「働き口がない」早稲田院卒55歳男性のジレンマ 美しい文章を操る能力と「振る舞い」のギャップ

5/17 5:41 配信

東洋経済オンライン

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
今回紹介するのは「海外で大学教員をしていたこともありましたが、日本に引き揚げてからは壁にぶち当たってばかりです」と編集部にメールをくれた55歳の男性だ。

■美しい日本語で綴られたメール

 ケイスケさん(仮名、55歳)に取材依頼のメールを送ったところ、返信の件名欄に「奉答」とあった。つつしんで答えるという意味だ。本文では取材に応じますとの旨と、所用で都合のつかない日程が記載され、「無理なお願いの数々、枉(ま)げてご容赦頂ければ、幸甚至極でございます」。最後は「御健勝と御活躍とを心より念じ上げます」と結ばれていた。

 ケイスケさんは早稲田大学の大学院を修了。博士号を取得し、30代のころは台湾の大学で専任教員を務めた。しかし、50歳を過ぎてから発達障害の診断を受ける。もともと得手不得手の差が激しく、現在はパートや障害者雇用で働くことも難しいという。

 メールでの言葉選びにわずかな堅苦しさを覚えつつも、それ以上にていねいで美しい日本語が印象に残った。

 一方で実際に会ったケイスケさんはファミレスのボックス席に座るや否や、自身の主治医との出会いや中高年の発達障害の人たちによる当事者団体のこと、本連載の内容を批判するユーチューバーのことなどを矢継ぎ早に話し始めた。

 これでは取材にならない――。私はケイスケさんの話を遮ると「お話が長くなったり、質問の答えから外れていったりした場合はその都度制止してもよいですか」と尋ねた。ケイスケさんは「ありがとうございます!  それはまさに私(わたくし)の障害の特性ですので、ぜひそのようにしてください」と答えた。

 ともすれば一方的になりがちな語りを制しながら聞き出したケイスケさんの半生はおおむね次のようなものだった。

 子ども時代、勉強はトップクラスだったが、スポーツはおしなべて苦手。ドッジボールなどはいくらルールを説明されても理解することができなかった。手先も不器用でトランプを切ることができなかったという。

 一方で親戚にご詠歌をたしなむ人がいたことから、幼稚園のころから仏教に関心を持つようになる。中でも即身仏(僧侶のミイラ)への興味が募り、関連の書籍などを読みふけり、どの寺にだれの即身仏があるかをそらんじることができるほどだったという。

■大学卒業後は新聞社で働き始めた

 小学校のころはたびたびいじめに遭った。このため中学からは中高一貫の進学校に入学。いじめは収まったものの、友人は少なかった。その分勉強に精を出し、早稲田大学第一文学部へと進む。卒業後は新聞社の校閲記者として働き始めた。

 「本当は大学院に進み研究者になりたかったんです。でも、何社か試験を受けたところ、一社だけ合格したので就職することにしました」

 しかし、職場では連日のようにミスを繰り返したという。元原稿と印刷された紙面との間の間違いなどを見つける仕事で、3と8、6と9といった外形が似た数字を取り違えてしまう。その結果、電話番号や日付、数字の多いスポーツ面などの誤りをたびたび見落とした。先輩記者からはそのたびに「何カ月この仕事、やってんだ!」「このままじゃ一面は任せられない」と叱責されたという。

 ケイスケさんが関心のある宗教や文化関連の紙面を優先的に担当させてもらうなどしたものの、結局うつ状態となり2年余りで退職。あらためて大学院に進学し、念願だった日中の仏教史を専攻する。台湾への留学を経て30代なかばで博士号を取得した。

 大学院修了後は自身の専門分野とは違うものの、台湾の大学で日本語を教える専任教員の仕事を得る。しかし、ここでも職場での評価は厳しかった。ケイスケさんにとっては文法を体系的に教えることが難しかったという。学生からは「文法の細かい部分を教えてもらえない」「授業中に仏教の話をしないでほしい」などと酷評されることもあった。ここでは5年ほど勤めた後、任期途中でリストラされてしまう。

 ケイスケさんが興味のあるものに傾ける情熱はすさまじい。台湾で仏教史の研究をするにあたり、現地で使われている繁体字を習得するため、青山霊園や谷中霊園に通い詰め、漢文で書かれた墓誌を書き写した。一方で日本語を教えるノウハウを身に付けるための努力は十分ではなかったと、ケイスケさんは認める。「大学の近くに仏教関係の書籍を出版する会社があり、(空いている時間は)そこに通うようになりました。自分の好きな分野の付き合いに没頭してしまったんです」と打ち明ける。

■ミスを連発し、仲間から暴言をあびた

 帰国後は住職がいない無住寺院の管理人になろうと、所定の寺院で修行を行ったものの、体を使う作業が多いゆえにミスを連発。仏前に備えるお膳を落としたり、ほうきを使うときの力加減がわからず、庭の落ち葉だけでなく砂利まで集めてしまったり。自分の子どもほど年齢の離れた修行仲間からは「のろま」「クズ」「殺すぞ」といった暴言をあびた。

