フィリピン「ラスプーチン」で新旧大統領派が激突

3/28 6:21 配信

東洋経済オンライン

 フィリピンで、新興宗教団体とその教祖にまつわる疑惑が政局の焦点に浮上している。ドゥテルテ前大統領の「スピリチュアル・アドバイザー」として、帝政ロシア末期に暗躍した怪僧ラスプーチンさながらの存在感を誇った教祖だが、アメリカから性加害や詐欺など多数の罪状で指名手配された。

 政権交代から時が経つにつれ、前大統領のドゥテルテ派と現職のボンボン・マルコス大統領派の亀裂が深まるなか、教祖は国内でも起訴された。公聴会への出頭を拒否した上下両院から逮捕状も出された。

 ドゥテルテ派は「迫害だ」と訴える教祖の擁護に回り、マルコス派との対立は抜き差しならない状況に陥っている。南シナ海で中国と対峙するフィリピン政治の安定が損なわれれば、日米の安全保障環境にも影響が及びかねない。

■信者600万人?  カルト教団? 

 マニラ首都圏パシッグ市検察庁は2024年3月18日、新興宗教団体「イエス・キリストの王国」のアポロ・キボロイ教祖ら6人を人身売買罪で起訴した。南部ミンダナオ島ダバオ市検察庁もこれに先立ち児童虐待、性的虐待などの罪でキボロイ氏らを起訴した。

 レムリヤ司法相が同月5日、起訴手続きを進めるよう両検察庁に指示していた。3月末現在、教祖の行方は知れず、逮捕はされていない。

 教団のホームページなどによると、キボロイ氏は1950年4月生まれの73歳。「選ばれし神の子」を名乗る。キリスト教系の他の宗派に属していたが、神の啓示を受けたとする1985年にダバオに「王国」を設立した。世界と人類の歴史は終末を迎え、近く最後の審判が下る、教祖を信じる者だけが永遠に神の国に入り、救われるという終末論を唱える。

 キボロイ氏は「私が地震を止めた」などと超能力を喧伝してきた。フィリピン共産党やその軍事部門の新人民軍と敵対する反共主義者としても知られる。信者は国内400万人、国外200万人の計600万人とうたっている。被害を訴える人たちや批判派は「カルト教団」と糾弾する。

 片田舎の教祖と教団が「全国区」に躍り出たのは、30年来の親友とお互いに認めるドゥテルテ氏が2016年、ダバオ市長から大統領選に立候補し、当選してからだ。キボロイ氏は選挙戦中には自家用ジェット機やヘリを貸し、資金面でも多大な援助をしたとされる。

 就任後は大統領の「スピリチュアル・アドバイザー」との肩書を与えられ、政権の威光を背景に活動の幅を広げた。政権末期の2022年1月26日、教団のテレビ局SMNIが国家通信委員会から25年間の地上波放送免許を与えられた。ドゥテルテ政権に批判的だった民間最大の放送局ABS-CBNの免許更新を認めず、その周波帯の一部をSMNIに割り当てた。

■FBIが性的虐待などで手配書公開

 ところが、その5日後の1月31日、アメリカ連邦捜査局(FBI)はキボロイ氏と側近2人を重要指名手配容疑者とする手配書を公開した。アメリカでの演奏会出演や留学、結婚など虚偽の名目で、フィリピン人信者にビザを取得させて入国させ、旅券を取り上げたうえ、車内に寝泊まりさせながら、フィリピンの子どもたちへの寄付名目でノルマを課して街頭募金をさせたとされる。

 ほかにも家事手伝いや性行為を強要したとする労働法違反や人身売買、現金密輸、資金洗浄などの違法行為が列挙されている。2014からの約6年間で約2000万ドルを集め、団体の運営費、キボロイ氏や側近の贅沢三昧のために使ったという。偽装結婚は20年間で82件にのぼる。

 アメリカ連邦大陪審が2021年11月10日、キボロイ氏を強制、詐欺、強要による性的人身売買および児童の性的虐待、現金密輸の罪で起訴し、逮捕状を出していた。

 アメリカ政府の措置を受けてユーチューブ、TikTok、フェイスブック、インスタグラムは2023年8月までに規約違反などを理由にキボロイ氏と教団に関連する多数のアカウントを削除した。

