組織を腐敗させない「ランダムなくじ引き」の力 偶然で権力を与えれば傲慢な行動を防げる

12/13 9:02 配信

東洋経済オンライン

横暴に振る舞う上司、不正を繰り返す政治家、市民を抑圧する独裁者。この世界は腐敗した権力者で溢れている。
では、なぜ権力は腐敗するのだろうか。それは、悪人が権力に引き寄せられるからなのか。権力をもつと人は堕落してしまうのだろうか。あるいは、私たちは悪人に権力を与えがちなのだろうか。
今回、進化論や人類学、心理学など、さまざまな角度から権力の本質に迫る『なぜ悪人が上に立つのか:人間社会の不都合な権力構造』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。

■古代アテネで用いられた「クレロテリオン」

 もし権力が腐敗するとすれば、権力に飢えていて自らしゃしゃり出てくるような、腐敗しやすい小さな集団を腐敗させるよりも、ランダムに集まった人々の集団を腐敗させるほうが段違いに難しい。

 数千年前、古代アテネの人々は、ランダムな数の持つ腐敗しない力を信頼していた。その結果、彼らは民主的な腐敗防止装置を考案した。それは巨大な石板で、何列ものスロットが入念に彫られていた。

 この装置は、「クレロテリオン」と呼ばれていた。重要な決定を下すときには、市民はそれぞれ、「ピナキオン」という自分の専用の木か青銅の小さな板を装置のスロットに差し込んだ。

 それから役人がハンドルを回すと、装置から黒いボールか白いボールがランダムに出てくる。ボールが黒なら、いちばん上の列の市民が考慮の対象から外される。もし白なら、ランダムに割り当てられた列の市民が任務に就く。

 数字の書かれたボールが中で跳ね回る現代の抽籤(ちゅうせん)器の、事実上の古代版のようなものだが、くじの大当たりの数字を選ぶのではなく、意思決定者を選ぶのに使われた点が違っていた。

 ランダム性を利用して市民を権限のある地位に就けることを、「くじ引き制」という。くじ引き制の提唱者のうちには、選挙は完全に廃止し、くじ引きによる統治を導入するべきだ、と主張する人もいる。

 だが、この提案には多くの問題がある。まず、民主的な選択がなくなる。そして、核実験禁止条約の交渉といった政治課題の一部には、キャリアを通して培われる特別な専門技術・知識を必要とするものもある。

 とはいえ、くじ引き制はそっくり退けるべきであるということにはならない。むしろ、公職者を選ぶためではなく、公選議員に助言をするために利用するべきだ。

■「市民議会」を開催することの意義

 以下のようにすれば、うまくいくだろう。政治の分野では、クレロテリオンをコンピューター化したバージョンで参加者を選ぶ、大規模な市民議会を毎年開催する。

 有給の陪審制度を強化したようなもの、と考えればいい。議員の任期は1年だ。議会はたとえば、公選議員の情報提供を受けたりしながら、その年に取り組むべき大問題を10ほど選ぶ。ある年には、気候変動や税制改革、次の年には健康問題や運輸といった問題が選ばれるかもしれない。

 それに加えて、公選議員は市民議会に迅速な助言的意見を求めることもできる。立法機関で緊急に討議されている、イエスかノーかの問題に答えるような意見を求めるのだ。

 パンデミックの間、混雑した公共空間でマスクの着用を法律で義務づけるのは、良い考えだろうか?  シリアに爆撃を加えるべきか?  ついにグリーンランドを買収する時が来たのか?  という具合だ。

 市民議会は、公選議員が得ているのと同じ専門家の意見や助言を得ることを許される。市民議会の議員は、問題について議論してから、公開の助言的意見を出す。公選議員はその助言に従う義務はないが、ランダムに選ばれた人々の知恵が誰の目にも映る。

 もし政治家がそれとは違う見方をしていたなら、彼らは少なくとも、市民議会が提案した解決策を採用しない理由を説明しなければならない。

 これと同じようなモデルは、多国籍企業から警察署まで、どんな大規模組織にも採用できるだろう。

 大企業は自社の一般職員からくじ引き制で人を選んで、影の取締役会を組織することができる。大きな決定を下す必要が出てくるたびに、その影の取締役会が自らの見解を示す。

 そうすれば少なくとも、一般職員からは掛け離れて、実状を知らない取締役たちも、下からの見方に取り組まざるをえなくなる。

 四半期利益を追求する果てしない競争にはまり込んで視野が狭くなっている取締役会とは無関係の影の取締役会は、無視されてばかりいる大局的な問題に上層部の目を向けさせ、壊滅的な失敗を避けるのを助けることができる。

 警察署のような公的機関の場合には、違法行為を調べる民間人の審査委員会は、機関の運営に影響を及ぼす主要な決定に介入する、市民から成る影の委員会によって補足することができるはずだ。

 影の取締役会や委員会は、間違っていることもあるだろう。だが、権力を握っている人々が、彼らの決定に左右される人々からランダムに選んだ集団の見解を、ときおり注意深く検討せざるをえないというのは、健全なことだ。

■「くじ引き制による監督」の長所

 くじ引き制による監督には、いくつか長所がある。第1に、ランダムであるため、市民議会や影の取締役会での地位を、腐敗しやすい人が求めるという問題を免れることができる。

 市民議会や影の取締役会に選ばれる人の多くは、むしろ、渋々参加するはずであり、それは歓迎するべき変化となるだろう。

 第2に、指導者が不道徳な振る舞いや利己的な振る舞いをしているときには、多くの場合、それが明白になる。その行動は、市民議会や影の取締役会の助言とは見紛いようのないほど掛け離れているからだ。

 くじ引き制で選ばれた人々は、ロビイストを怒らせないように、あるいは、限られた利益団体の不興を買うのを心配して、決定を下しているわけではないことを、一般大衆は確信できる。

 仲間や親族を贔屓(ひいき)することは、今よりはるかに難しくなる。ビジネスの世界では、影の取締役会は、四半期のプレスリリースよりも長期的な観点で考え、視野の狭過ぎる人々から生じる問題の解決策となると思っていいだろう。

 第3に、政治制度はしばしば行き詰まり状態に陥るのに対して、普通の人々は歩み寄りに向かう傾向がある。

 あなたと友人たちが、イタリアンレストランに行くか、伝統的なアメリカ料理のレストランに行くか、意見が合わなかったときに、誰かがその場を立ち去って、イタリアンレストランで出されるパンの質について反対意見だった人に攻撃広告を出すことなど、めったにないだろう。

 だが、政治家は四六時中そんなふうに振る舞う。意思決定に普通の人をもっと多く含めれば、実際に権力を握っている人に圧力をかけ、人気を取るための見せ掛けばかりの行動ではなく、良識のある解決策へと向かわせることができる。

■ランダムな権力は傲慢な行動を防ぐ

 最近のある調査が、この取り組み方を支持する具体的な裏づけを提供してくれる。スイスのチューリッヒで864人を対象として行われた実験では、ランダムに獲得した権力と、競争を通して獲得した権力とを比較した。

 すると、偶然に権力を握った人のほうが、傲慢な行動をしないことがわかった。ランダムに選ばれると謙虚になる一方、競争(たとえば、選挙)に勝つと、そうはならない。これは、たった1つの調査にすぎないが、その結果には勇気づけられる。

 権力を望まない人こそ、その権力を振るうにあたって最も高潔なのかもしれない。

 (翻訳:柴田裕之)

東洋経済オンライン

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最終更新:12/13(金) 9:02

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