失業状態からネットフリックスと協業するまでに成長した台湾の制作会社、躍進する映画とドラマのエコシステムをプロデューサーに聞く

6/14 15:02 配信

東洋経済オンライン

今、ホラーファンの間で注目を集めている「台湾ホラー」。その仕掛け人のひとりが、プロデューサーのハンク・ツェンさんである。
制作会社「グリーナー・グラス(瀚草)」を率い、試行錯誤を経て台湾ホラーをヒットジャンルに育て上げた。ネットフリックス(Netflix)ともいち早く提携し、多様なジャンルの映画やドラマを次々と誕生させ、台湾映像界の新時代をもたらした。彼が手掛けた台湾版『模倣犯』(2023)は、原作者の宮部みゆきさんにも絶賛されたという(グリーナー・グラスのサイトはこちら)

現在は日本をはじめ、韓国、ベトナムと国際的な合作に力を入れているハンクさんに、台湾映像界の現在地や、台湾人として物語を映像でどう描くのかという想いを聞いた。
 ――グリーナー・グラス・プロダクションのこれまでの歩みを教えてください。

 2008年に「グリーナー・グラス」を設立し、映画『orzボーイズ(原題:囧男孩)』(監督:ヤン・ヤーチェ)に参加しました。当時は『海角七号』(台湾歴代映画興行成績のランキング2位)の大ヒットで、台湾映画界が大きく変わり始めた時期でした。

■台湾映画低迷期の失業状態でスタート

 情熱だけで、ほとんど無償に近い状況での参加でしたが、仕事が終わるたび若いスタッフが業界を去っていく姿を見て、台湾の映像業界の未来に危機感を抱きました。

 私はもともと工学系でTSMCのようなハイテク産業に進む道もありました。ただ、高校時代に映画と出会い、その表現力に惹かれて進路を変更。大学は卒業したものの、メディアアートや映画の専門教育を受け直しました。業界に入った頃は台湾映画の低迷期で、失業状態からのスタートでした。

 「誰かの心を動かす作品を作りたい」と信じて起業したのが「瀚草」(グリーナー・グラス)です。名前は「広大な空間」を意味する「浩瀚(こうかん)」と、「小さな力が集まって生態系を形づくる」草から取っています。

 若い人が安心して入れる、収益も出せる映画作りを目指しています。とはいえ、初期は失敗もあり、たとえば『阿嬤的夢中情人(Forever Love)』では大きな損失を出しました。

 ――『阿嬤的夢中情人』(2013)は、台湾在住の日本人監督を起用した意欲作です。1960年代に「台湾のハリウッド」と呼ばれた温泉地・北投を舞台に、台湾語の映画作りに命をかけた人々の青春を描いた、笑いあり涙ありのコメディドラマです。

 私にとって思い入れのある作品でしたが、映画が良くてもマーケティングや戦略が不十分では観客に届かない――その現実を痛感する経験でもありました。

 その頃、『海角七号』や『セデック・バレ』を撮ったウェイ・ダーシェン(魏徳聖)監督の姿勢からも大きな影響を受けました。既存の産業構造に頼らず、自分の信じる作品を作り続け、結果として観客の支持を得ていました。その姿を見て、失敗しても前向きに受け止め、「欠けていることは、むしろ力になる」と冷静に考える力が自分にも芽生えたのです。

 以降、自らストーリーの開発からマーケティングまで一貫して考えるようになりました。転機となったのは、チェン・グォフー(陳國富)監督(『グリーン・デスティニー』のアジア制作総監督として携わったことで知られる台湾を代表するプロデューサー)との出会いです。まるで師匠のような存在で、何度も相談に乗ってくれました。彼との対話を通して、自分の中にあった課題や想いを、初めて言葉にできました。

■「どう勝つか」ではなく「どう負けないか」

 ――チェン・グォフー監督の協力もあり、『紅い服の少女(紅衣小女孩)』(監督:程偉豪 /2015年)が大ヒットしたのですか? 