 フィリピンのネットメディア・ラップラーはキボロイ氏と教団がアメリカ・カリフォルニアとラスベガス、カナダに少なくとも計4つの邸宅(計1083万ドル)を所有していると報じた。

 さらにフィリピン国内では膨大な不動産のほか、キボロイ氏の名をとった「アポロエア」で2機の航空機と3機のヘリを所有し、ドゥテルテ氏以外にも支援する政治家には選挙戦の足として提供している。

 前大統領は2016年、ダバオ市内の3つの不動産と2台の車をキボロイ氏から贈られたことを明らかにしている。「教祖は気前がよい。買い物をするときは2つ買って、1つを私にくれる」と話していた。

 ドゥテルテ氏はまた、持病の治療でアメリカの高名な脳外科医を紹介してもらい診察費を負担してもらったと告白している。要は、ずぶずぶの関係なのだ。

■偽情報拡散と左翼とのレッテル貼り

 FBIから指名手配されても、国内では政権交代後も教祖や教団は安泰とみられていた。先の選挙ではボンボン氏とドゥテルテ氏の長女サラ氏の正副大統領候補のコンビを教団ぐるみで応援し、マルコス氏とドゥテルテ氏の蜜月が続く限り、捜査の手が及ぶこともないと見られていた。

 ところが両派の関係が2023年の途中から急速に悪化したことで風向きは変わった。SMNIの番組でドゥテルテ氏自身や側近がマルコス派を批判したことが引き金となった。

 2023年11月、ドゥテルテ氏に取り立てられた前政権の元高官らがSMNIの番組で、下院のマーティン・ロムアルデス議長が外遊で18億ペソ(約48億円)を費消したと批判的に取り上げた。

 下院はマルコス派の牙城であり、大統領のいとこであるロムアルデス氏は側近中の側近だ。実際の支出は3960万ペソ(約1億0600万円)だったことから、下院は偽情報を拡散したとして公聴会で発言者らを厳しく糾弾し、議会侮辱罪で一時拘束した。

 これに先立つ2023年10月には、SMNIに定期出演するドゥテルテ前大統領が下院を「腐った組織だ。ロムアルデスを監査しろ」と批判、サラ氏率いる副大統領府の機密費を追及してきた野党の女性議員を名指しして、「私はおまえら共産主義者を皆殺しにしたい」と罵った。

 下院は2024年3月20日、偽情報の流布や露骨なレッドタギング(左翼とのレッテル貼り)、議会の承認を得ない所有権移転などを理由にSMNIの免許取り消しを圧倒的な賛成多数で可決、上院に送った。

 キボロイ氏は上下院の度重なる公聴会への呼び出しに応じないため、両院とにも議会侮辱容疑で逮捕状を発付した。キボロイ氏の弁護士は最高裁に逮捕状の違法性を訴えている。

 キボロイ氏は2024年2月21日、「アメリカ政府はマルコス大統領、ロムアルデス議長と共謀し私の暗殺を狙っている。邪悪な政権を倒さなければならない」と大統領と議長の辞任を求める動画を支持者に送った。

 これに対してマルコス大統領は「状況を改善したいなら上下院で証言することだ」と突き放した。コメントを求められた駐比アメリカ大使館は、「11歳の少女に対する性的暴行を含む(教団による)組織的な人権侵害が裁かれることを確信している」との声明を出した。

■次期選挙で巻き返しを狙うドゥテルテ派

マルコス派とドゥテルテ派が決裂状態に陥っていることは先に「蜜月終焉、フィリピン正・副大統領間で大抗争勃発」(2024年1月31日)で書いた。

 対立点の1つは、マルコス派が急ぐ憲法改正に対してドゥテルテ派が国民に阻止を訴えている改憲問題、もう1つは前政権の麻薬撲滅戦争にからむ国際刑事裁判所(ICC)の捜査に対する現政権の姿勢だ。

 ICCは近く前大統領らに逮捕状を発布する可能性が指摘されており、現政権がこれに協力しないようドゥテルテ派が強く牽制している。これにキボロイ氏の処遇が新たな争点として加わった。

 サラ氏は2024年3月11日、「キボロイ氏は宣伝のための裁きにかけられるのではなく、法廷の場で対処されるべきだ」と援護射撃の動画をSNSに投稿した。翌12日、マニラ市中心部の公園で催された教団の集会には前大統領、サラ氏のほか、ドゥテルテ派の上院議員らが一堂に会した。

