大河出演・矢部太郎「人生をつくるプレゼント」 乙丸役が好評、芸人・漫画家などマルチに活躍

3/27 14:02 配信

東洋経済オンライン

NHKの大河ドラマ『光る君へ』では吉高由里子さん演じる「まひろ」(後に『源氏物語』を書き、紫式部と呼ばれる)に仕える従者「乙丸」を演じる矢部太郎さん。
芸人として、また120万部を超えたコミック『大家さんと僕』シリーズの作者としてもマルチに活躍している。
矢部さんの漫画家としての最新作が『プレゼントでできている』。コミックエッセイのスタイルで、矢部さん自身が実際に体験した「プレゼント」にまつわるエピソードを描いた連作だ。

一見軽やかな題材のようだが、読後感は深い。ほのぼのとしたタッチに癒やされながら読み進めていくうちに「プレゼントを贈る」という行為に、モノの価値観や人間関係の本質を問い直すカギが隠されていることに、気づかされるのだ。

■断捨離しようとしても「できない」もの

 「プレゼントをテーマにしようと思ったきっかけは、引っ越しです。前の住まいの荷物を整理する際に、捨てられるものと捨てられないものがあって、捨てられないものには人からもらったものが多いことに気づきました。

 使わなくても、プレゼントは捨てられない。贈り物には捨てられない理由があるんですよね。ありがたみもあれば、負い目のようなものもあります。そんなことを不思議に感じて『プレゼントの持つ意味』を、漫画で描いてみたいと思いました」(矢部さん 以下の発言部分すべて)

 2011年の東日本大震災をきっかけに、ミニマルライフや、それを実現するための断捨離が脚光を浴びた。近年は定期的に断捨離をし、必要十分なものだけで暮らすことを良しとする価値観も、スタンダードになっている。

 「不必要なものを捨てるとスッキリしますよ、という断捨離の理論は、果たして本当なのかな?  という懐疑も持っていました。だから特に『捨てられないプレゼント』に、焦点を当ててみたかったのかもしれません」

 一般的に、プレゼントを贈るのは難しい。相手を想って選んでも、気持ちが伝わらないこともあるし、不必要なら邪魔になってしまう。だからこそ安全策として、食べ物や消耗品などの消えモノを贈りがちにもなるのだろう。

 しかし矢部さんは扱いに困るような「捨てられないプレゼント」にも、価値があるという。

■20年前にもらった炊飯器が捨てられない

 家のほとんどが、さまざまな人からのプレゼントで構成されているという矢部さん。その持ちもののなかでも、特に思い入れがあるのが、20年前にもらった炊飯器だそう。

 「実は今現在でも、僕は20年前の炊飯器を使っています。ある舞台で共演した方から急にいただいたんです。その方との何気ない会話で『ご飯食べてる?』と聞かれて『炊飯器も持ってなくて』と話したら、なんと次の日に炊飯器を買ってきてくれたんです。これ、今でも捨てられないんですよね。もう経年劣化しているんですけど。

 毎回ではないですが、ご飯を炊くたびに思い出すのが、初めて大きな演劇の舞台に立った時のことや、炊飯器をいただいた方のこと。すべて特別な思い出で、型番やカタログには載っていない、自分だけの幸せです」

 お米を炊く機能とは別の価値を帯びたその炊飯器は、たとえうまくお米が炊けないときがあったとしても、特別なものなのだ。

 「もちろん最新型の炊飯器は気になりますよ!  20年経つと家電も調子が悪くなりますから、テレビの炊飯器特集を見るたびに、美味しそうだなと羨ましく思います。でもそれとは別に、この炊飯器には僕にとっての特別な価値がある。だから『捨てられないプレゼント』なんです」

 その時の共演者の気遣いが、炊飯器という形となって矢部さんの日常のひとつのパーツになり、20年かけて当時の思いや経験が矢部さんの人生に染み込んでいく。それは形あるモノとして残るプレゼントだからこそ、起こることだ。

 「本を描くなかで、今まで受け取ってきたプレゼントと向き合う過程は、自分が自分自身であることを受け入れていく過程だったと思います。

 受け取ってきたモノやそれに込められた言葉や気持ちを、一つずつ見つめ直して受け入れていく過程は、誰かと比較する必要のない、自分だけの体験や価値を受け入れて『自分はこうである』と認めることでした。それが、『プレゼントでできている』というタイトルにもつながっています」

 家のなかにある捨てられないプレゼントは、他人から見ると無価値でも、そこに込められている記憶や、思いが自分を形づくっている。『プレゼントでできている』を読んでいると、自分自身が受け取って来たプレゼントのことも、次々と思い浮かんでくる。

