「ルフィ」ら4人が合流した街ススキノで「商売のやり手」が犯罪者になり果てたワケ

4/23 19:01 配信

ダイヤモンド・オンライン

 被害総額60億円と言われている広域特殊詐欺事件、通称「ルフィ」事件。多くの若者を手駒にし、犯罪を繰り返した幹部たちはススキノで出会い、ルフィ事件の“原型”となる事件を起こしていた――。実行犯たちの素顔に迫ったルポルタージュ『「ルフィ」の子どもたち』(扶桑社新書)より一部を抜粋・編集しお送りする。

● 「ルフィ」事件の 事実上の捜査集結宣言

 事実上の捜査終結宣言2023年師走――。90代の女性が強盗犯に暴行を受けて亡くなった忌まわしき「狛江事件」から1年が経とうとしていた。

 そしてこの1年間は、大なり小なり、ルフィに関連する報道が途切れることはなかった。しかし、2023年12月初旬に報じられた「ある重大な契機」は、事件発生当時からしたら、考えられないほど小さな扱いだった。

稲城の強盗を指示容疑、「ルフィ」ら4人再逮捕 全国8件目で区切り
 全国で相次いだ強盗事件のうち、昨年月に東京都稲城市で起きた事件を指示したとして、警視庁は日、フィリピン拠点の特殊詐欺グループ幹部4人を強盗致傷と住居侵入の疑いで再逮捕し、発表した。同グループ幹部を強盗の指示役として立件するのは8件目で、捜査の区切りとなる。
 4人は実行役8人と共謀して昨年10月20日、稲城市の住宅で、30代女性を粘着テープで縛るなどの暴行を加え、現金約3500万円や金塊など約140点(計約860万円相当)を奪った疑いがある。4人は「ルフィ」「キム」などと名乗り、フィリピンからスマートフォンなどで指示したと同課(警視庁捜査一課)はみている。(朝日新聞デジタル 2023年月5日付 カッコ内は筆者)
 見出しに躍る「区切り」というのは、2022年10月に東京・稲城市で起きた強盗致傷事件をもって一連の「ルフィ事件」の捜査を終えたことを暗に意味していた。事実上の捜査終結宣言だった。つまり、当初数十件の強盗事件や特殊詐欺事件での余罪が考えられていた「ルフィ」らに関して、公判維持が可能と逮捕にこぎつけたのは結局8つの事件だけだったことを示していた。警察による事実上の「捜査終結宣言」は相当な数の事件が“闇に葬られた”ことを意味する瞬間でもあった。

 しかし、1年近くにわたり取材を続けてきた私たち取材班にはある共通の思いが芽生えていた。「なぜ若者たちが『闇バイト』に手を出すようになったのか」ということだ。

 一方で、「ルフィ」たち幹部自身も堕ちた人間ではないかという思いに駆られるようにもなっていた。「ルフィ」もまた「闇バイト」に応募してきた若者たち同様、使い捨てのコマの一つたった可能性もある。そうなれば、再逮捕となった「ルフィ」たちの半生を明らかにせねば、この取材を終わらせることはできない。今村磨人、渡邉優樹、藤田聖也、小島智信、「ルフィ」幹部4人が出会ったとされる繁華街、札幌市のススキノを回ってみることにした。

● ススキノを牛耳っていた 反社とのつながり

 今から15年ほど前、ススキノの中心地にほど近い雑居ビルの一角に「アキア」という女性が接待する店があった。形態はススキノの用語では「ニュークラブ」、東京でいうところのキャバクラだ。その店の代表が今村だった。今村が20代半ばのころだ。

 今村は羽振りがよかった。ススキノの住人たちがはっきりと記憶している。「アキア」があったビル近くで飲食店を経営する男性が振り返る。

 「店が終わったあとに、女の子をよくウチに連れてきてくれましたよ。ニコニコして愛想よくて。ススキノになじもうと顔見知りの人が新店を出すと、大きな祝花を贈ったりしてね。汚い飲み方をするわけでもなく、感じのいい人という印象しかない。その後も、当時のススキノでは珍しかった男性を使う店、ホストクラブのハシリみたいな店、メンズパブとかメンパブとか呼んでいたけど、そんな店を開いてはやらせていましたよ」

