東大日本史「憲法を捉え直す」一大トレンドの背景 ステレオタイプな思考を打破する試みがある

3/17 17:02 配信

東洋経済オンライン

大学入試の問題は、いつの時代も同じというわけではありません。問題の形式面での流行もさることながら、出題されるテーマが時代の影響を受けていることも少なくないのです。大学入試問題を作成するその大学の先生方の、世相を捉えた問題意識が反映される世の中に対するメッセージでもあると考えられます。
『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史 傑作選』を上梓した予備校講師の相澤理氏が、面白すぎる東大日本史を解説します。

※本記事は『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史 傑作選』の内容を抜粋し、加筆修正して再構成したものです。

■凝り固まった見方や考え方から自由になる

前回の記事(「東大より攻めてる? 『上智大の日本史』問題の凄さ」参照)では、国家的事業の裏に隠された政治目的を問う上智大学の日本史の問題や、皇位継承の安定に摂関政治が果たした役割を問う東大日本史の問題を取り上げて、歴史的な視点から現代を見ることの意味について説明しました。

 紆余曲折を経て嫡子継承が確立した歴史を知ることは、現代における皇位継承のあり方を考えるうえでも、新たな視点を与えることになるでしょう。

 「新たな視点」、それは、ステレオタイプな思考を打ち破るものです。歴史の学びは、過去と現在の違いを通じて、凝り固まった見方や考え方から自由になるという意味を持つのです。

 東大日本史の問題は、自分がとらわれていたステレオタイプな思考に気づかせてくれるところにこそ、面白さがあります。今回もそのような問題を紹介しましょう。

〈問題〉
次の文章を読んで、次の設問に答えなさい。
一八八九年二月、大日本帝国憲法が発布された。これを受けて、民権派の植木枝盛らが執筆した『土陽新聞』の論説は、憲法の章立てを紹介し、「ああ憲法よ、汝すでに生れたり。吾これを祝す。すでに汝の生れたるを祝すれば、随ってまた、汝の成長するを祈らざるべからず」と述べた。さらに、七月の同紙の論説は、新聞紙条例、出版条例、集会条例を改正し、保安条例を廃止すべきであると主張した。

〈設問〉
大日本帝国憲法は、その内容に関して公開の場で議論することのない欽定憲法という形式で制定された。それにもかかわらず民権派が憲法の発布を祝ったのはなぜか。3行以内で説明しなさい。
(2014年度・第4問)
 東大日本史の近現代では、大日本帝国憲法が一大テーマとなっています。そこにあるのは、大日本帝国憲法を通じて日本国憲法を捉え直すという意図です。実際、国会での憲法改正論議の高まりに呼応するように、出題頻度も高くなっています。

 さて、大日本帝国憲法の一般的なイメージというと、「天皇が元首として主権を握り、国民(臣民)は権利・自由が制限された」といったところでしょうか?  

 しかし、そのようなステレオタイプな思考にとらわれていては、民権派の植木枝盛が大日本帝国憲法の発布を祝った理由は見えてきません。植木と言えば、人権の無制限での保障や、政府に対する抵抗権などを盛り込んだ急進的な私擬憲法である、「東洋大日本国国憲按」の起草者として知られます。その植木が大日本帝国憲法を評価したというのは、そこに立憲主義の精神が通っていたからです。

■大日本帝国憲法に埋め込まれたデモクラシー

 立憲主義とは、統治権の行使は憲法によって制限されるという、近代国家の原理のことです。

 なぜ統治権の行使が制限される必要があるのか?  それは、個人の権利・自由を保障するためにほかなりません。権力者が統治権を振り回せば、個人の権利・自由は侵害されてしまいます。そこで、それを抑止するために近代憲法に盛り込まれているのが、統治権を立法・行政・司法の諸機関に分けるという権力分立(三権分立)です。

 大日本帝国憲法が立憲主義に基づいていたというのは、次の条文から見て取れます。

 「第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」

 天皇は憲法の条規に則って統治権を行うものとすると、立憲主義が明確に述べられていますね。実は、「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」という文言は、憲法草案の審議において伊藤博文の強い意向により採用されたものであることが知られています。伊藤は、立憲主義の精神を正しく理解していたのです。

 次に、民権派が開設を求めてきた議会は、どのように規定されたのかを見てみましょう。ここでも、衆議院の立法権の行使は、華族や勅選議員などからなる貴族院によって制約されたというステレオタイプに縛られていると、植木の評価を見誤ることになります。

 第37条・第64条では、法律および予算は帝国議会の協賛を要するとされ、第62条には「現行ノ租税ハ更ニ法律ヲ以テ改メサル限(かぎり)ハ舊(きゅう)ニ依リ之ヲ徴収ス」と租税法律主義も明記されました。伊藤博文を中心に憲法を逐条的に解説した『憲法義解』にも、「議会の議を経ざる者は之を法律とすることを得ざるなり」とあります、議会には法律・予算に関する権限が与えられたのです。