■『光る君へ』演技の裏側にある漫画家の視点

 本書には『進め!  電波少年』などのテレビ番組や『幕末純情伝』などの舞台に出演した当時に贈られたプレゼントに関するエピソードが多く、矢部さんの芸人や役者としての活躍を知っていると、より深く内容が迫ってくる。

 現在出演中のNHKの大河ドラマ『光る君へ』では吉高由里子さん演じる、まひろ(後に『源氏物語』を書き、紫式部と呼ばれる)に使える従者、乙丸を演じる矢部さん。撮影現場で何を感じているのだろうか。

 「僕が面白いと思うのは、主人公のまひろが将来的に『源氏物語』を執筆し、1000年後の読者とも、つながる可能性があるということです。

 まひろさんの中にはすでに『源氏物語』が息づいているように感じますし、『光る君へ』のドラマの世界観が、その登場人物たちも含めて、紫式部の書いた『源氏物語』に流れていく川なのだと思うと、興味深いです。

 僕の演じる乙丸も、きっとまひろさんの書く物語の一部になるのだと想像し、ワクワクしながら演じています」

 紫式部が当時の貴族社会を反映した『源氏物語』を執筆したということ自体が、当時の、そして1000年後の読者に対しての、プレゼントなのかもしれない。

 「書くことで読者に何かを手渡すというのは、僕が漫画を描く動機にもつながる考え方です。

 『プレゼントでできている』で描いたプレゼントも、1対1で、誰かにプレゼントを渡して、お返しを貰って終わり……という類いのものではなくて、受け取ったものをまた別の誰かに手渡すという、つながりをイメージしています。

 漫画を描いている僕自身も『本にして終わり』ではなく、この本を読んだ人にも何かがつながればいいなと思って、描いています。

 そんなことを普段から考えているからでしょうか。まひろさんが後に『源氏物語』を書く作家であるということは、意識していますね」

 漫画家ならではの視点が、ドラマの役柄にどう反映されているのか、『光る君へ』での矢部さんの演技に注目したい。

■紙粘土の人形をあげたら「いらない」

 『プレゼントでできている』のなかには、プレゼントを貰うだけではなく、自ら贈るエピソードも多い。そのなかには、プレゼントを贈った結果、微妙な反応をされたというケースもある。

 「僕のプレゼント、全然喜ばれないんです。紙粘土で作った人形をあげて『全然いらない』って言われたり、庭で採れたゴーヤをあげて『ゴーヤ好きじゃない』って言われたり。あげたいものをあげるって、ちょっと暴力的だったのかなと思いつつ、でも『いらない』って言われることで、ひとつのコミュニケーションになっているんじゃないかなと思うところもあります。

 例えばお見舞いに行って、空気を緩和するために、今使えないものをプレゼントするみたいなボケってありえると思う。必ずしも、ものそのものが大事なんじゃなくて、つながりを持ちたいからプレゼントするわけで、返礼が伴うし、つながりが強固になる。その場のコミュニケーションが成立すればいいのかな、というところはあります」

 プレゼントがコミュニケーションだとすれば、相手によって角度を変えることで、唯一無二のやり取りになるかもしれない。無難なプレゼント選びから一歩踏み出すことで、より深いつながりが得られることもあるのだ。

■プレゼントを贈る=「誰かに心を手渡すこと」

 「プレゼントは、相手に自分を差し出すことだから、時には暴力にもなりますよね。

 この本の最後に、直接には示していないけれど、僕が『電波少年』で、イスラエルとパレスチナに行ったときのエピソードが描かれています。僕はイスラエルとパレスチナ、それぞれの街でコントをしました。

 そのときのコントのひとつに、『相手に向けて撃った銃弾が、地球を一周し、巡り巡って自分に当たってしまう』というネタがあったんです。当時、双方の兵士がウケて笑ってくれた。その思い出をもとに描きました。

 戦争や暴力は相手に自分の正義や欲望、衝動をぶつけることです。僕はそれも、プレゼントなのだと思うのです。我々が普段思い描くプレゼントとは、まったく違いますが……」

 漫画では、巡ってきた銃弾の代わりに、リボンをかけたプレゼントが飛んできて、ネタを披露していた矢部さんは、そのプレゼントをギュッと抱きしめる。

 誰かに何かを差し出し、相手から何かを返される。

 『プレゼントでできている』を読んでいると、その繰り返しが織りなす世界に想いを馳せずにはいられない。笑ったり、しみじみしたりしながらページをめくり、読み終えた頃には、きっと身近な誰かに、プレゼントを贈りたくなっている。

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最終更新:3/27(水) 14:02

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