 20代半ばにしてススキノでは知られた「やり手」だった。

 「10代のころから客引きや黒服をやって成り上がったんだって言ってました。バイタリティのある人間だから、それも納得でしたね」

 そうした今村の商才を認める人間がいる一方で、秘めたる狂気に気づいていた者がいた。今村の店で働いていたという20代の女性と接触できた。

 「普段は本当によい人だったんですけど、今村の店は客層がよくなかったんですよ。F連合というススキノでは有名なヤクザ組織があるんですけど、そこの人がよく飲みにきていて。今村を舎弟扱いしてるわけではないけど、ヤクザがバカ騒ぎしても今村は何も言えなかった。だからちょっと怖くなって店をやめちゃいました」

 F連合というのは6代目山口組系の組織でススキノを牛耳っているとも言われる反社会的組織だ。

 「その当時、ススキノで商売をしていたら、F連合と関係を持たないのは難しかったかもしれないけど、必要以上に親しくしているなと思っていました。今村も札つきのワルで有名でしたから、ウマがあったんですかね」(前出の飲食店経営者)

● 1984年生まれの 若き経営者として意気投合

 1984年に札幌市で生まれた今村は、幼少期には渋谷姓を名乗っていた。しかし、恐喝や傷害事件などを繰り返し、中学3年のときには少年院に入るなどしたことから、「自分のせいで家庭は破綻、親が離婚して今村姓になった」と語っていた。地元の半グレのような存在として名を知られていた。

 この時期、今村はある重要な人物との出会いを果たしている。「ゆうちゃん」と今村が呼ぶ、渡邉優樹だった。

 晴れた日には海岸線から国後島を望むことができる、道東に位置する北海道別海町。今村と同じ年に酪農家に生まれた渡邉は、実家の乳製品の販路を拡大させることを将来の目標として、札幌学院大学経営学部に進学するため札幌にやってきた。しかし、人より牛の数の方が多い町で育った若者にはススキノの刺激は強すぎたのだろうか、大学での勉強がおろそかになり、ススキノに入り浸るようになる。

 その後、今村と同様に黒服を経験し、「ブラックチェリー」というサパークラブというか、ガールズバーの男性版というべき店をススキノでオープンさせている。同じ1984年生まれの「若き経営者」として2人は意気投合したようだ。

 このころの渡邉の評判はすこぶるいい。少年時代から剣道に打ち込んだせいか、裏表のない性格で、従業員の相談役だったという。

 黒服やボーイを自宅に招くと、当時の妻に鍋を用意させ、それを一同でつつきながら夜な夜な盛り上がる。そんな思い出を「楽しかった」と振り返る元従業員もいた。

 商才にも長けていた。ススキノで産地直送の青果店を始めたり、不動産業を始めたり、さらにはチャットレディを使った、今でいうところの「オンラインキャバクラ」のようなシステムの店をつくって営業していた。

 この時、共同代表として渡邉の片腕となり働いていたのが同じく1984年生まれの藤田聖也だった。

 藤田は函館にほど近い、七飯(ななえ)町で生まれた。藤田がどのようにススキノに流れ着いたのかその経緯は判明しなかったが、幼いときには宮本姓を名乗っていたという。

 今もその宮本姓を名乗る藤田の父親を訪ねた。一連の事件には驚きつつも、「もう何年も会っていない。自分には関係ない。今はもう息子だとも思っていない」と実に素っ気ない対応だった。

 ススキノという街で出会った同い年の3人、今村、渡邉、藤田は共鳴し、さまざまな仕事を共にするようになる。ちなみに、ここにのちに幹部となる彼らの6歳上である小島智信も合流している。

 生き馬の目を抜くススキノで、今村や渡邉、藤田が商売を始めて数年が経った。彼らが20代後半に差しかかったころに転機が訪れる。彼らの店が傾き始めたのだ。アイデアひとつで業種を広げていった渡邉だったが、簡単に真似ができる業態だったため、競合店が増え、その業態自体が客に飽きられ廃れていったのだ。

 首が回らなくなった渡邉が考えたのが「ルフィ」の原型とも言える犯罪だった。

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最終更新:4/23(火) 19:01

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