IDでもっと便利に新規取得

ログイン

「奨学金550万円」女性が迷いなく満額借りた理由 夢を追う為とった「借りられるだけ借りる」戦略

7/6 10:01 配信

東洋経済オンライン

これまでの奨学金に関する報道は、極端に悲劇的な事例が取り上げられがちだった。
たしかに返済を苦にして破産に至る人もいるが、お金という意味で言えば、「授業料の値上がり」「親側におしよせる、可処分所得の減少」「上がらない給料」など、ほかにもさまざまな要素が絡まっており、制度の是非を単体で論ずるのはなかなか難しい。また、「借りない」ことがつねに最適解とは言えず、奨学金によって人生を好転させた人も少なからず存在している。

そこで、本連載では「奨学金を借りたことで、価値観や生き方に起きた変化」という観点で、幅広い当事者に取材。さまざまなライフストーリーを通じ、高校生たちが今後の人生の参考にできるような、リアルな事例を積み重ねていく。
 今回話を聞いたのは、いわゆるFランク大学から、東京大学の大学院に進学した過去を持つ山田愛美(仮名・35歳)さん。

 「もともと芸能人になることが夢で、10代は事務所に所属して芸能活動をしていました。でもなかなか芽が出なくて、前々からリミットと考えていた20歳で芸能の道は諦めて」

 とくに勉強が好きだったわけではなく、また芸能活動もあったため、大学を選んだ理由も「とりあえず受かりそうな大学に」というもの。

 だが、最愛の祖父が難病になったことで、彼女の運命は大きく変わることになる。

■最愛の祖父の病で、大学教員を志す

 「脊髄小脳変性症という病気でした。通常、この病気は10年程度の時間をかけて進行していくものなのですが、祖父の場合は1カ月のうちにどんどん悪化し、トイレもひとりで行けなくなってしまったんです。

 初孫だったこともあり、私はきょうだいの中でも、とくに祖父にかわいがってもらっていたので、なにもできないことが本当に悔しくて……。そこから、祖父の病気を治したいと思うようになったのですが、私がいたのは工学部。『今から医学部には入れないだろうし、かと言って看護師になるのもどうなんだろう』と思っていたんですよね。

 そうしていろいろと模索している間に、『再生医工学』という医療分野があることを知ったんです」

 再生医工学は、細胞を使って、重度に損傷した生体組織や臓器を再生あるいは再構築する工学・生物学・医学の学際的な研究分野のこと。ノーベル賞を受賞した京都大学iPS細胞研究所名誉所長・教授の山中伸弥氏の「再生医療」に近い分野だが、山田さんがこの分野を知ったのは、まだ山中氏がノーベル賞を受賞する前のことだった。

 「そこから、ES細胞や再生医療に可能性を見出したのですが、それでも『現実的に、自分には難しいのではないか』という気持ちがありました。治療が難しいからこその指定難病であり、私のような凡人がいくらがんばっても、祖父の病気は治せないのは明らかだったんです。でも、ほかの人には私のような思いをしてほしくない……。

 その結果、『私は教える側になろう。毎年何人か再生医療の研究に携わる学生が増えていけば、私が将来おばあちゃんになる頃にはこの病気の治療法も発展して、私と同じような思いをする人がいなくなるはずだ』と思うようになったんです」

 こうして、20歳にして大学院進学を決意した山田さん。当時、通っていた大学の学費は親に出してもらっていたが、父親も当時、病気で働けなくなっており、大学院の学費を出してもらうことはできなかった。

■東大の大学院を志望した経緯

 そこで、浮かんだのが奨学金という選択肢だ。

 「私立大学の大学院は、入学金を含めると修士課程2年間の在籍でも300万円近くになります。大学の教員を目指す私の場合、3年間の博士課程も必須で、5年間で総額750万円近くになる計算でした。

 さすがにちょっと無理だなと思ってしまったので、私が進みたい分野を専門としている教授に相談したら『じゃあ、東大受けなよ。俺の母校なら同じ研究続けられるから』と軽く言われてしまって。私がいた大学の工学部は当時、偏差値がかなり低い、いわゆるFランクだったので『そんなの無理ですよ』と言ったのですが、先生は『いや、君なら受かる!』と言ってくれて。そこから、東大の大学院を志望することになりました」

 まさに下克上受験だが、大学院進学に向けては勉強だけではなく、生活費も稼がなくてはならない。当時、山田さんは宅急便の配送、パチンコ、塾講師のアルバイトを掛け持ちしていた。

