心臓外科医が説く「手術に向き合う」心の整え方、「ゾーンに入る」ことを期待してはいけない

6/16 16:02 配信

東洋経済オンライン

ほんのわずかなミスが患者の生死に直結しかねない心臓外科医。そんな心臓外科医として、14年連続で「The Best Doctors in Japan」に選出されている渡邊剛氏には、つねに安定した高いパフォーマンスを発揮するために意識していることがあるといいます。世界初となる、心臓の「完全内視鏡下手術」を成功させた経験もある渡邊氏が実践する「心の整え方」とは、いったいどんなものなのでしょうか。
*本稿は渡邊氏の著書『心を安定させる方法』から、一部抜粋・編集してお届けします。

■心臓手術に必要なのは「フラット」なメンタル

 時間が止まったかのような、研ぎ澄まされた感覚を得ることを「ゾーンに入った」と言うそうです。

 世界的なハードル選手だった為末大さんは、認知心理学者の下條信輔さんとの共著『自分を超える心とからだの使い方』(朝日新聞出版)のなかで、「ゾーンに入った」経験は人生でたった3度だけとおっしゃっています。

 ゾーンに関する話題は、漫画やアニメの世界でも描かれることが多く、周りの人たちの動きが止まって見えるなか、主人公だけ動けているシーンや、周囲の音が一切消えて、自分の世界だけが描かれている場面を目にしたことがある方もいると思います。

 心臓外科医である私にも、「手術をしているときの感覚も同じですか」と、取材をしてくださる記者の方から聞かれることがよくあります。

 そんなわけがありません。

 もし、あなたが患者として、私に心臓手術の執刀を託してくださったとしましょう。日によって驚くほどの実力を発揮することもあれば、そうでもない手術をすることもある心臓外科医。こんなパフォーマンスに波のある外科医に、自分の命運を賭けたいと思いますか? 

 少なくとも、私が患者なら嫌です。

 心臓外科医にとって、何よりも大切なのは「メンタルフラット」であること。緊張しすぎず、いつもどおり、練習でやってきたことを本番でも再現することに意識を向けます。そして、もし何か最初の想定とは違うことが起きたとしても対応できるように、スタッフからの声が聞こえるくらいの深さの集中をもって、患者さんと向き合います。

 毎回ゾーンに入れるのであればいざ知らず、為末さんでさえ、生涯において経験されたのはわずか3回だけです。そんな奇跡のような状態を引き出そうとするよりも、実力をしっかり発揮できる力を身につけるほうが、価値があると思います。

 では、仕事においてパフォーマンスにムラがある人と、パフォーマンスの波が少ない人で比べた場合、どちらに仕事を任せたいと思うでしょうか。

 多くの方が、後者に仕事を任せると思います。なぜなら、仕事を任せるときは「期待どおりの働き」を相手に求めているからです。はじめから「期待以上の働き」を求めている人はいないでしょう。

 大事なのは「いつもと違う力を発揮する」ことよりも、「いつもと同じ力をどんなときでも発揮できるようになる」ことです。「メンタルフラット」を強く意識してください。

■見失った自分を取り戻す「戻るべき場所」

 生きていればさまざまな影響を受けて、自分は何をしたかったのか、見失いそうになるときがあります。私も、何度も何度も経験してきました。

 1958年10月10日に東京で生まれた私は、少々腕白ながら平凡な少年でした。ただ、工作や細かな作業が得意で、手先は器用でした。これは父親から受け継いだものだったと思っています。

 麻布中学校に進学。その中学3年生時に、運命的出会いがありました。

 それは、漫画『ブラック・ジャック』との出会いです。それまで私は、将来のことを深く考えることなく日々を過ごしていましたが、『ブラック・ジャック』を読み、大きな衝撃が走りました。

 みなさんご存じのとおり、この漫画の主人公ブラック・ジャックは、組織に属さない孤高の天才外科医。高い医療技術を持つ彼が、さまざまな人の命を救っていく物語です。1970年代に『週刊少年チャンピオン』で連載されていました。

 ブラック・ジャックは高額な手術費を要求するのですが、それには理由が隠されています。心の底に、熱いヒューマニズムを秘めている。

 周囲の雰囲気に流されることなく、自らの腕ひとつで世界を舞台に人間の生命と向き合うブラック・ジャックに私は憧れました。そして、麻布高校に進む前に決意したのです。

 「ブラック・ジャックのような外科医になりたい」と。

 私は手先が器用だと感じていましたから、心臓外科医を目指そうとも思いました。

 中学生のころ、私はそれほど漫画が好きだったわけではありませんでした。そんな私が偶然にも『ブラック・ジャック』に出会えたことには、運命的なものを感じます。

 手塚先生が描くブラック・ジャックは、単に技術に優れた天才医師にとどまりません。人間の生死に真摯に向き合い、「生きるとは何か」ということに思慮深く迫っていました。そのことが、中学生の私の心を強く揺さぶったのだと思います。

