岩手県が絶滅危惧種イヌワシの生息地を公開の訳 巨大風車群の建設ラッシュ対策で練りだした秘策

4/1 10:11 配信

東洋経済オンライン

 巨大風車群の建設ラッシュに見舞われている岩手県が秘策を繰り出した。3月27日、絶滅危惧種のイヌワシが生息するエリアをレッドゾーンとして示した1キロ四方のメッシュ地図を公表した。「環境と共生した陸上風力発電事業の導入促進」をうたう。

 その心は「このエリアでの風車建設を回避して」。通常、希少動物の詳細な生息情報は非公開にするが、あえて生息エリア公開に踏み切った。全国初の試みは、果たして吉と出るか、凶と出るか。

■レッドゾーンとイエローゾーンの意味

 岩手県の秘策の正式名称は、「陸上風力発電所の立地選定に関する基準」。県内全域をレッドゾーン、イエローゾーン、グレーゾーンに区分し、1キロ四方のメッシュ図で明示した。レッドゾーンは「原則として立地を避けるべき区域」で、営巣地はわからないようにしてあるが、草原や牧草地などの餌場やよく飛来する場所も含まれ、生息圏をギリギリ守れるように設定されている。事業者に対し、レッドゾーンへの風車建設を避けるよう求める。

 また、イエローゾーンは「立地による影響を低減すべき区域」で、もしもイエローゾーンに風車を建てる場合は、環境アセスメントをしっかり行うことにより、影響を軽減するように求める。グレーゾーンは、その他の区域で、「立地による影響を確認し、風力発電との両立を図るべき区域」だ。

 環境省は風力発電事業者が計画を立てる際に鳥類の生息状況を把握し、事業計画に反映できるよう、「鳥類のセンシティビティマップ」を作成している。

 だが、環境アセスメントデータベース(EADAS)で公開しているイヌワシの「センシティビティマップ(生息分布マップ)」は、10キロメッシュ。これに対し、岩手県の1キロメッシュのレッドゾーン図は、より絞り込んだ区域を示した。

 イヌワシなど希少野生動物の詳しい生息情報は、通常、明示されない。写真を撮りたい人たちが押し寄せるなど、動物の繁殖や生息を脅かす事態を招く可能性があるからだ。しかし、そうも言っていられなくなった。岩手県が2024年2月末でまとめた表「風力発電所の環境影響評価手続きの実施状況」によると、同県内で国の環境影響評価法に基づき手続き中の風力発電事業は計35事業、総出力計378万7150kWにのぼる。

 2022年度に環境アセス手続きを始めた事業だけでも8件に上った。県の環境影響評価技術審査会で、イヌワシの生息地への配慮を求める委員側と、「配慮をするかどうかは、自分たちで調査を行って決める」と主張する事業者側が押し問答をする場面も見られた。

 レッドゾーンなどの設定の根拠法令は、県基本条例上の自然環境保全の支障の防止措置および環境アセス省令。省令は経済産業省の省令で、通称・発電所アセス省令とも呼ばれ、「自治体による環境保全上の基準との整合」を求めた項目もある。

 3つのゾーンを明示した立地選定基準は、県の環境影響評価ガイドラインを改定して盛りこんだ。

■「トキの二の舞いは避けたい、しかしもう間に合わないかも」とイヌワシ研究の大家

 イヌワシは、タカ目タカ科の大型猛禽類。頭から尻尾までの全長が81~89㎝、翼を広げると168~213㎝、山地帯に生息する。環境省のレッドリストに絶滅危惧IB類として掲載され、種の保存法に基づいて国内希少野生動物種に指定され、国の天然記念物でもある。

 長年、イヌワシの生息環境の研究に携わってきた岩手県立大学名誉教授の由井正敏博士(80歳)は、全国のイヌワシの生息数について、「日本イヌワシ研究会の数字ですが、172つがい。親鳥の数はこれを倍にして344羽。あと幼鳥や若鳥を入れて、400羽前後ではないか」と説明した後、「トキの二の舞いにならなければいいけど。でももう遅いかもしれない」とため息をついた。

 日本のトキは2003年、最後の一羽が新潟県の佐渡トキ保護センターで死亡し、絶滅した。1981年に環境庁(当時)は、佐渡島で野生のトキ5羽を一斉捕獲し、幼鳥のときに捕獲した別のトキとともに6羽で人工繁殖に着手したが、成功しなかった。その後、中国から贈られたつがいで人工繁殖させたトキの放鳥が行われ、野生のトキが増えている。

 岩手県では、現在、「26つがい」が生息し、この数を維持することが目標、と公表しているが、実際にはつがいの数も減り続けているという。繁殖率も激減している。由井博士は「世界に生息するイヌワシの中でも日本にいるニホンイヌワシという亜種は一番小さく、森林地帯に生きるのが特徴。欧米のステップとか砂漠に比べて餌場が潤沢にないことが、厳しい」と話す。

■風車群の建設で餌場が使えなくなる

 風車群の建設の一番の問題は衝突事故(バードストライク)ではなく、「イヌワシには風車を避けて飛ぶ回避能力があるが、行動範囲が狭まり、使っていた餌場が使えなくなることが深刻だ」と由井博士は指摘する。

 「岩手のイヌワシは、非繁殖期に巣から20~25キロも離れたところまでエサを取りに行くことがわかっている。繁殖期には、親鳥のどちらかが幼鳥のそばにいなくてはいけないため、巣の周りでエサを取る」(由井博士)。つまり、営巣地からかなり離れた場所に風車を建てるので大丈夫、という問題ではないという。