 『紅い服の少女』シリーズは、当初から3部作として企画しました。過去の失敗を繰り返さないため、続編形式でリスクを分散しながら、人材育成の時間も確保できると考えました。最初はチェン監督も半信半疑でしたが、私の言葉に何か「普通とは違うもの」を感じたらしく、投資を決めてくれました。

 私が制作に挑む「勇気」は、「足りなさ」から来ていると思います。特別な芸術教育を受けたわけでも、才能があったわけでもないからです。ただ、すでに多くの資金を失っていた私は、このシリーズで「もう失敗できない」と強く感じていました。

 物語を本当に語れるか、大物俳優を起用できるか、資金を調達できるか、前作の失敗を踏まえ、「どう勝つか」より「どう負けないか」を考え抜きました。

 まず映画館の運営者である投資家へ働きかけました。彼らもヒットコンテンツを求めており、利害が一致しています。次に着目したのがホラー映画というジャンルでした。日本やタイのコンテンツは人気が高く、一定の観客層も存在しているのに、当時の台湾では30年近く制作されていませんでした。完成度が理想的でなくとも、ある程度の興行収入が見込めるというデータもあり、私の「負けない戦略」に合致するものでした。

 ――台湾ホラーが活況な現在からは信じられないような話です。

 限られた予算で有名俳優を起用できないという制約も、ホラー映画においては逆に利点でした。タイにも足を運び、現地のホラー映画の撮影手法を学びました。マーケティングチームもないので独学で調査・実行し、プロモーションにはタイの有名な都市伝説「ナナの幽霊」を取り入れるなど、「負けないための要素」をたくさん投入しました。

 ――台湾社会に根づく「共同記憶」が真ん中に押し出されていたのが新鮮でした。

 ホラーは、社会に潜む集団的な恐怖を映し出します。台湾では1980年代から2000年代にかけて、戒厳令の解除と経済の急成長が進み、人々は豊かになる一方で、「何かを失うのではないか」という漠然とした不安を抱えるようになり、「失うことへの恐れ」が社会全体を覆っていきます。

■社会の共通体験を題材にして成功

 映画『紅い服の少女』も、そうした社会的恐怖を反映しています。着想のきっかけは、当時話題になっていたホームビデオでした。ある家族が山へ登った際、失踪者が謎の存在にtag(=目をつけられる)され、そのまま霊に連れて行かれてしまった。深夜番組でそのビデオが紹介され、「赤い服の少女」は瞬く間に知られる存在となりました。

 企画を思いついて、まずはスタッフにリサーチしてみると、世代を超えて共有される記憶、映画として成立するに足る強力な共通体験だとわかりました。結果的に「こんなホラー映画、久しぶり!」「とても新鮮だった!」という声が多く寄せられ、大きな反響を得ることができました。

 6月6日に上映の新作ホラー映画『山忌 黃衣小飛俠』も台湾の民間伝承が元となっています。日本の方にも見ていただく機会があれば嬉しいです。

 ――『麻醉風暴(英語タイトル:Wake Up)』という話題の医療ドラマを手掛けたのも、ちょうどその時期でした。

 当時の台湾では商業的に成功を目指すなら「アイドルドラマを作るべき」と言われていました。でも私はその路線にあまり魅力を感じられなかったリアルな医療ドラマに挑戦しました。

 当時はまだ医療や社会派のドラマは珍しく、『麻醉風暴』はその先駆けだったと思います。この作品は金鐘奨(台湾のエミー賞)で多くの賞を受賞し、『紅い服の少女』も中華圏を代表する映画賞である金馬奨でも話題になりました。こうして「グリーナー・グラス」も業界で一気に広く知られるようになりました。

■成功の裏でおろそかにされた脚本や内容

 ――一方で、2015年から2018年にかけて中国資本の大規模な流入や台湾の俳優が中国人の役を演じる作品なども増え、台湾独自の特色が薄れていくのではと心配しました。業界の中から当時の状況をどう感じていましたか? 