 私にとっての「戻るべき場所」、それは『ブラック・ジャック』に出会った少年時の心のときめきです。もし日々に追われて自分を見失いそうになったら、「戻るべき場所」を意識してください。それが心を取り戻すきっかけになるはずです。

■白衣を着たらやることはひとつだけ

 「懈慢界(けまんかい)」という仏教用語があります。無数の快楽によって、極楽浄土に生まれようとする本来の目的を見失わせる世界のことを言うそうですが、まさにこの世の中はその世界に近づいてきているような気がします。

 私が初めて「オフポンプ手術」を成功させたころの医学界の反応は、決して好意的ではなく、それどころか、激しい批判を浴びました。

 1994年の日本外科学会で、私は手術の成果を発表しました。より安全な手術を多くの医師に行ってもらい、患者さんのリスクをできる限り取り除きたいと思ったからです。

 理解を得られると思っていたのですが、そうではありませんでした。この学会で司会を務めた医学界の重鎮である国立系専門センターの総長は、みんなにこう呼びかけたのです。

 「こんなトリッキーで危険な手術をやりたいという人がいたら、手を上げてください」

 会場は静まり返り、誰も手を上げませんでした。露骨な嫌がらせだと私は感じました。なかには、私の発表に興味を持った方もいらっしゃったことでしょう。でも、重鎮である総長に忖度し、手を上げなかったのだと思います。

 もしくは、新しいやり方を提示されるのが嫌な方もいたのかもしれません。自分たちのこれまでのやり方を否定された気持ちになったのか、それとも新たな手術のやり方に対応する自信がなかったのか……。

 このときに私は、改めて思いました。目を向けるべきは学会の反応ではなく、患者さんのためにさらに手術を進化させることだと。“白衣を着たら、やることはひとつ”です。

 何か新しいことを始めようとしたとき、それを邪魔するのは「一般的ではない」という固定観念。また、新機軸への共鳴を拒むのは「周囲から何を言われるかわからない」という自己保身意識です。本当に大切なことは、「なんのために、誰のためにやるのか」という本来の目的を忘れないことです。

 とはいっても、長い人生においてさまざまな人の影響を受けて、自分も気づかないうちに、それを見失ってしまうこともあるでしょう。

 だからこそ、白衣を着たら何をすべきか思い出すことが医者に必要なように、みなさんも、たとえばスーツを着たとき、仕事着を着たとき、「なんのためにやるのか、誰のためにやるのか」を思い出す習慣をつけてください。それだけで、心が本来の目的に立ち戻るきっかけをつかむことができるはずです。

■手術を「医療側の秘事」にしてはいけない

 みなさんはドラマや映画での場面以外に、実際の手術の現場を見たことがありますか?  おそらく、医療関係者でもない限り、ほとんどの人が「ない」と答えることでしょう。

 「手術室は閉ざされたもの」というのが、かつては常識でした。

 でもご家族は、心配で「手術の様子を見ていたい」と思われるのではないでしょうか。密室のなかで何が行われているかわからないのでは、不安が募るのも当然です。見てもらえばよいのではないか、と私は思いました。

 「手術は医療側の秘事であって、他者に見せるものではない」

 そのあり方には、ある種の権威主義的意識を感じます。医師が自信を持って適切な手術をしているのであれば、ご家族に見ていただいてもなんの不都合もないはずでしょう。

■手術は医師と患者の「共同作業」

 そこで私は、「ニューハート・ワタナベ国際病院」の手術室をガラス張りにしました。希望されるご家族には手術の様子を見守ってもらっています。スタッフがどのように関わり、手術がいかに進行しているかを実際に見て納得していただきたいからです。

 これは私がタイの病院を視察した際に初めてガラス張りのオペ室を見て、「導入しよう」と思ったことがきっかけでした。私が知る限り、日本にはガラス張りでご家族に見てもらえる手術室は当院にしかありません。今後、開かれた手術室が全国に広がることを望んでいます。

 もう少し言えば、手術は医師が一方的に行うものでもありません。手術は、医師と患者さんの共同作業です。患者さんと医師の信頼関係が築けてこそ、その後のみなさんの人生を有意義にする手術が行えます。

 絶対に病気を治す、手術を成功させる―。そのために私は、つねに最善を尽くします。と同時に、患者さんにも強い気持ちを持っていてほしいと思っています。

 さらには手術室や医療の現場を開かれたものにすることで、お互いの不安をなくし、物事が前向きに進むことを願っています。都合の悪いことは隠したくなるのが人情ですが、じつは隠さないことこそ、心の乱れをなくす第一歩なのです。

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最終更新:6/16(日) 16:02

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