スタディツアーから中国語MBAまで 中国の経営者がいま日本に殺到する深い理由

3/7 5:21 配信

東洋経済オンライン

 東京・大久保といえば、中国、韓国からネパール、バングラデシュまでさまざまな国の人が集う多国籍の街だ。その一角にある桜美林大学の新宿キャンパスで、中国人の男女が熱気を帯びた議論を交わしていた。飛び交う言葉はすべて中国語だ。

 教壇に立つ中国福建省出身の女性は、日本でマーケティング会社を起業した経験を語っていた。そのプレゼンが終わると、長時間にわたる質疑応答が始まった。

 「日本にはどのようなビジネス機会があると思いますか?」。一番前に座り熱心に耳を傾けていた中国人学生が問う。

 すると講師は、中国製の商品のクオリティが上がってきており、日本でもアマゾンや楽天を通じて販売する機会が増えていることを指摘した。これを受けて教室では学生との議論がさらに白熱した。学生といっても、実は中国で企業を経営しているメンバーがほとんど。講師に劣らぬ経験を持っているだけに、やりとりは丁々発止だ。

 実は、これは桜美林大学が開設したMBA(経営学修士)コースの授業である。2019年、同大学の新宿キャンパス新設と同時に2年コースで「中国語MBA(正式名は亜州商務管理中文班)」が開講された。授業や研究、そして論文やプレゼンテーションまで全て中国語の使用が前提になっている。

 コロナの影響で、本格的に対面授業が始まったのは2023年春だった。現在は、経営者を中心に中国から来たビジネスパーソン10人が在籍する。平均年齢は35歳前後で、皆ほとんど日本語は話せない。

■日本は進出先の有力候補の1つ

 アメリカで「赴美生子」(妊婦がアメリカに行って出産すること)の産後ケアセンターを、中国で民間漢方薬品関連のビジネスをそれぞれ起業したことのある張永平さん(44)に桜美林大学の中国語MBAを選んだ理由を聞いてみた。「中国ではマクロ経済が大変になっているけど、事業をアジアに横展開することは可能だと経営者の間でよく話すんです」という。日本は進出先の有力候補の1つというわけだ。

 張さんは日本にファミリーオフィスのビジネスチャンスがあるのではと興味を持っている。ファミリーオフィスとは、富裕層の一族向けに資産承継、金融や法律、税務、ビジネスまで幅広いサービスを提供するビジネスだ。中国人富裕層の流入をうけ、シンガポールでその設立が相次いでいることが知られる。

河南省でLNGの販売事業や太陽光を含めた新エネ関連事業を展開する経営者の郭暁健さん(51)は若い頃に高等教育を受ける機会がなかった。そのため、体系的に学び学歴をつけられるこのプログラムを選んだのだという。「日本の先進的な経営管理を中国に持って帰りたい」と郭さんは意気込む。

 その他にも学生たちの需要は様々だが、なぜ日本の大学が中国語でMBAを開講するのか。背景に、国内の少子化に直面する日本の大学の生き残り戦略があるのは容易に想像できる。

 しかし、それだけではない。昨今中国では経済成長が鈍化するなか、生き残り策を探るビジネスパーソンの間で「日本に学びたい」というニーズが高まっているのだ。

■中国の経営者が日本でスタディツアー

 コロナ以前から中国では「游学(ヨウシュエ)」(先進国を訪れて各所を視察しながら研修するスタディツアー)は流行っていた。最近では中国の経営者が投資先を探すことを視野に入れ、MBA同窓生などのグループで来日するケースも目立つ。

 首都圏在住で日本への「游学」を10年ほど前から定期的に企画・実施している、在日歴の長い中国人男性が話す。「日本への游学を実施している団体は20くらいあります。北京大学や清華大学、復旦大学のMBAやビジネススクールの長江商学院などがオフィシャルに、または卒業生のネットワークでやっているものもあるし、民間の団体が主催するものもあります」。

 その中心になるのは30~40歳くらいの大都市の企業家だ。野村證券、セブン&アイ・ホールディングス、ユニクロを運営するファーストリテイリング、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ、三菱商事、東レ、日産自動車、トヨタ自動車などが人気の訪問先なのだという。

 彼らの目的は、「少しだけ学ぶほか、一緒に行く経営者と酒を酌み交わし交流を深めること」(同前)らしい。

 最盛期は新型コロナウイルス流行前の2018~2019年ごろだった。年間で数百組の「游学」が実施されたと振り返る。最近は「ポストコロナ」がテーマとなることが多く、毎年100組くらいのペースに回復してきたと言う。

 この男性が企画する「游学」は、宿泊費を含めた費用は1.5万~2万元(約30万~40万円)だが、4万~5万元(約80万~100万円)で参加者を募っているケースもあるそうだ。

 中国の日本経済への関心は高まる一方だ。2023年の前半には中国経済の日本化(ジャパナイゼーション)が話題になったが、後半にかけて中国が日本のバブル崩壊後の轍を踏んでいるという認識が広がり、さらに年末からは日本株への投資に関心が移ってきた。

