• トップ
  • ニュース
  • 雑誌・コラム
  • SNSを多用する人に知ってほしい「相手を傷つけない」会話の技術 対面との違いから考えるネットでの会話の注意点

SNSを多用する人に知ってほしい「相手を傷つけない」会話の技術 対面との違いから考えるネットでの会話の注意点

3/3 8:32 配信

東洋経済オンライン

ソーシャルメディアの利用が当たり前になりつつある昨今。時間や場所の制約なく誰とでも交流できる手軽さは魅力です。一方で読んでいる人を不快にしたり、傷つけたりすることもあります。今回はSNSを含むソーシャルメディア上で会話をする際に気をつけたいポイントを解説します。
本稿は、哲学者のピーター・ボゴジアン氏と文筆家・批評家のジェームズ・リンゼイ氏の共著『話が通じない相手と話をする方法――哲学者が教える不可能を可能にする対話術』より、一部抜粋・再構成のうえお届けします。

■オンラインでの議論は「本当に必要な場合だけ」にする

 科学的証拠にもとづく(エビデンス・ベイスト)会話へのアプローチや戦略が、対面でのやりとりに応用できることについては、様々な文献によって実証されている。

 〔しかし、〕それがどの程度オンライン環境でも使えるかは、はっきりしていない。効果的な会話を多種多様なソーシャルメディアで行うにあたっては、確固たるエビデンスがない以上、次のことをまず強く勧めたい。

 すなわち、オンラインで緊迫した問題について議論するのは、本当に必要な場合だけにすること(そもそもが本当に必要になる場合とはどういう状況なのかは想像し難いが)、そして〔オンラインで〕生産的に議論する方法についての確固たるエビデンスが見つかってからにする、ということだ。

 ソーシャルメディアでの会話から得られるものは、皆無ではない(ストレスを発散して気分がよくなったりはするだろう)し、確かにいくつかの利点はあるだろう(リアルタイムで相手に反応しなくてもよい)。

 ただ、それらを除けば、ソーシャルメディアはもともとただでさえ難しい議論というものを、さらに「ハードモード」にしてしまうものだ。分断を煽るような会話や挑発的な内容をソーシャルメディア上でシェアすることについて、一つだけはっきりしていることがある。

 それは、〔人間〕関係を破壊し、〔すでにひどい状態にある〕ソーシャルメディアの害悪をさらに強めてしまうということにほかならない。

■書き言葉は情報量が少なく、誤解を招くことも

 種としての私たち人類は、対面での会話をできるように進化してきた。たいていの場合、相手の顔を見れば、口調やしぐさ、顔の表情から色々なことを簡単に読み取れる。

 〔他方で、〕テキストでのやりとりではそういった重要なヒントがいっさい得られない。これらの標識がないことによる利益もあるだろうが、それよりも〔交わされる〕内容の深みが失われるという損害のほうがずっと大きい。

 文字で書かれている主張は多くの異なった意味に解釈されうるという特徴がある。こうした多義性〔による混乱〕の多くは、話しぶりという情報さえあれば解決してしまうようなものなのだ。

 皮肉はその例の一つで、 文字でのチャットだと、口頭で話しているときよりもはるかに気づきにくくなる。そこで皮肉を表すためだけに使う〔「!」や「?」のような〕記号を開発しようという試みがあるくらいだ。

 加えて、話し言葉では強調する位置を変えることで、語の意味を変えることができる。例えば、「それはフェアではないと私は思います」という発話において、どの語に強調を置くかによって意味が変わってくる。

 強調する部分を太字であらわすと、「それはフェアではないと私は思います」は、「個人的にはフェアはないと思う(が、他の人がどうかは知らない)」ということだし、「それはフェアではないと私は思います」は、「〔ふわっと思っているだけで、そこまで確固たる考えではないという意味で〕フェアかそうではないかは正直決めきれない」という意味になる。

 こういうニュアンスは話し言葉だと明らかだが、書き言葉だと色々と推察しなくてはならない。ひとたび意味を間違って受け取ってしまうと、会話は脇道に逸れ、不毛な分断を煽るだけの議論になってしまいかねない。

■プラットフォームごとに特性は異なる

 こういった問題のせいで文字によるコミュニケーションはずっと難しいものにならざるを得ないのであって、それはプライベート〔なやりとり〕でも事情は変わらない。

 ただ、ソーシャルメディアは基本的には公開されたもので、公開の場での会話の力学は非常に異なったものになるだろうし、参加者があなたとそのパートナーという思慮深い二人だけだということはほぼない(この問題についてはすぐ後でまた触れる)。

 対面の会話は、豊かな「音楽」や「ダンス」とでも言うべき、声のトーンやボディ・ランゲージによって彩られているわけだが、それらを欠く文章でのコミュニケーションはただでさえ難しい。ソーシャルメディア上での会話は、先の要因によって、〔普通の文章コミュニケーションよりも〕さらに困難なものになっている。

