「努力が報われない仕事」が早々に見切られる訳 「バーチャル世界」で希望格差を埋める若者たち

1/15 10:02 配信

東洋経済オンライン

著者がベストセラーとなった『希望格差社会』を刊行した2004年以降、あらゆる指標で日本経済は凋落した。にもかかわらず、若者の生活満足度は上昇している。その背景には何があるのか。
近著『希望格差社会、それから』を上梓した山田昌弘氏が、格差や若者の行動を分析・検証し現代日本社会の実像に迫る。

■「夢見るフリーター」の出現

 戦後から1990年くらいまで、つまり昭和時代までは、ほとんどの男性にとっては「仕事」に希望が持てた時代であった。望めば正規雇用者として就労でき、努力すれば、年功序列システムの中で収入はアップし、管理職に昇進していった。

 つまり、努力が目に見える形で評価されたのである(もちろん、その裏には、女性差別的慣行があったのだが)。その結果、収入が増え、豊かな家族生活を送ることが可能な収入を得たのである。

 女性の場合は、1985年に雇用機会均等法ができるまでは、キャリアが築けるような希望の持てる職業に就くことは一般的でなかった。就けたとしても、教員や資格が伴った専門職など一部の職に限られていた。多くの女性にとって仕事とは、結婚までの腰掛けとしての一般職やパート職であって、努力してもそれに見合った評価が受け取れるケースは少なかった。

 しかし、「家事・育児」を仕事と見立てれば、夫や子どものケアをしていれば、夫は出世し、子どもが学歴をつけるという形で、それを成果として感じていた人も多かったと思われる。

 家事・育児を頑張っていれば、その成果として夫の収入が上がり、豊かな生活を享受でき、子どもの学歴を自分の努力の結果と信じることが容易だった。そういう意味で、家事・育児に仕事としての希望を持つ人も多かったと思われる。

 しかし、1990年代以降、すべての男性が正規雇用で、将来に希望が持てる職業に就けるわけではなくなった。仕事で努力し、それが報われることが感じられない職に就かざるを得ない人が増大する。また、正規雇用者であっても、ブラック企業の社員や業績の上がらない中小企業従業員などは、努力に見合った評価や収入が得られるとは思われない状況が広がる。

 そのような中、平成時代に出現したのが、「夢見るフリーター」という存在である。「フリーター」という言葉は、バブル経済まっさかりの1990年頃、株式会社リクルートによって広められた言葉である。フリーという英語と、アルバイトというドイツ語を組み合わせた和製外国語である。

 当時は、「将来、やりたいことを仕事にするために定職に就くことはせず、アルバイトを転々とする若者」というイメージで語られていた。私が2000年頃に調査した非正規雇用者の中にも、そのような意識を持つ若者はある程度存在した。

■2種類の「リアルな仕事」

 これを仕事と希望という観点からみると、リアルな仕事の世界を2つに分裂させ、1つは「努力が報われて欲しい仕事の世界」、もう1つは「努力が報われない仕事の世界」になる。

 声優やロックスター、プロ野球選手になるため、努力をする。しかし、それでは生活できないので、成功するまで生活費を稼ぐためにアルバイトする。夢見るフリーターたちは、前者の「なりたい職業」の夢の世界で、努力が報われて欲しいと希望を持ち練習に励む。後者の現実にお金を稼ぐアルバイトの世界では、努力が報われないものと割り切っている。

 また、女性にとってみれば、「専業主婦になる」という意味での婚活(もしくは、待っているだけの人も含めて)も同様であろう。収入の高い人と結婚して、「家事・育児」をしていれば生活が豊かになるという専業主婦という「地位」を目指す。

 一方で、現実の仕事はアルバイトや一般職で、昇進や昇給はほとんどない。将来、家事や育児をしてその努力が報われるということを信じて、リアルには努力が報われない仕事を続けるという姿がみられたのである。

 これらのケースを反転させれば、現実には努力が報われない仕事で生活をしているが、それを埋め合わせるために、「なりたいもの」の世界で、今、現実にしている努力が実って成功するという将来の夢を見るのである。

 現実にしている仕事で努力が報われないと感じ、さらに、努力しても将来就きたいと思う仕事(専業主婦も含む)に就けないと思う人たちの行き場が、バーチャルな世界である。リアルな仕事とは別の所で、努力が報われる場を「疑似仕事」と呼んでおく。

■疑似仕事で格差を埋め合わせる

 疑似仕事には、様々なものがある。その代表例は「パチンコ」である。もちろん、パチンコは換金ができるということで現実世界と多少つながりはあるが、一部のプロを除けば、基本は、経済的には「消費活動」に位置づけられる。しかし、客観的にみれば消費であるが、彼らにとっては一種の仕事的な意味を持つ。それは、その世界で「努力すれば報われる」と思うことができるからである。

