子どもと接する仕事に「性犯罪歴を確認」する是非  小児性愛型の同種再犯率は5年間で5.9%

5/24 15:02 配信

東洋経済オンライン

 子どもに接する仕事に就く人の性犯罪歴を確認する「日本版DBS(Disclosure and Barring Service)」を導入するための審議が国会で始まった。

 日本で、子どもに対する性犯罪が後を絶たない中、2022年にはいわゆる「わいせつ教員対策法」が施行された。そこでは、わいせつ事案などで教員免許を剥奪された者のデータベースを構築。本人が再取得を希望した際に、再犯の蓋然性が少しでもある場合は、「基本的に再授与を行わない」などの厳しい対応がなされることが決まった。

 しかし、子どもと密接に接する職業はほかにも多数ある。教員だけを縛っても、抜け道がたくさんあれば、子どもの安全を守ることはできない。

 子どもを性犯罪から守ることは、社会のわれわれ1人ひとりに課される重要な課題だ。性犯罪は、被害者のその後の発達に悪影響を及ぼしたり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のようなメンタルヘルスの問題を引き起こしたりする。

■性犯罪の再犯率はどの程度? 

 子どもに対する性犯罪によって有罪となった者が、その後同種の犯罪を起こす割合(同種再犯率)は、どれくらいだろうか。法務省の調査では、小児性愛型の同種再犯率は、5年間で5.9%とされている。また、対象は子どもとは限らないが、痴漢の再犯率は36.7%、盗撮は28.6%と高い数字となっている。

 性犯罪を防止するためには、さまざまな方法がある。それらは大きく、①厳罰的・抑止的アプローチと、②治療的・再統合的アプローチに分けることができる。

 ①は、厳しい罰や監視等によって、再犯を防止しようとするもので、刑の厳格化、GPSによる電子監視、化学的去勢、性犯罪者登録などがある。すでに英国で実施されているDBSは、この性犯罪者登録の1つのバリエーションといえる。

 ②は、治療、教育、福祉などのヒューマンサービスによって、再犯を防止するとともに、社会復帰を支援しようとするものだ。治療には、薬物療法や心理療法(認知行動療法)があり、福祉には居住場所の支援、職業訓練や就労支援などがある。

 「わいせつ教員対策法」によって、性犯罪の前歴のある者から教員免許を剥奪し、長期間、あるいはほぼ一生にわたって教壇に立てなくすることは、物理的に犯罪の機会を剥奪することができ、再犯へのハードルは相当高くなると言えるだろう。

 さらにDBSの導入によって、性犯罪の前歴のある者が、学校、保育所のほか、学習塾、学童クラブ、ベビーシッター、スポーツクラブ、芸能事務所など、子どもと密接に触れ合う機会のある職種に就く機会を剥奪することができれば、さらに安全性は高まるだろう。

 この方法は、心理学的な視点からも理に適っている。刑務所や保護観察所で実施されている「性犯罪者再犯防止プログラム」では、性犯罪者の再犯を抑制するためには、「“引き金”を引かないことが鍵になる」と繰り返し教育する。

■我慢だけではどうにもならない

 たとえば、子どもに対する性犯罪の最も大きな“引き金”は、言うまでもなく子どもとの接触だ。さらには、子どもが集まるイベント、公園、通学路、電車なども同様に危険な“引き金”となりうる。

 治療では、これら“引き金”をできるだけ多く見つけ出し、今後それをどのようにして避けていくかを考え、実際の行動を変容していく。ひたすら「我慢する」だけでは効果がないからだ。そもそも「我慢する必要がない」ような状況に身を置き続けることが重要なのだ。

 再犯をしないといくら心に誓ったとしても、そしてその誓いが本心からのものであったとしても、“引き金”が引かれると、その誓いはもろくも崩れ去ってしまい、再犯に向かって坂を転げ落ちてしまう。反復される性犯罪は、「依存症」的な側面を有しており、意志の力だけではどうにもならない。

