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「買わない生活」がお金を回すことにつながる理由

6/26 4:31 配信

東洋経済オンライン

疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第62回をお届けします。

■お金は不用意に使えない

 さて前回に引き続き、わが「買わない」人生で永遠に発生し続けるであろう「余剰金」の使い道についての話である。

 そうなんですよ。お金の使い道なんていくらでも、それこそ無限にあると世の圧倒的多数の方々はそうお思いでしょうし、当然私もずーっとそう考えて生きてきたわけなんだが、これがもうまったく、こうなってみればそんなイージーなもんじゃなかったのだ。

 無論、なんでもいいからただ使えばいいんだったらまさしくいくらでも使い道はあるんでしょうが、「買わない生活」を通して不用意にお金を使うことの底知れぬ恐ろしさを知ってしまった身としては、そんなオッソロシイことはとてもじゃないができやしねえ。自分なりに苦労して一生懸命稼いだお金が、不用意に使ったがゆえに自分にも他人も不幸を撒き散らすところなんて絶対に見たくない。

 ……てなことを言っていると、なかなかに道は険しいのであった。

 とはいえ、使うあてもないお金を無為に貯めておくのはダムの水を永遠に堰き止めて腐らせてしまうようなもので、ある意味反社会的行為といえよう。どうにかして新たな使い道を模索せねばならぬ。というわけで、まずは前回ご報告した「寄付」という当然誰もが考えるであろう使い道を断念した理由の復習から始めたい。

 そう寄付って、一見いいことしかない行為に思えますよね。

 でもいざ実行に移さんとして具体的に考えると、よく知らぬ相手に安易にお金だけをポンと出すようなことをすれば、宝くじに当たった人の人生が暗転することが少なくないように、相手にとって決して良い結果を生まない気がしてきたのだった。

 つまりはお金とは、安心して託せる人の元に責任を持って送り出し、なおかつ折に触れ様子を見に行ってやるくらいの勢いでマメに面倒を見てやらなければ、かなりの高確率でグレて不幸を撒き散らしかねないんじゃないか。そのくらい、案外デリケートな性格の持ち主であると考えて取り扱うべきものなんじゃないか……。

 つまりは、お金というものはどうも、相手を見ずにバラまいたりしてはいけないのだ。昔風に言えば「手塩にかけた大切なムスメを嫁に出すような気持ち」で、顔の見える信頼できる相手に責任を持って託すのが一番間違いない。っていうか、多分「それしかない」んである。

■「信頼できる人に寄付」の難しさ

 というわけで、次に考えたのは「信頼できる人に寄付」。

 そうだよこれなら知らない相手への寄付とは違い、あれこれチェックするエネルギーをかけずとも安心して心置きなくお金を託すことができる。しかも、よく知っている好きな相手を応援することにつながるとなれば、どう考えてもイケてるやり方なんじゃないか? 

 ……と、一瞬は思ったわけですが、これもよく考える良策とは言えない気がしてきた。

 まず、お金というものはなぜか、どうも人間関係をぎくしゃくさせがちある。いくら親しい仲でも、お金が絡むとたちまち、出したほうが「上」、受け取ったほうが「下」みたいなロクでもない感覚を双方に引き起こしかねない。

 クラウドファンディングなどでその他大勢に混じってお金を出すのならいいけれど、個人対個人でまとまったお金をポンと出すなどという大層なコトになると、100年の友情も深まるどころか亀裂への第一歩を着実に踏み出す確率のほうが圧倒的に高そうな気がしてくる。

 また現実問題として、わが尊敬する知人で寄付を求めている人など、よく考えたら特に見当たらないのだった。みな決して大儲けなどしてはいないけれど、お店であれ、事業であれ、自分にできることをできる範囲で誠実にコツコツやって地道にファンを獲得し、人生を成り立たせている人たちばかり。だからこそ私は彼らを尊敬しているのだ。

 つまりは誰も、天から降ってくる他人からの一方的寄付など欲してはいないのである。

■自分の好きな相手を励まし喜ばせるために「買う」

 そう考えていくと、一番自然で、持続性が高くて、人間関係もぶっ壊さない「お金の使い方」とは、寄付などではなく、その尊敬する人たちが作っているものや売っているものを正当な価格でせっせと「買う」ことなんじゃないだろうか? 

 そうだよ。買うって、よく考えたら実によくできた行為だ。

 寄付とは違って、お金と引き換えにちゃんと対価をもらうってところがいい。上下関係など生み出さず、実に自然で対等な形で、相手に対して「こんないいモノを作ってくれてありがとう」「売ってくれてありがとう」とメッセージを送ることができる。最高だ。

 さらにそれによって、相手はそのお金と、お金に込められたわが思いを元に、これからもよい商品を送り出すことに邁進してくれるに違いない。いやーまさに永遠の循環。エンドレスにみんなが幸せではないか! 

