「俺、マタギになる」 31歳、4回転職した男性が「秋田に移住」したワケーー何度も挫折をくり返した末に、「マタギ」という生き方にたどり着いた
伝統的な狩猟法と山岳信仰を持つ、狩猟の民「マタギ」。
その発祥の地といわれる秋田県北秋田市・大阿仁(おおあに)地区で、今月11月1日にクマ狩りが解禁された。
2022年に神奈川県相模原市からこの地に移住して、マタギの後継者になるため修行中のフリーランスのデータエンジニア、岡本健太郎さん(31歳)も銃を担いで、師匠である伊藤優さん(74歳)や先輩マタギたち数人とともに山に入る。
猟期は2月15日まであるが、冬眠に入る前のクマを狙えるのはこの時期だけ。岡本さんは平日の仕事を週3日に詰め込んで、残り4日間はひたすら山を歩き、森の王者ツキノワグマを追い求める。
【写真を見る】ようやく会えた…「伝説のマタギ」91歳の“現在の姿”と、クマを授かった岡本健太郎さん(6枚)
■クマを授かることが、マタギの通過儀礼
岡本さんは今年の春、先輩たちと一緒に山に入った春熊猟※では自分の銃でクマを仕留めることはかなわなかった。
追い込んだクマは山中を流れる川の対岸に現れた。岡本さんたちがいる持ち場からその距離200メートル。岡本さんの銃の射程圏内でない。ライフル銃を持つ先輩たちが狙いを定めて撃ち、授かった。一切の迷いがないあざやかな銃さばきに、思わず感嘆のため息が出る。
※春熊猟は猟期期間外のため、秋田県ではクマの生息調査のための個体数調整捕獲として、推定繁殖数の3割を捕獲上限に許可。
マタギにとって、クマやウサギ、鴨などの狩猟鳥獣や山菜、キノコ、川魚などは、すべて山の神様からの授かりものである。その中でもクマは特別なもので、クマを撃ちとることを、感謝をこめて「授かる」という。
「マタギはクマを授かるための狩猟の腕と胆力を当たり前に持っています。クマを授かることが一人前のマタギと認めらもらうための通過儀礼なので、ウサギやイノシシなど、他の動物ではダメ。だから僕もクマを授かりたいんです」
淡々とした語り口の中にも、一人前のマタギをめざす岡本さんの迷いのない熱量が伝わってくる。だが、マタギという生き方を見つけるまでの20代の数年間は、岡本さんにとって挫折感にまみれて迷走を続ける日々だった。
■「マタギ」という生き方にたどり着くまで
振り返ると、迷走の始まりは大学4年の就活の失敗だったかもしれない。
将来像が描けず、就活に完全に乗り遅れた。4回生の年末ぎりぎりに内定をくれたのは東京の保険会社。仕事は電話営業だった。「これくらいならやれる」と思って入社したものの結果を出せない。挫折感に耐えきれず、1年半で退職する。
地元の静岡に帰って再就職したのも保険会社。ここも、妻との結婚後、上京して起業するために退職。だが起業はあえなく失敗し、食いつなぐために日払いの個室ビデオ店の店員に。
客が汚した個室を掃除しながら、心の支えは中学時代から心酔している北方謙三の小説だった。逆境の中でも自分を貫く強い男たちの生きざまが、折れそうになる岡本さんの心を鼓舞する。
じり貧を脱出するために、岡本さんは一念発起。当時、トレンドになりつつあったITエンジニアをめざして、プログラミングのスクールに通い始める。
受講期間は半年。学費30万円は用意できず、ローンを組んだ。がちがちの文系でITスキルはゼロ。ぎりぎりの成績だったが、卒業後はシステムエンジニアリングサービス企業に採用が決まり、27歳でエンジニアデビュー。ようやく安定した人生のレールに乗れたと思った。
しかし……。派遣先のクライアントに常駐し、山のようにある仕事が終わらず、ノルマに追われながら毎晩終電で帰る日々が続くうちに、再び岡本さんの心は曇り出していく。都会の無機質な生活に息苦しさを感じるようになり、週末のたびに山に向かった。
そんな時期に偶然、書店で見つけたのが『マタギに学ぶ登山技術』という本だった。
山の脅威も恩恵も知り尽くした秋田や青森のマタギたちの山歩きの技術からマタギという生き方、精神性まで、すべてに岡本さんは衝撃を受けた。
山で暮らしの糧を得て生きている人々がいる。一気に読み終えたあと、「自分もこういうふうに生きていきたい」と強く思った。生きることと日々の営みが直結している確かな感覚が欲しい。
悶々と過ごした年月も自問自答の日々も一括清算、岡本さんは人生を賭ける決意した。
「秋田に移住して、マタギの後継者になる」
■「伝説のマタギ」との出会い
移住を決めてから、岡本さんの行動には迷いがなかった。
2021年の冬、北秋田市の移住体験プログラムに妻と一緒に参加。マタギの山歩きを体験して、頭の中でイメージしていた世界そのものだと確信する。
移住にあたって、一番の課題は妻の同意だった。話し合いの末、岡本さんの収入アップを条件に移住を認めるという約束を取りつけた。その頃には仕事のスキルもあがっていたので、妻の条件をクリアするためにフリーランスに転身。テレワークの環境さえあれば、どこでも仕事ができることも独立の大きなメリットだった。
こうして岡本さんは北秋田市に円満移住をすることができた。
