「ママチャリの人」がSNSで大炎上!木下優樹菜さん騒動にも共通する“イジリ倒し”の背景

4/19 6:02 配信

ダイヤモンド・オンライン

● 「SNSのおもちゃ」としていじり倒され拡散される女性

 先日、「ママチャリの人」がSNSのトレンドに上がった。

 原因は、あるドライブレコーダーの映像である。一方通行らしき道を走っている車のドライブレコーダー映像の脇から突然、ママチャリに乗った女性が入ってきて、道を逆走をしようとする。信号は青だが、車は慌てて急停止。すると、女性は「はあ?」というような怒りの表情で運転席に向かって何やらと文句を言う。やがてスマホを取り出してどこかに電話して、こちらにカメラを向けてパシャリーー。

 そんな動画がSNSにアップされるやいなや、「自分が悪いのに逆ギレしている」と瞬く間に拡散された。SNSユーザーの中には、住んでいる地域や本名を「特定」したとして、具体的な住所や個人名を拡散している人まであらわれる始末だ。ただ、ここまでは、電車のケンカやあおり運転の動画をアップする「さらし」が横行する時代、珍しい話ではない。今回、「ママチャリの人」が大バズりしたのには、別の理由がある。

 それは「動画がAIでイジり倒されている」ということだ。

 例えば、この女性がキレて文句を言っているシーンをAI技術を用いて、「恋のマイアヒ」を歌わせたり、女性の顔を入れ替えて、ノリノリでダンスを踊らせたりしているのだ。

 結果、「このママチャリの人、これくらいのことでさらされて気の毒だけど、おかしいからつい見ちゃう」という感じで「SNSリンチ」としてではなく、みんなでイジり倒す「おもしろ動画」として拡散されてしまっている。

 もちろん、子どものイジメなどに当てはまることだが、やっている側は「みんなで楽しくイジっている」というつもりでも、やられている側からすれば「死にたくなるような侮辱」ということが多い。この女性が自転車の危険運転をしていたとしても、動画で顔を勝手に加工されるなど「SNSのオモチャ」にされるいわれはない。肖像権侵害などで訴えられれば一発アウトの案件だ。

 さて、そこで気になるのは、なぜ「ママチャリの人」はこんなにもイジり倒されてしまったのかということだ。

 先ほども述べたように、SNSには悪質ドライバーや迷惑行為をしてさらされる人が多くいるが、ここまで大バズりするのはまれだ。彼らに比べて、「ママチャリの人」だけが突出して悪質というわけでもないのに、なぜこんなに集中砲火を浴びているのか。

● 燃焼性が高い「非常識で無礼な女」

 いろいろな意見があろうが、筆者はこの女性が、数年前からSNS界隈で極めて燃焼性が高い「非常識で無礼な女」というイメージと見事にマッチしてしまったことが大きいと思っている。

 実は筆者は7年ほど前から、ちょっとミスをするとSNSで袋叩きにされる昨今の不寛容な世相を、「ギスギス社会」と名付けて定点観測を続けていて、2018年には「週刊新潮」で(2018年11月1日号)には特集記事にもまとめた。

 『新幹線でたこ焼きも豚まんも食べられない!?「不寛容」な「ギスギス社会ニッポン」』

 この記事の中で、ギスギス社会の典型例のひとつとして取り上げたのが、「ベビーカーを押すママへの厳しい風当たり」だ。

 17年1月、ベビーシッターマッチングサービスなどを運営するキッズラインが、子育て中の女性340人を対象に行った調査では、ベビーカー利用時に「嫌な思いをした」と回答したのは56.8%と半数以上となった。中には「ベビーカーを蹴られた」という耳を疑うような被害も報告された。

 では、「ベビーカーを蹴る側の正義」はどこにあるのかというと、調べていくと、一言で言えば「非常識で無礼な女」を懲らしめることは悪いことではない、という思想に突き当たった。

