高校中退しキャバ嬢→闇バイト…「名家のお嬢様」がナミと呼ばれるまで【ルフィ事件】

4/20 20:02 配信

ダイヤモンド・オンライン

 被害総額60億円と言われている広域特殊詐欺事件、通称「ルフィ」事件。実行犯のひとりで、漫画『ONE PIECE』になぞらえて「ナミ」と揶揄された寺島春奈容疑者は、いったいどのような人生をなぞって犯罪者になったのか。実行犯たちの素顔に迫ったルポルタージュ『「ルフィ」の子どもたち』(扶桑社新書)より一部を抜粋・編集し、“名家のお嬢様” がいかにして転落したのかについて明らかにする。(全2回/2回目)

● 高校を中退後に キャバクラ勤務の噂も

 寺島の小中学校時代の同級生に当たることで、すぐに「タバコ」の裏付けが取れた。地元の青年となった同級生は少し興奮気味に話した。

 「1番覚えているのは、モテたことかな。やっぱり昔から可愛かったですから、男子には人気ありましたよ。小学校のときはおしとやかなイメージもあったけど、中学になると活発で、ソフトテニス部に入るとますます人気が出た感じですね。高校は別の学校だから、よくわからないですけど、高校に入ると悪い連中とつるむようになって、退学したと聞いてました」

 悪い連中とはどんな人間だったのだろうか。

 「このへんは田舎だから“本当の悪さ”をするわけではないですよ。夜中にコンビニでたむろしたり、禁止されているカラオケに行ってタバコ吸ったり、原付で2人乗りしたり。そんな程度でも田舎じゃ『ワル』と見られます。制服のスカートを短くしたり、派手な格好をするだけでもね。なぜそんなことをしたかって?自分がいる環境が息苦しかったんじゃないですか。寺島の家は教師一家で、名家だと周りから見られているのは寺島も感じていたと思います。実際、寺島のきょうだいもみんな優秀でした。ただ寺島にはそう振る舞うことができなかった、それだけじゃないですか」

 シンプルな答えではあったが、納得できた。

 「高校を中退したあと、寺島が権堂(=長野市随一の繁華街)でキャバ嬢をしてるって噂が流れたんですよ。まだ18にもなっていない年だから、お姉ちゃんの身分証を使って働いてるとかって話題になって。そっとしておいてあげればいいのにな、って思ってましたけど……」

 周辺を取材していると、生育環境の良さを感じた。都会育ちの筆者にとっては、自然や、地域のつながりというものに憧れを抱くことがある。ただ、土地の人にとってはその濃密さに辟易することもある。ただでさえ寺島家は「名家」の名を轟かせていた。取材中も「寺島春奈」という個人名よりも「寺島さんちの子」と捉えている住民のなんと多かったことか。しかし、寺島はそんな地元を悪く言わなかった。別の女性の同級生は寺島に好意的だった。

 「20歳のときに同窓会をしたんですけど、東京からわざわざ参加してましたよ。その時に東京ではやりの”ギャル”の格好をしていて浮いてたけど。たしかにこのへんじゃ、高校中退には『ワル』のレッテル貼られるけど、堂々としていましたよ。楽しそうにお酒を飲んで、久しぶりの地元を満喫している感じでした。同級生ですから、会って話せばすぐに昔の春奈に戻ってましたね」

● 「良家のお嬢様は もう演じない」

 しかし、その時、彼女は自分たちの知る寺島とは違う一面を目の当たりにしていた。

 「結構お酒を飲んだ後だったんですけど、彼氏と同棲しているとか、そんな話になったんですよ。『よくそんな生活、親に反対されないね』って聞いたら、『周りの目を気にするのはもうとっくにやめてるから』ってキッパリ言ったんですよね。だから“地元用”の格好をしてこなかったのかな、と妙に納得しましたね。いい子、良家のお嬢様はもう演じないと。私からしたら、春奈が遠くに行っちゃったようで寂しかったですけど、そういう生き方も決して悪くないな、って思ったのを覚えています」

 良家のレッテル。それをかなぐり捨てるように、寺島は自分の道を突き進んでいく。

 それ以降、寺島は地元から消えた。そのかわり、目撃されたのは東京・六本木だった。六本木の交差点で寺島とばったり出くわした同級生がいた。その時寺島は「今、ここでキャバ嬢をやってるの」と胸を張ったという。

 残念ながら取材班は、寺島が在籍していたキャバクラ店にたどり着くことはできなかった。しかし、週刊誌には以下の記事があった。

 「働いてたときは髪も明るくて、盛ってたからね。勤務態度はたまに当欠(当日欠勤)するくらいで真面目なほうだった。トークもうまくて人気はあったほう。彼氏なのかわからないけど、男にお金を貢いだりで借金があったと聞いてる。ある日、突然、連絡もなく辞めたんだけど、噂では別の店に行ったとか。まぁこの業界では珍しくもない話だけど、やはり昔からお金が最優先だったんだろう」(週刊ポスト 2023年5月5・日合併号)

 長野を出た寺島は、自由に、気の向くままに生きていたのだろう。そんな寺島はフィリピンでのリゾートバイトだとだまされ、ルフィたちのところに流れ着いたとされる。

 夜の街の人脈がフィリピンに向かわせたのだろうが、その経緯も詳細も現在のところ明らかになっていない。寺島が日本への送還以来、事件に関して一貫して黙秘を続けていることに起因している。おそらく、一連の事件の判例からしても「かけ子」をしていた寺島の実刑は免れないだろう。

 「ナミ」を“応援”するネット掲示板には、罪を認めて反省の態度を示し、情状酌量を得れば減刑されるのでないか、という意見が散見される。現在の司法が反省を促す場ではなく、過去の判例から単純に刑期を当てはめるだけの「作業」となっている以上、それも言下に否定はできないと感じるが、何より寺島は黙秘を貫いているがために、保釈すら認められていない。

 ただ、「黙秘」という選択に、周囲の目を気にすることなく、自分の選択した道を信じて進む寺島の“意地”というものが垣間見えないか。すでに日本で逮捕状が発布され、フィリピンにも手配書が回っていた2023年2月末、寺島はフィリピンの入管施設をビザ延長のため自ら訪れ、そこでそのまま拘束された。その時すでに「ルフィ」ら幹部は日本へ強制送還され、グループは瓦解していた。そこで、入管職員から「Can you speak English?」と問われ、ほとんど返答できなかった。

 カネを稼ぐ手段もなく、英語も理解できなかったのだ。それでもフィリピンでの生活を続けようという意地はあった。寺島は27歳になっていた。

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最終更新:4/20(土) 20:02

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