 したがって、子どもとの物理的な接触をする機会をできる限りなくすことが治療の根本にあり、子どもと密接に接触する職業に就くということは、絶対にあってはならない。この意味において、教員免許の剥奪や、DBSの導入には大きな意味があるし、効果もあると考えられる。

 しかし、DBSも万全とは言い難い。第1に、すでに多くの人が指摘しているように、DBSを活用する職業の範囲をどこまで広げるかという問題がある。法案で義務化されるのは、学校、保育所、児童養護施設などに限定されている。

 その他の学童クラブや学習塾などの民間事業所は、「認定制度」となり、一定の条件をクリアし、認定を受けた事業所のみがDBSによる前科の確認を行うことになる。認定を受けない事業所もあるだろうし、個人事業主として家庭教師やベビーシッターを行う者もいるだろう。

 一方、いたずらに業種を拡大しすぎると、憲法で保障された職業選択の自由を脅かすことにつながるし、前歴のある人から就労の機会を奪うことになる。

 性犯罪者に限らないが、犯罪者が更生し社会復帰するうえで一番重要なことは、就労であり、それによって社会的な関係を再構築することだ。これが犯罪抑止に及ぼす効果は非常に大きい。

 就労によって経済的余裕ができ生活が安定すると、人と人とのつながり、すなわち社会的関係ができる。そして自信や自尊心が育まれ、何かにコミットして忙しい時間ができることなど、そのメリットは大きい。逆にこれらがないと、再犯のリスクが格段に拡大する。

 DBSによって犯罪防止のために就業へのハードルを高くしてしまうと、それは逆に再犯リスクを高めてしまうことにつながるのだ。

■性犯罪の前歴チェックに課題

 第2に、「性犯罪の前歴」をどのように定義するか、そしていつまで前歴をチェックするのかという問題だ。

 法案では、拘禁刑のほか、罰金や執行猶予まで含むとされており、不起訴になったケースまでは含まれない。たとえば、被害者との間で示談が成立し、犯罪事実はあったとしてもそれが軽微で、被害者が寛恕の心を示しているのであれば、不起訴となることはめずらしくない。

 あるいは、いったん嫌疑がかかったとしても、証拠が不十分であったり、犯罪事実がないことがわかって不起訴となったりするケースもある。この場合、冤罪のケースも含まれるだろうから、不起訴になった場合にまで対象を広げることは不可能だろう。

 犯歴が照会される期間については、法案では拘禁刑が20年、執行猶予と罰金は10年間とされている。これに対し、「20年や10年では短すぎる。一生、子どもに近づく仕事には就けないようにしてほしい」という意見も根強い。

 一方、刑法では、刑の執行を終えてから罰金以上の刑に処せられることなく10年が過ぎれば、刑が消滅する(前科がなくなる)ことが定められている。20年間の長きにわたって犯歴が照会されるというのは、通常の犯罪ではありえないことで、人権上の問題が指摘されている。

 第3に、対象となる罪種も限定されている。法案では、子どもに対する性犯罪、児童ポルノ所持などに加えて、痴漢のような条例違反も対象となったが、下着窃盗などは除外された。

 性犯罪は、同種事犯を繰り返す者がいる一方で、多種多様な別の犯罪に手を染める者もいる。今回は下着窃盗の事案であっても、次は別の性犯罪に及ぶ危険性がないとは言い切れないため、この線引きには合理性が乏しい。

■性犯罪は発覚しない件数が多い

 このように、日本版DBSによって、憲法の保障する職業選択の自由を制限し、長きにわたって犯歴という個人情報を他者に提供するという「大ナタ」を振るうには、抑制的でなければならない一方、抑制的になれば「網の目」が広くなってしまって、取りこぼしがあるリスクがある。