 SNSを見てみると「満員電車に大きなベビーカーで乗り込んできて注意したら何が悪いのかと逆ギレされた」、「ママ友が通路を並んでデカいベビーカーを押していて後に大渋滞ができて迷惑」など、社会人の一般常識的なマナーを無視した振る舞いに怒り、その「被害者」たちが、報復としてベビーカーママへの嫌がらせを正当化しているケースがかなりあるようなのだ。

 双方の主張はさておき、筆者が注目したのは「非常識で無礼な女」に対してイラっとくる人が、男女問わず、かなりいるということである。そして、その傾向が年々盛り上がっているということだ。

 そのわかりやすい例が、元タレントでYouTuberの木下優樹菜さんだ。

 木下さんはお笑い芸人の藤本敏史さんと結婚、2人の子どもが生まれてからは「ママタレ」として幅広く活躍されていた。しかし、2019年秋に「非常識で無礼な女」というイメージがついたことで、一部の人たちからボロカスに叩かれるようになる。

 木下さんの姉が勤務していたタピオカ店のオーナー女性とのトラブルで、木下さんが「事務総出でやりますね」などと、恫喝まがいの言葉を吐いたからだ。

 23年8月、木下さんはインスタグラムで一部のユーザーの誹謗中傷に対して「一般人だからとか武器にしてくんな」と怒りをあらわにしている。つまり、「非常識で無礼な女」というイメージが一度定着した者は、足かけ4年にわたって石を投げ続けらなくてはいけないということだ。

● 1938年、「非常識で無礼な女」を批判する投書があった

 「ママチャリの人」が大バズりした背景には、こういう日本社会のバイアスがあるのではないか。

 なんてことを口走ってしまうと、「木下優樹菜や、ベビーカーのママや、ママチャリの人が叩かれているのは、人間として非常識だからであって女だからではないぞ!」とか「そうやって女だからというくくりで物事を見るのは女性蔑視だ!」という感じで、フェミニスト、ジェンダー平等界隈からきついお叱りを頂戴すると思うが、筆者がそのように感じてしまうのは「歴史の教訓」からだ。

 「ギスギス社会」を考察していくにあたって、日本人の不寛容さは一体どこからくるのかとその源流をたどっていくと、明治・大正が終わったあたりの国家総動員体制が確立したような社会に突き当たる。

 なぜかというと、ちょうどその時、令和日本のSNSとそう大差なく、「非常識で無礼な女」がさらし者にされ、叩かれていたからだ。

 よく言われることだが、この時代の「ネット民」や「SNSユーザー」は、「投書階級」と呼ばれる人だ。新聞やラジオに反日的な音楽や言説が流れると、クレームを書き連ねてはがきを送る。新聞社や放送局の論調もかなり影響を受けたことが、研究者らの調査で明らかになっている。

 そんな「怒りの投書」は、当時の「非常識で無礼な女」もぶった切った。日中戦争が始まった翌年、1938年の読売新聞の投書欄「読者眼」にはそのものズバリ、「無礼な女」というタイトルの投書が掲載されている。

 投書の執筆者の職業は、自動車の運転手。戦死した兵士の遺骨を何十台もの霊柩車で隊列を組んで運ぶ機会が何度かあり、そこでは工事をしていた人も手を休めて帽子を脱いで頭を下げたり、自転車に乗っていた人も車が通る時は、自転車から下りて敬意を払ったりする姿をよく見かけたという。しかし、そういうことをしない「非常識で無礼な女」もいるとご立腹なのだ。

<甚だしいのはインテリ面の洋装女、または美しい着物を着た中流以上の女、一寸常識では考へられない態度だ。(中略)有識階級の女性は何故かうも無礼にして非国民的なのであらう、教育程度の低いと思はれる人達の方がはるかに礼儀を知り、愛国心に富むやうに感ぜられるのは、敢へて私のひがみではない>(読売新聞1938年11月19日)
 この時代、お国のために散った兵士に敬意を払うのは「日本人の常識」だ。それを守らない「無礼な女」は、新聞の投書でさらし者にされてもいたし方なしという、ギスギスした「空気」が、この時代の日本社会には確かにあった。

