いま注目される海運のキーワード「内航船」とは一体なにか? 山形県酒田港」に見る地方港の復権

2/7 15:02 配信

東洋経済オンライン

 日本国内の物流を海路から担う、内航船(ないこうせん)。

 そう聞いても、ピンと来ない人が多いだろう。

 物流の主力はトラックであり、船による物流の情報は一般的にほとんど知られていないからだ。そもそも、物流そのものについて、一般的な関心は薄い。

 ところが、いわゆる「2024年問題」がメディアで大きく取り上げられるようになり、状況が変わってきている。

 今回、内航船と港の関係について詳しい話を聞くため、歴史的な商業船舶「北前船(きたまえぶね)」の起点として名高い、山形県庄内地方の酒田を訪ねた。

■目的地は「みなとオアシス酒田」

 酒田までの移動は東京からクルマで約500km。東北自動車道「福島JCT(ジャンクション)」、東北中央自動車道「山形JCT」を経て、山形自動車道で雪深い「月山IC(がっさんインターチェンジ)」から一般道へ。

 国道112号線を走り、「湯殿山(ゆどのさん)IC」付近から山形自動車道 を行くと、眼の前に標高2236mの鳥海山(ちょうかいさん)と最上川(もがみがわ)の自然景観が広がる庄内平野が現れる。

 酒田港に着くと、本港(ほんこう)と呼ばれる地区に「みなとオアシス酒田」がある。新鮮な魚を購入したり食したりできる「さかた海鮮市場」、海の博物館「酒田海洋センター」、そして山形県唯一の有人離島「飛島」への定期船発着所など、庄内地方の人々と観光客などでにぎわう場だ。

  庄内地方は米の産地であり、庄内発の「つや姫」は全国で人気が高い。そのほか、各種農産物や多種多様な魚介類が採れる“美食の地”としても知られており、近隣空港が「おいしい庄内空港」と名付けられているほど、食に対する自信を持つ地域だ。

 そんな「みなとオアシス酒田」エリアにある山形県港湾事務所で、酒田港の過去、現在、未来について意見交換をした。

 対応してくださったのは、所長の本間隆氏、副所長・港湾振興室長の工藤正信氏、そして酒田市からは地域創生部商工港湾課の鈴木孟徳氏である。

 まずは、モーダルシフトに向けた直近の動きを確認した。山形県は、国内物流の一部を、トラックから海上輸送である内航船にシフトさせようというのだ。

 その呼び水として、2024年度(令和6年度)にコンテナ貨物利用の促進助成制度を設けている。特徴は、これまで荷主向けだった助成制度を、航路を担う船社と海貨業者向けに新設したことだ。

 「新規航路・増便助成」といい、船社が1000万円/航路、海貨業者が780万円/航路を上限として、助成を受けられる。さらに、荷主に対しても、上限100万円の「モーダルシフト等促進助成」も設定された。

 「物流の2024年問題」の中で、政府が推奨する地方港の変革の目玉として、内航船による海上輸送に光が当たっている。山形県と酒田市は、このチャンスをしっかり捉えようと積極的な動きを見せているのだ。

 山形県港湾事務所によれば、日本海側のコンテナによる内航船(内航フィーダー)の航路が開設されてから、まだ7か月 ほどしか経っていないという。

■なぜ「内航船」が注目されるのか? 

 日本における物流は、明治以降に鉄道輸送、さらに大正から昭和にかけては一般道路でのトラック物流が盛んとなり、さらに高度成長期になって高速道路の整備が進み、長距離トラック輸送が拡大し、今に至っている。

 そうした中で、京浜エリアや阪神エリアなど、大規模な港がある太平洋側に比べ、物流の量が少ない日本海側の内航船は、事業性を確保しにくいため発展が大きく遅れていた。

そこに、就業時間に対する法的な制約、トラックドライバーのなり手不足、そして環境対策によるCO2

排出量削減など、さまざまな要因が重なり、日本海側の内航船が注目され始めたというわけだ。

 山形県港湾事務所によれば、鈴与海運とコスコシッピングラインズジャパンが連携する新航路(酒田〜新潟〜門司〜博多)の活用に対して、問い合わせがあるという。

 ただし、物流の2024年問題を機に「事業を拡大したい」と考える日本海側の港湾事業関係者も少なくないため、港同士の競争も激しくなってきている。

 各地の声をまとめて聞こうと、物流全般に関する国内最大級展示会である、国際物流総合展(2024年9月10〜13日)を取材したが、日本海側の地方港の港湾関係者、また太平洋側の主要港の港湾関係者と意見交換すると、船舶物流の現状に対してポジティブとネガティブの両面からの声があった。