 つまりは売ったり買ったりというのは、世の中で最も洗練された、持続可能な支え合い行為なんじゃないだろうか……?  という結論に至ったのでありました。

 というところまで書いて、ハタと気づいた。

 いやー……まったくなんということだろう。「買わない」生活の行き着く果てが、まさかの「買う」生活……? ! 

 ふ、ふり出しに戻っちゃったのか……? 

 いやいやいや、そんなはずがあるものか。そうだよ今の私がたどり着いた「買う」は、かつての私がやっていた「買う」とはまったく違うものなのだ。

 かつての私にとって、「買う」とは自分の欲や見栄を満たすための手段であった。でも今は違う。「買う」とは、自分の好きな相手を励まし喜ばせるための手段である。相手へのメッセージである。応援でありエールなのである。

 つまりは、はたから見れば、私はかつても今も「自分の好きなものを買っている」という点ではまったく同じ行動を取っているとしか見えないに違いないでしょうが、中身はまったく違うのであります。

 かつての私は、払ったお金で得られるモノだけを見ていたのだ。つまりはひたすら「消費」をしていた。欲しいから買う。以上。ジ・エンド。それ以上何も生まない。何も続かない。

 けれど、今の私はもっと遠くを見ている。そのモノを作っている人、売っている人、そしてその人たちの将来を見ているのである。つまりはこれからも末長く元気にこのすばらしい仕事を続けてくださいねという気持ちをお金に込めているのである。買うことによって、それを売っている相手とつながり、その人の将来を明るく確かなものにしようとしているのだ。金を出したその先を見ているのである。私は好きな人の将来と、そして好きな人に囲まれた私の将来を、わがお金に託しているのである。

 つまりは、私は私のお金を使って、私の人生に欠かせぬものやサービスや笑顔をもたらしてくれる「チーム稲垣」を、日々メンテナンスし励ましエールを送っているのだ。

 近所の小さな個人店、仕事場に使わせていただいているカフェ、好きなお酒を作ってくれている酒蔵やそれを支える酒販店、こだわりの環境で野菜や干物をつくっている生産者……私にとって「買う」とは、そんなチームの強化費を出すということなのである。それが今の私にとっての「買う」ということなのだ。「消費」ではなく未来への「投資」である。

■心置きなくジャンジャンお金を使えるはずが……? 

 あとこれがすばらしいのはですね、「チーム稲垣」のメンバーとは結局のところ、私(稲垣)と似た価値観を持っている人たちばかりなので、そこへ託したお金も、きっと私の目から見て「良い使われ方」をするに違いないということである。

 つまりはメンバーの方々もきっとそれぞれの「信頼できる相手」にお金を使うに違いないのであって、となれば、わがチーム稲垣は触手を伸ばしてどこまでもどこまでも広がっていくってことになるんじゃないか?  つまりは、私が愛と責任を持ってヨメに出したお金たちを通じて、わがチームは日々強化・拡大され、私にとって望ましい世の中がどんどん広がっていくってことになっていくんじゃないか? 

 ってことはですよ。私が使ったお金は、間違いなく私の幸せとなってちゃんと「帰ってくる」んである。ウナギの稚魚を放流したらでっかいウナギになって帰ってくるような感じである。使って終わり、なんてことは全然ない。そう思うと、貴重なお金を「使ってしまう」ことに罪悪感を持ったり不安を感じたりする必要もないのである。何しろでっかくなって帰ってくるわけですから。

 ってことに気づいてしまえば、これはもう心置きなくじゃんじゃんお金を使える。自分のために使えばロクなことにならぬお金も、人のため(チーム稲垣のため)に使うとなれば、お金を使うほどに、自分の好きな人たちの元気と笑顔の花が増えていく。その世界の中心に自分がいるのである。お金を使うほどに幸せがやってくるんである。

 ……ってことになるはずだったんです。だってこれ、どう考えても最強の方法としか思えない。「買わない」の果てにたどり着いた、本当に幸せを呼ぶ「買う」生活!  ここでシャンシャンと終わってもいいところである。

■使う金額に限界があるという「問題」

 ところが。しつこいようだがここにもまたまた難題が待ち構えていたのであった。

 というのもですね、結局のところ私は服も化粧品も買わず電気もガスもほとんど使わない質素な生活をこそ愛しているのであり、「じゃんじゃん」使おうにもたかが知れているのだった。スーパーの100円以下の豆腐でなく近所の豆腐屋で150円の豆腐を買ったところで、あるいは海苔もスーパーの特売品じゃなく専門の茶店で買うようになったところで使う金額的には限界がある。