 1月17日には、上海証券取引所に上場する日本株上場投資信託(ETF)に中国の投資家が殺到し、取引が一時停止された。また1月末時点で東京証券取引所の時価総額が、上海市場を3年半ぶりに上回るなど、「中国下げ、日本上げ」のトレンドが鮮明になっている。

■日本経済の復活を固く信じる人たち

 上海で厳しいロックダウンが実施された2022年からは、中国の富裕層が祖国から「潤(中国語のローマ字表記でrun、英語の「逃げる」とダブルミーニング)」して日本に渡航するトレンドが鮮明になってきた。こうした中国人は押し並べて日本経済の復活を固く信じている。

 こうした人たちに取材をしていると、むしろ日本人が日本経済に悲観的すぎるのではないかと感じてくるほどだ。

 最近、民間経営者が日本を拠点の1つとする動きが相次ぐ。2023年5月には、近年日本で滞在することが増えてきたアリババの創業者ジャック・マー氏が東京大学の東京カレッジで客員教授に就任した。不動産開発会社「万科」を長年率いてきた王石氏も東京でたびたび目撃されている。

 2023年2月には杉杉集団を長年率いてきた鄭永剛氏が都内で亡くなったことが発表され、中国で波紋を呼んだ。同社は浙江省の寧波を拠点にアパレルから多角化した、中国有数のコングロマリットだ。

 桜美林大学が日本初の中国語MBAプログラムを開設したのも、このトレンドの中にあると言える。プログラムを統括する雷海涛教授は、「対日投資の流れが中国で活発になっており、日本経済やビジネス、業界や企業文化といったコンテンツを体系的に学ぶニーズが高まっています。中国語MBAもこのような背景のもとで生まれました」と話す。雷教授は東芝の本社で長年勤務し、中国室長などを歴任した人物だ。

 「明治維新以降に産業化社会に入ってからの企業や業界の変遷、日本人経営者の哲学といった内容に学生たちは強い関心を持っています。最近注目されているのは、高齢化社会対応とか、日本の家族経営の事業継承ですね。30年近くの勃興期を経て、中国の民間企業も後継者を育てたりトップが交代したりするフェーズに入っています。これらのコンテンツはもっと充実させなければならないと思っています」

 これまでも民営・新興の中国企業家の間には、日本企業をビジネスパートナーとして共に中国市場やアジア市場を開拓する試みがあった。だが、「最近は日本をマーケットとして捉える動きが出てきました。これは10年前には見られませんでした」と雷教授は語る。

 2024年度には在籍する学生数が20人に達する見込みだ。雷教授は「近い将来30~40人ぐらいに増やしてもいいと思っています」と強気だ。

 それも無理はない。中国では、一時期隆盛を極めたMBAコースやEMBA(経営者向けの短期コース)への締め付けが強まっているからだ。

 中国ではMBAやEMBAが箔付けに加えて、経営者による人脈づくりの道具としても使われている。2014年には習近平政権による反腐敗キャンペーンのもと、共産党幹部などに対してこれらのプログラムへの参加を実質禁止する通達が出た。共産党幹部と企業との癒着の温床とみなされたからだ。

 ジャック・マー氏が立ち上げたビジネススクール「湖畔大学」も2021年に「湖畔創研センター」への改称を余儀なくされ、その後新規の学生募集がストップした。こうした状況を反映し、アジアを中心に海外で学位取得を目指す中国人企業家が急増している。

 シンガポールでは中国語だけでMBAを取得できるプログラムが以前から存在していたし、お隣の韓国でも慶熙(キョンヒ)大学校が2015年に中国語MBAを始動させた。

 そもそも、中国では経営者が通う定時制MBAコースの学費がうなぎ上りだ。トップ校である清華大では総額41万8000元(約869万円)、北京大では同42万8000元(約890万円)もかかる。一方で桜美林大学中国語MBAは今後学費改定の可能性はあるものの、現時点で総額約270万円と十分に割安感があるのだ。

■日中の近さがアドバンテージ

 さらにアドバンテージとなっているのが日中の地理的な近さだ。中国人学生の中には、中国語MBAに在籍しつつ、中国で経営を続けている人もいる。中国語MBAで学ぶ張黎平さん(48)は自身が深圳で創業した電子部品関連会社への関与は「毎月1回程度(オンライン)ミーティングを開く」程度で済ませているのだそうだ。これも、必要とあればすぐに中国の現場へ飛べる近さからできることだろう。

 中国での「日本に学びたい」というニーズは日本語を学んだ人を超えて広がっている。日中両国の置かれたマクロ・ミクロ経済環境を考えると、「游学」や中国語MBAのような教育サービスへの中国側の需要は今後しばらく増えることはあっても減ることはなさそうだ。

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最終更新:3/7(木) 12:54

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