 ポジティブ面では、「2024年問題によって地方港に光があたる、またとないチャンス」という声が多い。一方で、「港の間での過剰な競争による(荷や航路の)奪い合いになっては意味がない」と、ネガティブな流れを危惧する意見もある。

 そのうえで、国に「陸上輸送に比べて遅れているDX(デジタル・トランスフォーメーション)化を強化した、次世代に向けた具体的なロードマップの提示」を求める声が少なくなかった。

 話を酒田に戻すと、酒田港は山形県内では最大規模の港である。港としての沿革は後述するが、内航船については地理的な課題を抱えてきた。

■「何かをやれば、何かが変わる時期」

 山形県の主要産業は、県庁所在地である内陸部の山形市を中心として、村山地域に多い。そこから京浜地域までの距離は、400km超。高速道路で5時間ほど の立地のため、物流が酒田港にあまり向かないのだ。

 だからこそ、物流の2024年問題は、酒田港にとって「またとないチャンス」だと言える。

 本間所長は、内航船による海上輸送について「何かをやれば、何かが変わる時期。今ある航路を続けて(維持)することが大事」だと、今はまさにモーダルシフトに向けた転換期にあるとの認識を示した。

 将来的には、北海道を含めて日本海側でさまざまな内航船ルートができることで、さらにモーダルシフトが進むと予想しており、「まず、一歩目」だと現状を俯瞰する。

 ここで「物流の港町・酒田」の歴史を振り返ってみたい。これまでに大きく4つの時代がある。

 「古代〜江戸末期」「明治〜昭和初期」「戦後〜昭和末期」、そして「平成以降」だ。順に見ていくと、船舶輸送の始まりは、最上川による舟運(しゅううん)にある。

 江戸時代の中ごろからは、北陸地方より北側の日本海側と大阪との間を結ぶ「西廻り航路」が開拓され、そこで運航する帆船の「北前船」が酒田に繁栄をもたらす。

 酒田は米、青苧(あおそ)、紅花、うるし、大豆、小豆などの積み出し港だった。また、酒田への帰り荷として、播磨の塩、大阪・堺・伊勢の木綿類、美濃の茶、松前の海鮮物、下北の材木、京都の雛人形などさまざまな物資が効率よく運ばれ、そうした事業を運営する問屋が酒田でも増えた。

■明治維新をきっかけにモーダルシフトが起こる

 当時、「本間様(ほんまさま)には及びもないが、せめてなりたや殿様に」という、北前船交易で財を成した豪商の本間家に対する表現は、今でも酒田市民の間で広く知られている。

 時代が明治に入ると、内燃機関の導入により、帆船から汽船と船が大型化した。だが、酒田港はその対応に大きく遅れた。最上川から流れ込む土砂により、酒田港の水深が浅く、汽船の受け入れに不利だったからだ。

 さらに、鉄道整備が進み、物流が海上輸送から鉄道輸送へ変化し酒田が衰退 。太平洋側の産業振興も進み、内航船の航路も太平洋側が主流になっていく。

 つまり、明治維新をきっかけに、ひとつのモーダルシフトが起こったと言える。そうした中、当時の内務省の技術者が、酒田港の起死回生を狙う妙策を講じた。それが、「河海分離計画」だ。

 最上川を改修して酒田港を分離する大工事が、1919年(大正8年)に10カ年計画として着工された。これにより、酒田港は海湾港となり、多様な企業が進出する。

 たとえば、1937年(昭和12年)に鐵興社(現・東北東ソー化学)酒田大浜工場が設立。また、1940年(昭和15年)には、日本有機(現・花王)酒田工場が設立されるなど、酒田に工業近代化の流れが生まれた。

 こうした酒田の港を、現在の「みなとオアシス酒田」がある地域を含んで、本港(ほんこう)と呼ぶ。

 戦後は、高度経済成長が進む中で、本港の拡張性に限界が見えてきたため、本港の北側、約3kmの場所に新港の開発計画が立ち上がる。これを、北港(きたこう)という。

 港湾審議会は1966年(昭和41年)、酒田港拡張計画―北港開発(酒田臨港地域開発計画)を決定する。海岸線を掘り込み、そこで発生した採掘土砂で新たな工業用地を埋め立てて、同時に防波堤を新設するという、高度経済成長期ならではの大胆な発想だ。

