イラン大統領の事故死が中東情勢にもたらすもの

5/21 15:02 配信

東洋経済オンライン

 2024年5月19日、イランのイブラヒム・ライーシ大統領などが登場したヘリコプターが、イラン北西部の東アゼルバイジャン州でのダム併用開会式典参加後に墜落・死亡した。

 搭乗者は、イブラヒム・ライーシ・イラン大統領、ホセイン・アミール・アブドラヒアン外相、マーリク・ラフマティ・東アゼルバイジャン州知事、アヤトラ・アリ・アル=ハーシム氏(同州最高指導者ハメネイ師代表者、イランの最高指導者を選出するムジュタヒド88名から構成される指導者選出専門家会議メンバー、タブリーズ市金曜礼拝のイマーム)。

■次期最高指導者の事故死

 ライーシ大統領は、85歳と高齢のイラン法学者統治の最高指導者ハメネイ師の最有力後継者だった。アブドラヒアン外相は次期大統領最有力候補で、レバノンのヒズボラ指導者ハサン・ナスラッラやイエメンのフーシ派や核条約の交渉やサウジアラビア王国の国交回復交渉など、重要な会議に参加していた。

 このヘリコプター事故で亡くなったイラン大統領と外相は、イラン外交や地域紛争の激化、沈静化、パレスチナ問題の成り行きをコントロールする重要人物だった。

 この2人の死亡は、イランにとっては2020年にアメリカ軍がイラン・イスラム革命防衛隊のガセム・ソレイマニ司令官を殺害して以降の最も大きな損失だ。

 イラン憲法では現職の大統領が死亡した場合、第1副大統領が最高指導者の同意を得て50日間職務を代行し、その間に大統領選を実施することになっている。

 これに基づき、ムハンマド・モフベル第1副大統領がイラン大統領代行に任命され、ハメネイ師が2024年6月28日の選挙実施を指示した。

 イランの法学者統治制度では、最高指導者ハメネイ師は絶対権限を持っていて現行法の停止・廃止・失効ができる。

 亡くなった外相の代行はアリー・バーゲリー・カーニー外務省政務担当次官が当面務めることになった。アリー・バーゲリー外相代行はイラン側の核条約交渉団に参加していた。

 イランの核交渉団を率いたリーダーのサイード・ジャリリ最高安全保障委員会事務局長責任者を出し抜いて外相に抜擢された。外相は大統領令により任命されるため、モフベル第1副大統領の大統領就任後、アリー・バーゲリー外相を任命する大統領令が発令された。

■指導体系に変わりなくイラン国内は安定

 イランという国は大統領も外相も他の国々のような権限を持っておらず、ハメネイ師と革命防衛隊の指示通りにイラン革命の精神に従って出された命令を忠実に実行するだけだ。そのため、大統領と外相が死亡したからといって、ただちにイランという国家が揺らぐことはない。

 亡くなった大統領と外相はともに対外強硬派で、ハメネイ師と意見が完全に一致していた。新大統領と外相も同じく強硬派でありハメネイ師と意見が一致しているので、混乱はないであろう。

 体制が整うまでは核問題やパレスチナ和平問題といった外交の重要案件は対応が少し遅れる可能性がある。また新たに信頼関係を築き、交渉が再開されるまでには少し時間が必要となるだろう。

 穏健派も国難にあたっては一致団結の方向で動くしかなく、体制安定のために故ライーシ大統領時代に排除され不満を抱いていたハサン・ロウハニ元大統領や、ラリジャニ・ファミリーなどがハメネイ師に召集されると思われる。

 しかし強硬派路線に変更はないので、穏健派との協力体制は表面的なものとなり、メディア向けの演出にすぎないであろう。

 ここで少し、イランでの穏健派と強硬派の関係を振り返ってみよう。

 2015年、当時のアメリカのオバマ大統領が主導して合意された核条約がある(イランの核をめぐる包括的共同作業計画)。この条約は、ハメネイ師をはじめ強硬派には気が進まないものだった。

 アメリカのほかイギリスやドイツなど6カ国と合意した核条約のような穏健派による西洋諸国への歩み寄りは、ハメネイ師や革命防衛隊といった強硬派の意向に合致しないものだった。

 この核条約交渉当時、イランは強硬派の顔と穏健派の顔をうまく使い分けているようにふるまっていたが、その実は強硬派と穏健派の間に不信感が募り、深い溝ができていた。

■イランの穏健派と強硬派

 ザリーフ元外相が辞任後に明らかにしたところによれば、2019年のシリア大統領のイラン公式訪問を外相は知らされず、ニュースで知ったそうだ。それほどの対立があったのだ。

 訪問中に行われたシリア大統領との首脳会談の場にも同席させてもらえなかった。回顧録『辛抱の力』でザリーフ氏は、「血を流す心、唇に微笑みの8年間だった」と述べている。

 そんな苦労をしてなんとか締結した核条約だったのに、トランプ大統領が一方的に条約を破棄し、見返りであったはずの経済制裁解除は反故にされた。イランのアメリカに対する信頼度はゼロになったといわれる。

