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山崎邦正⇒月亭方正の転身の裏に見た絶妙な導き、転身者が自分を変えようとする時にある偶然の出会い

6/25 10:01 配信

東洋経済オンライン

今や、学校を卒業したら就職した会社で定年まで働き、老後は悠々自適といった人生設計は成り立ちにくい。多くの人が長い人生の中で何らかの変化を求められるとしたら…。
25万部突破のベストセラー『定年後』の著者、楠木新氏がさまざまな著名人、そして一般の人たちが何に悩み、どうキャリアチェンジを果たしたのかに迫った新著『転身力』より、落語家「月亭方正」に転じたお笑い芸人の山崎邦正さんの転身を紹介した章を一部抜粋、再構成してお届けします。(文中敬称略)

<参考文献:『僕が落語家になった理由』(月亭方正著、アスペクト、2013年)、『落語は素晴らしい』(月亭方正著、ヨシモトブックス、2018年)>

■山崎邦正から月亭方正へ

 「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ系列)をはじめ、数々のバラエティ番組で人気を博していた山崎邦正は、40歳を目前にして落語に出合い、落語家「月亭方正」に転身して活躍している。

 ここ数年、彼の落語を大阪の天満天神繁昌亭や神戸新開地の喜楽館などの定席や地域のホールで聴くことが多い。若い頃から噺家として活動している人とは一風違った趣があって、会場の雰囲気が切り替わる感じがある。もちろんテレビのバラエティ番組での活躍の影響もあるだろうが、噺家一本で来た人とのキャリアプロセスの違いが大きい。 寄席にもそうした多様性が大切だと私は思っている。

 彼は1988年にデビューしたのち、テレビで「アホ、ヘタレ、おもんない」キャラで人気を得ていたが、40歳を目前にして、今後の芸能活動や自分の路線について悩んでいた。女性漫才師の海原ともこは、当時、山崎邦正が「ずっと漫才やってて(君らは)えらいなあ。おじいちゃんおばあちゃんばかりやのにあんなにウケるのはすごい。場数もやってるしな。俺には何にもないねん」と話しかけてきたことがあったとテレビ番組で語っている。彼女が山崎と仕事で一緒になった時のことだ。営業に行った時、海原やすよともこや後輩のブラックマヨネーズは漫才をやって爆笑を取れるが、山崎本人は20分の時間をもらっても目の前にいるお客さんを1人では喜ばすことができないと感じていた。

 もちろんこの世界で20年やってきているので、テレビの生放送で笑いを取る自信はあった。でも、それは必ずしも彼が求めているものではなかった。40歳を前にして大きく落ち込んだという。自分はどうすればよいのかと考えた時、思いついたのは新喜劇をやりたいということだった。そして松竹新喜劇の藤山寛美のビデオや吉本新喜劇のDVDを取り寄せて毎日見ていた。ところが当然ながら1人では新喜劇の練習すらできない。

 その頃、芸人として先輩の東野幸治にテレビの仕事以外にも何か挑戦したいと相談したところ、「桂枝雀さんの落語、聴いてみたら」と勧められた。

 実際に桂枝雀の「高津の富」を聴いてみたところ、こんなに面白いものが世の中にあるのかと感じてそのとりこになった。それから古典落語をほぼ毎日聞いていると、これは1人でやれる新喜劇であることに気がついた。いくつもの役柄を座布団の上で1人で演じることができる。「よっしゃー。ずっと探してたんは、これやったんや」と思った。

 私はある落語会が終了した後で、桂福團治師匠と同じテーブルで話を聞く機会に恵まれたことがある。その時に師匠から「落語は総合芸術なので自分1人で何でもできる」という趣旨の話をうかがったが、それに近いことを方正は感じたのだろう。

■聴くだけでなく自分でもやってみようと

 テレビを中心に仕事をしていた時には、落語などの古典芸能にはあえて目を向けていなかったが、実際に聴いてみると落語の面白さに魅了された。その後、「聴くだけでなくやってみたい」と考えるようになった方正は、本格的に落語の勉強を始めた。