 北港が完成すると、山形県内で消費される電力の約半分を担う、酒田共同火力発電の火力発電所が設置されたほか、平成15年には リサイクルポートの指定を受け、北港周辺にはリサイクル関連企業が多く進出するなど、酒田港の次世代化が始まった。

■外航商船7割の国際ターミナルへ

 平成以降には、韓国・釜山港との間で外貿定期コンテナ航路が開設し外港地区は国際ターミナルとしての位置付けになっていった。

 2023年(令和5年)の入港船種別表によれば、入港船舶の隻数は1905隻。このうち、漁船が全体の約半分となる951隻、内航商船が約2割の394隻、そして外航商船が約1割の198隻数であった。総トン数で見ると、外航商船が7割強を占める状況だ。

 このように、物流や港湾のあり方が時代とともに変化する中、酒田港の様相も変わってきた。そして今、物流の2024年問題を機に、トラックから内航船へのモーダルシフトを模索している最中にある。

 物流の2024年問題は、トラックドライバーの労働環境への対応のみならず、運送・運輸に関わる企業としてESG投資への考慮が必須である点が、酒田港を含めて地方港にとって大きなビジネスチャンスになっている。

ESG投資とは、財務情報だけではなく、環境、社会性、ガバナンスを考慮した投資のことで、荷主にとっては、CO2
排出量の削減に直結する内航船を利用するメリットがある。

 これまでコストや輸送時間を優先することで敬遠され気味だった内航船に対して、光が当たったのだ。

 ただし、前述のように、内航船による船舶輸送のさらなる整備については、国が主導する総括的なプランをより強く打ち出すことが必要である。

■新たな課題「洋上風力発電の基地港湾」

 日本ではこれまで、モーダルシフトやMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)という言葉が、大きな社会変化を及ぼさないまま、先に走ってしまった感がある。

 見方を変えれば、内航船など船舶物流においては、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の導入効果が大きいと言える。

 そしてもうひとつ、酒田港には今、近未来に向けた大きな話題がある。洋上風力発電の「基地港湾」だ。

 国土交通省は2024年4月、港湾法に基づいて「海洋再生可能エネルギー発電等設備拠点港湾(基地港湾)」に酒田港を指定した。

 基地港湾では、洋上風力発電の建設のための船舶による部材の搬入・搬出、埠頭における部材の管理、部材組み立てを行う。その洋上風力発電に関わる事業者も決まった。

 経済産業省と国土交通省は2024年12月24日、海洋再生可能エネルギー発電設備の整備に係る海域の利用の促進に関する法律に基づき、 酒田港に近い山形県遊佐町(ゆざまち)沖の事業者、「山形遊佐洋上風力」を選定した。

 丸紅、関西電力、英国BP Iota、東京瓦斯、丸高の5社で構成される事業者だ。事業計画によれば、発電設備出力は45.0万kW。これは1.5万kWの風車30基分に相当する。

 採用する機器は、スペインのSiemens Gamesa Renewable Energy製で、運転開始予定期間は2030年6月を見込む。

 洋上風力発電は全国各地で建設が進んでいるが、特に日本海側では秋田、能代、そして酒田・遊佐という南北に続くラインで、実用化見込まれるわけだ。

■いま「古代〜江戸末期」から5度目の大転換期へ

 酒田市では、現在でも陸上の風力発電、太陽光発電、そしてバイオマス発電など、多様な再生可能エネルギーの供給基地が稼働している。ここに、大規模な洋上風力発電が加わるわけだから、酒田港を含む庄内地方にとって「古代〜江戸末期」から数えて、5度目と言える大きな転換期を迎えるといえるだろう。

 本間所長は、酒田市民について「港に直接、関わる人は少なくなったが、自分の町が港町であるという誇りがある」という。また、工藤副所長は「酒田は、常に新しいものを(柔軟に)受け入れようという地域性がある」と表現する。

 内航船へのモーダルシフト、そして洋上風力発電を筆頭とする再生可能エネルギーを活用した、地産地消型の新たなる産業の構築。庄内地方の「ヒト・モノ・コト」が未来に向かって歩む姿を、これからもあたたかく見守っていきたい。

東洋経済オンライン

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最終更新:2/7(金) 15:02

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