 さらに、性犯罪は暗数が多いことで知られる。発覚していない犯罪が多数あるということだ。これは被害者が恐怖心や羞恥心から被害を届け出ないこともあるし、届け出たとしても加害者の検挙に至らないということもある。

 子どもの場合は特に、被害を受けていてもそれが性加害だと認識できなければ、加害者を取り締まることができない。このような場合は、当然犯歴として残らないため、網の目をかいくぐって性犯罪を続ける可能性もある。

 このように、DBSには現実的な限界や人権上の懸念があり、その導入が期待されているものの、その効果は万全からは程遠いと言わざるを得ない。しかし、それを補完する方法がある。

 先に、性犯罪対策は厳罰的・抑止的アプローチのほかに、治療的・再統合的アプローチがあると述べた。これらは排他的で二項対立的なものではなく、それぞれの利点を生かして補完し合うべきものだ。

 DBSという制限的な方法を実施するのならば、それと抱き合わせて、治療や福祉のようなヒューマンサービスを一層充実化させるべきだ。これが、DBSの限界を補うことにもなる。

■代わりの職業への就職サポートを

 たとえば、職業選択の自由を制限するのであれば、代わりの職業に就きやすくするための、職業訓練や就労支援を併せて行うべきだ。先に述べたように、就労の機会を剥奪すれば、社会から孤立した元犯罪者の再犯リスクが格段に高くなるからだ。そして、本人が社会復帰を遂げ、社会に再統合されるには、就労が一番身近で現実的な方法だからだ。

 犯罪者を憎み、社会から排除するだけでは、犯罪は決してなくならない。ひとたび犯罪に手を染めたとしても、反省し罪を償った後に社会に戻ってきたとき、その者に居場所や活躍できる場所を提供し、社会が彼らを受け入れる必要がある。そうして初めて、本人もその居場所や社会的なつながりを愛し、それらを失うことを恐れるため、犯罪というリスクを冒さなくなるのだ。

 そして、もう1つの重要な対策は治療だ。これはいくら強調してもしすぎることはない。数々の性犯罪対策のなかでも、最も確実な効果があるのは治療だ。刑務所に10年20年入ったとしても、あるいは生涯にわたって子どもと接触する職場から追放したとしても、本人の問題性自体が自然に変化するわけではない。

 犯罪に至ったパーソナリティの問題、逸脱した性的衝動、認知のゆがみ、不適切な行動パターンなど、犯罪に関連する根本的な問題を修正しなければ、再犯のリスクは高いままだ。

 現在刑務所などでは、認知行動療法という心理療法が実施されているが、それは再犯率を30ポイント程度下げる効果があることが明らかになっている。しかし、刑務所に入った全員が治療プログラムを受講できるわけではないし、出所すれば治療を受ける機会は閉ざされる。また、執行猶予や罰金で済んだものは、そもそも治療を受ける機会すらない。

■治療サービスの拡充が効果的な対策

 社会で、このような治療サービスを提供することは、刑務所で提供するよりも効果が大きいことがわかっている。したがって、DBSのような抑止的アプローチと組み合わせて、社会の中でこのような治療サービスを拡充することが、現時点でできる最も効果的な対策だ。

 しかし、わが国には、性犯罪者を治療できる施設や専門家が圧倒的に不足している。したがって、DBSの実施に先立って、治療専門家の育成、治療施設の拡充などを進めることが喫緊の課題だ。

 被害者の人権を守り、将来の被害を防止するために、将来的に加害の恐れがあるという理由で「かつての加害者」の人権に一部制限をかけることを許容するのが、このDBSという制度だ。

 子ども安全を第一に置くことはもちろんだが、性犯罪を憎み恐れるあまり、感情的な大ナタを振りすぎないことも同じように重要だ。その大ナタは、逆に社会を傷つけてしまうかもしれないからだ。さまざまな方面からの慎重な議論を求めたい。

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最終更新:5/24(金) 15:02

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