 前述したように、早期選挙が実施されることになったとしても、イランという国は最高指導者が絶対権限を持っている国だ。大統領や外相が通常有する権限を持っていない。

 かつて、1979年のイラン革命後の初代大統領となったバニサドル大統領(1933~2021年)が、当時の最高指導者ホメイニ師(1902~1989年)と意見が対立したことがあった。大統領はあくまでも大統領の権限として、考えを実行する権限があると主張した。

 ホメイニ師は大統領案に反対して、最高指導者権限を本当に行使して、バニサドル大統領を罷免してしまった。ホメイニ師の後継者ハメネイ師も自身が大統領だった時、ホメイニ師と意見が対立し、ホメイニ師に反対され、意見をひっこめたことがあった。

 一方でホメイニ師は、革命防衛隊が政治干渉することを「よし」とせず、禁じていた。しかし現在のハメネイ師は、最高指導者になるとホメイニ師の思想や革命防衛隊の政治・経済への干渉禁止などを無視していった。

 現在の革命防衛隊はホメイニ師が干渉していた以上に、政治・経済・防衛・社会問題に干渉しているというありさまだ。

 ホメイニ師はリベラル派や左派などにも支持されていたが、そのような人物はハメネイ師によって暗殺・投獄されるなどして消されてしまった。ラリジャニのような古参の革命防衛隊員も排除され、ホメイニ存命中ホメイニ師に近かった人たちはすっかり姿を消してしまった。

■ハメネイ師の強権

 ホメイニ家も蔑ろにされている。ホメイニ師が革命時に約束した民主主義の平等社会や豊かな暮らしといったものも実現しなかった。

 ハメネイ師はペルシャ帝国復古主義者で、法学者統治による帝国の復活を目指した。レバノン、シリア、イラク、イエメンの4カ国をイランの傀儡国にすることに成功した。

 この間、前述のソレイマニ司令官が実質の大統領だった。大統領や外相は名目だけで、実際にはハメネイ師や革命防衛隊の命令を実行するだけだった。

 それが明らかになっていくうちに、国民も選挙への興味を失い投票率が下がっていき、ライーシ大統領の選挙時は投票率が2割しかなかった。

 だが投票率が低いということは現政権の支持率を反映しているわけではない。数値は不明だが、法学者による統治は現在でもイランが盤石である程度にイラン国民に支持されている。

 イラン国民の不満はあるにはある。イランの9割の人は国の経済政策に不満だ。長引く経済制裁で1979年のイラン革命前のパーレビ国王時代より生活苦はひどくなってしまった。

 ソレイマニ司令官殺害の時も痛手ではあったが、ガーニ司令官が引き継ぎ混乱はなかった。今回のヘリコプター事故による痛手も上手に乗り越えていくことになるだろう。

 イランの現在の体制が揺らぐことはないだろうが、墜落した大統領のヘリコプターが1970年代に購入した1960年代のモデルであるといった、大国を自任するイランには似つかわしくない姿が世界中に報道されてしまった。

 イランは今後も恐れられる存在でいるため、落としたイメージを回復させる必要がある。

■経済制裁で疲弊しているイラン

 世界が一目を置くイランは、経済制裁で疲弊している。無人機や弾道ミサイルといった分野で先端技術を誇る一方で、これら以外の分野はとても遅れている。

 イラン国民は全般的に貧しい。アメリカのような大国がイランを軍事攻撃するのをためらうほど恐れられているが、イランの国力や軍事力は買いかぶられている。

 イラン国民の9割は、ハメネイ師がとる中東地域への拡大政策に反対だ。イラン国民に豊かさをもたらすべきお金が、武装勢力支援に消えていることを快く思っていない。

 大統領と外相の死亡事故後の新体制を確立するまでの間、国内を安定させるためにイラン国民の不満解消に取り組む必要があろう。

 イラン系武装勢力というのは旧ソビエト連邦時代の各種共産主義政党と同じようなもので、ハマス、ヒズボラ、フーシ派といった勢力も各々のイデオロギーがそれぞれ異なる。

 イランの経済的負担を軽減するためには、これら武装勢力への支援を見直す必要があるだろう。事情によっては継続しなくてはいけないものもあろうが、打ち切りや規模縮小を検討する必要があろう。

 一方で、イランが地域大国として恐れられているのは、これら武装勢力のおかげでもある。地域大国としてのメンツを保ちつつ、これら武装勢力支援の負担をどのように軽減していくかは課題だろう。

 2024年5月20日に回収されたイラン大統領と随行員たちの遺体は、翌21日に埋葬される。司法解剖が行われたのか、行われないで埋葬されるのかわからないが、ヘリコプター墜落事故の幕引きが急がれているように見受けられる。

 墜落原因は十分調査されるか、調査結果は発表されるか不透明だ。幕引きを急いで事故原因をベールに包むと、暗殺だった等の陰謀説が絶えないことになる。

 この事故が悪天候や操縦ミスが原因の事故であっても、さまざまな臆測が永遠に出続けるだろうし、それが好都合であれば政治的に利用されるだろう。

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最終更新:5/21(火) 15:02

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