【大河べらぼう】江戸の夜から三味線が消えた…幕府の倹約令が吉原を沈黙させた日

3/14 8:32 配信

ダイヤモンド・オンライン

 NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で話題の蔦屋重三郎。出版業を中心に江戸のメディア王として躍進していた彼に大きな危機が訪れる。天明の大飢饉により、商業発展の時代から打って変わって、質素倹約の時代が到来したのだ。規制が厳しさを増すなか、蔦重の店があった吉原では三味線の音が消えたという。吉原冬の時代について、近代文学の専門家・鈴木俊幸氏が解説する。※本稿は、鈴木俊幸氏『蔦屋重三郎』(平凡社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

● 幕府が「倹約」を押し進め 大きな痛手を被った遊廓

 18世紀末の寛政という時代は世の中が大きく変わる歴史の転換点であった。それは、武家社会の変化をきっかけにして、民間の知のあり方がめざましく変容していったことが大きい。民間に学問志向の風が流れ、書籍の市場は新たに浮上した読者を含み込んで大きく広がっていく。読者層の多くを占めるようになった彼らの存在は文芸の傾向を大きく変化させていく。蔦重(蔦屋重三郎)の商売も、その変化に対応していくことになる。

 幕臣に向けられた倹約のかけ声は、幕臣のみならず江戸の武家社会全体を侵食し始めて、贅沢自粛の空気に包まれる。それは「不要不急」の行楽や遊びが憚られる空気でもある。江戸の人口の大きな割合を占める非生産者である武士たちの消費の落ち込みは、この都市の経済に大きな影を落とすことになる。田沼意次の時代のようには、お金が町に回らなくなるのである。

 奢侈が売り物の場所や施設が真っ先に痛手を蒙る。芝居町と遊廓である。『よしの冊子』にもそのあたりの噂は多く記されている。天明7年(1787)6月から10月ころの記事に、諸組与力やお旗本へも頭から武芸出精専務のことなので遊所等へ行くことを固く禁止する旨、また家に芸者を呼ぶことも無用という通達が発せられ、吉原・品川・新宿などもいたって寂しく、芝居見物も少なくなったという話が載る。

 留守居役などの会合を吉原で行うことも憚られるようになった。また、吉原にはそれなりに人は来るけれども八朔や月見の趣向も例年のようではなく、芸者もこっそり呼ぶようになったこと、芝居の上演はあるものの続き桟敷を買って贅沢に見物する客はいなくなり、金銀の落ち方も少なく、吉原も芝居町も困っているという噂も載る。

● 三味線の音さえ聞こえない 町を覆った景気の冷え込み

 寛政元年(1789)9月、棄捐令(きえんれい)が発せられる。幕臣が扶持米を担保に札差(蔵宿)から借金を重ねていて、倹約のみでは打開できないほど彼らの経済状況が悪化していた。その状況を打開すべく案じられたもので、天明4年(1784)以前の借金は棒引き、それ以後のものについても金利を引き下げるというものであった。

 この法令によって札差が蒙った損失は莫大なものであった。吉原の経済は、札差や魚河岸連のような、突出した金持ちに支えられている部分が大きかった。札差の手許不如意は、吉原の不景気をさらに推し進めたものと思われる。『よしの冊子』寛政元年9月よりの記事には、蔵宿一件後は吉原がいたって寂しくなり、3日ほど一向客が無い日が続いたという風聞も載る。また、花扇などの名妓を抱える大店扇屋(編集部注/著名な遊女屋の名前)が株を売ったというデマも流れている。

 扇屋墨河などの知友や血のつながった縁者が吉原に多数いるばかりではなく、吉原を本屋稼業の大きな支柱としていた蔦重にとっては頭の痛い状況であったと思われる。また、芝居町の不振も、富本節という劇場音楽の出版を手掛け、町芸者や素人の需要も高い稽古本を制作している身としては、成り行きに大きな不安を覚えたことであろう。『よしの冊子』は町方でも三味線まで弾かないようになったという噂を伝えているのである。

 景気の冷え込みは遊廓や芝居町だけではなかった。世間一統銭回りが悪くなったと『よしの冊子』の寛政2年(1790)11月よりの記事は伝える。草紙類は「不要不急」の品の最たるものであろう。

● 書物類にとどまらず “風俗”にまで規制が及ぶ

 寛政2年11月19日に発せられた町触(編集部注/町内に伝達された法令)がある。それは次のような内容のものであった。

 書物については以前より厳しく仲間内にての改めを行うように申し渡してきたが、いつのまにかそれが乱れてきているので、今回、書物屋どもと一枚絵草双紙問屋(地本問屋)どもに改めをしっかりするように申し渡すこと。

 また、これまで行事を立てずにきた地本問屋については、今後2名ずつ行事を定めること。そして、貸本屋・世利本屋など類似の商売を行う者もいるので、書物屋どもと地本問屋(編集部注/江戸で出版された絵入りの本を出版する本屋)どもは、触書の趣を心得、新版に際しては行事による改めを受けた上で売買すること、というものであった。