 「大学の実験が終わり次第急いで帰宅し、30分以内に夕飯を食べてシャワーを浴びて、次の日の授業の荷物を持って、宅配便の夜勤に行きます。そこで24時から6時まで働いたらそのまま学校に直行し、教室で寝ていました。家に帰ったら絶対寝てしまうけど、大学の教室なら9時頃から講義が始まるので、自然と起きられるんですよ。そして、そのまま寝ぼけ眼で講義を受けていました。こういうサイクルの日が週に2回あって、あとはパチンコが週2回に塾講師が週2回。

 大学3年生になると院試対策のために塾に通う必要もあるので、アルバイトは塾講師1本に絞りました。当時はもう親の扶養は気にしてなくて、長期休暇の講習などで月50万円近く稼いだこともありました。その代わり、8時半から23時まで授業はパンパンです」

 勉強とアルバイト漬けの毎日を送っていた山田さんは、その努力の甲斐もあって、4年生の夏に東京大学の大学院に合格。通っていた私立大学では例を見ない快挙であった。

 「前代未聞の学歴ロンダリングですよね(笑)」と笑い混じりで話す山田さんだが、大学院入学のタイミングで奨学金を、日本学生支援機構から借りることになる。

 「第一種(無利子)を月額8万8000円、第二種(有利子)を12万円借りました。どちらも修士課程における満額です。また、入学時特別増額貸与奨学金の50万円も借りて、合計で約550万円です。奨学金は金利が安いので、借りられるのであれば満額で全部借りてしまおうと思っていたんですね。

 もしそれが借り過ぎだったとしても、返済が発生するのは社会人になってからですし、『なるだけ無駄遣いせず、返済開始が始まる前に返せるだけ返せれば利子はつかない。利子がついてもいいなら使うことにしよう。持ってて損はない。心の安心を取ろう』そう思っていました」

 額面だけ受け取れば、働かずとも毎月20万円近く振り込まれるため、将来にツケを回して奨学金で優雅に生活できそうだが、山田さんは極めてストイックな日々を送った。

 「修士の2年間は、学部時代に貯めた450万円を切り崩していく生活でした。留年しては元も子もないので、大学院では勉学に専念することに決めていたんです。ロンダリングしたこともあって勉強についていけるかプレッシャーもありましたし、母校の期待を裏切れない……という変なプライドもあったと思います。

 月に20万円の奨学金の半分は学費用に貯金したかったので、その残りで生活しなければいけません。当時住んでいたのは築50年以上の木造アパートで家賃は4万9000円。幸いにもお米は祖父母が送ってくれていたのですが、食事はもやしとキャベツの毎日、あとは見切り品のオンパレードでした」

■「相当に狭き門」なDC1に採用

 絵に描いたような苦学生生活を送った山田さんだが、修士課程を終える頃には博士課程学生向けの日本学術振興会(通称、学振)のDC1に採用。いわゆる特別研究員制度である。

 この結果、山田さんは特別研究員という身分と研究費、そして毎月20万円の研究奨励金を得られるようになったが、彼女によると、これは相当に狭き門なのだという。

 「DC1を取るためには修士課程の1年冬までに相当な研究成果を積み上げなくてはいけません。申請がその時期なので。私にとっては大変なポイントでした。学部生時代からひとつの研究を続けてきた人と、大学院に入って半年の私では、大きな差が生まれているのも当然ですよね」

 アカデミズムの世界に詳しくない人にしてみれば、月に20万円を貰えるとはいえ、そんなに重要なのか正直よくわからないかもしれないが、しかし、DC1に採用されるか否かでは、その後の研究生活には大きな差が出てくるのだという。

 「DC1に採用されるのは限られた人だけで、もはや『研究者として成功するかしないかが決まってしまう』ような代物です。

 というのも、DC1に採用されれば、研究奨励金のほかに、毎年最大で150万円の研究費が貰えるからです。研究にはお金がかかります。たとえば、海外の学会に参加したくても、3泊5日でヨーロッパに行くのに宿泊・交通費だけでも50万円はかかる。でも、参加しないと業績は積めない……そういう意味でも、DC1の存在は非常に大事なものなのです」

■大学時代、交通事故に遭っていて…? 