 ただ、古典落語は噺家の共有財産でもあるので、演じるのに落語家に許可をもらう必要もあると考えた。落語家との付き合いはほとんどなかったが、テレビで一緒に仕事をした月亭八光を通して実父の月亭八方師匠の落語会で客演として落語「阿弥陀池」を演じた。2008年5月のことである。

 その日の打ち上げの席で八方から「月亭方正」の名をもらった。その時は、立川談志師匠が北野武を弟子にしたように、本格的な落語家としての弟子ではなく、Bラインというか、有名人などを弟子にするイメージではなかったかと月亭方正は語っている。その後も月亭八方が主催する毎月の落語会で毎回異なるネタを舞台にかけていた。それこそ落語漬けの毎日が続く。

 月亭方正が落語家になることには、落語家の中にも異なる受け止め方があったと、彼はテレビ番組で語っている。「テレビで売れてるんやからそこでやっていたらいいじゃないか」と考えるグループもあれば、「よう来てくれた。これから一緒に古典落語のすそ野を広げてくれ」というグループもあった。月亭方正は、自分は横入りみたいなものなので、前者の考え方があるのも当然だと語っている。

 その後、2009年12月に月亭方正は正式に上方落語協会に入った。そこでもいろいろともめたらしい。月亭方正は師匠の月亭八方から何も聞いていないが、他の師匠から「おまえが協会に入る時は大変やったんやぞ」とのちに聞く。反対派の人は「何でやねん!  あいつ修行したんか?」という意見もあったが、八方師匠が「もし方正が何かしたら、自分もやめるから」と言って入会が認められたことを聞いた。当然彼は感動したが、なぜ師匠がそこまでやってくれるのかわからなかったとも述べている。

 彼は子どもが生まれた時は嬉しくて、周りがすべてキラッキラに見えたという経験があった。初めて落語をさせてもらった時もそれと同様で、お客さんとか、自分の持っている扇子とか、とにかく全部キラッキラに光って見えたという。やっと自分の魂が求めていたものに出合ったからだろう。

■師匠とメンター

 タレント山崎邦正から落語家月亭方正への転身においては、月亭八方師匠の存在を抜きには語れないだろう。月亭方正自身も、八方師匠についていなければどうなっていたかわからないとも語っている。

 また彼の歩みのプロセスを見れば、東野幸治の「古典落語を聴いてみたら」というアドバイスや月亭八光とのテレビ出演がなければ転身の形は相当変わっていただろう。自分自身の力だけでは転身すること自体できなかったかもしれない。

 多くの転身者の話を聞いていると、この月亭方正の場合と同様に、思いもかけない出会いに導かれていることが多い。しかもこの偶然と思える出会いは、「自分をどこに持っていけばいいのか」「他人に喜んでもらうためには何をすればいいのか」などと自分を変えようとする時に出会いが生まれている。組織の枠組みの中で、仕事本位で働いている人は、そうした偶然に巡り合わない。

 このように導いてくれる存在は、取材から見れば2つのパターンがある。あえて言えば師匠とメンター(助言者)と呼んでもいいかもしれない。師匠とは、転身者がその人の一挙手一投足を学ぶことによって次のステップに近づくことができる、お手本のような人である。

 月亭八方師匠は文字通り師匠であるが、役職などには関係なく、自分の立場を変えようとする人が次の世界に行くためにお手本になる人であれば、師匠と呼んで差し支えない。

 一方でメンターとは、アドバイスや助言、または人を紹介するなど転身のプロセスの中で何らかの形で転身先に到達する方向性を支援してくれる人である。先述の古典落語への興味を呼び起こしてくれた東野幸治は、月亭方正にとってメンターの一人だと言っていいだろう。師匠やメンターの助けを借りて転身先に到達する人は多い。もちろん、それはその人にすがって助けてもらうという意味ではない。あくまで本人の主体的な姿勢が転身の前提にあるのだ。

東洋経済オンライン

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最終更新:6/25(土) 10:01

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