清少納言の「令和では炎上発言」に込められた真意 紫式部とはまるで異なる「宮仕え」への考え方

5/11 7:02 配信

東洋経済オンライン

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は清少納言が、宮仕えする女性を賞賛した理由を解説します。
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■女性でも「宮仕え」をすべきだと主張

 清少納言は随筆『枕草子』のなかで次のように主張します。

 「前途に望みもなく、ただ一途に夫を愛し、家を守って、ささやかな家庭の幸福を夢見ているような人は、私にはとても我慢のならない、軽蔑すべきもののように思われる」と。

 今なら、炎上しそうな主張です。一方で、清少納言はどのような女性の生き方が、よいと言っているのでしょうか。

 それは、しかるべき身分の人の娘などは「宮中に女房として、出仕させるべきだ」と言っているのです。

 清少納言は女性たちに、広く世の中、世間というものを見てほしいと考えているようでした。清少納言の考え方からすれば、女性でも社会(宮仕え)で活躍すべきだし、「宮仕えする人は非難すべき、世間体が悪い」と考えている「男性」は憎きものでした。

 とは言え、清少納言も宮仕えする女性を世間体の悪いものとする考え方に、少し同調するところもあるようで、「考えてみればそれもまた尤も(もっとも)なところもある」などとも述べています。

 清少納言が「宮仕えは世間体が悪い」、と思う理由に「帝を始め、上達部、殿上人、五位、四位などの人達は、改めて言うまでもなく、女房をあらわに見ない人は、ほんの数えるほどしかいないだろう」ということを挙げています。女性たちが、先述した上の身分の人たちに加えて、下の身分も含めた、大勢の他人から見られることについては、世間体が悪いと言っているのです。

 そのうえで清少納言は「宮仕えをした人を上などと呼んで、北の方として大切にされるような場合には、(北の方は)宮仕えで多くの人に顔を見られているため、奥ゆかしく感じられないのは、一応、尤もではあるけれども」とも書いています。

 とはいえ、なにか特別なことがあったときに、参内したり、または賀茂の祭りの使いとして、行列に加わったりするのは「晴れがましく、名誉なことではないか」と清少納言は、女性たちが世間を広く知るよさを改めて語るのです。

 そして、宮仕えの身分でありながら、家では妻としての役目も果たしている人は、いっそう「素晴らしい」と絶賛するのでした。

■清少納言の宮仕え観とは異なる

 このような清少納言の考え方は、「宮仕えは恥だ」と考えていた貴族たちとはまるで異なる考え方です。

 清少納言の宮仕え観は、そうした考え方に少しは理解を示しながらも、女性たちの宮仕えを支持する、「宮仕え礼賛論」であるとも言えましょう。

 また、宮仕えをすると友達とのやりとりも絶たないといけなくなる、と考えていたり、半分嫌々ながらも、女房暮らしをしている紫式部とも、異なる考え方です。清少納言が『枕草子』に記す女房としての生活には、それほど暗さはないように思われます。

 例えば、清涼殿の東北の隅にある障子に描かれているさまざまな絵(荒海、奇怪な生き物)を見て「まぁ、嫌だ」などと同僚と笑う話からは、楽しそうな様子が伝わります。

 また、中宮(定子)にも懸命に仕えようとします。紫式部の日記にも、自らが仕える中宮(彰子)をほめる場面がありましたが、清少納言の日記にも「中宮様が几帳を押しやって、簀子(すのこ)との境の御簾ぎわまでお出ましになっているご様子など、ただもう理屈もなにもなく、素晴らしいお姿だ」と絶賛しています。

 中宮(定子)に仕えるほかの女房も、中宮のその姿を見て、心にある憂いを忘れるほどであったと言います。

 一方で宮仕えの生活では、なかなか上手くいかないこともあったようでした。

 中宮が古今集(古今和歌集)を自分の前に置かれて、歌の上の句をお詠みになり「この歌の下の句はなんと言うか」と、清少納言たちに質問されたことがありました。

 いつもはしっかり覚えていた歌も、なぜか、そのようなときに限って、ちゃんと出てこないのです。

 宰相の君は、10首ほど答えたことがあるようですが、清少納言に言わせれば、それでも「よくできたとは、おせじにも言えない」そうです。

 5つや6つ覚えているくらいでは「覚えておりません」と言上したほうがいいと思ったようですが、皆「それでは、中宮からのせっかくのご質問に、そっぽを向くようだ」と、もどかしい気持ちでいたようです。

 誰も返答できない歌は、中宮がそのまま下の句まで詠まれました。本当はちゃんと覚えていた歌があっても、頭に浮かんでこないこともあるようで、そのようなときに清少納言たちは「私たちは、どうしてこうも頭が悪いんでしょう」と悔しがったそうです。

■時には中宮からの「無茶振り」も

 帝がお出ましになったときの、このようなエピソードもあります。中宮が「お硯の墨をすりなさい」と仰せになったのですが、清少納言は帝の姿に見惚れてしまい、夢中になってしまう有様でした。

 その後、中宮からは白い色紙に「今すぐに頭に思い浮かぶ歌を書いてみなさい」とのご命令がありました。

 清少納言にとっては、急な「無茶振り」に、御簾の外にいた大納言に「どうしたら、よいのでしょうか?」と尋ねるしかありませんでした。

 大納言は「早く書いてお見せするのだ。男子が差し出がましく意見を述べるべきときではない」とアドバイスします。

 中宮からは「さぁ、さぁ、何の思案もいりませんよ。難波津でも何でも構いません。今、頭に浮かんだ歌を書いてごらん」との再びの催促がありました。清少納言は顔を真っ赤にして、しばらく途方に暮れます。

 このような中宮からの問いかけは、清少納言だけにあったのではありません。ほかの女房にもあったので、彼女たちは、春の歌や、桜の歌を書いたようですね。

 中宮が「無茶振り」をしたのも、中宮から言わせれば、女房たちの機転を知りたかったのでしょう。

 (主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・石田穣二・訳注『新版 枕草子』上巻(KADOKAWA、1979)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・渡辺実・校注『枕草子』(岩波書店、1991)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)

・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

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最終更新:5/11(土) 7:02

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