 とりわけ議会にとって強力な武器となったのが、予算に関する次の第71条です。

 「第七十一条 帝国議会ニ於テ予算ヲ議定セス又ハ予算成立ニ至ラサルトキハ政府ハ前年度ノ予算ヲ施行スヘシ」

 予算不成立時は前年度の予算を執行するものとするこの規定により、政府は議会の同意なしに新しい予算費目を立てられなくなりました。実際に、1890年の開設後の初期議会では、予算をめぐって政府と議会の激しい攻防が繰り広げられています。

■日本国憲法を適切に運用できているか問いかけている

 問題にもあるとおり、大日本帝国憲法は君主である天皇の意志によって制定された欽定憲法という形式をとりました。

 そして、その制定の主導権は、1881年に国会開設の勅諭を発して民権派の急進的な動きを封じ込めて以来、伊藤博文を中心とする薩長藩閥政府が完全に握っていました。伊藤は渡欧してプロシア流(ドイツ流)の君主権の強い憲法を学び、帰国後、草案の準備にかかりますが、その内容は1889年2月11日(紀元節)に発布されるまで、国民に全く知らされませんでした。

 ですが、植木枝盛は、フランス革命のようなことのない平和な状況で制定されたこと、各国の憲法を比較しながら講究できたことなどを理由に、大日本帝国憲法へ全幅の信頼を寄せています。

 そして、発布後には郷里の高知で発行していた『土陽新聞』に「善く代議政体の本旨を得たる」と記しました。

 その理由は、いま見たとおりです。大日本帝国憲法には立憲主義の原理が貫かれており、議会を通じて自らの意見を政治に反映できると考えたからこそ、植木枝盛をはじめとする民権派は、憲法制定においてカヤの外に置かれていたものの、これを良しとして祝ったのです。

 議会の規定から見てとれるように、大日本帝国憲法にはデモクラシーが埋め込まれていたと言えます。実際、大正末期~昭和初期には「憲政の常道」と呼ばれる政党内閣の慣行が成立しました。ですが、それが8年足らずで幕を閉じたということは、憲法を運用することの難しさも物語っています。

 その歴史は、私たちに日本国憲法を適切に運用できているかと問いかけているに違いありません。

■日本国憲法は本当に民主的な憲法なのか? 

 2005年の東大日本史では、大日本帝国憲法と日本国憲法の共通点と相違点を問う問題が出ました。

〈設問〉
大日本帝国憲法と日本国憲法の間には共通点と相違点とがある。たとえば、いずれも国民の人権を保障したが、大日本帝国憲法では法律の定める範囲内という制限を設けたのに対し、日本国憲法にはそのような限定はない。では、三権分立に関しては、どのような共通点と相違点とを指摘できるだろうか。6行以内で説明しなさい。

(2005年度・第4問)
 大日本帝国憲法の条文と、それがどのように「運用」されてきたのかについて、先ほどの問いでも見てきました。大日本帝国憲法では、立法権は統治権を総攬する天皇が握っているものとされ、帝国議会はその協賛機関と位置づけられました。また、衆議院を通過した法案が、対等の権限を持つ貴族院に否決されることも少なくありませんでした。

 しかし、予算の成立には議会の同意が必要とされましたし、関連法案を成立させないと予算は執行できませんから、初期議会における対立を経て、議会と政府は歩み寄るようになります。

 こうした現実的な努力の積み重ねによって、大正時代には議会政治が軌道に乗るにいたるのです。

 行政権についても、天皇に属するものであり、内閣総理大臣の統率権限も明記されていませんでしたが、内閣全体で行政の責任を負うことは、大日本帝国憲法の解説である『憲法義解』に述べられています。

 明文化されていなくても、運用上は内閣として行政にあたっていたのです。

 司法権についても同様です。日本国憲法との比較において「非民主的」と評価されることの多い大日本帝国憲法ですが、運用面から見れば、近代憲法として十分に立憲主義的だったと言えるでしょう。

 それでは、日本国憲法はどうでしょうか?  日本国憲法では、裁判所は違憲立法審査権を有し、憲法の最高法規性を守るとともに、立法・行政による人権侵害を監視する役割を果たすとされています。

 しかし、実際には下級裁判所で出された違憲判決が最高裁判所で政府の意向に沿った判決に覆される事例も多く、「憲法の番人」としての姿勢を疑問視する声も聞かれます。

 たしかに、日本国憲法では三権分立が明文化されました。しかし、それが実質をともなったものであるかどうかは、また別問題です。

 そもそも、憲法や制度が変わったからといって、社会がガラッと変わるというわけではありません。現実は制度そのものではなく、私たちの政治に対する姿勢にあるからです。

 東大日本史は、そのことを問うているのです。これは、東大の先生方の問題意識であると同時に、世間的な関心を反映しているものと言えるでしょう。

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最終更新:3/17(日) 17:02

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