 さて、こうして安定した研究生活を送れるようになった山田さんだったが、他方で、学部生の時に貯めた450万円とは別に、1200万円の貯金が大学院入学時にはあったという。

 「大学4年生の時に、顔に傷が残るほどの事故に遭ってしまったんです。その日、私はバイクに乗っていたのですが、右折してきた車に思いっきり撥ねられたんですね。救急隊員の方に名前を確認されたのまで覚えているのですが、目が覚めると病院のベッドの上でした。体中、傷だらけでした。

 幸いにも大きな後遺症はなかったのですが、顔にできた傷に対して、1200万円もの保険金がおりたんです。後遺症にはランク付けした等級表というものがあるのですが、『片目喪失』レベルのランクがついたんですよ。さらに、『女性で、未婚で、大学4年生だけど稼いでいる』という要素も影響したようで……」

 つまり、奨学金を借りなくても、大学院生活を送れるぐらいのお金をゲットしていた……ということになりそうだが、「打ちどころが悪ければ亡くなっていたそうです」とのことなので、ラッキーとは言い難いだろう。なお、彼女によると「『これは神様が私にくれたお金だ』と思ったので、自分には使わなかったんです」とのことで、ストイックさがよくわかる。

 そんな事故もありつつ、5年間の院生生活ののち、大学院を無事に修了。首席になったことで第一種は返済免除となり、第二種も修了と同時に一括返済したという。

 「当時は『首席になった』ことよりも、『首席になったことで、奨学金が全額免除確実になった』喜びのほうが大きかったですよね。だって、200万円以上の学費と入学金がチャラになったということですから」

■教員として、今の学生に思うこと

 祖父が病気になってから10年以上が経った今、山田さんは20歳のときに目標としたように最先端の技術を教える大学で教鞭をとっている。奨学金を借りて大学院に進んだことで、今のポジションはあるわけだが、大学院選びと奨学金を借りることについては、しっかり検討したほうがいいと、自身の教え子たちには伝えているという。

 「今の時代、お金で苦労している学生が本当に多いです。でも、バイトのせいで単位を落として留年してしまっては意味がないですし、だからといって、奨学金をたくさん借りて借金漬けで社会に出るのも大変でしょう。

だからこそ、教え子が大学院に行きたいと言った時は、お金のことをしっかり考えるように言いますし、経済状況によっては国立の大学院を目指すように伝えますし、進学後も学生の本分である勉強を頑張ってほしいと話します。そこで結果を出せば、第一種奨学金は返済免除になる可能性があります。日本学生支援機構も説明しているとおりで、芸術やスポーツやボランティアでも対象となりますからね。

 そういうことをあまり考えないまま、なんとなく大学を選んで、なんとなく奨学金を借りて、なんとなく大学に通っていると、将来の返済が不安になって、学業に打ち込むべき期間にバイトに勤しんでしまうんです。バイトもいい社会人経験が得られるとは思いますが、ほどほどにして、『何のためにバイトをしているのか』を見失わないでほしいと切に思います。貴重な学生時代は短いですから。

 でも、教員として学生と接していると、今の学生は、借金している自覚に乏しい子が増えていると感じます。

 奨学金は支払いを先延ばしにしてもらうシステムなので、そもそも借りる時点で、計画的であることが前提のはずですが、どう返していくかまでは深く考えていない。

 バイトする時間を減らして勉強の時間を捻出したり、学業に専念できない不安を解消するために利用したはずなのに、借金まみれになっていることに不満や不平を言うんです」

■「好きなことへの情熱」は重要

 最近の学生に思うことはいろいろとあるようだが、しかし、それでも奨学金を借りることを全否定するつもりはないようだ。

 「それでも、私としては『やりたいことだから』と腹を括って大学に進んだのであれば、どんなに奨学金を借りたとしても、最終的には納得して返せると思うんです。

 今、学生たちのサポートをしていて思うのは、彼らの『好きなことへの情熱』です。本当に好きなこと、やりたいことだったなら、どんなに逆境があろうが、周りに低く見られようが、やり通せると私は思います」

 なんとなく大学を選んだものの、その後は明確なビジョンを持って大学院に進学し、奨学金を借りて、自分の夢を叶えた山田さん。その言葉の重みは、これまで彼女が体験したリアルがあるからこそ、深く胸に響いてくると言えそうだ。

本連載「奨学金借りたら人生こうなった」では、奨学金を返済している/返済した方からの体験談をお待ちしております。お申し込みはこちらのフォームよりお願いします。

東洋経済オンライン

関連ニュース

最終更新:7/6(水) 10:12

東洋経済オンライン

投資信託ランキング

Yahoo!ファイナンスから投資信託の取引が可能に

最近見た銘柄

ヘッドラインニュース

マーケット指標

株式ランキング