 同じことが、様々な形のゲームの世界で見られることである。今の若い人は、パチンコよりもネットゲームの世界にのめり込む人が多いという印象である。50年前であれば、喫茶店のインベーダーゲームやリアルに人と対戦する麻雀だろう。ゲームセンターはそろそろ衰退気味で、今では、個人所有のゲーム機、パソコン、スマホなどに中心が移っている。

 その中身は「ドラゴンクエスト」が典型だが、基本は、様々な課題を乗り越えて、努力して技術を磨けば、結果が得られるということである。ソーシャル・ゲームでは、参加している人同士で助け合いながら、課題を達成することもできる。これらは、「疑似成功体験」つまり「努力が報われるという感情」を売るシステムといってよいのではないか。

 もちろん、リアルな場で成功体験を感じることが可能な人であっても、時々、バーチャルな世界で疑似成功体験を感じたいということはある。しかし、現実に仕事で成功体験が感じられない人にとっては、バーチャルな体験のみが、希望の場となるのだ。

 15年以上前、私の大学のゼミ生が「ゲームセンターに集まる人」を調査して卒論を書いたことがある。その中で「仕事なんてつまらない、ゲーセンに来れば、仲間がいて、高得点を出せばみんながほめてくれる」という語りが典型としてあったのが、印象的である。

 彼らにとって、現実の仕事は、ゲームの世界に浸るためのお金を稼ぐためだけの単なる手段。だから、単純でつまらなくても耐えられる。努力が報われるという生きがいは、ゲームの世界の方にある。

 インターネットが発達した現代では、わざわざゲームセンターまで出向かなくても、自宅でネットゲームをしていれば、仲間と出会え、協力しながら課題をこなして、高得点を得る(敵を倒す)という成功体験を得ることができる。それが通勤途中の電車の中でも可能なのだ。まさに現実の希望格差をバーチャルな世界で埋め合わせている。

■疑似仕事としてのマニア、オタク

 一昔前、昭和の時代には、マニアというと特殊な趣味の世界であり、オタクと言えば「1人で部屋に籠もり、公には言えないものを密かに集めているネクラの男性」というイメージがあった(例えば、大塚英志『「おたく」の精神史』2004年)。ここでは、「オタク」を、1つのことにこだわり様々なモノやデータを収集して楽しむ人と定義しておこう(小出祥子『オタク用語辞典 大限界』2023年)。

 そして、平成を通じて、そのオタク、マニアに対する評価は好転し、令和に入ってからは、イメージが好転しているだけでなく、人数的にも増え、女性の参加も増えている。これにもリアルな仕事の世界での希望の喪失の進行を背景にして、マニアやオタクがしていることが「疑似仕事」化しているのだと解釈している。

 マニアやオタクの基本は、「収集」という努力にある。努力して、特定の分野の様々なグッズや情報、そして、体験を収集することにお金や時間をつぎ込む。そして、その収集物が、何らかの形で、その仲間たちから評価されることを目指す。

 つまり、リアルな仕事の世界のバーチャル版を趣味仲間の間で作っているとも言える。そこには、鉄道マニアや釣りのような伝統的で確立された趣味世界もあれば、アイドル・オタク、コスプレ趣味など比較的新しい世界もある。

 もちろん、趣味のコミュニティは、昔からあった。例えば、鉄道マニアは、社会学者の中央大学 辻泉教授が調査しているように、戦前から存在していた(辻泉『鉄道少年たちの時代』2018年)。しかし、一昔前は、富裕層である一部の好事家がたしなむものであり、少数の仲間と楽しむことが多かったと考えられる。

 昔は、その多くは、リアルな世界でも定職を持ち、趣味の一種として別の世界を楽しんでいる。つまり、努力が報われる場をリアルとバーチャル、2つ持っていると言えただろう。もちろん、今でもそのような人も数多くいることは確かである。

■「いいね」の数で評価を実感

 ただ、平成を経て令和となった今では、「マニア」の世界は、ゲーム世界と同じように、「成功体験」をリアルで得られなかった人にとって、その体験をバーチャル世界で埋め合わせる機能を持つようになっている。

 それは、インターネット世界の発達と関連している。特殊な趣味を持つ人であっても、同じ趣味の人とつながりやすくなり、ネット上でのコミュニティが作りやすくなる。すると、共通の趣味を持つ人たちの間で、お互いの努力を認め合う場が形成される。

 リアルな仕事の世界では、お金をメディアとして、努力が報われるということが実感できる。努力の成果は収入という形で確かめることができる。

 それと相似形の構造として、ネット・コミュニティの世界では、いわゆる「いいね」というコメントのヒット数がメディアとなる。ネット上で読まれ肯定的に評価されるしるしである。「いいね」がたくさん得られれば、自分の趣味上の努力が評価されたという実感を得ることができる。

 まさに現実世界では埋まらない格差を、バーチャル世界で埋めることで、生きていくための「希望」をつなぐことができるのである。

 (構成・中島はるな)

東洋経済オンライン

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最終更新:1/15(水) 10:02

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