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16歳の原節子が出演した「ナチス出資映画」の中身

6/26 12:31 配信

東洋経済オンライン

日本において、ヒトラー、ナチスに関連した映画や書籍が相次いで発表されている。いったい、なぜこれほどまでに関心が寄せられているのだろうか。そして、われわれはこれらをどのように観るべきなのだろうか。
『ナチス映画史ーヒトラーと戦争はどう描かれてきたのかー』から一部を抜粋してお届けする。

第一回:今の日本で「ナチス映画」が大量に公開される背景(6月13日配信)

■ナチス映画の系譜

 映画界の一大ジャンルであるヒトラー・ナチス映画について、まずは概説として1933年のナチスの政権獲得から現在までおよそ10年ごとに時代を追ってその系譜をたどる。戦場での戦い自体を題材とした映画についても各時代において重要と思われる作品を盛り込んだ。

 それでは、1933~1945年から見ていこう。

・『意志の勝利』(レニ・リーフェンシュタール 1934年独)
・『オリンピア』(レニ・リーフェンシュタール 1938年独)
・『新しき土』(アーノルド・ファンク、伊丹万作 1937年日・独)
・『チャップリンの独裁者』(チャールズ・チャップリン 1940年米)
・『生きるべきか死ぬべきか』(エルンスト・ルビッチ 1942年米)
・『死刑執行人もまた死す』(フリッツ・ラング 1943年米)

 初めに紹介する作品は『意志の勝利』であるべきだと思う。

 ドイツの女流監督レニ・リーフェンシュタールによる、1934年のナチス党大会の模様を追ったドキュメンタリー、ナチプロパガンダ映画である。ヒトラー総統が会場であるニュルンベルクの空港に降り立つところから始まり、6日間にわたる大会の全貌が描かれる。

 ヒトラーと幹部たちの演説、熱狂する党員、林立するハーケンクロイツ旗、突撃隊と親衛隊の大行進、轟き渡るドラムの音……。総参加者は数十万規模というが、アップで捉えられた美貌の若者たちはもちろん、個人が識別できる「顔」の数は軽く数千に及ぶだろう。

 演説では、副総統ヘスが「ヒトラーがドイツである!」と叫び、ヒトラーは「ドイツのために戦え!」と同じ言葉を繰り返している。要はヒトラーのために死ねと言っているのである。

 この場にいて、「ジーク・ハイル! (万歳)」と叫んでいた群衆の中の誰か一人でも、こののち10年でドイツは焦土と化しナチスが壊滅することを予知した人がいただろうか。映像に焼き付けられた「顔」のうち、無事生き延びた人はどれほどいただろうか。一人の人物に自分の命と国家の命運を盲目的に託すことの恐ろしさを知るための作品である。

 リーフェンシュタールの作り出す整然と構築された映像美、モンタージュ技法は、ナチスの思想の是非とは別に、純粋な映画作品として高い評価を得ており、1936年ベルリン五輪を記録した『オリンピア』は、数あるオリンピック映画史上最高峰と言われる。

 彼女の生涯と本作については、最晩年にインタビューした沢木耕太郎氏の『オリンピア~ナチスの森で』に詳しいが、意図した通りの映像を撮るため競技終了後に実際の選手の協力を得て夜半に再撮影するなど、今日では考えられない、記録映画の趣旨を逸脱した製作手法とそれが許されたという事実には驚かされる。

■原節子が出演した「ナチス出資映画」

 『新しき土』は、ナチス出資による、日独の関係強化のため日本で撮影された国策映画。監督別に2版がある。ファンク版ドイツ語原題「Die Tochter des Samurai」は「侍の娘」の意、伊丹版の「新しき土」とは、日本が「生命線」と呼び、新領土とした満州国を意味する。ドイツ版監督アーノルド・ファンクはリーフェンシュタールの師であり、恋人でもあった山岳映画の巨匠。

 本作ではドイツから帰国したドイツかぶれの日本人青年をめぐり、ドイツ人女性、日本人の許嫁の娘との三角関係が描かれるが、あらすじがどうという作品ではなく、ドイツ人の目から見た戦前の日本の風景、当時16歳の原節子の美貌が見どころだ。主演の原節子はドイツでの公開に合わせ渡欧し、1937年4月15日、ベルリンで宣伝相ゲッペルスに会っている。

 『チャップリンの独裁者』はチャップリンが一人二役でヒトラーを模した独裁者ヒンケルとユダヤ人の床屋チャーリーを演じ、最後に瓜二つのふたりが間違えられ入れ替わるというドタバタコメディ。ラストの、ヒンケル(実はチャーリー)が民主主義の尊さを讃える6分間の演説シーンは映画史に残るものだろう。

 『生きるべきか死ぬべきか』はユダヤ系ドイツ人で戦前を代表するコメディ作家エルンスト・ルビッチ(1892年生)の代表作。大戦下のワルシャワを舞台にした、ウェルメイドなコメディながらナチスに対する強烈な批判精神を感じさせる。

 『死刑執行人もまた死す』は、チェコ副総督ハイドリヒ襲撃の犯行直後から物語が始まるサスペンスで、ハイドリヒやゲシュタポを見るからに冷酷で悪辣な存在として描き、チェコ・レジスタンスの英雄的行為を鼓舞する反ナチプロパガンダ作品である。ルビッチ作同様、ナチス全盛の時代にこのような作品群が米国で作られていたことが興味深い。

 監督のフリッツ・ラングは1890年オーストリア出身。母親はユダヤ系で、『メトロポリス』(1927年)などで知られる鬼才。ドイツで活躍後1937年に亡命してアメリカに渡った。

 なお、ハイドリヒ暗殺事件を題材としたプロパガンダ作品にはこのほか『ヒットラーの狂人』(ダクラス・サーク 1943年米)もある。サークも、妻がユダヤ人だったため同じ1937年にアメリカに亡命している。ハリウッドの主要映画会社(ユニバーサル、パラマウント、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザース、MGM、コロンビア、RKO)の創業者は皆ユダヤ系である。

■米国に多いユダヤ系の映画監督

 ルビッチ、ラングを始めとして、米国にはユダヤ系の監督が多いが、中でも一番の大物はアカデミー監督賞12回(! )ノミネートの記録を持つウィリアム・ワイラー(1902年ドイツ生)だろう。

 彼はナチス台頭以前の1920年18歳で渡米している。代表作『ベン・ハー』(1959年)は、ユダヤ人貴族の青年・ベン・ハーの波乱の半生を描くローマ史劇の超大作。アカデミー監督賞、チャールトン・ヘストンの主演男優賞など計11部門受賞している。

 次なる大物は名脚本家でもあるビリー・ワイルダー(1906年現ポーランド生)。『アパートの鍵貸します』(1960年 アカデミー作品賞受賞)が代表作だ。彼は1933年2月27日、国会議事堂放火事件の夜にドイツからフランスへ亡命している。このワイルダーが師と仰いでいたのが『生きるべきか死ぬべきか』のルビッチであった。ルビッチを慕う後輩は多く、『生きるべきか死ぬべきか』はのちに同じくユダヤ人監督、メル・

ブルックス(1926年生)によりリメイクされている(『メル・ブルックスの大脱走』1983年)。

 本項にあげた戦前の作品群は、動画配信サービスのラインナップには入っていないことが多いが、DVDで手軽に入手し観ることができる。

東洋経済オンライン

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最終更新:6/26(日) 12:31

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