 さらにややこしいことに、各ソーシャルメディア・プラットフォームはどれも異なったインフラを有しているがために、それぞれが特有の問題を突きつけてくる。

 例えば、ツイッター〔X〕では一つのツイート〔ポスト〕ごとに280文字の上限があり、〔投稿された情報の〕ほとんどが公開されている。

 原則として、ツイッターで議論はしてはならない(もしどうしても議論に参加しなければならないと感じた場合でも、やりとりは2往復で止めておこう。このメディアは、繊細な議論をすることには向いていないのだ。

 必要に応じて、この〔やりとりは2回までにしているというあなたの〕原則を説明したり、メールその他の私信で議論を続けることを相手に提案するために、3つ目の返事を加えてもよい)。

 ツイッター〔で発言すること〕は、ステージ上で大観衆に向けて一気に演説をぶつようなものだと考えればよい。劇場の最後部座席から野次を飛ばしてくるような客とは、議論をしようなどと、普通は思わないだろう。

 フェイスブックはツイッターに比べれば個人的な人間関係をもとに構成されている。なのでフェイスブックは会ったことのある人ならだれでも顔をだす可能性があるファミリー・パーティのようなものに近い。

 そういう状況であなたならどういうふうに振る舞うだろうか。ある特定の性的嗜好の道徳的是非について、あなたが大学からの旧友と白熱した議論を交わし罵声を投げつけあっているところを、あなたのおばあちゃんや職場の同僚が見たいと思うことはないだろう。

 それぞれのプラットフォームには、特定の種類の観客を引き寄せ、満足させるような特定のインフラがそれぞれ備わっている。もし我慢ができず、どうしても〔そこで議論したいという〕気持ちを発散させたいのであれば、せめてどういう観客がいるのかは知っておくべきだ。

■投稿する人は批判を受けたいわけではない

 ソーシャルメディアでの会話について最後に2点。第1の点は、人が何かをソーシャルメディアに投稿するときは、特に断りがない限り、ほとんどの場合その人は自分の考えが訂正されることを求めているわけではないということだ。

 たいていの場合、そういう人の目的は自分の意見を確証することにある。シェアした内容に憤慨している人は、他の人にも同じように憤慨してほしいのである。

 わざわざオンライン上に投稿しようとするくらい自分の見解に自信を持っている人は、たいていの場合、その考えを他人に伝えようとしているのであって、批判を受けたがっているわけではない(つまり、そういう場合は伝令になっているというわけだ)。

 同じことは読んでいるあなたの側にもいえる。フェイスブックで見た投稿に納得できないとき、あなたは認知的不協和を感じるということだ。認知的不協和とは、自分の世界観に合致しない情報が入ってきたときに感じる不快な感情を指す言葉である。

 あなたの感じている不協和が、他の人の意見を訂正したくなるような気分を誘発する。自分は親切にも、相手の間違った推論を修正してあげている、と思ったりもする。

 しかしながら、そうやって始まった議論は、人間関係を傷つけ、相手をさらに殻にこもらせてしまうことになってしまう公算のほうがずっと高い。

■公開の場での会話では、人は「プライド」を賭けている

 第2の点は、ソーシャルメディア上の会話の多くは、デジタルな公共空間で行われるということだ。そういう場には障壁や複雑な事柄が高く積み上がっているものだ。

 うまくいっていると思った会話でも、挑発的だったり喧嘩腰の第三者が1人でも加わってしまうと、とたんに台無しになってしまう。そんな人物が20人ほど、束になってやってくることだってある。

 もっと重要なこととして、公開の場での会話に臨むときには、人は自分のプライドを賭けているということだ。その結果として、公開の場での議論では、プライベートのときと比べて、人はもともとの立場に、より固執する傾向がみられる。

 少し想像してみてほしいのだが、あなたがいいところを見せたいと思っている観衆の前に立っているとき、プライベートで1対1で議論しているときと比較して、どれくらい猛烈に自分の立場を守ろうとするだろうか。

 途中で考えを変えたり議論に「負ける」ことは屈辱的だと捉えられるため、ソーシャルメディア上の議論が多くの場合、悪い方向に捻れてしまうのも、まったく驚くことではないことが分かるだろう。

■公開での会話とプライベートでの会話は違う

 逆に、ソーシャルメディア上で会話をもつことの利点は、主に2つある。そしてそのどちらも、公開のソーシャルメディアで行うことを必要としない。

 2つの利点は要するに、デジタル・テキストを通じたやりとりは、色々な弱点はあるものの、時間や空間の制約がない、ということでまとめられる。

 インターネット接続さえあれば、リアルタイム通話が低コストかつ地球上のほとんどすべての場所にいる人とあっという間にできてしまう。

 それに、答える前に少し考える時間を取ったり、落ち着く時間がほしいと思うような質問をパートナーが投げてきたら、必要なだけ時間をとることができる。

 この性質のおかげで、対面だとしばしば会話を脱線させかねない、感情的なリアクションを抑えることができる。

 こういう点は確かに、紛うことなき利点だと言える。

 しかし再度強調しておくと、公開での会話とプライベートでの会話は違うということを忘れてはならないし、揉めそうな話題に触れ始める前には、プライベートに切り替えるようにすることだ。

東洋経済オンライン

関連ニュース

最終更新:3/3(日) 8:32

東洋経済オンライン

最近見た銘柄

ヘッドラインニュース

マーケット指標

株式ランキング