 確かに中国との合作が増えていたのは事実ですが、それ以上に台湾内でも大きな動きがありました。2008年に大ヒットした『海角七号』は、台湾映画に約10年続く活性化のきっかけをもたらしました。2017年頃まで、俳優や音楽、監督、資金、市場すべてが良い方向に進み、台湾映画は一種のブームを迎えたのです。

 当時はIT業界や投資ファンド、政府の文化政策からの支援金も相まって「映画は儲かる」との期待感が広がり、多くの資金が映画業界に流れ込みました。たとえば、豬哥亮さんの『雞排英雄』『大尾鱸鰻』などが春節映画としてヒットし、興行的には成功を収めました。

 一方で、肝心の作品内容や脚本は二の次という風潮もあり、そうした時代に合っていなかったから、私たちの『阿嬤的夢中情人』も失敗したのだと思います。皮肉な話ですが、だからこそ私は「映画は簡単に成功できる」という周囲の人々に流されず、地に足をつけて脚本の質を高める時間を持てたと思います。

 ――その後、ネットフリックスとの共同制作が本格化しました。

 特にアメリカの「ジャンル型ストーリーテリング」に学び、いかに台湾の文化や個性と融合させるかを模索した経験が、大きな基盤となっています。

 2017年以降にネットフリックスが台湾に参入してきた際、私たちはすでに「物語を語る共通言語」を備えていました。『紅い服の少女』や『麻醉風暴』で培ったジャンル作品の経験が評価され、『誰是被害者(次の被害者)』の企画が注目されました。最初の協業は驚くほどスムーズで、ネットフリックス側も資金や制作ノウハウを惜しみなく提供してくれたおかげで、その後の国際合作にも生かすことができました。『次の被害者』では、社会に理解されない人々が、極端な手段で存在を訴えようとする姿を描き、コロナ禍の孤立した時代に強く共感を呼びました。

 ――台湾と日本の合作の現状や展望について聞かせてください。

 私たちの作品ではありませんが、『青春18×2 君へと続く道』(監督:藤井道人/2024)は、台日合作映画の大きな成功例でした。台湾と日本は歴史的にも深いつながりがあり、物語の素材があります。

■広がる「グローバルに考え、ローカルに語る」

 ただし、制作手法や市場構造の違いから、台日合作はなかなかスムーズにいかないことも多く、過去にもホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督やエドワード・ヤン(楊德昌)監督などが日本から出資を受けた事例はありましたが、出資や支援にとどまっていました。

 1980〜1990年代は国際的に開かれていた日本映画界も2000年代以降は内向き志向になりました。一方、台湾映画はハリウッド大作と並ぶ鑑賞料金で勝負せざるを得ない中、ローカルに根ざした感情に訴える『海角七号』のような作品が求められるようになります。

 また台湾映画は中国との連携も試みられましたが思ったほどの成果は得られませんでした。代わってネットフリックスのような国際プラットフォーマーが2018年ごろから台湾に入ってきました。

 彼らの持ち込んだ「グローバルに考え、ローカルに語る(Think globally, Act locally)」という発想は国際共同制作のハードルを下げ、台湾映像業界の新たな展開を後押ししました。現在、日本もグローバル市場への接続を模索している状況で、台湾は非常に相性の良いパートナーだと思います。『青春18×2』の成功も、台湾と日本がそれぞれ外に向かって開こうとしたタイミングで、物語・キャスティング・文化表現などすべてのバランスがうまく取れたからだと思います。

 ネットフリックスの影響で、日本も制作スタイルをグローバル基準にシフトしており、台湾と日本のスタッフ同士での理解も進みやすくなっています。配信市場が落ち着きを見せ、買い付けや制作費が縮小している今だからこそ、協力し合って、互いの強みを生かす共同制作は重要になってくると思います。この流れが1本、2本、3本と続けば、新しい「風景」を築けそうです。

 ――現在、進んでいる日台プロジェクトはありますか? 