 あいさつに立ったドゥテルテ氏は約2000人の参加者に向けて、「改憲に熱心な大統領はこれまでに2人だけだ。マルコス・シニアとジュニア(ボンボン)だ」と話し、「デモはこの場にとどめ、マラカニアンに行くのはやめよう。国民の財産を傷つけてはならない」と呼びかけた。

 1986年、マラカニアン宮殿(大統領府)に群衆が押し寄せて現大統領の父であるマルコス・シニアの独裁政権を倒した過去に例えたメタファーである。憲法改正を強行するなら父親と同じように群衆の蜂起で失脚するぞ、との警告だ。

 前政権で大統報道官を務めたサルバドール・パネロ氏も壇上に立ち、2028年の次期選挙で大統領になるのは誰かと参加者に問いかけると、「サラ・ドゥテルテ」と参加者が唱和した。

 それではサラ氏の後の副大統領は、と水を向けると「ドゥテルテ」「ドゥテルテ」とチャントが響いた。次期正副大統領にドゥテルテ娘と父のコンビの誕生を望むとのメッセージだ。

 世論調査では、娘が大統領候補の首位、父が上院選に出馬すればトップ当選という結果も出ている。ドゥテルテ派は、マルコス派が改憲による任期延長などで居座りをねらっていると訴える。裏返せば選挙をやれば勝ち目があると考えているのだ。

 サラ氏はこの日、訪欧中のマルコス大統領の職務代行者だったにもかかわらず、あえて集会に参加した。壇上にこそ上らなかったものの、SMNIのインタビューに「キボロイ師の支持者、教団のメンバーが言論と宗教の自由のために集会を開催することをうれしく思う」と答え、参加者と写真に収まった。

■ドゥテルテ側の654丁の銃器を登録

 現政権への不満を爆発させたドゥテルテ氏は2023年1月30日、南部ミンダナオ島の分離独立を求める署名運動を始めると宣言した。ところが政府関係者やかつての部下だった軍の高官らからも「憲法上認められない」「そうした動きには武力をもって対応する」と一斉に反発を受け、その後は独立に触れなくなった。

 それでもファイティングポーズは崩さず、教団の財産管理者に収まった。キボロイ氏が逮捕を逃れるために身を隠せば、ドゥテルテ氏が教団の守護神として前面に立つという意思表示とみられる。

 上院の公聴会で元信者が、教団の敷地からドゥテルテ氏とサラ氏が大量の銃器を持ち出したと証言した。ドゥテルテ親子はこれを否定したが、ドゥテルテ一家が5人で計654の銃器を所有しているとラップラーが報じた。

 大統領退任直前の2022年5月6日、銃器登録の有効期間を10年に延長する法律が可決され、ドゥテルテ氏は退任までの3週間に358丁の銃器所持の免許を駆け込みで取得した。銃好きで知られているドゥテルテ氏だが、さすがに武力蜂起を起こす気はないだろう。それにしても尋常ではない数である。

 改憲、ICC、教祖と教団。いずれも権力を握るマルコス派が有利にコトを進めているように見える。しかし全国区で選ばれる24議席の上院では、ドゥテルテ派が一大派閥を形成する。キボロイ氏への逮捕状発付にも正面から反対する議員が数人いた。

 憲法改正には上下両院の4分の3の賛成が必要だ。上院議員のうち7人が反対すれば国民投票には持ち込めず、ドゥテルテ派やドゥテルテ氏に近い議員が反対に回れば可決は見通せない。2025年に控えた上院選では半数の12人が改選されるが、ドゥテルテ派が躍進する可能性もある。

■政局の行方は日米安保にも直結

 ボンボン氏は前政権の親中路線を覆して親米路線に舵を切った。ドゥテルテ派のなかには、アメリカ軍が使用できる国内の基地を増やしたり、南シナ海で中国の艦船によるフィリピン艦船への激しい放水などの映像を繰り返し公開したりする現政権の姿勢を苦々しく見る議員が少なくない。

 「アメリカに乗せられて中国をいたずらに刺激するべきではない」との批判もある。来年の上院選や2028年の大統領選に向けて激しさを増す両派の攻防はフィリピンの内政にとどまらず、日米も深く関与する外交・安全保障政策の行方も左右することになりそうだ。

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最終更新:3/28(木) 6:21

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