 また好きな日本酒にしても、大吟醸などではなく普段飲みの燗酒を好むので、日本でも最高峰にうまい酒を飲んだとてワインなどに比べて不当なほどの安さ(これはもっと値段を高くすべきと心から思っている)なのである。

 また、遠くの国からやってきた季節はずれの珍しい野菜や果物より、そこらでフツーに取れる季節の野菜を圧倒的に好むうえ、ゴミを出すのが嫌なので、どうしても売れ残りの特売品に喜んで手を出したりもしてしまう。そんなこんなで、結局「お金をじゃんじゃん使う」なんてことは、どうやっても私にはめちゃくちゃ難しい相談なのであった。

 ってことで、知恵と工夫の限りを尽くしてお金を使うという「わが闘争」は今もエンドレス続いているのであった。いやはやまったくこんなことに悩む日が来ようとはである。結局のところ、私はこの歳になって生まれてはじめて「お金の正しい使い方」を一つ一つ学んでいるのかもしれない。

■どこまでも広がっていく「チーム稲垣経済圏」

 で、その奮闘努力の甲斐あって、少しずつ「イケてるお金の使い方」ができるようになってきたので、最後にそのことをご紹介したい。

 一言で言うと、自分で消費するものを買うのではどう考えても限界があるので、そうか、ならば他人に消費してもらえば良いのだ!  と思いついたのであります。

 例えば私、とても好きなパン屋さんがあるんだが、何しろ普段の食生活が米と味噌汁と漬物なので、なかなか買う機会がなく忸怩たる思いであった。で、ある日思いついたわけです。そうだ。自分で食べないなら他人に食べてもらえばいいじゃないかと。

 ってことで、友人・知人と会う時のお土産にしたり、あるいは遠方の知人に季節の挨拶代わりに、あるいは何かのお礼に送ったりということを始めたのであった。無論人を見て送っているので、相手には大変に喜ばれるし、パン屋さんにも感謝される。つまりは私の人望はウナギのぼりである。

 そしてうまくいけば、その相手がこのパンのファンになり、直接買いに行ってくれたり、あるいはお友達に紹介してくれたりすることになるかもしれない。そうなれば、わがチーム稲垣経済圏はどこまでも広がっていくことになるし、その可能性は決して小さくないと思われる。いやーこれぞまったくもってイケてるお金の使い方ではないだろうか? 

 ということで、これといったきっかけがなくてもやたらと人にものを送るようになった。パンの他、近所の好きな店で買うジャム、ケーキ、コロッケ、サンドイッチ、知人の農園から箱買いしたミカンなどなど。

 さらに、人と会食するとき時にはわが近所の店を指定してお越しいただき、その代わり「わざわざ来ていただいたんで」とゴチソウしたりもする。もちろん、その品物や店をいかに私が愛しているかを全力でお伝えする。そのたびに実に晴れやかで気分がウキウキする。

 そうだよこれだよこれこれこれでいいじゃんよ!  ……と思っていたんだが、もうまったくしつこいようだがこれはこれでまた困ったことが発生しておりまして、というのは、このようなことをすると結局は「お返し」が返ってくるのであった。それも先方は先方で、私に対抗して愛にあふれたものを送りつけて来られるので、やってくるのは実にすばらしいもの、そして私の好きなものばかりである。

 ってことで、結局出しても出しても帰って来てしまうのである。

■お金にまつわる悪循環を断ち切る「買わない生活」

 まったくもう、これは一体どうしたら良いのであろうか。

 ……っていうか、もしやお金を回すってこういうことなんじゃ?  お金はちゃんと回ればみんなが得をする。そうだよ考えてみればお金そのものは減るわけじゃない。ただただどこまでも回るだけなのだ。

 そう信じることさえできたなら、お金を使うことに何の躊躇も不安も不要なのだ。何しろ出て行ったものは帰ってくるのである。いや帰ってこなくとも全然構わないんだが、それでも帰ってきてしまうんである。それがきっと、お金というものの持つ本質なのだ。

 でも問題は、ほとんどの人がそれを信じることができないということである。だから、少しでも多くのお金を手元に貯めおこうとする。そのために一円でも安く買おうとしてしまう。でもそうなると、買い叩かれた相手はやせ細り、最後は潰れてしまう。もちろん人間関係が広がるわけもないし、使ったお金はそれっきりで決して帰ってこない。その悪循環を断ち切ることができるかどうかが、本当の意味で「お金を制する」ことにつながるのではないでしょうか。

 そして、私がそれを断ち切ることができたのは「買わない生活」に目覚めたおかげなのである。つまりは、幸せに生きるのに必要なお金はほんのちょっとと知ったおかげ。自分のコップが小さければすぐに水はあふれてしまう。あふれた水は周囲を潤し、作物となって返ってくる。そのような桃源郷に私は生きているのである。

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最終更新:6/26(日) 9:21

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