 そして、そういう「ギスギス」は戦争の激化につれて高まって、ついには「非常識で無礼な女」をイジって憂さ晴らしするという今のSNSにも通じるムードが生まれていく。

● 「パーマネントをかけた洋装女」の悲鳴を小気味よく眺める人たち

 日米開戦1年4カ月前の1940年夏、読売新聞で、当時「非国民」の象徴として叩かれた「パーマネントをかけた洋装女」が公衆の面前で恥をかかされた、という珍事が報じられ大バズりしている。

 名古屋市内の広小路を走る市電に、髪にパーマをかけた派手な洋装女性が乗り込んできた。乗客一同がまじまじと顔を見るほどのケバケバしさに戸惑う中で、1人の青年が立ち上がって女性に「そのパーマネントは幾らでした」と質問した。女性が「13円よ」(今の価値で5万円ほど)と答えたところ、この青年は「時勢を知れっ」と「雀の巣」のような女性の髪に、手を突っ込んでグシャグシャとかき回したというのだ。

 「当時の日本人は軍国主義で狂っていた」というよく聞く言い訳が成り立たないのは、これがまだ日米開戦もしていない時に起きているからだ。映画館では「ロビンフッドの冒険」などアメリカ映画が人気を博して、アメリカの文化に憧れる人もたくさんいた時代で、「非常識で無礼な女」は公衆の面前で恥をかかされた。

 しかも、注目すべきはこの青年の行動よりも、周囲の人々の反応である。

《「きゃッ」という彼女の悲鳴にも乗客たちが”それが当たり前”と言わんばかりに小気味よげに眺めるばかり。雀の巣女史はまっかになって退散》(読売新聞1940年8月26日)
 「おいおい、いくらなんでもそれはやりすぎだろ」といさめることをする人が一人くらいいてもいいはずだが、その場にいた乗客はすべて「自業自得」と冷笑しながら傍観していたというのだ。

 個人的にはこの「雀の巣女史」の令和バージョンが、「ママチャリの人」だと思っている。

 それほどの悪事を働いたわけでもないのに、AIで顔変換されるなど公衆の面前で「さらし者」にされてしまっている。にもかかわらず、その場にいるSNSユーザーは誰も彼女に手を差し伸べず、「かわいそうだけど面白いよな」という感じで「小気味よげに眺めるばかり」で、結果として、動画の拡散に加わっている。

 「雀の巣女史」が真っ赤な顔をして逃げていくのを見て溜飲が下がったのと同じく、イジり倒される「ママチャリの人」を見て、どこか胸がスッキリしている日本人がたくさんいるのだ。

● 日本人のモラルは変わらないが「武器」の破壊力は絶大

 テクノロジーが進化しているので、何やら人間まで進化をしていると勘違いしている人が多いが、1940年の日本人と、2024年の日本人の国民性やモラルには実はそれほど大きな違いはない。
 
 たった80年やそこらで人間というのは劇的に変わらない。うそだと思うなら、おじいちゃんやおばあちゃんたちに若い時の話を聞いてみたらいい。当時のイジメや嫌がらせ、マナー違反や軽犯罪など、当時も今も人がやっていることは、ほとんど変わらないのだ。

 それと同じで2024年の不寛容さや個人攻撃の傾向は、実は80年前とほとんど同じだ。相手を痛めつける「武器」がSNSやAIに変わったというだけの話だ。

 ただ、この「武器」の破壊力だけは格段に進歩している。これまで多くの人がSNSの誹謗中傷やフェイクニュースで心を壊されて、死に追いやられているのがその証左だ。

 会ったこともない「非常識で無礼な女」が動画でイジられるのは見ていて痛快だろう。一緒になって叩いても、「自業自得」という思いがあるから、それほど罪悪感もないのだろう。

 ただ、拡散や投稿をする前に一瞬でもいいので、この女性にも家族や大切な人がいることを考えていただきたい。「あれ?こっちも非常識で無礼なことしてない?」という自己矛盾に気づくのではないか。

 (ノンフィクションライター 窪田順生)

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最終更新:4/19(金) 6:02

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