 現在もホラー映画を軸にしつつ、刑事物や社会派ドラマを含めて日本との共同制作の可能性を探っています。作品というのは向こうから「選ばれる」こともあり、それが自分たちの必要な能力や資金、市場がうまく噛み合ったとき、プロジェクトは驚くほどスムーズに動き始めます。

■すべての出会いや縁がつながっている

 だからこそ、時間をかけて「人材」と「エコシステム」を整えておくことが大切です。そうすれば、資源やチャンスは自然と集まります。

 今振り返れば、『阿嬤的夢中情人』で北村監督と出会えたことも含めて、すべての出会いや縁が現在につながっているのだと実感しています。会社設立から16年が経ち、ようやく「本当にやりたいこと」が実現できるフェーズに入りました。

――萩原健太郎監督ともプロジェクトが進んでいます。

 新宿・歌舞伎町を舞台にした作品で、タイトルは「琥珀KOHAKU:黒夜的叛徒」(仮題)というドラマシリーズです。台日間の歴史的背景と、歌舞伎町の「外から来た人々に居場所を与える」という包容力にインスパイアされて生まれた企画で、当時、どんな人たちがどういう思いで歌舞伎町を作ったかという「人々の奮闘」を描いています。

 当時、「第三国人」と呼ばれていた日本人ではない人たちが、周囲の人々と共に厳しい状況の中で光を見つけていく。私たちはそれを「互いの光を見つける」と呼んでいます。苦しいときでも、人を照らす、善良である、勇気を持って突破する、そんな姿を描きたいと思っています。

 今、世界では戦争や分断が広がり、人々は不安の中で内向きになり、他人を思いやる余裕を失っています。だからこそ、私たちのような「物語を作る者」にできることがあると信じています。

■作品で届けたい「生きることには意味がある」

 私自身、高校時代に映画に救われました。だから今度は、私が「生きることには意味がある」と思ってもらえるような作品を届けたいです。

 ――日本以外との合作の状況はどうでしょうか。

 ベトナムとは『The Outlaw Doctor 化外之医』(2025)を制作しました。台湾で働くベトナム人医師を描いた物語です。主演はベトナムの著名俳優・リエン・ビン・ファットさんで、ベトナム側は主にキャストと撮影チームが参加しています。

 韓国とは『那張照片裡的我們』(あの写真の中の私たち)という1977年を舞台にした台湾人と韓国人のカップルの異国恋愛を描く歴史ドラマがあります。台湾の女優・李沐(リー・ムー)さんと韓国の俳優・ジニョンさんが主演し、2025年後半の上映を予定しています。並行してアクション映画の企画も進めています。

 ――こうした積極的な国際合作には、どのような背景がありますか。

 私の作品は常に台湾社会の脈動と深く関わってきました。

 今は危機感を持って国際合作の拡大を目指しています。今こそ台湾が自らのアイデンティティを見つめ直す時期にあり、それを物語という形で世界に届けることが重要だと感じているからです。

■国際合作は価値の伝達であり、文化交流

 かつては「台湾人」と名乗ることにためらいがあった時代もありましたが、今では自分たちの価値や考えを表現できるようになりました。TMSCなど半導体だけでなく、映画もまた台湾の「チップ」になれると信じています。

 国際合作はビジネスを超えて、価値の伝達であり文化交流です。表現を通じて、「これが台湾人だ」と世界に伝えることが今の私にとって最も大切な使命です。

 海外ではよく「君はタイ人?」と尋ねられました。そんな経験から、「自分たちのアイデンティティとは何なのか」と真剣に考えるようになりました。

 たしかに私たちの作品は「華語(中国語)コンテンツ」の一部には違いありませんが、中国とは明確に異なります。その違いをどう表現すればいいのか。私は1978年生まれですが、私たちの世代にはそうした複雑な感情があります。

 台湾という場所は、私たちにとって「母親」のような存在です。母親は何かを厳しく教えてくれるわけではないけれど、いつもそこにいてくれる。その存在に支えられて、「ほら、見て。こんな作品を作れたよ」と誇らしく届けたくなる。成長するには、一度は離れなければならない。でも最終的には、また戻ってきたい。そう思わせてくれる場所、それが私にとっての台湾です。

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最終更新:6/14(土) 15:02

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