じてもらいたいと思っていますし、その足がかりが自販機なので、強みを生かして広めていきたいです」

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最終更新:5/16(木) 16:42

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