職場をクビ→43歳でシェフに転身した女性が「人気者」になっていった経緯、ブランドはこうして作られた

5/24 9:02 配信

東洋経済オンライン

子供の頃から料理は好き。だけど、その料理を習った経験はないーー。秘書として3つの職場をクビになったあと、43歳で自分のレストランをオープンした香港人シェフのグレース・チョイさん。フェイスブックで100万人のフォロワーを持ち、日本だけでなく、海外でも招待シェフとして活躍するまでになった軌跡。

■「自分が知っている中華料理と違う」

 「自分が知っている中華料理と全然違うけどおいしい」。数年前、ある大手ホテルでゲストシェフをしていたとき、多くの日本人のお客さんからこういう感想をたくさんもらいました。

 日本にはいたるところに中華料理店があるけれど、ひょっとしたら「本物の中華料理」を知らないのでは……そう感じて目下、クラウドファンディングを通じて私のレシピ本を出すプロジェクトを進めています。

 実はレシピ本を出すのは初めてではありません。私は過去にも2度ほどレシピ本を出しているのですが、これが私にとってはブランドを構築するうえでかなり役立っているのです。

 もちろん、レシピ本を出すのは簡単なことではありませんでした。7年前、香港で小さなプライベートキッチンをやっていたときのこと。もっと多くの人に私の料理を楽しんでもらいたいと思い、フェイスブックのページを開設し、料理の動画を1日1本ずつ公開し始めました(当時、香港ではフェイスブックが最も人気のあるSNSでした)。撮影や編集は夫に手伝ってもらいました。

 そこから、思いがけず、多くの人が私のフェイスブックをフォローしてくれるようになりました。フォロワーが10万人に達した後、出版社から私のレシピ本を出版したいという打診があったのです。

 自分の本を出すなんて夢にも思っていなかったので、とても嬉しかったのをよく覚えています。私の料理をもっと多くの人に知ってもらえるだろうって。ネットで料理動画を公開していたこともあって、レシピ本を作ることはそれほど難しいとは思わなかったのです。

■レシピ本と動画の「難しいところ」

 ところが、料理動画のレシピ本の執筆には共通の難しさがありました。毎日料理をしている私にとって、メインの食材以外の「副食材」の分量は、「自然な量(いわゆる目分量)」だったのです。また、例えば鶏肉の「柔らかさ」によって砂糖の量を調整するなど、料理をするたびに食材を「感じる」ことを大事にしていました。

 一方で、料理動画やレシピ本では、「自然な量」や「感覚」を数値化しなければなりません。もちろん、より科学的に料理をできるようになったので、料理好きな人たちにも伝わりやすくなったのは非常にいい経験となりました。

 実際、レシピ本の売れ行きも好調で、多くのファンが買ってくれました。しかし、私はこの本には満足はできませんでした。出版社はビジネスなので採算を気にしないといけないことは理解できるのですが、写真の質も含めて私の料理とその過程をもっと楽しく伝えたいという思いが残ったのです。

 そこで、私はレシピ本を自費出版することに決め、香港でトップのフードスタイリストに写真もお願いすることにしました。印刷代が多額になるので、クラウドファンディングをすることにしましたが、こうしたプラットフォームは主にハイテク製品のためのもので、多くの人に「ほかの資金調達手段や出版方法を考えたほうがいいんじゃない?」と忠告を受けました。

 確かに自費出版は手間がかかりますが、クラウドファンディングのよさは私自身が自分のレシピ本を「好きに作れる」というよさがありました。

 幸い、クラウドファンディングは好調のまま期限を迎え、ふたを開けてみれば中国と英語のレシピ本を出すプロジェクトはのべ1768人の支援者を獲得し、46万7880香港ドル(約900万円)の資金を調達するという、キックスターター史上、最も成功したレシピ本のプロジェクトの1つとなったのです。

■本のおかげでオフラインでも有名に

 さらに幸運だったのは、この料理本が最も重要な国際料理本コンテストで世界最優秀女性シェフ本賞を受賞したことです。フェイスブックで投稿した料理動画が私をオンラインで有名にしてくれたのと同じように、この本は私をオフラインで有名にしてくれました。

 オンライン、オフライン、ソーシャルメディア、そして伝統的なメディアの相乗効果で、私のブランド名は高まっていきました。多くのプロのマーケティング担当者は、私にはマーケティングを手伝ってくれるプロのチームがいると思っていたようです。

 しかし、私たち夫婦は、それは運がよかっただけだとはっきりわかっていました。なぜなら、皮肉なことに、私の目的はブランド名を作ることではなかったからです。私はただ、自分のレシピをシェアして、みんなが私の料理を家庭で楽しめるようにしたかったのです。

 もっとも、ブランド名を持つことで、私のキャリアは変わりました。私の場合、レシピについては何一つ隠すことなくすべてを公開しているので、理論的にはその料理に最適な食材さえわかり、手に入れられさえすれば誰でも私の料理を作ることができます。

 そうした中で、ブランドを築くことは私の料理を差別化することに役立っています。また、このブランドがあることは、私のレストランに来たことのないお客さんと信頼関係を築くのにも役立っています。何よりもこのブランドが私が日本に進出するのに必要な自信を与えてくれました。

 今、私の店は東京・中目黒にあります。香港の店よりさらに小さく、わずか4席しかありません。そのため、普通のレストランより値段は高いのですが、プライベートな空間で本格的な中華料理を楽しんでもらえます。ニッチな分野のせいなのか、予約はつねに半年先まで埋まっている状態でした。

■実はレストランでは予約を受け付けていない

 しかし、個人で料理を提供するのは簡単なことではなく、年齢を重ねたこともあって昨年半ばには予約を受けなくなり、今レストランは主に私の研究開発のために使われるようになりました。

 一方で、私は自分の料理をより多くの人に伝えるために、著名ホテルでゲストシェフとして働き始めました。興味深かったのは、ホテルで私の料理を食べた方たちは、私の店にくる方たちより中国料理に詳しくなかったこともあって、”馴染みのない”私の料理に驚きを覚えたことでした。

 誤解を恐れずに言うのならば、多くの人が「本物の中華料理を知らない」ということだと気づきました。味はおいしいかもしれませんが、本格的な中華料理ではないのです。そのため、今度は私のレシピ本を日本語で出したい、と思うようになりました。それが私の情熱であり、使命でもあると感じているのです。

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最終更新:5/24(金) 9:02

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