 これが松平定信による思想・言論統制の一環で、それが書物類だけではなく、地本類にまで及んだことを示す事例とする見解があるが、そもそも「言論」概念は近代のものであり、この時代の受け止め方とは大きな隔たりがあると思われる。書物についての文言は、享保以来行われてきたことの踏襲にすぎない。この町触の主眼は、明らかに地本問屋仲間を機能させて地本出版における責任体制の徹底を図ることにあった。

 この町触に先立ち、10月27日、地本問屋に対しての仲間触が出されたようで、『類集撰要』巻四十六にその内容が載っている。翌月の町触とほぼ同様なのであるが、異なるところは、風俗のためにならない猥りがわしき出版物が出ることを未然に防ぐという意義をうたっているところである。つまり、書物に関する内容といっしょになっているので混乱してしまうが、地本類については言論レベルではなく風俗レベルの規制なのである。

● 「遊廓」を書いただけで 不埒とされ京伝は手鎖に

 寛政3年(1791)3月、山東京伝と蔦重、そして前年12月の地本問屋月行事2名が町奉行は初鹿野河内守に召し出される。この年正月蔦重が出版した京伝作洒落本『大磯風俗 仕懸文庫(しかけぶんこ)』『青楼昼の世界 錦之裏』『手管詰物 しょうぎきぬぶるい』の3作についての吟味である。その結果、京伝は手鎖50日、蔦重は身上半減の重過料、行事2人は商売取り上げの上、所払いを申しつけられる。

 定信の改革政治の典型的事例として高校の日本史教科書にも取り上げられる有名な一件である。民間にも及ぶ厳しい思想統制・言論統制の一例という格である。しかし、表現は統制されるべきではなく自由であるべきだという感覚は現代のもので、この現代的通念から事態を評価してしまってはいないだろうか。定信の厳しい政治姿勢をことさら演出するために持ち出されてはいないだろうか。

 京伝・蔦重・京伝父・仲間行事それぞれについて町奉行所が作成した調書の内容が『山東京伝一代記』に収められている。それによる限り、関係者の咎めは、制禁を侵して風俗のためによろしくないものを執筆、出版したこと、また改めが甘かったということである。

 調書は、『大磯風俗 仕懸文庫』は鎌倉時代になぞらえて深川遊廓での遊興の様子を描いたもの、『青楼昼の世界 錦之裏』『手管詰物 しょうぎきぬぶるい』は、浄瑠璃の筋立てと登場人物によそえて吉原遊廓の様子を描いたものとして、この3作が「不埒の読本」であるとする。『山東京伝一代記』は、「教訓読本」と唱えて、昔の人名を借りて今の風俗を書きあらわした洒落本を、制禁を侵して出版したことが不埒であったとする。

 しかし、これまでも同様の洒落本が多数出版されていて、版元蔦重にしても、改めの上許可を出した月行事にしても、この小冊3作が特段の問題をはらんでいるという認識は無かったはずである。「教訓読本」をうたったのも、教訓流行りの時世を踏まえた他愛ないシャレであろう。

● 蔦屋重三郎が処罰されたのは 町触の実効性を示すためだった

 内容に関する「不埒」の理由などいかようにも言い立てられるもので、この一件の本質的なところではない。吟味の対象になった者たちの調書に必ず長々と引用されているのが、前年11月に出された町触の文言である。端的に言えば、この一件は、町触の実効性を確かなものにするために仕組まれたものである。

 『近世物之本江戸作者部類』は、この時処罰された行事2名は、裏屋住まいの者で、本の仕立てで生計を立てている弱い立場の者であり、蔦重の意向に逆らえなかったとする。『伊波伝毛乃記』は、行事2人にひそかに蔦重が合力金を渡したとしており、ありうる話かと思われる。とすれば、仲間内の改めは、その発足当初から実際緩く流れたものなのであろう。行事2名に厳しい処罰を科したのも、行事の責任、行事による改めの重さを周知するためであろうし、京伝と蔦重を対象としたのも、当時一番目立つ存在で、見せしめとしての効果が絶大であると踏んだからであろう。

 もちろん、老中定信がこの一件についての指示を具体的に出したということは考えにくく、町年寄を筆頭にした町役人が、町の風俗引き締めの風に乗じて町奉行に働きかけたものと考えるのが自然であろう。その効果はそれなりにあったようで、翌寛政4年(1792)に洒落本の出版は確認できない。

 蔦重店の資本力は半減した。吉原の出店も手放すことになる。順風満帆とはいかない経営を迫られることになる。

 蔦重は「大腹中の男子なれば」咎めもさほどのことと思わない様子であったが、京伝は謹慎第一の人となったと『山東京伝一代記』は記している。また皮肉なことにこの一件の風聞が世上に広まり、京伝の名はいよいよ高くなり、田舎でも知らない者はいなくなったとも伝えている。「京伝の名」は、蔦重店の経営にとっていよいよ重みを増していくことになるのである。

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最終更新:3/14(金) 8:32

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