 修行は終えたものの、管理人になることは断念。このとき上司に当たる「道場長」から勧められて精神科を受診したところ、自閉スペクトラム症(ASD)と診断された。

 ここ数年の収入は、台湾の宗教法人から依頼をされた書籍を毎年数冊ずつ日本語に翻訳することで年間約100万円の報酬を得ているほか、障害年金が毎月約7万円。加えて同居している母親の年金が同15万円ほどあるという。

 ケイスケさんによると、翻訳作業は「生きがい」といえるほど楽しく、いつも1年分の仕事を半年余りで完成させてしまうという。「ほかの言語の翻訳も委託しているようですが、(宗教法人からは)私の仕事が一番早いという言葉をいただいています」。

 しかし、問題は残りの半年だという。少しでも収入を増やそうとアルバイトをしてみても、数カ月と続かない。郵便局の集配の仕事では作業スピードについていくことができず、パソコン入力の仕事ではエクセルの使い方を習得することができず、いずれも自ら辞めた。

■高学歴ゆえのプライド

 ハローワークを通し、障害のある人などがサポートを受けながら働くことができる就労継続支援B型事業所や同A型事業所を見学したこともある。そのときの感想を、ケイスケさんは「差別的なことを申し上げてすみません」と謝りつつ、次のように語った。

 「B型では農作業をしていましたが、(利用者の)多くはお顔立ちなどから知的障害のある人だとわかりました。A型では(菓子箱などの)箱折り作業を体験したのですが、いわゆる単純作業です。大学院で博士号まで取り、大学でも教えていた人間がどうしてこんなところでと思うと悲しくなってしまいました」

 高学歴ゆえのプライド。ケイスケさんは「いずれはこういう気持ちとも折り合いをつけなければ」とも言った。結局、B型事業所はケイスケさんから利用を断り、A型事業所はケイスケさんの作業スピードが遅すぎるとして事業所のほうから断られたという。

 今すぐに生活に困るわけではない。しかし、いずれは母親の年金には頼れなくなるだろう。翻訳の仕事だっていつまであるかわからない。非正規雇用でも就労支援施設でも働けないもどかしさや不安について、ケイスケさんは「オールのないボートに乗っているようなもの。そしてそのボートは近い将来、滝つぼに落ちることがわかっています」と表現した。

 私事だが、私は新卒で新聞社に就職し、最初の1年間は校閲部に配属された。生来注意力に欠けるところがあり、私もケイスケさんと同じようなミスを犯したことがある。ただ上司に叱責されてからは細心の注意を払うよう心掛け、以来ケアレスミスはなくなった。

 注意力散漫な私にとって校閲作業はそれなりにストレスだったが、自分に負荷をかけることで乗り切ることができた。しかし、発達障害の人は相当の努力をしてなんとか水準に到達することができるかどうか。努力してもできない、あるいはケイスケさんのようにそもそも「好きなことでないと努力が難しい」という人もいる。身勝手に映るかもしれないが、それが発達障害の特性なのだ。

■囲碁と仏教史の違い

 さらに話がそれるが、私は韓国ドラマが好きでよく視聴する。ケイスケさんの話を聞いていて以前見た「応答せよ1988」という作品に登場するチェ・テクという天才棋士のことを思い出した。彼は囲碁の試合で多額の賞金を稼ぐ一方で、カクテキ(大根キムチ)を箸でつかむことができず、靴ひもを結ぶことができず、アワビがゆの温め方を説明されてもまるで理解できない。ドラマの中では発達障害への言及はなかったが、幼馴染たちの中でもとびぬけて運動神経が悪いことをうかがわせるエピソードもあった。

 就労継続支援施設の印象をこわばった表情で語るケイスケさんを見ていると、囲碁と仏教史の違いは何だろうと思ってしまう。それは社会的なニーズやすそ野の広さにあるのだろう。ケイスケさんは「仏教史の研究だって日中友好に役立ちます」と主張するが、障害の有無にかかわらず仏教史で食べていける人は、やはりほとんどいないのではないか。

 ケイスケさんは「社会に参加したい。役に立ちたいんです」と訴える。そのためにどんな支援が必要かと尋ねると、「例えば新聞社や大学で自分の得意な分野を担当させてもらえればよかった」という。私が「それは支援ではなく、特別扱いでは」と言うと、「おっしゃる通りかもしれません」とうなだれた。

 一方で「障害者雇用はもっと多様であるべきです」との指摘は一理あるように感じた。「大人の発達障害が増えた」とされるが、実態は「発達障害の診断を望む大人が増えた」ということだろう。背景には社会の変質がある。かつては障害特性を持った人たちも内包してきたコミュニティーが彼らを受容しなくなった。

■特性に応じた選択肢があってもよいのでは

 排除の是非は置くとして、発達障害の人にも生活はあるし、社会と関わりたいと望むのも当然だ。私たちの社会が発達障害の診断を望む大人を生み出したのなら、せめて障害者雇用は最低賃金水準の単純作業や農作業だけでなく、その特性に応じた選択肢がもう少しあってもよいのでは。

 最後になぜ取材を受けようと思ったのかと尋ねると、「私みたいになっちゃいけないということを知ってもらいたかったから、でしょうか」とケイスケさん。美しい文章を操る能力と、一方的に話し続ける振る舞いからくる違和感。出会って真っ先に感じたギャップはケイスケさんの生きづらさを象徴しているようでもあった。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

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最終更新:5/17(金) 5:41

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