 2008年9月には、2004年12月に運転が開始された釜石広域ウインドファームの43基ある風車の1つにイヌワシが衝突した事故が起きた。由井博士によると、この事故の後、周辺にいた5つがいのうち3つがいが消えてしまうなどの影響があったが、最も深刻な影響は、それまで使っていた餌場が使えなくなったことだ。

 「猛禽類は風車から半径500mの範囲の餌場は使わなくなるので、風車一基で78.5ヘクタールの餌場を使えなくなり、40基風車があると、約3200ヘクタールが餌場としてつかえなくなる」。由井博士はこう計算してみせたうえで、風車群がどんどん建つと、「餌場がなくなって、衝突しないまでも、飢餓で死んでしまう。あるいは、幼鳥も育たない」と心配する。

 日本野鳥の会もりおかの代表、佐賀耕太郎さん(73歳)は、岩手大学で林学を学び、岩手県職員として林業、鳥獣保護、森林保全などを担当した。岩手県では、1000メートル級のなだらかな山地「北上高地」が重要なイヌワシの生息地になっている、という。

 特に、戦後の拡大造林政策と、大規模牧野造成政策の結果、イヌワシにとって住みやすい環境ができた、と佐賀さんは説明する。「拡大造林政策では、広葉樹の森を伐採し、そこに針葉樹の苗木を植える。明るい草地ができて、苗木が大きくなるまでノウサギ、ヤマドリ、ヘビなどが来るので、イヌワシの餌場になる。伐採は順繰りに行われ、餌場は次々にできた。また、山の上を造成し、牧場を作って畜産とか酪農を頑張った。牧野もいい餌場になった」

 その後、林業に勢いがなくなり、成熟した森が伐採されずに残るようになった。畜産や牧場も厳しい状態にある。こうした農林業の状況が、イヌワシの生息状況が悪化した背景にあった。

■「列状間伐地」を作る取り組み

 そこで、イヌワシの保護団体は餌場作りに取り組んできた。1998年、保護団体はスギやアカマツの造林地に、イヌワシが飛び込んでエサを採ることができる「列状間伐地」を作る取り組みを始めた。当時、岩手県立大教授だった由井博士が考え出した間伐の方法だった。

 その場所は、約100ヘクタールの鳥類保護区特別保護地区のうち、日本野鳥の会もりおかなど自然保護団体が管理する約8ヘクタール。地元の自然保護団体が28年前に確保した造林地だ。

 岩手イヌワシ研究会などが土地所有者の協力を得てイヌワシの観察を続けてきた地域を保全しようと、岩手県自然保護協会、日本野鳥の会盛岡支部(当時)などが要請し、盛岡市が1995~1997年に93ヘクタールの土地を取得。さらに、その隣接地8.4ヘクタールを当時の財団法人日本野鳥の会が、ゼネラル石油株式会社(その後エクソンモービル・ジャパングループ)からの寄付金で取得し、「エクソンモービル野鳥保護区イーハトーブ盛岡」と命名した。

 初めての列状間伐は、1998年と1999年の9月に実施。1999年の5月から列状間伐の2~3年後にかけ、由井博士らは間伐地でノウサギのフンを数える調査を行った。

 その結果、列状間伐を行った伐採区間は、フンの密度が伐採していない林内に比べ、12~16倍もあった。ノウサギの密度に換算すると、列状間伐前に比べ、ここの造林地全体の平均で7.5倍になった。2013年には、近くに営巣するイヌワシのペアが繁殖に成功したことが確認されたという。

 日本野鳥の会もりおかなど保護団体の人たちは、この26年の間、秋になるとボランティア活動で列状間伐やその後の刈払いなど森林整備を行い、イヌワシが生き続ける環境を創り出してきた。その取り組みは国有林や県有林にも波及し、全国にも広がりつつある。

■北上高地に押し寄せてきた風力発電事業

 岩手県内の風力発電事業の計画は、2年前まで北部に集中していた。しかし、北上高地の西端にある盛岡市内で「姫神ウィンドパーク事業」が2019年4月に運転を開始したとき、日本野鳥の会もりおかのメンバーは、「イヌワシの生息地である北上高地に風車が林立するのではないか」と危惧した。

 その杞憂が現実となり、その後、姫神ウィンドパークに近い北上高地に風力発電事業が続々と計画され、環境アセス手続きに入っている。風車は、姫神ウィンドパークの場合は高さが100mちょっとだが、最近は巨大化している。

 現在、環境アセス手続き中の事業では、当初計画で、高さが最大249mの風車を22~40基建てる(盛岡薮川風力発電事業)、高さ152.5~219mの風車を38~55基建てる(薮川地区風力発電事業)などがある。

 岩手県の「イヌワシの重要な生息地(レッドゾーン)公表」を受け、佐賀さんは「円滑な環境アセス手続きを図ろうとする県の意図は理解します。ただ、イヌワシに限らず希少な動植物種は、レッドゾーン、イエローゾーン以外の区域にも生息しているので、環境アセス手続きでは、これまで以上に丁寧な調査と適切な影響評価を期待したい」と話している。

 一方、風力発電事業者側はどう受け止めているのだろうか。「岩手県の発表内容について確認中」(グリーンパワーインベストメント)という

事業者が多い。レッドゾーン、イエローゾーンの設定は制度の性格上、行政指導の延長にすぎず、事業者に対して強制力があるわけではない。

 しかし、自然環境保全や生物多様性の維持については、世界的に重要性が浸透してきており、民間事業者によるビジネスの評価を左右するようになってきた。

 行政指導とはいえ、事業者の協力が得られるのか。あるいは、あまり効果がなく、希少動物の詳細な生息域の公表により、望遠レンズ付きのカメラや三脚を担いだ人たちを呼び寄せてしまうのか。全国初の取り組みの結果が気になる。

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最終更新:4/1(月) 10:11

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