現在、岡本さんには師と仰ぐ2人のマタギがいる。1人は、前述の伊藤優さん。若い頃から射撃の大会で何度も優勝経験を持ち、歴代の阿仁マタギの中でも射撃の名手として名高い。冬眠中のクマを穴からおびき出して仕留める穴熊猟でも、その腕は冴えわたる。
「穴熊猟では、クマは煙でいぶされたり、棒でつつかれたりするので、明らかに人間を外敵だと認識して、殺すつもりで穴から出てくるんです。しかもクマとの距離は巻き狩りと違って至近距離。優さんは厳寒期の穴熊猟に1人で行ってクマと対峙するんです。本当にかっこいいなと思います」
もう1人の師匠は、岡本さんが「親方」と呼ぶ、元シカリ(リーダー)の松橋吉太郎さん(91歳)。伝説のマタギと言われている人だ。
83歳まで現役を続け、91歳の今も岡本さんと一緒に山を歩く。伝説たるゆえんは銃の腕はもちろん、阿仁のすべての山を熟知し、あらゆる経験が頭の中にぎっしりと詰め込まれているから。
岡本さんが聞けば、なんでも教えてくれる。山の地形や歩き方、火の起こし方。クマの撃ち方と心構え。クマの猟場や通り道、冬眠穴の場所。山菜やキノコが生える場所、イワナやヤマメが釣れる場所――。
「過去の武勇伝もノリノリで教えてくれます(笑)。優さんに、『岡本を頼む』と言ってつないでくれたのも親方です。面倒見がいいとか、そんな平たい言葉では表現できないくらいに人間的にすばらしく、本当に可愛がってもらっています」
■マタギに惹かれる若者たち
ここ数年、岡本さんのようにマタギの生き方に共感し、マタギになるために阿仁地区に移住してくる若者たちが現れ始めている。共通するのは、「混沌とした現代社会で、『生きるとはどういうことか?』を自分や他者に問い続けていること」と岡本さんは言う。
その答えを岡本さん自身はマタギの生き方に見いだした。
「現代社会は人も動物も“死”が遠ざけられています。汚いものを覆い隠して社会の秩序を形成することで、“生”の感覚までも奪われていくような気がするんです。でも僕たちマタギは日々、山に入って、当たり前のようにクマも魚も鳥も自分の手でその“生”を仕留めて、山の神様に感謝しながら食べる。ありのままの命の連鎖が日常と地続きにあるんです」
もう1つ。シカリが統率するマタギという組織のあり方にも、岡本さんは惹きつけられる。
「僕の主観的な感覚ですが、マタギは1つの群れなんですよね。だからシカリという群れの長に従うことは、組織の上下関係とも職人の師弟関係とも違う、生きるための本能的なもののような気がします。僕はもともとプライドがめちゃくちゃ高くて、実は人に命令されたくない人間なんです。ちっぽけなプライドなんですけど(笑)。でも猟場のシカリの指示や命令は本当にすーっと頭に入ってくるんです。だって、従わないと死んでしまいますから」
マタギには巻き狩りという伝統的な猟法がある。集団で猟場を囲み、「勢子(せこ)」が射手の「ブッパ」が待ち構える持ち場にクマを追い上げていく猟法である。巻き狩りの場で勢子やブッパを指揮するのは、群れのリーダーであるシカリだ。
しかし、物事は基本的にベテランクラスとの合議制で決めるという。猟場の地形を見て、人と場所の配置を話し合い、「んだな、それで行ぐべ」とシカリが皆に告げる。
「組織の社内政治よりよっぽど優れている」と岡本さんは言う。授かったクマの肉はマタギ勘定といって全員に平等に分配する。射手や勢子という役割に上下はなく、シカリが皆に「ごくろうであった」と分け与えるものでもない。
■ついに…クマを授かった
昨年、岡本さんは松橋さんから教えてもらった猟場に1人で向かった。早く一人前のマタギとして認められたかった。
地形図を広げて、「必ずクマがいる場所はどこですか?」と聞く岡本さんに、松橋さんが示したのは、かつてマタギの最盛期に主要だった場所。険しい山の奥深くに潜む猟場だ。
尾根の風上に立つと、風下からゆっくりと山の斜面を登ってくるクマが視界に入った。銃を構えて距離を計る。怖さは一切ない。
60m、50m、40m。射程距離に入ったと同時に引き金を引いた。弾は臀部に当たり、クマが尾根を駆け下りて逃げていく。岡本さんは考えるより速く全速力で追いかけて、じりじりと距離を詰め、2発目を撃った。そして倒れ込んだクマにとどめの一発を撃ち、授かった。
「ショウブ! ショウブ!」
マタギがクマを仕留めたときに仲間に知らせるかけ声を、山に向かって腹の底から叫んでいた。
山から戻り、松橋さんにクマを授かったことを報告すると、「よぐやった」と言ってもらえた。恐る恐る質問する。
「俺、マタギって名乗れますか?」
「1人でクマを獲る奴はそんなにいるわげねがら、1人でクマ獲ったがら、岡本はマタギだ」
1年前の松橋さんとの会話を思い出すと、岡本さんは誇らしい気持ちになる。まだまだ、これからだ。今年の冬は伊藤さんの穴熊猟について行くつもりだ。
岡本さんがマタギ修行する大阿仁地区では、「マタギ文化や狩猟技術を一緒に継承する仲間を募集している」という(公式HP「阿仁マタギの伝統を継ぐ」)。
【写真を見る】ようやく会えた…「伝説のマタギ」91歳の“現在の姿”と、クマを授かった岡本健太郎さん(6枚)
東洋経済オンライン
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最終更新:11/30(土) 9:32